【奄美大島の御神事】天之御中主神さまの御降臨と竜宮乙姫~赤尾木湾での御神事   2021年5月26日と5月28日

 2021年5月25日から5月28日にかけて行った奄美大島の御神事を振り返ると、最大の御神事は2021年(令和3年)5月26日の赤尾木湾での御神事だった。
 2021年5月26日は奄美大島御神事の2日目で、早朝から深夜までビッシリと奄美大島を周った。曇り模様の小雨交じりの一日だったが、御神事のときは雨が止んでくれている。

   – – – – – –
(1)9時42分、ホノホシ海岸到着
(2)10時前、高千穂神社(古仁屋)への正式参拝
(3)12時30分、枝手久島を遥拝できる宇検村の厳島神社に参拝
(4)13時10分、対馬丸慰霊碑
(5)14時10分、湯湾岳に神籬を設けた御神事の設営開始
(6)18時50分、平瀬マンカイの祭場
(7)20時11分-20時26分の15分間、あやまる岬で皆既月食
(8)20時26分の皆既月食を終了して赤尾木湾に移動しての御神事
  – – – – – –

奄美大島・笠利のあやまる岬での皆既月蝕の遥拝

 日没直前の19時前に平瀬マンカイの祭場を後にして、皆既月蝕を遥拝するために笠利のあやまる岬へと向かった。

 車を走らせると、雨がときおり降ってくるので、月蝕を望むことはあきらめていて、月蝕が見えるものとして、御神事を行こなおうと思っていた。
 20時過ぎ、奄美空港を右手にみて県道601号線を北上し、あやまる岬方面へ右折し50メートルも進むと、喜界島方面の空に、もうすこしで皆既月蝕になるお月様が浮かんでいた。
「あっ!月が見えている!」
「本当だ!」

 あやまる岬の駐車場に入ると、6-7台の車が止まっており人影もみえる。
 みんなの目的は同じで、皆既月蝕と満月の拝観であった。
 あやまり岬から見るお空は、全体的に曇りなのだが、風が強いため雲の塊がサ~っと払われていき、夜空にポッカリと皆既月蝕になったお月様を浮かび上がらせてくれる。
 あやまる岬から望む皆既月蝕の真下が喜界島の神声歌碑になっており、さらにその先にはモヤイ像で有名なイースター島に行きつく。

 昨年2020年の5月に、2021年5月に太平洋のど真ん中が大隆起する白日夢をみていたので、奄美大島でムー大陸向けの御神事をすると神々に伝えてこの一年の日々を過ごしてきたのだった。
 奄美大島と沖縄では、辰巳の方角(東南の方角)にニライカナイがあるとされている。
 民俗学の研究で伝えられている伝承と、広瀬謙次郎氏の「ムー大陸浮上説」のムー大陸の地図は符合している。
 今回の奄美大島と喜界島の御神事が整えば、ムー大陸の上昇は、人でも耐えられるようなゆっくりとした形をとって現れてくるはずである。

龍郷町の赤尾木湾の展望所での御神事

 20時26分に皆既月蝕は終了し部分蝕になったので、次の龍郷町の赤尾木湾の展望所に向かった。

 龍郷町の赤尾木湾は、太古の昔、隕石が落ちたことでできたと言われており、通称奄美クレーターと呼ばれており、直径は約3km。過去の調査で、海岸の砂浜から何度も小さな鉄の玉が発見されたことがあり、また、湾の内外の海底では、隕石が落ちた時のくぼみが18ヶ所確認されている。

 対馬と壱岐島の東経上の配置からみると、龍郷町というのは、対馬と壱岐島の隙間の海域を埋めるかのように配置されている。
 2020年の567月御神事のとき、壱岐島と対馬の位置関係から奄美大島をみつづけて、龍郷町というのは非常に不思議な町だと思うようになっていた。

 地球の地軸は、歳差運動によって天空に円弧を描く。
 この円弧の中にりゅう座があり、りゅう座の胴体部分のくぼみの部分に歳差運動の円弧の中心がある。
 合わせ鏡による推測で、龍郷町(りゅう座に相当)の赤尾木湾(りゅう座の胴体部分のくぼみの部分に相当)に、天之御中主神さまが降臨される地点が用意されているはずである。
 天之御中主神さまが、歳差運動の円弧の中心に御鎮まりになり、天空を支えているお姿を女神の天照大御神さまと尊称し、天之御中主神さまが赤尾木湾に降臨され、海中にお入りになられ、そこに留まられているお姿を女神の竜宮乙姫さまと尊称するらしい。

 21時前に御神事を始めた。
 天宮のりゅう座の位置を星座ナヴィで確認し、山田朋子さんに鈴を振ってもらった。
 天空のりゅう座から龍郷町の赤尾木湾に「りゅう」が降られた。次、日本を知る会の旗を私が振り、國分孝一さんの法螺貝奉奏と続き、祝詞奏上と流れていった。
 祝詞の途中で、天之御中主神さまが赤尾木湾の海面に降りたち、時計と反対周りに円弧運動に入られている。
 一連の御神事を終え、赤尾木湾の展望所で直会になった。
 22時前になって、月蝕が終わる時間だと思って、月の出ている方角を仰ぎ見ると、雲間のなかに煌々と月が輝いている。

 私はどこかで月写しの御神事、ホシ写しの御神事を行う必要性を感じていたが、赤尾木湾での御神事が、私が必要と思っていた全ての御神事になっていた。

奄美大島の締めの御神事となった5月28日の笠利のアマンディでみたものは・・

 私の御神事では、晴れることをモットーとするのだが、最終日の5月28日、喜界島から奄美大島に渡る頃には本格的な雨となっていた。最後の締めの御神事は、アマミコとシニレクの降臨地とされる笠利のアマンディで、現場に到着する頃には雨も止むだろうと思っていたが、意に反して雨は止まない。
 こういう時は、神さまが何かを知らせたいケースがほとんどなので、雨の中、神籬の設営に入り、御神事に入っていった。

  高い場所に神籬と灯明をたて、その下に左右に灯明を立てた。
 左の灯明のそばに天照大御神さまの御神影、右の灯明のそばに天照皇大御神さまの御神影を設置した。
 灯明には加工を施しているので、通常の雨や風では火が消えないようになっている。

 ところが、御神事に入るとすぐに、神籬の近くにある灯明が風と雨で消えた。
 次に天照大御神さまの御神影の近くの左の灯明が消え、天照大御神さまの御神影が風で前に倒れた。
 御神影が倒れたまま御神事は行えないので、天照大御神さまの御神影だけ立ち上げ、再び風で倒れないように補強した。
 天照皇大御神さまの側の灯明は最後まで灯っていた。

 御神事の途中、風音と雨脚が強くなったとき、私の脳裏に赤尾木湾内の映像が浮かんできて、5月26日夜に天之御中主神さまが赤尾木湾に降臨され、時計と反対周りで動かれていた運動が、大きな渦状態となり、赤尾木湾のさらに奥深い底に到達していた。
 天宮の大運動が、赤尾木湾を接合点にして、地宮の大運動へと転換し、天地とも一本の軸でつながったのだと思った。

 5月28日の午後に笠利のアマンディで神籬を立てた御神事は、一年前に願を立てた御神事であるにも関わらず、雨になったというヒッカカリを残したが、この度の太陽系の大変革は、天照皇大御神さまに全てを託しての大変革なので、天照皇大御神さまのそばの灯明が灯っているので良しとしよう。

 神の代から人の世へ移されたのは神倭伊波礼比古尊だったが、神武天皇という人皇として御立ちになられたのは、神の領域ではできにくい事柄を人の世でやり遂げることが目的だった。
 神倭伊波礼比古尊の父神・鵜葺草葺不合尊は天照大御神さまの御霊統を引き継いでおり、母神・玉依姫神は竜宮乙姫さまであるので竜宮の御霊統を継承されている。

 奄美大島の赤尾木湾での御神事を終えて思うのだが、神倭伊波礼比古尊とは、天宮を支える天之御中主神さまの御姿である天照大御神さまと、地宮を支える天之御中主神さまの御姿である竜宮乙姫さまと、地上界で大和(たいわ)された状態の神霊状態のことなのだと思うようになった。
 これまでは天之御中主神さま、天照大御神さま、竜宮乙姫さまがそれぞれ離れ離れで関連性が断たれてしまっていたらしい。
 奄美大島・龍郷町の赤尾木湾での御神事を終えて、ハッキリと見えてくることがあり、これが御神事の果たす役割である。
 人間の私に見えているので、八百万神々にはより鮮明に見えているに違いない。

 天宮の配置が整い、地宮の配置が整い、高天原が復興され、海宮と竜宮も復興される。
 神倭伊波礼比古尊が、皇尊として再び神の代に御即位される日が近いと思う。

阿麻弥姑神社へご挨拶をすませ、奄美大島を離れ東京へ

 5月28日13時20分、阿麻弥姑神社へも参拝し、奄美大島を離れるご挨拶をさせていただいた。

 5月28日夜23時に自宅に戻り、お風呂に入りすぐにベットに入った。

 私は5月29日早朝から仕事が待っている。
 5月29日5時前に目を覚まし、疲れた体で、食卓のイスに座ってボーっとしていると、喜界島の女神が
「喜界島の神は、湯湾岳に登るのです」
 と告げてくる。
 それじゃあ、
「昨日5月28日、雨の中で御神事を行った笠利のアマンディは何だったんだ!」
 となった。
 喜界島の豊雲野大神さまからみて、シニレクとアマミコが降臨されたのは湯湾岳であって、笠利のアマンディには降臨されていない、ということを告げているようだ。
 喜界島の神さまの一言から、遠い神代の昔に、何が秘密とされてきたのか、全てを悟り、神代のツマヅキの石の除去に取り掛かった。
 5月31日23時過ぎに、全て完了したのだが、直後に
 ズッド~~ン!
 と、関東一円に雷が轟いた。
 次の時代に移行する号砲が鳴ったのだと思った。

 1995年1月17日の阪神淡路大震災から始まった私の御神業だったが、大きな転換点となったことだけは間違いない。

 まずは、めでたい!

2021年5月25日(火)の行程

(0)羽田発 12:00~奄美着 14:15
(1)15時、節田の立神
(2)15時30分、あやまる岬
(3)16時10分、笠利灯台と東側沖合の平瀬
(4)18時、名瀬市の高千穂神社

2021年5月26日(水)の行程

(1)9時42分、ホノホシ海岸到着
(2)10時前、高千穂神社(古仁屋)への正式参拝
(3)12時30分、枝手久島を遥拝できる宇検村の厳島神社に参拝
(4)13時10分、対馬丸慰霊碑
(5)14時10分、湯湾岳に神籬を設けた御神事の設営開始
(6)18時50分、平瀬マンカイの祭場
(7)20時11分-20時26分の15分間、あやまる岬で皆既月食
(8)20時26分の皆既月食を終了して赤尾木湾に移動しての御神事

2021年5月27日(木)、喜界島での御神業

(0)7時30分、ホテルを出発、
  名瀬の高千穂神社の當郷裕之禰宜さんにご挨拶をして奄美出発
  奄美発 10:20~喜界着 10:35
(1)11時30分、喜界島の宮原山(みやばるやま)
(2)14時30分、130度線に到着するも大雨で車を降りられず。
(3)14時41分、平家上陸の碑
(4)16時00分、海水浴場(スギラビーチ)で渡邊和見さん指導の禊行

2021年5月28日(金)、喜界島と奄美大島での御神業

(1)8時、俊寛僧都のお墓で御供養(喜界島)。
(2)8時40分、ガジュマルの木の遥拝(喜界島)。
(3)9時15分、百之台公園(喜界島~203メートルの展望所)
.
(※)喜界発10:45~奄美着11:05。
.
(4)12時、奄美大島に戻り、アマンディでの御神事
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。
(5)13時20分、阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)参拝
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。