【奄美御神事】奄美大島で「天之叢雲剣」と「天之沼矛」の依り代を納めた場所は7カ所。   2021年5月25日~5月28日の奄美大島

 奄美大島には、奄美開闢という
「女神・阿摩弥姑(アマミコ)と男神・ 志仁礼久(シニレク)の二神が天から降臨して奄美を創った」
 という伝承が残されている。
 奄美大島の最高峰である宇検村の湯湾岳に、二神は降臨されたとされ、二神降臨を顕彰する石碑は南側の若干東寄りを向いて建てられている。

 私たちは、志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美開闢を、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みと神生みの御活動へと昇華させるために、対馬の龍良山を遥拝する形で北側に向かって神籬を立てさせていただいた。

 ノアの洪水とホピの洪水が発生する5年前の紀元前10,948年、歳差運動のちょうど1/2周にあたる「時の衝撃波」によって、地球が消滅する事態を防ぐため、千引の岩戸閉めで離縁状態だった伊邪那岐命と伊邪那美命は、宇検村の霊峰・湯湾岳に志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)として降臨され、歳差運動によって描かれる天空の円弧を奄美大島の立神として現象化させ、天空の円弧と綱でつなぎ、地球が消滅する事態を防いだ。

1奄美大島節田の立神奄美市笠利町節田
2奄美大島平(ティリャ)の立神
※浜辺にある
奄美市笠利町土浜
3奄美大島赤木名の立神奄美市笠利町赤木名
4奄美大島安木屋場の立神龍郷町安木屋場
5奄美大島久場の立神龍郷町久場
6奄美大島名瀬の立神奄美市名瀬
7奄美大島今里の立神大和村
8奄美大島三連立神瀬戸内町西古見
9奄美大島節子の立神瀬戸内町節子
10奄美大島トビラ島
※立神の名称ではない
奄美市住用町市(いち)
11加計呂麻島芝の立神 
12加計呂麻島西阿室の立神 
13加計呂麻島渡連の立神 
14与路島与路の立神 

 湯湾岳は奄美大島で一番高い山なので、対馬・龍良山の無の中心軸から伊邪那岐命が降臨するに相応しい。

 志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美開闢を、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みと神生みの御活動へと昇華させる御神事は、満月と皆既月蝕に当たっている2021年5月26日に行われ、14時10分から湯湾岳に御神事の設営を開始した。

 志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美降臨地は、奄美大島の最高峰である宇検村の湯湾岳のほかに、もう一つ笠利のアマンデーであるとされる。
 笠利のアマンデーでも、奄美大島の最終日である2021年5月28日12時に神籬を立てさせていただいたが、喜界島の神は、志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の霊地として、笠利のアマンデーへは登拝しないのだという。
 笠利のアマンデーには、何か特別の事情があるようだ。
 http://www.tukinohikari.jp/ch/2021/06/03/minakanushi/

 今回の2021年(令和3年)5月の奄美大島御神事の大きな目的の一つは、天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を奄美大島の各所に納め、悪や「魔」が奄美大島からどういうルートを通って神々の御魂に侵入してきたのか、この全貌を浮き上がらせることにある。

 天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を、納めた場所を記録として残しておこう。

 『ひふみ神示』内「五十黙示録」の「七の燈台」という記述に従い、奄美大島の7ヶ所に依り代を納めてきた。「十の燈台」にすることができるように、あと3セットの依り代を残しており、納めるべき場所があると思う。
「愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。」
(「五十黙示録」第1巻 扶桑の巻 第一帖)
『ひふみ神示』内「五十黙示録」の上の記述は、歳差運動の時の配置になっており、今回奄美大島の御神事を行ってきた男性3名と女性2名、合計5名は、天宮と地宮を合わせる奄美大島御神事にふさわしいメンバー構成になっていると思う。

(1)5月25日、笠利灯台の遥拝、浦島太郎伝承と「こと座」のベガ

 2021年3月18日から、私は天宮の円弧と奄美大島の立神の配置の空間のなかで御神事の検討にはいっているが、悪や「魔」の侵入ルートは枝手久島だけではないと自覚するようになっている。
 奄美大島北端に笠利崎灯台があり東側に平瀬という浅瀬があるのだが、鬼界カルデラとの位置関係からみて、平瀬という浅瀬に「立神」が置かれていたはずだ、と強く思うようになっている。

 笠利崎灯台と平瀬の領域に、天宮の「こと座」が移写されているはずで、こと座のベガが笠利崎灯台に対応し、琴の四角形が平瀬という浅瀬になっているはずだ。

  <こと座の物語>
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  発明の神ヘルメースがライアー(琴)を発明し、アポローンが譲り受けて弾いた。この琴はアポローンの息子オルペウスの物となり、オルペウスは有名な音楽家になった。やがてオルペウスは妻エウリュディケーを娶ったが、妻は毒蛇に噛まれすぐに死んだ。
 悲しんだオルペウスは冥神ハーデースのところに行き、琴を弾きながら妻を戻してくれるよう頼んだ。
 ハーデースは琴の調べが大変に美しいのでこれを許可したが、途中決して振り返ってはならないという条件をつけた。
 帰る途中、あと少しというところでオルペウスは思わず後ろを振り向いてしまい、妻は冥界に連れ戻され、永遠にいることになり、オルペウスは身を投げて死んだ。
 琴はそのまま川を流れていたが、ゼウスが拾い、星座とした。
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 こと座の物語というのは伊邪那岐命と伊邪那美命の神話に似ていて、志仁礼久(伊邪那岐命)と阿摩弥姑(伊邪那美命)もこと座を奄美大島に移写するさいに、何らかの影響を受けて天宮に潜む悪や「魔」の侵入経路も移写してしまい、どこかのタイミングで立神が崩壊してしまったような気がする。

 竜宮に音楽はつきもので、特に弦をつま弾く琴の音は、海宮や竜宮に必須だと思われますが、ノアとホピの洪水のかなり前から竜宮の琴が失われてしまったため竜宮の役割が果たせなくなり、琴のおかれる領域が、悪や「魔」に転落していったものらしい。
 こと座を思い、織姫のことを思いそして、笠利崎灯台から平瀬を重ね浦島太郎伝説のモニュメントを重ねると奄美大島のもう一つの急所はここだな、と思えてくる。

 天宮のりゅう座の「りゅう」ばかりでなくこと座の「琴」も奄美大島に戻され、再び、神秘な調べを奏でる時がやってくると思います。

(2)5月26日、宇検村の厳島神社から枝手久島遥拝

 2020(令和2年)の567御神事を行っている6月1日に、奄美大島の枝手久島から毒蛇・ハブが奄美大島に侵入していったという情報を知り、神の代が崩れていくキッカケが奄美大島にあると直感するようになった。

 奄美御神事のもっとも核心的な場所として、宇検村の厳島神社を選んだ。

(3)5月26日、宇検村の対馬丸慰霊碑。

 1944年8月22日に沈没した対馬丸は、対馬という船名を掲げているので、非常に気になる疎開船だった。
 対馬丸は、疎開船として民間人や児童ら約1,700名を乗せて那覇から長崎へ向かう途中、アメリカ海軍の魚雷攻撃を受け沈没している。
 民間人および那覇国民学校の児童と介添者を合わせた1,661名のうち、1,484名が死亡し、生き残った児童はわずかに59名でした。
 奄美大島の宇検村の船越海岸に多くの遺体が漂着したことから、長年、懸案とされていた慰霊碑が、2017年3月に船越海岸に建立されました。

(4)5月26日、阿摩弥姑(アマミコ)と志仁礼久(シニレク)が降臨された湯湾岳。

 今回のページの最初をご覧ください。神籬を立てた御神事を行っています。

(5)5月26日、あやまる岬で皆既月蝕遥拝(集合写真は5月25日のもの)。

 5月25日14時30分に奄美空港に到着して、節田の立神を遥拝し、15時30分、あやまる岬に到着した。翌日の夜は、皆既月蝕なので、日中の喜界島をみることができない。喜界島の雰囲気を写真に納めたくて立ち寄った。

(6)5月26日、龍郷町の赤尾木湾で、天之御中主神さま御降臨御神事。ホシ写しの御神事。月写しの御神事。

 今回の奄美御神事の最大の御神事になった。詳しくは
 http://www.tukinohikari.jp/ch/2021/06/03/minakanushi/
 に記録を残してある。

(7)5月28日、笠利のアマンディ。

 奄美御神事の締めの御神事が笠利のアマンディでだった。あいにくの雨となり、ずぶ濡れになりながらの神籬だった。

【2021年10月29日の注記】
 奄美大島の御神事の流れを引き継いだ形で、2021年11月21-22日に高龗神御神事を行おうとしている。
 姫巫女(国譲月地狭霧命)の由来を追っていて、どうしてもアマンデーを調べ直しておく必要がでてきた。奄美御神事の最終日に大雨の神籬御神事になったことがやはり納得できなくて、伝えられている女神・阿摩弥姑(アマミコ)と男神・ 志仁礼久(シニレク)の聖地はアマンデーではないと思う。
 大刈山の頂上も見晴らしがいい場所のようだ。
 天照皇大御神さまの御助言により、2021年10月29日に地図をアップしておく。

 奄美大島の御神事のキッカケとなった夢の知らせ
「神の力を強めるゆえ、夢で知らせることになろう」

 毎日の夢や身の回りの記録をコマメにとるようになったのは、2005年11月に神産霊神さまが
「あなたが、これまで追求されてきたことを発表してください」
 と、要請されてからだ。
 2006年7月からメルマガを発行しはじめると、
「あなたがこれから体験していくこと、身の回りに起こって来ること、夢で見た内容、あなたが考えたこと、できるだけ全ての事柄を記録に残してください」
 と、さらに神産霊神さまから要請を受けた。

 伊勢神宮の第62回式年遷宮が終了した2013年11月、天之大神さまから、
「神の力を強めるゆえ、夢で知らせることになろう」
「神の力を使えぬと、寂しいことになるぞ」
 という助言を受けてから、より詳細に夢を記録するようになった。

 世界の政治や軍事の流れ、夢で見た内容、天候や地震の動き、追求対象としている内容を書きとめて、必要な部分は論考にまとめて残してきた。
 この毎日の積み重ねが、御神事を行う上での大きな財産になっている。

2015年(平成27年)2月4日の夢「左手に天之叢雲剣、右手に天之沼矛」

 2015年(平成27年)2月4日の夢の中で、私は、
「左手に天之叢雲剣、右手に天之沼矛」
 を持っていて、その私に対して天之大神さまが
「2つの剣がないと、神を呪う<神の呪い>は還元(浄化)できぬ」
 という助言をされていた。

 こういう霊夢は、未来のある時点で必要となる情報を含んでいるので、夢を見た時は意味が解らない場合がほとんどだ。しかし、時が到来したとき、霊夢によって事前に示されている状況が現れてくるので、霊夢を見た当時の私の状況を振り返ると、今何をすべきかが自然とわかるようになっている。

 2019年(令和1年)、天皇陛下の大嘗祭に合わせて対馬御神事を行った。
 2020年(令和2年)、社会の行過ぎを自制させる新型コロナウィルス騒動が勃発したので、新型コロナウィルス騒動を鎮静化させる目的と世界大戦に発展しないようにすることを目的として567月御神事を行った。
 2020(令和2年)の567御神事を行っている6月1日に、奄美大島の枝手久島から毒蛇・ハブが奄美大島に侵入していったという情報を知り、神の代が崩れていくキッカケが奄美大島にあると直感するようになった。

 2020(令和2年)6月1日に『神を呪う<神の呪い>』の侵入口が奄美大島の枝手久島にあると示されたので、天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を、奄美大島の要所に納め、『神を呪う<神の呪い>』がどのような経路で奄美大島のなかに隠れることができて、どういうルートを通って神々の御魂の中に侵入できていたのか、を探る必要があった。

 2020年(令和2年)8月23日に天照皇大御神さまから
「筑紫島(九州)の御神事に、行くときが来ましたね」
 という御助言を得て、2020年(令和2年)9月27日に出雲の国引きの神の九州の拠点である大己貴神社と目配山で天之沼矛の発顕御神事を行った。文献に残されている記録と神功皇后が残された神社配置から、天之叢雲剣が保管されていた場所を探り当て、2020年(令和2年)9月28日に天之叢雲剣の発顕御神事も行っている。

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 天之沼矛と2020年(令和2年)9月27日の発顕御神事

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 天之叢雲剣と2020年(令和2年)9月28日の発顕御神事

 2020年(令和2年)9月の筑紫島御神事によって、天之沼矛と天之叢雲剣の御神力が復活したので、副次的効果として、昨年2020年(令和2年)の台風上陸はゼロ、というふうに現れていた。

 2020年(令和2年)9月26-28日に筑紫島御神事で、天之沼矛と天之叢雲剣の御神力が復活したので、極悪人を投獄していた堅牢な牢獄は必要なくなり、私は即座に牢獄の開放に取り掛かった。
 牢獄の開放は、2020年(令和2年)9月28日昼に開始され、9月30日いっぱいかかって行われた。

2015年(平成27年)6月13日に、極悪人の牢獄を開放しようとすると

 2020年(令和2年)9月28日に牢獄の開放を行ったのは、2015年(平成27年)6月13日に見た夢による。
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「ある剣」の近くに、極悪人を収容する牢獄があった。
 地下牢のように見えるが、牢獄の格子を使って、囚人たちは守護城を築いている。極悪人を捕らえた神々はシッカリ捕縛したと思っているが、憎しみや嫉妬や欲望を軸にして邪心や邪念を周辺に呼び寄せ、堅牢な鉄壁で守られた囚人の城のようになっている。
 実に巧みな隠れ家になっている。しかも、牢獄の床板と背後の壁は、通り抜け自由になっている。
「この牢獄には極悪人が入る」という言葉の定義が置かれているので、神々は中に立ち入れない。
 この牢獄は、極悪人の天国で、囚人たちが安心して悪事を企める本拠地になっていた。
 夢のなかで、この極悪人を収容する牢獄の格子を取り払い、牢獄を開放する必要がある、と私は思っていた。極悪人が牢獄にいようがいまいが、この世の在り方にはほとんど影響がなく、逆に世の中の状況は悪くなっていくばかりだった。
 夢のなかで、私が牢獄を開放しようとすると、
「開けてはならぬ」
 という言葉があった。
 この牢獄を開ける時があるのだ、と直感した。

2020年(令和2年)9月26-28日の筑紫島御神事で、天之沼矛の依り代と、天之叢雲剣の依り代を頂戴

 2020年(令和2年)9月26-28日の筑紫島御神事で、奄美大島の御神事に使うために、天之沼矛の依り代と、天之叢雲剣の依り代を頂戴してきている。
 今回、奄美大島の御神事で天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を納めると、必ず壱岐島の天一柱を伝って、筑紫島に逃げ込んでくるモノたちがいるだろう。極悪人を収容する牢獄が、極悪人の秘密の天国になっており、いたる所に通り抜け自由になっている秘密の通路が張り巡らされているから、まず堅牢な牢獄のある場所に向かわざるをえない。

 牢獄がある場所には今現在も、「天之沼矛」と「天之叢雲剣」が立てられていて、全ての記録が天之大神さまのもとに届けられている。全てが天に筒抜けになっているという事情が分かっていても、ビックバーン以前からの習性や属性は変えられないので、必ずこの神社やこの地域を通ろうとする。

 そういうものだと思う。

 今回の2021年(令和3年)5月の奄美大島の御神事で、天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を納めてきているので、残りの6月25日のやぎ座の満月と7月24日のみずがめ座の満月の御神事によって、悪や「魔」が奄美大島からどういうルートを通って神々の御魂に侵入してきたのか、この全貌が明らかになっていくはずである。

 悪の根や悪の種は、全て満開に咲かせてあげればいいのだ。
 全て満開に咲かせてあげれば、自己崩壊を起こしてしまう。

 悪や「魔」の性分は、天地開闢の神々が創造した世界を簒奪することにある。
 天地開闢の神々が、悪や「魔」に完成した世界を簒奪させてあげれば、悪や「魔」は次は何を簒奪するのだろう?
 結局、簒奪した世界の奪い合いがおこり、自己崩壊を起こしていく。

 神々の御魂に侵入する悪や「魔」のルートが、奄美大島を起点になってることが明らかなので、要所に天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を納めてきた。
 神々の御魂のなかの悪や「魔」の侵入ルートを通って、天地開闢で使われた天之沼矛の神気、苦難のなかでも耐え忍ぶ象徴である天之叢雲剣の神気が流入していくことになるだろう。

 あとは、時を待っていればいいだけだ。

2021年5月25日(火)の行程

(0)羽田発 12:00~奄美着 14:15
(1)15時、節田の立神
(2)15時30分、あやまる岬
(3)16時10分、笠利灯台と東側沖合の平瀬
(4)18時、名瀬市の高千穂神社

2021年5月26日(水)の行程

(1)9時42分、ホノホシ海岸到着
(2)10時前、高千穂神社(古仁屋)への正式参拝
(3)12時30分、枝手久島を遥拝できる宇検村の厳島神社に参拝
(4)13時10分、対馬丸慰霊碑
(5)14時10分、湯湾岳に神籬を設けた御神事の設営開始
(6)18時50分、平瀬マンカイの祭場
(7)20時11分-20時26分の15分間、あやまる岬で皆既月食
(8)20時26分の皆既月食を終了して赤尾木湾に移動しての御神事

2021年5月27日(木)、喜界島での御神業

(0)7時30分、ホテルを出発、
  名瀬の高千穂神社の當郷裕之禰宜さんにご挨拶をして奄美出発
  奄美発 10:20~喜界着 10:35
(1)11時30分、喜界島の宮原山(みやばるやま)
(2)14時30分、130度線に到着するも大雨で車を降りられず。
(3)14時41分、平家上陸の碑
(4)16時00分、海水浴場(スギラビーチ)で渡邊和見さん指導の禊行

2021年5月28日(金)、喜界島と奄美大島での御神業

(1)8時、俊寛僧都のお墓で御供養(喜界島)。
(2)8時40分、ガジュマルの木の遥拝(喜界島)。
(3)9時15分、百之台公園(喜界島~203メートルの展望所)
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(※)喜界発10:45~奄美着11:05。
.
(4)12時、奄美大島に戻り、アマンディでの御神事
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。
(5)13時20分、阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)参拝
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。