喜界島の宮原山(みやばるやま)での神籬 2021年5月27~28日は喜界島

 5月27日7時30分、名瀬市のホテルを出発し、おがみ山の登拝に向かったが、喜界島への飛行機に間に合いそうにないので、名瀬の高千穂神社の當郷裕之禰宜さんにご挨拶をして名瀬を出発した。

 黒木正和宮司から、
「本日(5月27日)は、雨の予想だったのに、青空とお日様が見えてますね」
「みなさんの御神事の賜物ですね」
 という手向けの言葉を頂戴し、11時前に喜界島に到着した。

 いろんな人の説明では、喜界島の宮原山(みやばるやま)は坂嶺小学校の裏山にあるということになっているが、そもそも喜界島の最高峰は七島鼻の214メートルなので、山らしい山はない。
 とにかく坂嶺小学校の裏側に行けば、案内標識くらい出ているだろうと思って11時30分に坂嶺小学校の裏側に到着したのだが、標識らしいものもナシ。
 信仰の対象なので、知っている人だけが知っていればいい、というモノらしい。
 車を止めて周辺を捜索すると、山田朋子さんが、神声歌碑を発見してくれた。

 神声歌碑の場所に行ってみると喜界島の大本教の女性の信者の方が、掃除をされていてちょうど帰り支度をしている最中だった。
「昨日まで雨続きで、今日の午前中、久しぶりに晴れてくれたので御掃除にきました」
 ということだった。
 1年も前から願をかけて望んでいる御神事に、雨が降ってくる方が変なんだと思う。
 たとえ、大雨でも、御神事の時間は止むものだ。
 もし、雨が止まない場合、何かを知らせたいことがあるからなのだ。

 名刺が欲しいということだったので、私と國分孝一さん、渡邊和見さん、琴美ちゃんの名刺をお渡しし、御神事に入らせていただいた。

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 出口王仁三郎氏の御神業には三段の型があって、国常立大神が北海道の芦別岳に御隠れになられ、妻神の豊雲野大神さまが喜界島に御隠れになられている、
 とする。

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 国常立大神 | 冠島・沓島 / 北海道 / 日本
 豊雲野大神 | 神島(上島)/ 喜界島 / イタリアのサルテーニャ
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 出口王仁三郎氏が、国常立大神さまの芦別岳をお詠みになられた歌が神生歌碑。
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  ◇神生歌碑◇
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   芦別(あしわけ)の 山はかなしも 勇ましも
    神代(かみよ)ながらの 装ひにして
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   建立日:昭和7年(1932年)5月23日
   所在地:旧・北海別院 (現・北海本苑/北海道富良野市)

 また、出口王仁三郎氏が、豊雲野大神さまを忍ばれてお詠みになられた歌が今回の訪問に繋がった喜界島・宮原山(みやばるやま)の神声歌碑である。
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  ◇神声歌碑◇
   世をおもふ 心のふねに 棹(さを)さして
    宮原山(みやばるやま)に はるばる吾(われ)来(き)つ
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   建立日:昭和7年(1932年)12月19日
   再建日:昭和36年(1961年)12月15日
   所在地:鹿児島県大島郡喜界町坂嶺字宮原山

 国常立大神が北海道・芦別岳へ隠退されたとき、妻神の豊雲野大神さまが、夫に会いたくて山形県と秋田県の県境にある鳥海山まで来られたのだが
「厳格な夫であるので、私が行っても会ってくださらないだろう」
 と涙ながらに引き返されたという。
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 出口王仁三郎氏が、鳥海山の南麓にある山形県遊佐町の巡教に行かれた折、雨の音に、豊雲野大神様の涙の音を聞いて詠まれたのが東北別院歌碑。
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◇鳥海山の南側麓の東北別院歌碑◇
   北海の 旅路(たびぢ)遙(はろ)けし われはいま
    出羽の大野の 雨聴きて居り
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   建立日:昭和7年(1932年)11月22日
   所在地:旧・東北別院/山形県飽海郡西遊佐村藤崎
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 私は、18歳まで鳥海山の南側の山形県庄内地方から鳥海山を見て育った。
 1995年から御神業に入り、国常立大神さま・豊雲野大神さまの物語を出口王仁三郎氏の説明から知り、いつかは喜界島に行ってみたいと思っていた。
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  芦別(あしわけ)の 山ぞ尊し 鳥海山(でわのふじ)
   宮原山(みやばるやま)に ついにきたりぬ
    令和3年5月27日、
    月の光奉賛会 代表 成田亨

 同じく、御神事に同行してくれた渡辺和見さんは裏側の、秋田県本荘高校の山岳部でまさに鳥海山を裏庭として育った。
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  ミロク世の 到来の秋 来たれるか
   鳥海(とりみ)の山の 裏よ表よ
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  太神大神 稜威輝く尊しや
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  日ノ本復興協議会 代表 渡辺和見

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 長い間、待ち焦がれた有益なひと時となった。
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 翌日5月28日早朝、
「長きより、あなたさまをお待ち申し上げておりました。」
「喜界島の神、あなたさまにつき従います」
 という語りかけの声で私は喜界島のホテルで目覚めた。

 喜界島に御隠れになられている豊雲野大神さまだと直感した。

 伊邪那岐命と国常立尊の間に、次の約束があったという。
「貴殿(国常立尊)の世が到来するように、必ず私(伊邪那岐命)が段取りをとりましょう。その時が到来するまで、耐え忍び、御隠退願えないでしょうか」
 この伊邪那岐命と国常立尊の約束を豊雲野大神さまもご存じで、伊邪那岐命の御神業で喜界島に来られるグループがやってこないと、豊雲野大神さまの封印が解けないようになっていたらしい。

 今回の喜界島の御神事で、豊雲野大神さまが御活動できるようになったのならば、非常に嬉しい。

 国常立大神様は、2018年2月3日の節分に復活されている

 まずは、めでたい!

 5月28日に喜界島空港を飛び立つとき、喜界島の手久津久にあるガジュマルの巨木が手を振って見送ってくれているような気がする。

2021年5月25日(火)の行程

(0)羽田発 12:00~奄美着 14:15
(1)15時、節田の立神
(2)15時30分、あやまる岬
(3)16時10分、笠利灯台と東側沖合の平瀬
(4)18時、名瀬市の高千穂神社

2021年5月26日(水)の行程

(1)9時42分、ホノホシ海岸到着
(2)10時前、高千穂神社(古仁屋)への正式参拝
(3)12時30分、枝手久島を遥拝できる宇検村の厳島神社に参拝
(4)13時10分、対馬丸慰霊碑
(5)14時10分、湯湾岳に神籬を設けた御神事の設営開始
(6)18時50分、平瀬マンカイの祭場
(7)20時11分-20時26分の15分間、あやまる岬で皆既月食
(8)20時26分の皆既月食を終了して赤尾木湾に移動しての御神事

2021年5月27日(木)、喜界島での御神業

(0)7時30分、ホテルを出発、
  名瀬の高千穂神社の當郷裕之禰宜さんにご挨拶をして奄美出発
  奄美発 10:20~喜界着 10:35
(1)11時30分、喜界島の宮原山(みやばるやま)
(2)14時30分、130度線に到着するも大雨で車を降りられず。
(3)14時41分、平家上陸の碑
(4)16時00分、海水浴場(スギラビーチ)で渡邊和見さん指導の禊行

2021年5月28日(金)、喜界島と奄美大島での御神業

(1)8時、俊寛僧都のお墓で御供養(喜界島)。
(2)8時40分、ガジュマルの木の遥拝(喜界島)。
(3)9時15分、百之台公園(喜界島~203メートルの展望所)
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(※)喜界発10:45~奄美着11:05。
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(4)12時、奄美大島に戻り、アマンディでの御神事
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。
(5)13時20分、阿麻弥姑神社(あまみこじんじゃ)参拝
   → 御神事ではここだけ雨だったんだなぁ。