平成21(2009)年8月8-11日、白山登山に替えて第二次天孫降臨の跡を追う

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平成21(2009)年8月8-11日(土〜火)、
白山登山に代えて第二次天孫降臨の跡を追う【16箇所】

► 平成21(2009)年2月14-15日(土・日)、天香久山中心に周った。

 急に天香久山に行きたくなった。
 天香久山を調べていると、国常立尊と並置されて高龗神(たかおかみのかみ)が祀られていることを知った。
 天香久山になぜ高龗神(たかおかみのかみ)が祀られているのだ?
 平成12(2000)年8月2日(水)に丹生川上神社上社(にゅうかわかみじんじゃかみしゃ)を参拝した時の違和感が蘇ってきた。
 高龗神(たかおかみのかみ)とは「火の国の黒煙を忌み嫌う心(天魔)」である、と説明できるようになったのは平成21年1月19日(月曜日)のことだ。
 「火の国の黒煙を忌み嫌う心(天魔)」を、地の側で高龗神(たかおかみのかみ)として祀り、善化しようとしてきたように思える。
 「天魔」とは、火の国の住人の無知が原因となって「生まれたものを忌み嫌う」気持ちである。

 天香久山の参拝を終え、東京に戻った。

 奈良から戻って2日後の2月17日(火曜日)、会社から帰ってきた瞬間、私の両目から両目を形どった「お面」のようなものがポロリと取れた。
 そして、3月6日(金曜日)、スターウオーズのダースベータ(アナキン)に似た人物(おそらく高龗神であろう)が仮面を取った。
 この2つの仮面太陽仮面だ。
 高龗神(たかおかみのかみ)は反太陽勢力の首領でありながら、本当は「太陽」になりたいという野心をもったのかもしれない。
 その野心が高龗神(たかおかみのかみ)に太陽仮面を造らせたし、さらに特別に両目を形どった「お面」のような眼鏡を造らせたのだろう。
 太陽仮面両目を形どった「お面」のような眼鏡を付けると世の中が明るく見えるのだ。
 神霊界におけるある種の幻惑装置である。
 スターウオーズのダースベータ(アナキン)に似た人物(おそらく高龗神であろう)が仮面を取った3月6日(金曜日)の夜に今年2回目の参拝旅行に出かける。

► 平成21(2009)年3月7-8日(土・日)和歌山の名草から奈良県の室生寺に入った。

 和歌山県の丹生津姫神社から和歌山市の名草に入り、奈良県の室生寺を周る。
 丹生津姫神とは、室生龍穴神社の高龗神(たかおかみのかみ)によって「太陽神」として君臨できなくなってしまった稚日女尊(わかひるめのみこと)ではないか、という直感をもっている。
 その直感を確かめたくて、和歌山県の丹生津姫神社から参拝し、玉津島神社の参拝をした。
 137億年前のビックバーンとは、稚日女尊(わかひるめのみこと)の太陽宇宙が、高龗神(たかおかみのかみ)を中心とする反太陽勢力に抗することが出来ず自己崩壊を起こしてしまったように思える。

太陽世界と反太陽勢力

 反太陽勢力に封じられた稚日女尊(わかひるめのみこと)のことを特別に丹生津姫と呼んだのだろう。

 「カゴメ歌」の「籠(過誤・加護)の中の鳥(十理)」といわれる状況が現れたのだ。

 丹生津姫神としての特別な使命は、反太陽勢力に捉われている神々に救いの糸を差し伸べることにあった。
 また、和歌山県の名草山は神奈備にふさわしい山容で、私なら稚日女尊(わかひるめのみこと)か丹生津姫神の神奈備にしているだろう。
 あるいは、神武天皇の大和討ちに協力された名草姫・名草彦を祀る神奈備にしているだろう。

 ところが現状では名草山は何ら神奈備とされていないようにも見える。

 名草一族の3首領が神武天皇の大和討ちに反対であったため、少ない一族を率いて神武天皇軍に合流していった名草姫・名草彦の苦労を偲びたいと思う。
 名草姫・名草彦の苦労のなかに137億年前の稚日女尊(わかひるめのみこと)の苦労が再現されているかのように思えた。
 和歌山県の名草(和歌山市)の地を訪ね、奈良県の室生寺(宇陀市)を訪ねてから、奈良県(大和)とは137億年前のビックバーンによって崩壊した太陽宇宙の弱い部分を集中的に表現している地域なのかもしれない。
 奈良県宇陀市の室生寺の室生龍穴神社において、反太陽勢力の首領であった高龗神(たかおかみのかみ)が単独で祀られることになっていることがそういう記憶の再現なのだろうと思う。
 天香久山では天魔としての高龗神(たかおかみのかみ)を国常立神と併置して祀り、善化しようとしてきたのだろう。
 また、丹生川上神社(上社)においても高龗神(たかおかみのかみ)の相殿の神として大山衹大神と大雷大神を祀り、高龗神(たかおかみのかみ)の「天魔」としての働きを善化しようとしてきたのだろう。
 高龗神(たかおかみのかみ)だけが単独神として祀られてしまうと、「天魔」を善化する作用が薄れるのだと思う。

 これは私だけの直感である。

 平成21(2009)年3月7-8日(土・日)の旅行をキッカケにして、神武天皇の「大和討ち」のテーマが何であったのかを自覚するようになった。
 そして、神武天皇の「大和討ち」の跡を追う必要性を感じるようになった。

► 平成21(2009)年3月29日(日曜日)神奈川県の箱根にある神山の登山

 今年のテーマは九頭龍のハズだった。
 九頭龍を追った結果、高龗神(たかおかみのかみ)にたどり着き、平成21(2009)年1月23日(金曜日)に高龗神(たかおかみのかみ)について形にすることが出来ている。
 天之岩戸がある戸隠神社(長野県)の奥社に行くには、九頭龍社を左に見ていくことになる。
 この配置は、天之岩戸の前に立つには九頭龍についての考究が必須である、と訴えているように思える。
 長野県の戸隠神社の奥社と九頭龍社の関係からみて、なぜ箱根に九頭龍が祀られているかが大きな問題だった。
 箱根は「育む根」であり、「光」の成長を育んでくれるものは「熱」だ。
 箱根には、「光の当らない熱の部分」(ベルゼブブ)と九頭龍の深い関わりがあるのかもしれない。
 そのことを確認するために、箱根芦ノ湖の東岸にある九頭龍神社(本宮)を訪ね、駒ヶ嶽と神山に登った。
 神山の北側が、大涌谷という湯気を噴出している火山活動を確認できる場所である。
 この大涌谷が「光の当らない熱の部分」(ベルゼブブ)を象徴しているかもしれないという予感の確からしさを感じる。
 箱根の神山・駒ヶ嶽、そして神社の地理的配置が、時の流れの配置を表現しているようにも見える。

► 平成21(2009)年4月25-26日(土・日)宮滝から宮城(みやしろ)まで

 神武天皇の「大和討ち」に焦点を合わせた周り方(1)。
 吉野の宮滝(みやたき)から宇陀市の宮城(みやしろ)まで。
 吉野の井光(いかり)が「光が当る熱の部分」を象徴。
 宇陀市が「光が当らない熱の部分」を象徴。
 主要な問題は「光が当らない熱の部分」(ベルゼブブ)の中にある。
 こういう理解に立つと、神武天皇は吉野の井光(いかり)→宇陀市と鎮圧することなしに、長髄彦の反乱を鎮圧することはできなかっただろう。

► 平成21(2009)年5月3-6日、岐阜県・福井県・滋賀県・京都

 5月の連休を利用して、いくつかのポイントになるところに行った。
 ✓ฺ 白山中居神社(岐阜県郡上市)、平泉寺白山神社(福井県勝山市)
 ✓ฺ 天魔ヶ池と黒龍神社(福井県福井市)
  この天魔ヶ池が「天魔」が現れた最初の場所であろう。
  「天魔」と九頭龍は密接不可分に結びつくのだ。
 ✓ฺ 気比神宮の【土公】(福井県敦賀市)が彦火々出見尊の亡骸を納めた御陵墓
 ✓ฺ 貴船神社奥宮の【船形石(ふながたいわ)】(京都府京都市)が豊玉姫の亡骸を納めた御陵墓
 ✓ฺ 「大津シノ宮」(滋賀県大津市)
   三井寺(滋賀県大津市)に九頭龍の痕跡があった。
   戸隠神社や箱根神社における九頭龍の祀られ方を知っている私からみると、
   三井寺のあり方ではあまりにも無防備すぎるようにみえる。
 ✓ฺ 河合神社・賀茂御祖神神社・賀茂別雷神社

► 平成21(2009)年5月30-31日(土・日)、高城岳から墨坂まで

 神武天皇の「大和討ち」に焦点を合わせた周り方(2)。
 高城岳(たかぎだけ)から墨坂制圧まで。
 阿紀神社での朝原祈祷が大きなテーマだ。
 そして、平成21年5月31日(日)に参拝した阿紀神社で、弓矢で遊ぶ女の子をみて、井光神社(いかり)と天之羽々矢を納めた大塔宮、生駒市にある天之火之明尊の眞弓塚、大和郡山市にある饒速日命の一之矢塚・二之矢塚・三之矢塚に行く必要を感じた。  

阿紀神社で弓矢で遊ぶ女の子

► 平成21(2009)年6月27-28日(土・日)、大迫ダムと井光、そして生駒の饒速日尊

 神武天皇の「大和討ち」に焦点を合わせた周り方(3)。
 吉野の井光神社と大塔宮、饒速日命の降臨跡、長髄彦との決戦場所。
 瓊々杵尊の兄である天之火之明尊の第一次天孫降臨(紀元前1,552,847年)は、137億年前のビックバーンによって消失した太陽宇宙に関係する神々を救い出すことにあったようなのだが、反太陽勢力の影響力が強すぎて失敗することになった。
 天之火之明尊の跡を継いだのが饒速日命と改名した国照宮だったが、饒速日命も長髄彦の反乱に遭遇し失敗することになった。

 第一次天孫降臨から26万年後の紀元前1,290,607年に、瓊々杵尊が第二次天孫降臨されている。

 その瓊々杵尊の血統を引かれる神武天皇の大和討ちに隠されていた課題は、137億年前のビックバーンの原因となった高龗神(たかおかみのかみ)の影響を克服することにあったのだと思う。
 第二次天孫降臨の流れを汲む神武天皇も苦労の連続の末にようやく長髄彦を制圧できている。

 「生駒山」に祀られていたであろう神社は現在のところ失われてしまっている。

 こういうところに、137億年前にビックバーンを引き起こした反太陽勢力の凄まじさを感じることができるだろう。

► いよいよ白山登山だ

(1)平成21(2009)年8月8日(土)、戸隠神社の奥社と九頭龍社(長野県)、皇祖皇太神宮(富山県)、白山比盗_社(石川県)を参拝。(4ヶ所)
(2)平成21(2009)年8月9日(日)、白山登山のため別当出会いへ。(0ヶ所)
(3)平成21(2009)年8月10日(月)、滋賀県の7つの神社を参拝。(7ヶ所)
  論考「サシミ女とは高龗神(たかおかみのかみ)の別名である」
(4)平成21(2009)年8月11日(火)、安土町の沙沙貴神社、安土城、日牟礼八幡宮、八幡山(鶴翼山)(5ヶ所)

平成21(2009)年8月8日(土曜日)、戸隠神社・皇祖皇太神宮・白山比盗_社【4神社】

九頭龍社 長野県長野市戸隠
戸隠神社の奥社 長野県長野市戸隠
 8月8日、大型で強い台風8号が石垣島地方の暴風域を抜け、台湾で猛威をふるっている中での参拝となった。
 ようやく戸隠神社の九頭龍社と奥社の前に立つことが出来るようになったと思う。
 九頭龍が関係している神社は基本的に訪ねてきているし、そのおかげあって九頭龍についての理解も深まった。

皇祖皇太神宮 富山県富山市金屋4185
 次に皇祖皇太神宮に参拝。
 皇祖皇太神宮へは機会を捉えて参拝したいのだが、なかなか行く機会をつかめない。
 2001(平成13)年9月11日アメリカへのテロ攻撃があったとき、このままでは世界大戦だという危機感に襲われて参拝した。
 そのとき以来の参拝になる。
 歴代の天皇(あめのすめら)が祀られているということは、地球が誕生してから全ての記憶が留められているということ。
 記憶が未来であるので、伊勢神宮とはまた違った意味で中心的な神社であったのだが、今では皇祖皇太神宮の重要性が忘れ去られてしまっているかのようだ。


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白山比盗_社 石川県白山市三宮町二-105-1
 平成8(1996)年9月16日(木)、
 岩手県の五葉山に登山するか、石川県の白山比盗_社に行くか迷った結果、白山比盗_社へ参拝した。
 今回は13年ぶりの参拝になった。
 明日の白山登山の安全を祈った。

恐竜パーク白峰 石川県白山市桑島4号99番1
恐竜パーク白峰(公式サイト)
 子供たちの社会科見学を兼ねて白山市にある恐竜パークへ
 白山周辺が日本地質学の源になった地域だという。
 3億5千万年前から1億5千万年の記憶が埋められているのだ。

 8月8日(土曜日)の宿泊かんぽの郷 白山尾口 石川県白山市瀬戸卯43-3 TEL:076-256-8080  

平成21(2009)年8月9日(日曜日)、白山登山へ【1ヵ所】

白山登山口の別当出合 石川県白山市白峰
 9時50分に白山の登山口に当る別当出合に着いた。
 登り始めようとすると、雨が降り出してきた。
 記念写真を撮ってから登山しようと歩き始めた。
 15分ほど登ると、2番目の展地が雨具を着けたいから出してくれといってきた。
 神奈川県箱根の神山登山の時、展地だけは登山することに危険を感じて登ってこなかったのだ。
 その展地が雨具を欲しいという。
 「一日中雨が降り続ける」
 と言われたのだと思った。
 「山登りは引き返す勇気が必要だ」
 と知人に言われていた。
 展地が雨具を着けて登り始めてから5分経って、依然雨が降り続いている。
「引き返そう」
 とみんなに告げた。
 室堂には予約を入れてあったので、別当出会いに戻ってからキャンセルの電話を入れた。

 白山・室堂の電話:076-273-1001(予約センター)  

 8月10日(月曜日)と8月11日(火曜日)は南竜山荘に宿泊予約を入れている。( TEL:076-259-2022)
 明日の朝の天気が雨だったら今回の白山登山は中止しよう。

第二次天孫降臨の時の瓊々杵尊の「白山峰の見巡り」の順路を推定すると・・ 加賀馬場→白山中居神社→越前馬場
 第二次天孫降臨の時の瓊々杵尊の「白山峰の見巡り」の順路を推定すると・・
 加賀馬場 → 大汝峰 → 御前峰 → 別山 → 白山中居神社 → 平泉寺白山神社という順路だったのだろうか?

恐竜博物館 福井県勝山市村岡町寺尾51-11
昼前に下山し、どこに行くか検討した結果、福井県勝山市の恐竜博物館に行くことになった。

極楽湯福井店 福井県福井市開発1丁目118番地
TEL:0776-53-4126
 白山の室堂をキャンセルしたので、宿泊先が決まっていない。
 こういう時は極楽湯がいい。
 極楽湯は日帰り温泉で全国展開しているチェーン店。
 個室も利用できるし、車内で使っている薄手の肌布団を極楽湯に持ち込みもできる。さらに、日が明けた2時まで滞在することが出来るので、我々にはとても都合がいい。

 夕方5時前に勝山市を出発し、6時過ぎ、極楽湯福井店に到着したのだが、そのとき、トラブルが発生していた。  

 同行者の夫婦喧嘩のようなものなのだが・・
「このまま東京に帰りたい」
 と彼女が言っているという。
 痴話喧嘩のようなものなのだが・・
 この痴話喧嘩を聞きながら、私は神代の昔のサシミ女について考えていた。 白人・胡久美

 神代の昔、白山が属する根の国を統治されていた椋杵命がサシミ女という人間の女性を娶った。  

 サシミ女は椋子姫を産んでいる。
 神(椋杵命)が色恋に捉われて人間の女性を娶ってしまうところに、問題の根深さがあったのだが、それがどういう質のものかを確かめるために白山に登ってみたかったのだ。
 神(椋杵命)を虜にしてしまうサシミ女とは一体どういう人物なのか?

 2人の痴話喧嘩を聞きながら、今の今まで考えたことのない問題設定になった気がする。  

 2人で解決するということだったので、我々は先に極楽湯福井店に入った。
 一風呂浴びてテレビでくつろいでいると地震速報が流れてきた。
 平成21(2009)年8月9日 19時56分 東海道南方沖を震源とする地震で日本各地が揺れたらしい。

 地震速報が流れて5・6分経ったころ「問題は解決した」と、2人で入ってきた。  

 平成21(2009)年8月9日 19時56分 東海道南方沖を震源とする地震は二人が引き起こしたものであるかのようにみえた。

 お風呂に入りながら、白山登山が無理である場合、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の跡を辿ってみようと思った。
 白山登山の三馬場(美濃馬場・越前馬場・加賀馬場)を今年全て訪ねている。
 さらに白山登山口の別当出会いまで行って登山を開始しているので、そのことをもって瓊々杵尊の「白山の峰巡り」に当てることも可能だと思った。
 第二次天孫降臨の残りのルートは琵琶湖の北西岸の滋賀県高島市酒波からだ。

平成21(2009)年8月10日(月曜日)、第二次天孫降臨の跡を追う【7神社】

 日が明けた10日(月)の2時過ぎに極楽湯福井店を出て、福井ICから北陸自動車道に乗り、南条SAで仮眠を取った。
 天気が回復すれば白山にも登れるし、雨のままであれば滋賀県にも行ける位置だからだ。
 仮眠を取って5時に天気予報を聞いてみると、加賀地方は60%の確率で雨だった。

 これで瓊々杵尊の第二次天孫降臨の跡を辿ることに決まった。  

 瓊々杵尊の第二次天孫降臨の跡を辿るのに2人の同行者を連れてよいものなのかどうか迷うところだったが、
「その方が好都合」

 といわれる。  

日置神社 滋賀県高島市今津町酒波
 瓊々杵尊は白山宮(三馬場のうちのどれかだろう)で梅の花を折り、髪飾りにされた。
 (※)三馬場のうち瓊々杵尊を祀るのは白山中居神社である。

 梅の花の髪飾りをされながら、滋賀県高島市今津町酒波の日置神社に着いた。  

 日置神社が琵琶湖畔で最初の到着地に選ばれた理由は、300万年前の大濡煮・少濡煮の御世、日置神社が三々九度の杯(さかずき)の伝承発祥地だったからだろう。
 日置神社に梅の花の髪飾りをしながらやってきたことで、瓊々杵尊は神(椋杵命)が色恋に捉われて人間の女性を娶ってしまうという婚姻のあり方に問題の根源があると暗示したかったのかもしれない。

 さらに、日置神社がある辺りは、天照大神素戔嗚尊天之誓約をされた場所でもある。  

 天照大神は滋賀県蒲生郡安土町の沙沙貴神社(ささき)の奥宮があった山に立たれ、素戔嗚尊は日置神社の奥宮があった山に立ち、琵琶湖を差し挟み天之誓約をされたのだ。
 神と神が互いに誓いを立てる、という点で滋賀県高島市今津町酒波の日置神社と滋賀県蒲生郡安土町の沙沙貴神社(ささき)は日本において群を抜きん出た神社であったのだ。

 日置神社のご神前で祝詞を奏上した。  

 すると、私と本殿の間に「ある女性」が立ちはだかってきた。
 私が神社で祝詞を奏上するとき、本殿内の神域で私の祝詞奏上を聞き届けようとする御神影は幾度となく目にしてきている。
 しかし、本殿の外で私の眼前に立ちはだかり、私の祝詞奏上を聞く人物は今回が初めての経験だった。
 直感的にサシミ女かもしれないと思った。
 「この女性」は、神をなんとも思わない女性らしい。
 神より自分の方が貴い存在だと考えているから、祝詞奏上中の私の眼前に立ちはだかることが出来るのだ。

天之誓約をされた日置山  


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行過天満宮(ゆきすぎ)
阿志都彌神社(あしづみ)
滋賀県高島市今津町弘川
 瓊々杵尊は、日置神社を通って、行過天満宮(ゆきすぎ)・阿志都彌神社(あしづみ)に着いた。
 行過天満宮(ゆきすぎ)・阿志都彌神社(あしづみ)で梅の花を手放し、桜の花を折り、髪飾りにされた。
 行過天満宮(ゆきすぎ)・阿志都彌神社(あしづみ)の摂社に白山神社があるのがとても味わい深い。
 神代の記憶は人の世で違う形だが、ある種の類似性をもって想起されてくるものだ。
 白山宮で折った梅の花は、行過天満宮(ゆきすぎ)・阿志都彌神社(あしづみ)の摂社・白山神社がある辺りに納められたかのように思えた。
 そして、阿志都彌神社(あしづみ)で桜の花を折り、髪飾りにされたのだ。
 阿志都彌神社(あしづみ)の祭神は木花咲耶姫でに深い縁がある。

 ここでも祝詞を奏上した。  

 日置神社で私と本殿の間に立ちはだかってきたサシミ女と思われる「ある女性」は、ここでは私と本殿の間に入ることが出来ずにいる。
 本殿の左の傍で祝詞奏上を聞いている。

日置神社周辺の地図
 

会社でトラブル発生 10時過ぎにセブンイレブンで朝食とトイレ休憩・志呂志神社(しろし)長田神社大炊神社白鬚神社
 行過天満宮(ゆきすぎ)阿志都彌神社(あしづみ)の参拝を終え、10時ごろ、途中のセブンイレブンでトイレと朝食休憩にした。
(※)セブンイレブンの住所:滋賀県高島市新旭町饗庭1629

 そのとき、会社から  

「メールの送受信が出来ないのはなぜ?」
 という問合せの電話があった。
 次の参拝先の志呂志神社(しろし)に行く前に問題の所在の可能性の見当をつけ、次の長田神社で一応原因は究明できた。
 そして、白鬚神社の参拝を終えたときメーラの正常動作を確認できるようになった。

 こういう風になるときは、過去の縮図であると共に未来の予言になっていることが多い。  

 饗庭という土地でトラブルの連絡があったこと、高島市安曇川町三尾里で原因らしいことが解ったこと、長田神社(高島市永田)で問題が解決したこと、白鬚神社(高島市鵜川)での参拝を終えて昼食をしているとき、メーラの設定に問題があったことも解決したこと。
 今回のトラブルを解決するのに関わった3人の人物を忘れてはいけない。

 ところがトラブルはこれだけに留まらなかった。  

 年が明けてから旅行の整理を始めた。
 昨年志呂志神社(しろし)の参拝に行く前にトラブルがおきたのだったが、その志呂志神社(しろし)の整理を始めた平成22(2010)年2月25日(木)2時過ぎからサーバーの不具合が発生し、システムが不安定になった。
 この日に原因を突き止めることができず、翌日の平成22(2010)年2月26日(金)に〔NTFSのファイルシステムのエラー〕と判明。
 昨年お世話になたkobaさんの手を煩わせることになった。
 セブンイレブンから志呂志神社(しろし)長田神社大炊神社白鬚神社にかけての一帯の持つ意味を暗示しているのだろうと思う。
 さらにkobaさんの位置も暗示していそうだ。

 この地域には何かある。

 あまりにもドンピシャリすぎる。

 旅行整理中の平成22(2010)年2月27日(土)朝、怒りと憎しみに満ちた夢で目覚めた。  

 私は教師だった。

 私は同僚の髪の長い女性教師に好意を寄せていた。  

 その女性教師があるトラブルに巻き込まれて、ある教室である人物と話し合いをしようとしているらしかった。
 ある人物は教室の窓側に机と椅子を高く積み上げて小高い山のようにしていて、その上で寝そべっていた。
 その椅子と机で小高くなった頂から
「なんだ女じゃねぇか」
「これはいいや」
 と舐めるように見回し、今にも自分のものにしようという雰囲気だった。

 隙間から教室の中を探っていた私は怒りと憎しみの感情を抑えきれなくなった。

 教室のドアを開け、そのある人物の胸ぐらをつかみ、
「こうやるとお前なんか命がなくなるのだぞ」
「こうやるとお前なんか死んでしまうのだぞ」
 ・・・と怒りと憎しみに満ちて自分自身が抑えきれなくなっていた。

 目覚めてからも怒りと憎しみが抜けきらない、それほど激しいものだった。

◆上の夢は、2月25日(木)2月26日(金)のトラブルと、志呂志神社(しろし)長田神社大炊神社白鬚神社に関わる遠い昔の記憶なのだろうと思った。

 寝そべっている猿田彦命との類似性、鈿女命との類似性、覗き見をした彦火々出見尊との類似性。

 女性教師がいる辺りは志呂志神社(しろし)なような気がするが、だとすると、机と椅子を高く積み上げた小高い山は拝戸の水尾神社大炊神社あたりなのだろうか、田中神社か三尾神社跡あたりだろうか、と思っている私がいる。
 このあたりで私自身が抑えきれない怒りと憎しみに捉われて暴発したことがあったのだろう。
 これまでの私の人生で、中背で弁当箱のような体系の人物に会ったことがあるが、その度にこういう人物に苦手意識を常にもってきたのだ。

 遠い過去のこういう記憶が原因なのだろう。

 滋賀県高島市の安曇川周辺には、私にとって抜き差しならない何かある。

セブンイレブンから志呂志神社(しろし)の地図  

志呂志神社(しろし) 滋賀県高島市鴨
 瓊々杵尊を祭神とする志呂志神社に着いた。
 志呂志神社・長田神社・大炊神社・白鬚神社の4社は雨のなかでの参拝。
 この4つの神社を参拝中に、会社ではトラブル対応に追われていた。
 白鬚神社の参拝を終えると、会社でのトラブルが解決していた。
 そして雨が止んだ。

 志呂志神社でも祝詞を奏上した。  

 サシミ女と思われる「ある女性」は、ここでも私と本殿の間に入ることが出来ずにいる。
 「ある女性」は車を駐車している南側から本殿と私の間に入りたそうにしているのだが、入りきれないようだ。

長田神社 滋賀県高島市永田
 次、長田神社に参拝。
 瓊々杵尊を出迎えた猿田彦を想像させる名前である。

 長田神社でも祝詞を奏上した。  

 サシミ女と思われる「ある女性」は、ここでも私と本殿の間に入ることが出来ず、本殿に向かって右側に立ったままである。

大炊神社 滋賀県高島市音羽465
 次、大炊神社に参拝。
 猿田彦は音玉川の川べりで寝そべって瓊々杵尊一行を待ち受けていたという。
 そして瓊々杵尊一行に御饗(みあえ)を催す。
 高島市には饗庭(あえば)という地名が多いという。
 大炊神社の「大炊」も「饗庭(あえば)」につながるイメージである。

 大炊神社で祝詞を奏上した。  

 サシミ女と思われる「ある女性」は、祝詞奏上中に本殿の中に渦状の螺旋を描いて吸い込まれていったように見えた。
 この映像は、「吸い込まれた」と見ることもできるし、「忍び込んでいった」ともみることもできる。
 どういう表現の仕方が正確かは不明である。

白鬚神社 滋賀県高島市鵜川215番地
 次、白鬚神社に参拝。
 桜木尊(瓊々杵尊の次男の火進命)に水瘡(みずくさ)ができたとき、葦津姫は白鬚の酢芹草をもって癒した。
 これがキッカケで桜木尊に酢芹宮という名が与えられた。
 こうして、白鬚の酢芹草は、民の病を癒す守として、代々尊ばれたのである。
 この白鬚神社の祭神が猿田彦になっていること、瓊々杵尊を音玉川で出迎えることが出来ることからみても、鵜川の地は猿田彦が統治されていた場所なのかもしれない。
 瓊々杵尊はこの鵜川の地で、阿志都彌神社(あしづみ)で折り飾した桜の花を納め、卯の花を折り、髪飾りにした。

 白鬚神社の拝殿で祝詞を奏上した。  

 サシミ女と思われる「ある女性」は現れない。
 大炊神社でいなくなってしまったのだろうか?

 次、白鬚神社の本殿のような配置になっている岩戸神社で祝詞を奏上した。  

 すると「ある女性」が、鎖のついた鎌を、右手で鎌の柄の部分をもち、左手で鎖の部分をもって、石段を登って岩戸神社に迫ろうとしてきている。
 この女性はサシミ女のようにも見えるし、「別の女性」のようにも見える。
 凄まじい執念を発しているようにも見えるが、サシミ女ではないとしたら誰だろう。
 しかし、石段から先には登ってくることは出来ないでいる。
 瓊々杵尊が白山宮から順に梅の花桜の花卯の花を折り飾して進んできたのは、椋杵命に3人の女性問題があったという暗示だろうか?
 一人は持子(九頭龍の化身)と早子(八岐大蛇の化身)の母親
 二人目はサシミ女のこと
 三人目がいるとしたらそれは誰だ?

猿田彦と瓊々杵尊が出会う
御上神社
三上山
滋賀県野洲市三上838
 次、御上神社に参拝。
 瓊々杵尊は、第二次天孫降臨の紀元前1,290,607年に、滋賀県の野洲郡と蒲生郡の境にある鏡山の三尾の土を積んで三上山を造り、仮宮を造営された。
 三上山からは生駒山(奈良県)が見える。
 生駒山(奈良県)は天之火之明尊の第一次天孫降臨(紀元前1,552,847年)のテーマになった山である。
 神武天皇の「大和討ち」のとき、この生駒山を越えることができず、紀伊半島を迂回することになった山である。
 三上山を仰ぎ見て、生駒山(奈良県)には何かある、と感ずる。

 生駒山(奈良県)にはまだ登っていないので必ず機会を作る。(↓下の地図が奈良県の生駒山)  


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 三上山は、滋賀県野洲市の東南に位置している。

 仮宮造営から20万年後の紀元前1,086,682年に瑞穂宮を造営した。  

 瑞穂宮の統治を任されたのは、瓊々杵尊の長男である火明命(饒速日命の父)であった。
 仮宮から本宮にするのに20万年の歳月をかけている。

 御上神社で祝詞を奏上した。  

 サシミ女と思われる「ある女性」は現れない。
 現れているようにも思えるが気配が薄くなっている。

御上神社

極楽湯彦根店 滋賀県彦根市西沼波町175-1
ルートイン彦根 滋賀県彦根市東沼波町111-3
レストイン多賀 名神高速の多賀SA
 平成21(2009)年8月10日(月曜日)は極楽湯彦根店で過ごす。
 我々家族はこういう強行スケジュールは慣れているが、連れの2人は辛そうに見える。
 彦根インターの近くにルートイン彦根というビジネスホテルがあったので、そちらに宿を取ってあげた。
 多賀SAのレストイン多賀の宿泊もいいが、急な予定なので家族で泊まれる部屋を確保することは出来なかった。

平成21年8月10日(月曜日)の参拝を踏まえて考究すると、サシミ女とは高龗神だ・・

 8月8日(土曜日)、長野県の戸隠神社、富山県の皇祖皇太神宮、石川県の白山比盗_社。
 8月9日(日曜日)、白山(石川県)の別当出会い、福井県勝山市の恐竜博物館。
 8月10日(月曜日)、福井ICで北陸自動車道に乗り、南条SAで仮眠を取り滋賀県にきた。
 滋賀県では、7つの神社で祝詞奏上した。
 祝詞奏上中、サシミ女と思われる「ある女性」を目撃してきた。
 この女性は神を全く恐れていないかのようである。

 結論から言って、サシミ女とは、地の側に隠れた高龗神(たかおかみのかみ)そのものである。  

 137億年前のビックバーンのとき最大勢力を誇った高龗神(たかおかみのかみ)の反太陽勢力は、物質界の成長とともに漸次勢力が減退していくことになったらしい。
 例えで悪いが、何も知らない子供はダマセテも、理屈や道理を知った大人はダマシにくいのに似ている。
 ビックバーンのとき、自己崩壊してしまった太陽宇宙の素材を用いて現在のビックバーン宇宙が生まれ、銀河が生まれ、太陽系が生まれていった。
 時の経過とともに物質界はビックバーン宇宙以前よりも遥かに強固な秩序を取り戻しつつある。
 この物質界の成長に伴って、天の側の力も強くなっていった。
 天の側もビックバーン宇宙を経験したことによって、「忌み嫌う」とどうなってしまうのかということを実地で経験してきたのだ。
 天の側の「忌み嫌う」気持ちが、高龗神(たかおかみのかみ)の本体であり、「天魔」の本質である。
 そのことを知った天の側では「忌み嫌った」ことを反省し、「忌み嫌う」ことをやめた。
 すると、その瞬間から高龗神(たかおかみのかみ)は天の側に存在する根拠を失ってしまったのだ。
 天に存在することが出来なくなった高龗神(たかおかみのかみ)は、地の側に逃れた。
 地の側の人間という存在に目をつけて、人間の中でも特別に自分が隠れることのできる人物を作り上げた。
 それがサシミ女であった。

 サシミ女とは、地の側に隠れた高龗神(たかおかみのかみ)の別名である。  

 私が今回の旅行で解き明かすまで、高龗神(たかおかみのかみ)はサシミ女サシミ女の子孫の中に隠れることができていたのだ。

 長かった、  

 実に長かった。  

 私は何度か生まれ変わりながら、各時代において「こういう事柄」を追求してきた。
 今生では物理学が高度に発達してくれていたおかげで、大いなる示唆を得て、うまく焦点を合わせることができた。

 熱の中で、「忌み嫌う」気持ちが物質的素子を得たものが九頭龍である。  

 物質的素子が九頭龍という極悪の中で育ったことを考えると、時代が好転していった暁には九頭龍に対して肯定的な評価を下すべきなのだろうと思える。
 九頭龍に対してそういう肯定的な評価が下せる時代になることを望みたい。

平成21(2009)年8月11日(火曜日)、蒲生の安土山は火の国の中心の象徴・・【4神社】

 8月10日(月曜日)は極楽湯彦根店で過ごし、日が11日(火)に明けて多賀SAに移動し仮眠を取った。
 朝ラジオを聞くと、東名高速の一部区間が通行止めになっているという。
 さらにラジオに聞き入った。
 8月11日 5時7分に駿河湾を震源地とする地震が起きて、東名高速の一部区間の路肩が崩壊し、上りが袋井IC - 静岡IC間、下りが静岡IC - 菊川IC間が通行止めになっているという。

 九州から関東地方にかけて台風9号の影響で大雨に見舞われる、という予報がでていた。  

 ⇒ 8月10日16時50分配信 毎日新聞

 今回の旅行期間中は世間がとても荒れている。  

 8号と9号の2つの台風、それに2つの地震である。

沙沙貴神社
沙沙貴山
滋賀県蒲生郡安土町常楽寺1番
 8月11日(火曜日)は沙沙貴神社から参拝を始めた。
 日置神社のところでも触れたように、300万年前の大濡煮・少濡煮の御世、日置神社と沙沙貴神社は三々九度の杯(さかずき)の伝承発祥地だったのだろう。
 さらに、沙沙貴神社と日置神社がある辺りは、天照大神と素戔嗚尊が天之誓約をされた場所でもある。
 天照大神は滋賀県蒲生郡安土町の沙沙貴神社(ささき)の奥宮があった山に立たれ、素戔嗚尊は日置神社の奥宮があった山に立ち、琵琶湖を差し挟み天之誓約をされたのだ。
 神と神が互いに誓いを立てる、という点で滋賀県高島市今津町酒波の日置神社と滋賀県蒲生郡安土町の沙沙貴神社(ささき)は日本において群を抜きん出た神社であったのだ。

安土山の安土城跡 滋賀県蒲生郡安土町下豊浦
 次、安土城跡に向かう。
 安土城へは2度目になる。
 平成8(1996)年10月24日(木曜日)、安土桃山城址に織田信長のお墓があることを知って急いで訪問。
 京都の本能寺にあるものだと思っていたが、全く違っていた。

 このとき、信長に  

「まあ一献」
 と杯(さかづき)をだされたのだが、このときはお気持ちだけ頂戴して御嶽山(長野県)へ向かった。

 あの時、杯(さかづき)を出された意味は、  

「そなたの使命をやり遂げると誓えるか?」
 と聞かれたのだろう。

 安土町に沙沙貴神社があることを考え合わせると、そのように思えるようになった。  

 今回、私はお酒を持っていって信長の墓前にそっと添えてきた。
 13年前の返礼のつもりだった。

 安土山は火の国の中心を象徴する山である。  

 火の国の中心は、信長の時に始めて姿を現し、火によって消失したが、まもなく火の国の中心にふさわしい宮が建てられることになるだろう。

日牟礼八幡宮 滋賀県近江八幡市宮内町257番地
 次、日牟礼八幡宮と八幡山(鶴翼山)に向かう。
 天照大神は滋賀県蒲生郡安土町の沙沙貴神社(ささき)の奥宮があった山に立たれ、素戔嗚尊は日置神社の奥宮があった山に立ち、琵琶湖を差し挟み天之誓約をされたらしい。

八幡山(鶴翼山) 滋賀県近江八幡市宮内町
 天照大神の持ち物から5柱の神霊が誕生した山が八幡山(鶴翼山)ではないか、と捉えていたので登ってみたかったのだ。
 八幡山(鶴翼山)から沙沙貴神社が見えること、安土山が見えること、八幡山(鶴翼山)の麓に八王子社、北之庄神社、活津日子根神社があることから、八幡山(鶴翼山)が有力な山だと考えられる。