天照神年表|月の光

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天照神の年表
(『完訳 秀真伝』の巻末資料、『 注釈 上紀(うえつふみ) 』より) 

鈴木暦の開始以前、紀元前3億年以上前の出来事


あめのみなかぬしのかみのそのまへに、
あめゆづる日あめのさぎりのみこと。
くにゆづる月、地のさぎりのみことあるぞ。

『ひふみ神示』(補巻、月光の巻第4帖)

別天津神(わけあまつかみ)とは?

天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
神産巣日神(かみむすひのかみ)
宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢのかみ)
天之常立神(あめのとこたちのかみ)

紀元前3億年の鈴木暦の開始から、大濡煮命の代まで

紀元前
303,000,704年
1鈴木 0枝 1穂
1鈴木=1,000枝=60,000穂
1枝=60穂
1穂=1年
 国常立尊、日高見葉木国宮に天真栄木を植え、葉木国神を生む。
 これより鈴木暦の開始。
 
500鈴木 1000枝 0穂
300,000,000
(3億年)
 

紀元前300万年前の大濡煮命から

実年数 大濡煮命の代より数えて   内  容
紀元前
3,000,717年
1鈴木 0枝 1穂
1年
大濡煮(ういじに)尊、少濡煮(すいじに)尊の婚礼の制定にともない、雛祭りが生ず。

501本目の真栄木を植え継ぎ、五百(ヰモ)継ぎ天(アマ)の真栄木と称す。
紀元前
2,080,005年
16鈴木 345枝 13穂
920,713年
 猿田彦命が生れる。
(『秀真伝』八幡書店、下巻P463)からの推論。

(※)参考
猿田彦命は、島根県の加賀の潜戸で枳佐加比(きさかい)比売と麻須羅(ますら)神から生れたとされる。
枳佐加比(きさかい)比売は、御祖(みおや)神魂(かみむすび)命の子。
紀元前
1,794,718年
21鈴木 100枝 0穂
1,206,000年
那岐那美両神の婚礼。
両神筑波伊佐宮にて、昼子姫を生む。

2年後、那岐42、那美33、昼子3歳のとき、昼子を岩楠船に乗せて放つ。
紀元前
1,793,187年
21鈴木 125枝 31穂
1,207,531年
 那岐那美両神、子を孕みてより96ヶ月(8年)後の1月1日の初日とともに、天照神誕生。
天照神の即位の大礼
紀元前
1,793,171年
21鈴木 125枝 47穂
1,207,547年
 天照神、日高見国方壷のヤマテ宮にて、豊受神より天の道を学ぶ。
 両神、筑紫の諸留橘のアワ木宮にて月読命を生む。
 昼子姫、広田宮より両神のもとに還る。
 両神、素戔鳴命を生む。
紀元前
鈴木
 伊邪那美命、火の神によって神上がる。
紀元前
1,793,100年
21鈴木 126枝 58穂
1,207,618年
 5月1日、ヤマテ宮より、原見山安国宮に遷座。
紀元前
1,710,417年
22鈴木 505枝 1穂
1,290,301年

(約11万年後に岩戸隠れと
六ハタレと魔軍の動乱)
 宮津宮よりの知らせにより、天照神真名井に行幸す。
 豊受神道奥伝授。

 豊受神、神上がる、真名井に朝日宮を造営。

 しばらく御親ら細矛千足の国(山陰地方のこと〜大祓祝詞の底之国のこと)の政治を聞し召されたのでした。

(※)参考
鳥取県鳥取市の霊石山に天照大神の行幸の伝承が残っている。
○島根県隠岐の島の西ノ島に天照大神が降臨した伝承(別ウィンドウ)が残っている。
 ⇒待場神社・峯美神社(別ウィンドウ)
 ⇒焼火神社

 持子、早子、味子の3名朝日宮に仕える。
 穂日尊、誕生。

 天照神、早子(八岐大蛇)と交わり竹子、田奈子、湍子の三女神を生む。
紀元前
1,710,408年
22鈴木 505枝 10穂
1,290,310年
 3月、天照神宮津宮を出発し、
 4月望安国宮へ帰還。
 天照神、伊雑宮遷座。
 忍穂耳尊誕生(瀬織津姫)。
紀元前
24鈴木

(24鈴木ごろか?)
 昼子姫、天智彦思兼命と結ばれる。
紀元前
鈴木
 伊邪那岐尊神上がり。
紀元前
鈴木
 昼子姫、手力男命を生む。

 根国の益人椋杵尊、神上がる。

 白人・胡久美の罪行。

 持子、謀略をもって白人・胡久美を救う。

 素戔鳴尊、真名井之朝日宮に詣で早吸姫を見初めるが結婚できず。

 素戔鳴尊、北の局に宿り、早子らと親しくなる。
 持子早子の陰謀発覚、筑紫赤土命の宇佐宮に蟄居される。
 持子、早子流人となり、簸川で大蛇に変ず。
 素戔鳴尊の乱行。花子姫神去る。
紀元前
鈴木
 天照神の岩戸隠れ。
 俗にいう岩戸開きが行われる。

 素戔鳴尊死罪に決定。
 瀬織津姫、花子姫を蘇生させ、素戔鳴尊を減刑す。
 素戔鳴尊、流人の下民となる。
 素戔鳴尊、野洲川の昼子姫訪問。
紀元前
1,560,717年
25鈴木 0枝 1穂
1,440,001年
 白人・胡久美の暴挙に端を発し、六ハタレ魔軍隆起す。
 その戦乱8年に及ぶ。

 素戔鳴尊、流人となり簸川に至り、早子の変ずる八岐大蛇を討ち、櫛稲田姫と結ばれる。

 素戔鳴尊、男子を生み、野洲川の昼子姫に再会しハタレの大乱が素戔鳴尊の乱行に端を発する旨を知らされる。

紀元前
1,560,710年
25鈴木 0枝 8穂
1,440,008年
 素戔鳴尊、白人・胡久美の討伐に参加。
 素戔鳴尊の罪許される。
 この年か翌年に、須賀神社(奇稲田宮)で奇杵命(大己貴)誕生。
紀元前
1,560,697年
25鈴木 0枝 8穂
1,440,008年
 天児屋根命誕生す。

 思兼命、伊那の洞に隠れ神上がる、天智の神と称す。
紀元前
1,555,101年
25鈴木 93枝 37穂
1,445,617年
 奇杵命(大己貴)、5,609歳のとき、出雲に大社を築いていることが発覚。
 出雲に穂日命を派遣するが3年経っても復命せず。
 そのため、穂日命の子・大背飯三熊野命を派遣。
紀元前
1,555,085年
25鈴木 93枝 40穂
1,445,620年
穂日尊を派遣してから3年後の紀元前1,555,085年、天之稚彦を派遣する。
天之稚彦、高照姫を娶り8年経ても復命せず。
紀元前
1,555,090年
25鈴木 93枝 48穂
1,445,628年
出雲に大社(おおやしろ)が建てられていることが発覚してから11年後、経津主命と武甕槌命の出雲出陣。奇杵命(大己貴)、5,620歳のとき国譲り。
紀元前
1,554,690年
25鈴木 100枝 28穂
1,446,011年
 日高見の御座の跡に多賀壷若宮遷座。
 栲機千々姫の輿入れ。
紀元前
1,552,860年
25鈴木 130枝 58穂
1,447,858年
 1月1日、忍穂耳尊即位。
紀元前
1,499,717年
26鈴木 16枝 41穂
1,501,001年
の3月
第一次天孫降臨。
国譲りから55,373年後、奇玉火之明尊、十種神宝を賜り葦原国へ派遣。
斑鳩宮の創建の翌日、飛鳥宮創建の命を出す。
このとき大物主奇彦命諌言し、天児屋根命とともに政務を退く。
紀元前
1,499,675年
26鈴木 17枝 23穂
1,502,043年
 瓊々杵尊、奇彦命に新治宮創建の命を下す。
 瓊々杵尊、筑波より新治宮に遷宮せんとするとき、雷が御垣を破る。ウツロヰ神の居社を定める。
紀元前
1,440,644年
27鈴木 1枝 1穂

 27鈴木1枝(紀元前1,440,710)ごろから28鈴木ごろ、奇彦命奇彦命、天照神から日本大国御魂神の称号と天之逆矛を賜う。
 奇彦命、12万8千歳にして、三諸山の洞に逆矛を持って隠れ神上がる。
(※)奇杵命が生まれたのは紀元前1,560,710年であり、国譲りが行われたのは奇杵命5,620歳の時の紀元前1,555,090年のことである。ということは、奇彦命が生まれたのは、この期間だということになる。
 奇彦命が12万8千歳のとき神上がられたということは、紀元前1,432,710年から紀元前1,427,090年の間になるはずだ。
紀元前
鈴木

 27鈴木17枝(紀元前1,439,697)ごろ、瓊々杵尊、筑波宮へ戻る。
 27鈴木133枝28穂(紀元前1,432,710年)〜27鈴木227枝8穂(紀元前1,427,090年)の間に奇彦命が神上がられる。
 28鈴木17枝(紀元前1,379,697)ごろ、瓊々杵尊、二荒山の宮へ遷座。
 29鈴木17枝(紀元前1,319,697)ごろ、瓊々杵尊、新治宮へ帰還。
紀元前
1,290,620年
29鈴木 501枝 38穂
1,710,098年
2月1日
 瓊々杵尊、八洲巡狩を許され、天照神より三種神器を授与される
 (第二次天孫降臨)。

 子守神を剣臣、春日神を鏡臣とす。
紀元前
1,200,704年
30鈴木 1穂
1,800,001年
 瓊々杵尊が30鈴目の鈴木を植え替えるころ、国の名も磯輪上秀真国と讃え、さらに瓊々杵尊は各地を遷り行き、楽しくお暮らしになられた。
紀元前
1,180,718年
31鈴木 333枝 20穂
1,880,000年ごろ
 忍穂耳尊、瓊々杵尊と火之明尊を召し遺言を告ぐ。
 忍穂耳尊、伊豆尾走りの洞に神上がり、箱根神と称される。瓊々杵尊、伊豆崎宮にて箱根神を3年祭る。
 栲機千々姫、伊勢に行き天照神に仕える。
紀元前
1,180,715年
31鈴木 333枝 23穂
1,880,003年ごろ
 比叡山造成の勅。
紀元前
1,086,695年
32鈴木 900枝 23穂
1,914,023年4月1日
 近江国野洲郡の三上山付近にあった仮宮を社殿に造り替えた。
紀元前
898,400
36鈴木 38枝 38穂
2,102,078年年
 瓊々杵尊、火々出見尊へ天位継承。
 豊玉姫、鵜葺草葺不合尊を生む。

 瓊々杵尊、鹿児島高千穂峰に隠れ神上がる。
 葦津姫、朝間の神となる。
 火之明尊、神上がり、飛鳥の神となる。
 天照神の命により、国照命を火之明尊の養子とし、饒速日命と称す。饒速日命喪にはいり、のちに十種の神宝を授与される。
紀元前
鈴木
 鵜葺草葺不合尊、践祚。左大臣、天児屋根命、右大臣、子守神。三種神器授与。
紀元前
489,658
42鈴木 850枝 60穂
2,511,060年
 8月4日、火々出見尊、豊玉姫と大津シノ宮に上り神上がる。
 鵜葺草葺不合尊、瑞穂宮より遷座し、践祚す。翌朝即位大礼。
紀元前
178,625
年ごろ
ごろ
48鈴木 34枝 53穂
 玉依姫神の誕生。
紀元前
118,625
年ごろ
ごろ
49鈴木 34枝 53穂
 鴨建祗命と磯依姫が神上がり、それから玉依姫の子が生まれる。
紀元前
80,718
49鈴木 666枝 40穂
2,920,000年
 天照神の12后神上がり、瀬織津姫とともに伊雑宮より伊勢宇治宮に遷座する。
紀元前
66,057
49鈴木 911枝 1穂
2,934,661年
 鵜葺草葺不合尊、世嗣無きゆえ、世嗣文をもって天押雲に祈らす。
紀元前
66,056
49鈴木 911枝 2穂
2,934,662年
 八瀬姫は五瀬尊を生むが、すぐに神上がられる。
 玉依姫を内局に迎え、五瀬尊を養育される。
 玉依姫の連れ子を、御毛入尊と名付ける。
紀元前
60,717
50鈴木 0枝 1穂
2,940,001年
 50鈴、精奇城宇治宮に自生す。
 天照神、1,732,470歳。
 天照神、天寿を悟り、猿田彦命をして真名井に穴を掘らす。
紀元前
60,687
50鈴木 0枝 31穂
2,940,031年
 天照神、神上がる。
 このころ富士山が爆発する。

鈴木暦から天鈴(あすず)暦に改められてから。

実年数 天鈴(あすず)暦   内  容
紀元前
778
50鈴木
 櫛甕玉命(鰐彦〜大国主命)が生まれる。
紀元前
711
50鈴木 1000枝 6穂
3,000,006年
 玉依姫内宮となりて神日本磐余彦尊(武仁)を生む。
(天照神亡き後、約6万年後のこと)
紀元前
698
50鈴木 1000枝 20穂
3,000,020年
 武仁尊15歳の時、シラヤの璽を鵜葺草葺不合尊から授けられる。
鵜葺草葺不合尊、宮崎山の洞に入り神上がる。
紀元前
697年
50鈴木 1000枝 21穂
3,000,006年
 天鈴(あすず)21年
 鈴木暦を天鈴(あすず)暦に改める。
紀元前
685年
天鈴(あすず)33年
神武天皇即位前15年。
 天児屋根命の遺言と神上がり。
 天児屋根命、1,560,025歳で神上がり。
紀元前
683年
天鈴(あすず)35年
 積葉八重事代主命の妻である玉櫛姫が伊勢の地で蹈鞴五十鈴姫を生む。
 このころ、長髄彦が世嗣の文を盗み書き写し「長髄彦の反乱」のキッカケを作った。
紀元前
668年
天鈴(あすず)50年10月
 積葉八重事代主命、843,048歳で神上がり。
 このとき鰐彦(櫛甕玉命)は108歳、
 妹の五十鈴姫は15歳。
 神武天皇44歳に当たる。
紀元前
667年
天鈴(あすず)51年10月3日
 武仁尊(45歳)、大和へ出立。
紀元前
663年
天鈴(あすず)55年
2月、難波津(波速の港)から陸路。
(1)孔舎衛坂(くさえざか)の戦い
五瀬尊、神上がる。
(2)名草戸畔(なぐさとべ)を誅す。
磐楯山(神倉山)を越える
(3)神武天皇の2番目の兄・稲氷(いなひ)命が入水。
神武天皇の3番目の兄・御毛沼(みけぬ)命も入水。
(4)動物霊を操るに丹敷戸(にしきど)に進軍を阻まれる。
高倉下(たかくらした)命の派遣。
(5)八咫烏の導き。
(6)兄猾(ゑうがし)を誅す。
(7)椎根彦命と弟猾が香久山の土を・・。
(8)11月、兄磯城(えしぎ)を誅す
(9)長髄彦との決着のつかない戦い
  金色の鵜(う)が飛んでくる
  長髄彦を誅す。
  饒速日命と君臣の契りを交わす。
紀元前
662年
天鈴(あすず)56年
 行く手を阻む土蜘蛛(つちぐも)の一団を征伐。
紀元前
660年
天鈴(あすず)58年
 神武天皇(52歳)即位。
紀元前
585年
天鈴(あすず)133年
神武76年
 3月10日、神武天皇128歳で崩御。
紀元前
584年
天鈴(あすず)134年
第2代綏靖(すいぜい)元年
 9月12日、神武天皇を畝傍山の東北麓に祀る。
紀元前
581年
天鈴(あすず)137年
第2代綏靖(すいぜい)4年
 神八井耳(かむやいみみ)尊、神上がる。
 身知津彦神として祀る。
紀元前
214年
天鈴(あすず)504年
第8代孝元(こうげん)元年
 1月14日、元杵尊(もときね)即位。
紀元前
208年
天鈴(あすず)510年
第8代孝元(こうげん)7年
 2月2日、鬱色謎(うつしこめ)姫を内宮に冊立。兄の鬱色雄(うつしこお)命をケクニ臣と定める。
12月1日、鬱色謎(うつしこめ)姫が日の出と共に、諱〔太日日(ふとひひ)〕、稚日本根子彦(わかやまとねこひこ)尊〔のちの開化天皇〕を生む。
開化天皇の后問題
紀元前
204年
天鈴(あすず)514年
第8代孝元(こうげん)11年
 3月15日、鬱色謎(うつしこめ)姫、迹迹姫(ととひめ)を生む。
 元杵尊(孝元天皇)が大和に生簀に行幸のおり、臍杵(へそきね)命の娘・14歳の伊香色謎(いかしこめ)姫を内侍后として召す。 (※)鬱色雄(うつしこお)命は伊香色謎(いかしこめ)姫の伯父に当たる。
紀元前
193年
天鈴(あすず)525年
第8代孝元(こうげん)22年
 1月12日、鬱色謎(うつしこめ)姫が生んだ諱〔太日日(ふとひひ)〕、稚日本根子彦(わかやまとねこひこ)尊〔のちの開化天皇〕が16歳で立太子。
紀元前
158年
天鈴(あすず)560年
第8代孝元(こうげん)57年
 9月2日、元杵尊(孝元天皇)が117歳で崩御。
11月12日、鬱色謎(うつしこめ)姫の子、諱〔太日日(ふとひひ)〕、稚日本根子彦(わかやまとねこひこ)尊〔のちの開化天皇〕が51歳で即位。
紀元前
157年
天鈴(あすず)561年
第9代開化(かいか)元年
 太日日(ふとひひ)尊の元年と定める。
紀元前
151年
天鈴(あすず)567年
第9代開化(かいか)7年
 1月12日、父・孝元天皇の内侍后であった67歳の伊木色謎(いきしこめ)姫〔=伊香色謎姫のこと〕を内宮に迎える。
紀元前
148年
天鈴(あすず)570年
第9代開化(かいか)10年
 5月12日、70歳の伊木色謎(いきしこめ)姫〔=伊香色謎姫のこと〕が御間城入彦(みまきいりひこ)尊、諱・五十瓊殖(ゐそにゑ)尊〔祟神天皇のこと〕を生む。
6月12日、伊木色謎(いきしこめ)姫〔=伊香色謎姫のこと〕の父、臍杵命(へそきねのみこと)を軽の大臣に任じる。
11月、鬱色雄(うつしこお)命をもって斎主とする。
紀元前
145年
天鈴(あすず)573年
第9代開化(かいか)13年
 1月5日、73歳の伊木色謎(いきしこめ)姫〔=伊香色謎姫のこと〕が御間津姫(みまつひめ)を生む。
紀元前
130年
天鈴(あすず)588年
第9代開化(かいか)28年
 1月5日、伊木色謎(いきしこめ)姫〔=伊香色謎姫のこと〕が生んだ御間城入彦(みまきいりひこ)尊、諱・五十瓊殖(ゐそにゑ)尊〔祟神天皇のこと〕が19歳で立太子。
紀元前
121年
天鈴(あすず)597年
第9代開化(かいか)37年
 大鹿島命(天児屋根命の子孫)が生れる。
 『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店)
 上巻p184から
紀元前
107年
天鈴(あすず)610年
第9代開化(かいか)51年
 大直根子命が生れる。
 『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店)
 上巻p174から
紀元前
98年
天鈴(あすず)620年
第9代開化(かいか)60年
 4月9日、諱〔太日日(ふとひひ)〕、稚日本根子彦(わかやまとねこひこ)尊〔開化天皇〕が111歳で崩御。
紀元前
97年
天鈴(あすず)621年
第10代祟神(すじん)元年
 1月13日、御間城入彦(みまきいりひこ)尊、諱・五十瓊殖(ゐそにゑ)尊〔祟神天皇〕52歳で即位。
2月16日、御間城姫が内宮へ。
紀元前
94年
天鈴(あすず)624年
第10代祟神(すじん)4年
  (※)三種の神器は常に宮中に祀る。
(1)国常立尊を神璽(かんをして)に託(つ)ける。
(2)天照神を八咫鏡(やたのかがみ)に託(つ)ける。
(3)大国魂神を八重垣剣(やゑがきのつるぎ)に託(つ)ける。
10月23日、天照神(八咫鏡)は笠縫村で豊耜入姫に祭らせ、大国魂神(八重垣剣)は渟名城姫をして山辺の里に祭らせる。
鏡、剣を新たに作らせ、天照神の著された神璽(かんをして)の文とともに、この三種を天津日嗣ぎの神宝(かんたから)とする。
紀元前
93年
天鈴(あすず)625年
第10代祟神(すじん)5年
 疫病が流行し国民の半分が死亡。
紀元前
92年
天鈴(あすず)626年
第10代祟神(すじん)6年
 国民の離散。
9月16日夜、大国魂神の遷座。
9月17日夜、天照神の遷座。
紀元前
91年
天鈴(あすず)627年
第10代祟神(すじん)7年
  2月3日、朝日原行幸、百襲姫が大直根子命を斎主(いわいぬし)とする旨の神託を得る。
8月7日、目妙姫(まくわしひめ)、大水口命(おおみなくちのみこと)、麻積命(をうみのみこと)の3名が、大直根子を斎主とせよという神託の夢を見、宮中に告げる。
祟神天皇、茅渟(ちぬ)の陶村(すゑむら)で大直根子(17歳)に会う。
10月1日、大直根子命を三輪神の斎主(いわいぬし)、長尾市命を大国魂神の斎主(いわいぬし)とす。
紀元前
40年
天鈴(あすず)678年
第10代祟神(すじん)58年
  紀元前40年8月、御間城入彦(みまきいりひこ)尊、諱・五十瓊殖(ゐそにゑ)尊が笥飯大神の社に参拝しているとき、ツノガアラシトと謁見。ツノガアラシトは5年のあいだ仕えて、アラシトの国に帰って行った。ツノガアラシトの国に任那(みまな)という国号が与えられた。
紀元前
30年
天鈴(あすず)688年
第10代祟神(すじん)68年
  12月5日、御間城入彦(みまきいりひこ)尊、諱・五十瓊殖(ゐそにゑ)尊〔祟神天皇〕崩御。
紀元前
29年
天鈴(あすず)689年
第11代垂仁元年
 
紀元前
21年
天鈴(あすず)697年
第11代垂仁9年
 9月16日、樺井姫(垂仁7年に后となる)が日本大国魂神の垂(しで)を賜う夢をみて懐妊するが、3年経っても生まれず。
紀元前
18年
天鈴(あすず)700年
第11代垂仁12年
 9月18日、3年前の垂仁9年に懐妊した樺井姫、倭姫を生む。
紀元前
8年
天鈴(あすず)710年
第11代垂仁22年
 12月28日、倭姫、御杖代に定む。
紀元前
5年
天鈴(あすず)713年
第11代垂仁25年
 倭姫命、208万歳になる猿田彦命に会う。
(『秀真伝』八幡書店、下巻P463)より。
紀元前
4年
天鈴(あすず)714年
第11代垂仁26年
 伊勢神宮の再建。
西暦
元年
天鈴(あすず)718年
第11代垂仁30年
 
西暦
70年
天鈴(あすず)787年
第11代垂仁99年
 7月1日、137歳で崩御。
西暦
71年
天鈴(あすず)788年
第12代景行元年
 7月11日、足彦尊81歳で即位。
西暦
72年
天鈴(あすず)789年
第12代景行2年
 12月15日、大郎姫妊娠21ヶ月にして、大碓(をうす)尊、小碓(おうす)尊を生む。  小碓(おうす)尊が日本武尊である
 『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店)
 下巻p527から
西暦
73年
天鈴(あすず)790年
第12代景行3年
 2月1日、忍信命の子・可美武居心命(うましたけいごころのみこと)を派遣し、紀国の神を祀る。
 9年間滞在しているうちに可美武居心命(うましたけいごころのみこと)、倭影姫を娶り、第12代景行5年に武内宿禰を生む
 『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店)
 下巻p527・626から
西暦
75年
天鈴(あすず)792年
第12代景行5年
 11月15日、稚足彦尊(わかたりひこのみこと、後の成務天皇)誕生。
 武内宿禰はこの年に、紀国で生まれている。
 稚足彦尊(わかたりひこのみこと、後の成務天皇)と武内宿禰とは同い年でした。
  『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店)
下巻p626から
西暦
90年
天鈴(あすず)807年
第12代景行20年
 2月4日、倭姫108歳にして斎宮を退き磯宮に遷る。
 次の斎宮は五百野姫楠子を天照神の斎宮とす。
西暦
126年
天鈴(あすず)843年
第12代景行56年
 大直根子命234歳で『秀真伝』を奉呈する。
 大鹿島命247歳で『秀真伝』を奉呈する。
 『秀真伝』
(鳥居礼編著、八幡書店)
上巻p174から

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