平成21(2009)年9月20-23日、元伊勢(京都府大江町)、生駒山(奈良県)、伊勢神宮

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平成21(2009)年9月20-23日、
元伊勢(京都府大江町)、生駒山(奈良県)、伊勢神宮(三重県)

【4ヶ所】平成21年9月20日(日曜日)、京都府大江町の元伊勢3社

元伊勢外宮 豊受大神社 京都府福知山市大江町天田内60(船岡山)
 会社から自宅に戻ると展地が38度の熱。
 新型インフルエンザの疑念があった。
 出発しなければならないので病院に行く間もない。
 ちょうど、前回のインフルエンザの時のリレンザを保管していたので、そのリレンザを服用させながら京都に発った。

 しかし、東京の出発が、1時と遅れてしまった。

 東京から元伊勢(京都府大江町)まで約9時間かかる。
 連休の混雑のため所々で渋滞があり、一番恐れていた宝塚の大渋滞にスッポリ嵌ってしまった。
 元伊勢の豊受大神社に着いたのが午後の1時を周っていた。
「元伊勢は他の神社と混じることがないように日付で区別せよ」
 と車を運転しながら言われていた
 元伊勢三社は別格な位置にある神社なのだ。

 豊受大神社は豊受大神が神上がられた聖地。

 豊受大神が神上がられるとき、天照神に最後の教えを説いた場所でもある。

 豊受大神社にも「月の宮」がある。

「天照大神は月の宮に匿われている」
 と声を寄せてきている人がいたので、そういう風に言われると気になるものだ。
 豊受大神社の位置、並びに元伊勢内宮の位置、天之岩戸神社の位置からみても、
「ダマシタ岩戸開きのとき、天照大神が豊受大神社の月の宮に匿われていても不思議ではない気がする」

 本殿の左後ろが「月の宮」で右後ろが「風の宮」になっている。

元伊勢内宮 皇大神社 京都府福知山市大江町内宮179 (宮山)
 伊邪那岐尊と伊邪那美尊が酒折の宮(山梨県)で天照大神の降臨を祈られ、96ヵ月後にこの元伊勢内宮で天照大神を御生みになられた。
 天照神誕生の聖地であるがゆえに天之岩戸開きのときも中心舞台となったのだ。

 全国各地の一ノ宮が摂社として多数置かれている。

日室岳遥拝所(一願さん) 京都府福知山市大江町内宮
 元伊勢内宮を参拝し、天之岩戸神社へ歩いていくと、途中に日室岳(一願さん)を遥拝できる場所にで出る。
 天照大神が日室岳に降臨したという伝承をもつ。
 この伝承は、霊石山(鳥取県)や隠岐島(島根県)につながる一連の伝承だろう。
 豊受大神が神上がられるとき、天照神は「日室岳」に降臨されて、朝日宮に急がれたのだ。

 祝詞を奏上した。

 平成21年5月31日_奈良県宇陀市八坂神社で祝詞を奏上したときに見た人物が突如怯えた姿で現れてきた。
 パソンの弟子に似た若者だ。
 この若者がパソンを騙したのだ。
 6月20日(土曜日)、八坂神社、丹生神社、高龗神社に注意せよ・・で具体的な現れがあったが・・

 これから現実的にはどうなるのだろう?

天岩戸神社 京都府福知山市大江町佛性寺314
「ダマシタ岩開き」の中心舞台。
 「本当の岩戸開き」の聖地に切り替わればいいと思う。

 参拝を終えて、光宮(みや)に聞いてみた。

「天照大神さんは出で来られそう?」
 光宮(みや)は頷きながら答えた、
「今までね、光宮(みや)の中にいた人が光宮(みや)に、今までありがとう、といったんだよ。そして、クルっ!と違う人に替わったんだよ。」
「今までの人の顔はわからないんだけど、今度の人の顔は判るよ。」

 これから現実的にはどうなるのだろう?

【地図】京都府大江町の元伊勢  

  ルートイン亀山インター  三重県亀山市太岡寺町字下谷1195-9 (0595-84-7611)  

【1ヶ所】平成21年9月20日(日)、磐船神社、日の窪山と夫婦塚から生駒山へ・・

磐船神社 大阪府交野市私市9丁目19-1
国照宮が饒速日尊として降臨したところ。
 ルートイン亀山インターで朝食を待っているとき展地が倒れた。
 東京を出る時から高熱で、今年の冬にもらっていたリレンザを持参していた。
 熱が下がったり上がったりで、朝食待ちの列に並んでいるとき、急にフラっときたらしい。
 おんぶで車に連れて行き、コンビニのあったかいおでんを買ってあげた。
 実は、昨日から熱のためにお腹に貯まるものを食べていなかったせいもあるらしい。

 9時過ぎに磐船神社に着いた。  

 平成12(2000)年7月30日(日曜日)に訪れて2回目だ。
 宮司さんが朝のお掃除をされているので、
「哮峰とはどのあたりをさすのですか?」
 と尋ねてみた。
「この近辺の山々を哮峰と呼んでいる」
 とのこと。
 社を祀る磐がちょうど船の舳先のようにみえる。
 饒速日命はここから3本の矢を放ったのだ。

 平成21年6月28日(日)に私たちは矢が落ちた場所を訪ねている。  

【地図】磐船神社(交野市)  

饒速日尊墳墓
日の窪山・桧窪山で、塚名は山伏塚
奈良県生駒市南田原町767(枝番は適当です)
北倭村大字平井1882
遺品を祀った饒速日尊御陵の遥拝所だったのでしょう。
 展地とお母さんを車に残して、私と実加・美穂・光宮(みや)の4人で探索。
 インタネットで場所を調べてきたつもりだったのだが、結局探せなかった。

 神武天皇に対する反乱軍が隠れ潜み、饒速日命を祀った場所である可能性が高い。  

夫婦塚(御炊屋姫墳墓) 奈良県生駒市上町9-4(枝番は適当です)
 左右の丘を後ろにみて南下した畑の中にあった。
 これは探しにくい。

 夫婦塚(御炊屋姫墳墓)と伝わるのであればそういうものとして祝詞を奏上した。  

◇2009年8月17日に、「御炊屋姫墳墓」の位置について「いこまかんなびの杜」さんに質問させていただきました。  

 「いこまかんなびの杜」さんのページ(http://www.geocities.jp/iko_kan2/jinmu-seisekihi.html)で
「なお、対岸には、誰が建てたか長髄彦の妹で饒速日命の妻である御炊屋姫(三炊屋姫、登美夜毘売)の墓?という近年の標石があります。」
という紹介をされていましたので、平成21年6月28日(日)に探しに行ってきました。
しかし発見し切れませんでした。

 http://murata35.chicappa.jp/rekisiuo-ku/basuryoko/index01.html  

 上のサイトの図解に御炊屋姫の墳墓と示されているところがあります。

 http://inoues.net/club2/new_nigihayahi.html  

 また上のページの一番最後にもつぎのように紹介されていました。

「こんにちは。今崎です。  

 さて、生駒市史を見ていくつかわかったことをお知らせします。
@ニギハヤヒ命の墓のある山の名は 桧窪山(旧本には日の窪山ともある)で、塚名は山伏塚
A金鵄発祥顕彰碑は昭和16年に建てられた
B富雄地区では王龍寺境内のトビ神社を白庭皇居、高樋の夫婦塚をナガスネ彦本拠と考えた。
 (参考)王龍寺境内のトビ神社を白庭皇居
     http://www.its-mo.com/z-124924704-488593160-12.htm
 (参考)生駒市「上町高樋」(バス停)
     http://www.its-mo.com/z-124947749-488632525-16.htm
C夫婦塚は命の妻・御炊屋姫の塚ともいう。
Dニギハヤヒ命の陵(弓などを埋めた)には山伏塚・長弓寺内の真弓塚(弓塚)・夫婦塚などが考証されている。
 - - - - -  略  - - - - -
 以上が斜め読みして得た情報です。
 また他にもいくつか当時顕彰されていたところについても記載されています。この本は富雄川沿いにある生駒市の北コミュニテイー内の図書室で書庫から出してもらえば見られます。全5巻で通史と資料Tに記載されています。
 場所は先日車で通ったところです。碑のあった郵便局より南に500m位、富雄川の西岸にある大きく綺麗な建物です。」

 こういう風に紹介されている御炊屋姫の墳墓といわれている場所の前に立ってみたいと思います。  

 場所をを教えていただけるでしょうか?

◇回答は次のようでした。(2009年8月17日 22時2分)  

 http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/iko-kan/1/の[530]より
 成田亨さんへ。
 お返事が遅くなりました。御炊屋姫の墓?という夫婦塚の石標の場所ですが、道しるべのような小さな石標が畑の一角に建てられています。周囲が雑然としているのでとても見つけにくいです。
 その場所を「いこまかんなび写真掲示板(投稿日:2009年 8月17日(月)21時52分29秒)」に写真と共に地図のURLで示しました。


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王龍寺境内のトビ神社
富雄地区では白庭皇居と考えていた
奈良県奈良市二名6丁目1492(枝番は適当です)
 王龍寺について境内を探し回ってみても「トビ神社」らしいところがない。
 お寺の呼び鈴を鳴らしてみた。
「こちらにトビ神社があると聞きました。それはどちらにあるのでしょうか」
 若奥さんらしい婦人が出てこられて
「なにか本でも読まれたのですか?」
「確かに古い社はあります。父の話だと昭和の始め頃に建てられたということでしたが、父の記憶によるとそれ以前にも小さい祠のようなものがあった、といいます」
 といいながら案内してくれた。

 祀られている神社をみて、天之忍穂耳神社と同じ空気を感じた。  

【地図】夫婦塚とトビ神社  

哮峯 大阪府東大阪市善根寺町1丁目
 紀元前1,552,847年の第一次天孫降臨のとき、天之火之明尊(瓊々杵尊の兄)は、斑鳩宮を築かれている。
 この斑鳩宮がどこにあったかは不明であるが、生駒山に「哮峯」(いかるがのみね)という地名が残っている周辺が斑鳩宮の候補地として検討の余地があると思われる。
 哮峰の近くと思われる燈籠ゲートから「大阪府民の森」に入り、生駒山縦走路に足を踏み入れて祝詞の奏上をした。
 斑鳩宮は、生駒山麓公園の駐車場入口になっているところから燈籠ゲート周辺にあったような気がする。

◇「哮峯」の位置について「いこまかんなびの杜」さんに質問させていただきました。  

◇回答は次のようでした。(2009年8月18日 21時18分)  

http://www.h7.dion.ne.jp/cgi-bin/ezboard/iko-kan/1/杜の[532]より
 私にも詳しい位置はよくわかりません。
 周辺の磐座や祭祀跡など探求中・・で、裏付けが可能かどうかですね。
 地元資料にもとづけば、哮峯と呼ぶ峯は、生駒山北嶺の下記の周辺でしょうか。
 なお、生駒山北嶺の饒速日山と伝える所は、ここを含めた南方のなだらかな生駒北嶺斜面を指しているように思っています。
 上町台地の北端あたりから見ると、春分秋分の日にはこの嶺あたりから太陽が上がってくる日の下の聖地と見ています。


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生駒山 奈良県生駒市菜畑町2313-204
 生駒山麓公園の駐車場入口から信貴生駒スカイラインを通り、生駒山山頂に「スカイランドいこま」という遊園地に行った。
 お母さん・実加・美穂・光宮は「ワンワンランド」にまっしぐらに向かった。
 展地は熱のため体調優れず車で休んでいることになった。

 私の目的は、生駒山の山頂に立つことだ。  

 遊園地で山頂の三角点はどこか尋ねたところ「ミニ機関車(SL列車)の敷地内の線路の内側にあります」という。
 いろんな子供たちのお母さんやお父さんが、子供たちがミニ機関車(SL列車)に乗って楽しそうにしている姿を眺めながめている。
 そういうなかでの祝詞奏上。
 静寂の中だったらとても恥ずかしいのだが、ミニ機関車(SL列車)の音が私の祝詞をかき消してくれている。

 目的を達し、駐車場に向かって下っていく時、  

 真正面に見える山が饒速日山(日下山)のようだ。

 饒速日山(日下山)の位置が推定できたので、心は逸る。  

 日が暮れる前に饒速日山(日下山)で祝詞を奏上しなければならないものを感じていた。
 ところが、お母さん・実加・美穂・光宮が「ワンワンランド」に行ったまま帰ってこない。
 5時前だろうか?
 急に夕立になった。
 雨が4人を急がせてくれたかのようだ。

饒速日山(日下山) 奈良県生駒市門前町2116
 生駒山山頂の「スカイランドいこま」の駐車場を出ると、すぐに右に入っていく道がある。
 途中左右の分岐があり、右手に行くと、饒速日山(日下山)の山頂の直下と思われるような場所につく。
 (2・3台の駐車スペースがあった)。
 あいにくその場所はワゴン車が1台行儀悪く停まっていたので、私の車は停められない。
 少し先に方に下って、祝詞を奏上した。

 これで生駒の全てが終わった。  

【地図】生駒山  

 平成21(2009)年9月21日(月曜日)の宿泊は  

  かんぽの宿 大和平群  奈良県生駒郡平群町上庄2-16-1 (0745-45-0351)

【3ヶ所】平成21年9月22日(火曜日)、生駒山口神社、いつもの行程で伊勢神宮へ

生駒山口神社 奈良県生駒郡平群町檪原5-1
 生駒市での行程を全て終えたので、最後に感謝の気持ちを置くために、生駒山口神社に行った。
 往古は大社に列した神社だという。
 素盞鳴命と稲田姫を祭神としている。
 生駒山口神社からみて生駒山は北西方向、対して生駒山口神社は西向きに建てられている。
 谷田丘陵を越えた一之矢塚を参拝する形になっているのだろうか?

 祝詞を奏上すると、饒速日命が現れて、磐船神社の方を向いている。

 神武天皇が生駒を制圧したあと、饒速日命はこの地に退いて、「さすらお」となった素盞鳴命に自分の姿を重ねて素盞鳴命を偲んだのかもしれない。
 そのため、祭神が素盞鳴命と稲田姫になっているのかもしれない。
 祀り主は、饒速日命だったのだろう。

 饒速日命が次のように言われる、

「そなたの業績はシッカリと見届けた。
 あとはゆるりと帰られよ」

 伊勢神宮への いつもの行程。

 津市の国魂神社、津市で墓参り、香良洲町の香良洲神社、伊勢神宮外宮、伊勢神宮内宮。
 伊勢神宮の内宮で光宮(みや)の七五三のご祈祷の申し込みをしているとき、16:20に携帯が鳴った。
 sanoからの電話だった。
 すごいタイミングの電話だ、と思った。
 ご祈祷が終わって、女房が実加と話していた。
「あとはあなた(実加)の成人式の時だね
 賢一とかsanoとかみんな招待できればいいね」
 とここでもsanoの話題を出してきた。

 平成21(2009)年9月22日(火曜日)の宿泊は  

  神宮会館  三重県伊勢市宇治中之切町152 (0596-22-0001)

【3ヶ所】平成21年9月23日(水曜日)、内宮の早朝参拝、天ノ岩戸神社と伊雑宮へ

伊勢神宮内宮の早朝参拝 三重県伊勢市
 朝の4時過ぎだったろう。
「本日じゃ」
 という声を聞きながら目覚めた。

 今日が天之岩戸開きということなのだ。

 内宮の早朝参拝に『祝詞集』を持参した。
「心を込めて落ち着いて宣られよ」
 という。

 これから天ノ岩戸神社と伊雑宮、そして至恩郷へ行く。

天の岩戸神社 三重県志摩市磯部町恵利原
 祝詞を奏上すると、ご神前に「天照皇大御神」が立ち現れた。

 岩戸開きの時が来たのだ。

伊雑宮 三重県志摩市磯部町上之郷
 伊雑宮は「天照大神」が統治されているときの中心的な宮だった。
 岩戸開きが完了すれば、伊雑宮は再び「天照大神」の宮になるのではないか?
 そんな気がしていたので参拝した。
 岩戸閉めのとき、「天照大神」は伊雑宮から上の天之岩戸神社にお隠れになられたのだ。
 神上がられるときは、天之岩戸神社の北側にある現在の伊勢神宮の地で神上がられている。
 現在の伊勢神宮の地は、本来的には天照皇大御神を祀るところである。
 天照皇大御神とは、神が神を信仰する信仰心の中心に居られる神であり、天之御中主神の中心へ向かう動きの神である。
 中心に向かう動きが生ずるがゆえに外に向かう流れが生まれ、光として現れた場合が「天照大神」であり「音」として現れた場合が「おと(音)ひめ(姫)」である。

 ご祈祷していただきたかったのだが、前もっての予約が必要という。

至恩郷(月の宮) 三重県三重軍菰野町菰野5833-2
 平成21年9月17日(木曜日)に藤本美千代さんから、岡本三典さんが平成21年6月23日(火曜日)に逝去されたと聞いていた。
 12時過ぎに至恩郷に着いた。
 月の宮が取り壊しの最中で、屋根だけが取り残されていた。
 2年前の平成19(2007)年にひかり協会を解散するとき、月の宮の取り壊しの決定が下されていたのだという。

 お隣の小林さんが暫定的に管理を任されているらしく、遺影の掲げてある自宅に入れてもらえた。

 遺骨はどうされたのか?
 お筆はどうなったのか?
 三貴神像はどうなったのか?
 月の宮はどうなったのか?
 知っておきたいことがいくつかあった。
 13:35に藤本美千代さんに電話をかけて状況を報告した。

 2時前に至恩郷を出て昼食にした。

 3時過ぎに車に乗り込むと
岩戸開きなるぞ
 まこと岩戸はとわぞ

 心の美穂が大きい声で叫んでいる。

17:58に岩戸開きなったぞ

 という。

 (注)月の宮というのは・・

 月の宮というのは、平成6年11月11日、千葉県成田市台方にある麻賀多神社から祭典に使用した廃材を頂戴し、それを材料に平成7年8月6日に落成した第二神殿のことです。
 ちなみに平成10年3月23日午前11時5分、ある方が至恩郷に訪ねて来られ敷地に足を踏み入れようとすると、敷地を掃除していたお手伝いの青年の箒の先から火が走り、日の宮、天明画室、道場が全焼してしまったそうです。しかし、この月の宮だけが消失から免れています。

(この注は平成16年5月私が記したものの転記)

 帰京。

平成21年の旅行では行ききれなかったところ

 第一次天孫降臨の2番目の降臨場所  

磐舟神社 大阪府南河内郡河南町平石456
 準備中
高貴寺 大阪府南河内郡河南町平石539
 準備中

【地図】第一次天孫降臨の2番目の降臨場所  

 石切劔箭神社(いしきりつるぎや)と石切神社(上の社)  

石切劔箭神社(いしきりつるぎや) 大阪府東大阪市東石切町1−1−1
 準備中
石切神社(上の社)
婦道神社がある
大阪府東大阪市上石切町2丁目1302

 大阪府交野市の磐船神社、宝山寺、孔舎衛坂顕彰碑、盾津顕彰碑。  

神武天皇聖蹟 盾津顕彰碑 大阪府東大阪市日下町6丁目10-18
 準備中
春日神社 大阪府東大阪市善根寺町6丁目7-67
 準備中
宝山寺の福徳神社 奈良県生駒市門前町
 準備中
「厄山」と刻まれた石碑 大阪府東大阪市善根寺町1丁目
 準備中
神武天皇聖蹟 孔舎衛坂顕彰碑 大阪府東大阪市善根寺町1丁目
 準備中
龍の口霊泉
(五瀬尊の傷口を洗う)
大阪府東大阪市善根寺町1丁目
 準備中

【地図】生駒山