月の光 チャンネル

日本神話と「創世記」について語ります。

「御神事」の記事一覧

弘法大師空海と真名井御前の愛/姫巫女の王神を思う愛の結晶が高龗神であった 
 = 2021年11月2日のメルマガです

 令和3年10月26日は、実におめでたい一日になりました。  眞子さまが、小室圭さんと結婚され、小室眞子さんになりました。  9月21日満月で中秋の名月の日に宮内庁は、 「小室圭さん 9月27日に帰国」  と伝えました。 […]

【奄美御神事】奄美大島で「天之叢雲剣」と「天之沼矛」の依り代を納めた場所は7カ所。 
  2021年5月25日~5月28日の奄美大島

 奄美大島には、奄美開闢という「女神・阿摩弥姑(アマミコ)と男神・ 志仁礼久(シニレク)の二神が天から降臨して奄美を創った」という伝承が残されている。  奄美大島の最高峰である宇検村の湯湾岳に、二神は降臨されたとされ、二神降臨を顕彰する石碑は南側の若干東寄りを向いて建てられている。  私たちは、志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美開闢を、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みと神生みの御活動へと昇華させるために、対馬の龍良山を遥拝する形で北側に向かって神籬を立てさせていただいた。  ノアの洪水とホピの洪水が発生する5年前の紀元前10,948年、歳差運動のちょうど1/2周にあたる「時の衝撃波」によって、地球が消滅する事態を防ぐため、千引の岩戸閉めで離縁状態だった伊邪那岐命と伊邪那美命は、宇検村の霊峰・湯湾岳に志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)として降臨され、歳差運動によって描かれる天空の円弧を奄美大島の立神として現象化させ、天空の円弧と綱でつなぎ、地球が消滅する事態を防いだ。  湯湾岳は奄美大島で一番高い山なので、対馬・龍良山の無の中心軸から伊邪那岐命が降臨するに相応しい。  志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美開闢を、伊邪那岐命と伊邪那美命の国生みと神生みの御活動へと昇華させる御神事は、満月と皆既月蝕に当たっている2021年5月26日に行われ、14時10分から湯湾岳に御神事の設営を開始した。  志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の奄美降臨地は、奄美大島の最高峰である宇検村の湯湾岳のほかに、もう一つ笠利・平集落のアマンデーであるとされる。  笠利のアマンデーでも、奄美大島の最終日である2021年5月28日12時に神籬を立てさせていただいたが、喜界島の神は、笠利のアマンデーへは志仁礼久(シニレク)と阿摩弥姑(アマミコ)の霊地としては登拝する山ではないのだという。  今回の2021年(令和3年)5月の奄美大島御神事の大きな目的の一つは、天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を奄美大島の各所に納め、悪や「魔」が奄美大島からどういうルートを通って神々の御魂に侵入してきたのか、この全貌を浮き上がらせることにある。  天之沼矛の依り代と天之叢雲剣の依り代を、納めた場所を記録として残しておく。

【奄美大島の御神事】天之御中主神さまの御降臨と竜宮乙姫~赤尾木湾での御神事 
  2021年5月26日と5月28日

 2021年5月25日から5月28日にかけて行った奄美大島の御神事を振り返ると、最大の御神事は2021年(令和3年)5月26日の赤尾木湾での御神事だった。  2021年5月26日は奄美大島御神事の2日目で、早朝から深夜までビッシリと奄美大島を周った。曇り模様の小雨交じりの一日だったが、御神事のときは雨が止んでくれている。   - - - - - - (1)9時42分、ホノホシ海岸到着 (2)10時前、高千穂神社(古仁屋)への正式参拝 (3)12時30分、枝手久島を遥拝できる宇検村の厳島神社に参拝 (4)13時10分、対馬丸慰霊碑 (5)14時10分、湯湾岳に神籬を設けた御神事の設営開始 (6)18時50分、平瀬マンカイの祭場 (7)20時11分-20時26分の15分間、あやまる岬で皆既月食 (8)20時26分の皆既月食を終了して赤尾木湾に移動しての御神事   - - - - - -  日没直前の19時前に平瀬マンカイの祭場を後にして、皆既月蝕を遥拝するために笠利のあやまる岬へと向かった。  車を走らせると、雨がときおり降ってくるので、月蝕を望むことはあきらめていて、月蝕が見えるものとして、御神事を行こなおうと思っていた。  20時過ぎ、奄美空港を右手にみて県道601号線を北上し、あやまる岬方面へ右折し50メートルも進むと、喜界島方面の空に、もうすこしで皆既月蝕になるお月様が浮かんでいた。 「あっ!月が見えている!」 「本当だ!」  あやまる岬の駐車場に入ると、6-7台の車が止まっており人影もみえる。  みんなの目的は同じで、皆既月蝕と満月の拝観であった。  あやまり岬から見るお空は、全体的に曇りなのだが、風が強いため雲の塊がサ~っと払われていき、夜空にポッカリと皆既月蝕になったお月様を浮かび上がらせてくれる。

喜界島の宮原山(みやばるやま)での神籬 
2021年5月27~28日は喜界島

 <2021年5月27日(木)、喜界島の、出口王仁三郎氏の歌碑がある宮原山>  5月27日7時30分、名瀬市のホテルを出発し、おがみ山の登拝に向かったが、喜界島への便に間に合いそうにないので、名瀬の高千穂神社の當郷裕之禰宜さんにご挨拶をして名瀬を出発した。  神社の方から、 「本日(5月27日)は、雨の予想だったのに、青空とお日様が見えてますね」 「みなさんの御神事の賜物ですね」  という手向けの言葉を頂戴し、11時前に喜界島に到着した。  いろんな人の説明では、喜界島の宮原山(みやばるやま)は坂嶺小学校の裏山にあるということになっているが、そもそも喜界島の最高峰は七島鼻の214メートルなので、山らしい山はない。  とにかく坂嶺小学校の裏側に行けば、案内標識くらい出ているだろうと思って11時30分に坂嶺小学校の裏側に到着したのだが、標識らしいものもナシ。  信仰の対象なので、知っている人だけが知っていればいい、というモノらしい。  車を止めて周辺を捜索すると、山田朋子さんが、神声歌碑を発見してくれた。  神声歌碑の場所に行ってみると喜界島の大本教の女性の信者の方が、掃除をされていてちょうど帰り支度をしている最中だった。 「昨日まで雨続きで、今日の午前中、久しぶりに晴れてくれたので御掃除にきました」  ということだった。  1年も前から願をかけて望んでいる御神事に、雨が降ってくる方が変なんだと思う。  たとえ、大雨でも、御神事の時間は止むものだ。  もし、雨が止まない場合、何かを知らせたいことがあるからなのだ。  名刺が欲しいということだったので、私と國分孝一さん、渡邊和見さんの3名の名刺をお渡しし、御神事に入らせていただいた。

奄美大島御神業を支えてくれた鈴 
2021年5月25~28日の奄美

 <奄美大島御神業を支えてくれた鈴>  奄美大島に出発する前日の5月24日(月)に、國分さんが奉奏する法螺貝の前に、鈴の音が欲しくて100円均に行って、鈴を購入して、イメージに湧きあがってい来る鈴のリンクを製作。  天宮の12星座と天空の虚空を象徴するために、12個の鈴のリンクを右手にもつ。  伊邪那岐命と伊邪那美命の大八島と奄美大島の立神を象徴させるために8個の鈴のリンクを左手に持つ。  右手の12個の鈴で天宮に祈りを捧げ、左手の8個の鈴で地宮に祈りを捧げ、伊邪那岐命と伊邪那美命の御神力の加護を得て、天之御中主神さまの御降臨を願う御神事になっている。  天之御中主神さまが、奄美大島の海面に降り立たれ、海中に御鎮まりになられているお姿を竜宮乙姫と尊称する。  乙姫は「音秘女」でもあるので、鈴の音が欲しかった。  12個の鈴と8個の鈴で、数の配置も整えた。  御神事は男性3名、女性2名の総勢5名で、『ひふみ神示』内の「五十黙示録」第1巻 扶桑の巻 第一帖 の記述を踏まえている。 「愈々時節到来して、天の数二百十六、地の数一百四十四となりなり、伊邪那岐三となり、伊邪那美二となりなりて、ミトノマグハイして五となるのであるぞ、五は三百六十であるぞ、天の中の元のあり方であるぞ、七の燈台は十の燈台となり出づる時となったぞ、天は数ぞと申してあろう、地はいろは(意露波)であるぞ。」 (「五十黙示録」第1巻 扶桑の巻 第一帖)  『ひふみ神示』の上の記述は、歳差運動の時の配置になっており、天宮と地宮を合わせる奄美大島の御神事に相応しい人員です。  われわれの真心が天にに届き、天宮と地宮が繋がり、天之御中主神さまが赤尾木湾中央に御降臨いただけている。