佐々木山は天之誓約の場所であり、
3月3日桃の節句や三々九度の逆月(さかづき)の淵縁となった・・
平成21(2009)年8月10-11日(月)、滋賀県における第二次天孫降臨の足跡、それと天之誓約の場所は・・
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平成22(2010)年5月5日(水)、天照大神は観音寺山〔繖山-きぬがさ〕から、佐々木山に降り立った
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天之誓約の場所であり、3月3日桃の節句や三々九度の逆月の淵縁となった・・

八幡山(鶴翼山)から撮影
↓図書館からみる安土町役場の後ろの佐々木山(小中山・常楽寺山)

笹気山(ささきやま)とは・・〜『秀真伝(ほつまつたゑ)』の〔注100〕(上巻 PP262-263)から
「其神孫東近江の佐々木山に往玉ふ。山本に佐々木の神社ありて元祖笹気の神を祭」
とみえる。
ここにいう佐々木山とは、観音寺山の西南部の崎が細い丘になって安土町を囲むようになっている標高154メートルの山のことである。
↓ローソンの駐車場からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)と竜石山

↓沙沙貴神社の参道からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)と竜石山と中屋山

この佐々木神社は、延喜式内社の由緒をもつ古社であり、中世近江国内で権勢を誇った近江源氏佐々木氏の氏神になったことは、史に明らかであるが、その由緒については、寒川辰清の『近江国輿地志略』所引「佐々木社記」に
「近江国蒲生郡佐々木明神者、延喜式所載沙々貴神社是也。伝称、此社祀少彦名命且奉崇仁徳天皇、今不得其縁起、則未詳其由来」
と記されているように、今日管見に入る資料の範囲内では一切不明とされている。
現在の祭神は、少彦名命・大彦命・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王の4座とあり、小笠原通當のいう「元祖笹気の神」である少波神とは、一見まったく無縁の社のようにもみえるが、同社の社名の表記の一つに「篠笥」とするものもあり、竹筒より笹気を造った少波神と同社の間になんらかの関連が存在し得るかもしれない。
あるいは、現在同社に少彦名神として祀られている神こそ、本来は少波神であったかもしれない。
『秀真政伝』によれば「佐々木の神社ありて、元祖笹気の神祭後の神代に、少彦名神此宮にて和礼を教」
とあり、『秀真伝』において少波神と少彦名神は時代を異にするとはいえ、まったく無縁の神ではなかったことを記している。
後世、これが因となって、少波神と少彦名神の二神を同一神とみなす訛伝が生じるに至り、少波神の神名は忘れ去られ、あるいは同一視され、代わって、少彦名神が同社の祭神とみなされるようになったという可能性も否定しがたいように思われる。
ただし、これはあくまでも小笠原通當の『秀真政伝』の説が正しいものとした場合の話であって、本書の原文そのものの解釈からこのような結論を導くことができるかどうかは、今後の検討に譲る。
天之誓約の時、天照大神は観音寺山〔繖山-きぬがさ〕に降り立ち、佐々木山へ
↓観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点とその場所からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)

↓日置神社の南側参道からみる青蓮山(せいれんざん)

日置神社より
天照大神と素盞嗚命が天之安川を挟んで天之誓約をした結果は・・まず、天照大神が素盞嗚命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から三女神の神霊が竹生島に降臨(誕生)した。
多紀理毘売命(タキリビメ) - 別名:奥津島比売命(オキツシマヒメ)
市寸島比売命(イチキシマヒメ) - 別名:狭依毘売命(サヨリビメ)
多岐都比売命(タキツヒメ)
↓三女神の神霊が降臨(誕生)した竹生島。

左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命(アメノホヒ)
かづらに巻いている玉から天津日子根命(アマツヒコネ)
左手に巻いている玉から活津日子根命(イクツヒコネ)
右手に巻いている玉から熊野久須毘命(クマノクスビ)
の五男神の神霊が八幡山(鶴翼山)に降臨(誕生)した。
↓五男神の神霊が降臨(誕生)した八幡山(鶴翼山)

安土山より
天照大神は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取って養い、先に生まれた女神は素盞嗚命の物から生まれたから素盞嗚命の子だと宣言した。素盞嗚命は、
「自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だった」
といい、それを認め天照大神は素盞嗚命を許した。
この天照大神と素盞嗚命の天之誓約は数万年に及ぶものであり、竹生島に降臨(誕生)した三女神が人類の始まりだったという。
蛇を踏んだのは、観音寺山(繖山-きぬがさやま)と青蓮山(せいれんざん)
酒波寺の左脇の道路を車で登って行った。
車で登っていって、奥の突き当たりの小さいスペースに駐車し、青蓮山(せいれんざん)に登ろうと引き返すと、子どもたちが
「小さい蛇が横たわっているよ」
「この蛇、苦しそうだよ」
と小さい蛇を覗き込んでいる。
どうやら私の車で、小さい蛇を踏んでしまったらしい。
参拝を終え、青蓮山(せいれんざん)を降りてくると、この蛇の動きは無くなっていた。
道脇に除いて、木の葉をかぶせた。
「今度生まれてくるときは山の神として生まれ変われるように」
と祈った。
平成22(2010)年5月5日(水曜日)に観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕に向かったとき、ここでも蛇を踏んでしまった。観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の山道に入ってすぐ、道路を横切る大きな縄のような動きを発見。
ブレーキを踏んだが間に合わず、前輪でゴトッ!、そして後輪でもゴトッ!と何かを踏んだ感覚がシッカリと残るほど大きい蛇だった。
ルームミラーで後方を確認すると、クネクネと身を丸く丸くに激しく回転させながら道路わきに隠れていった。
天之誓約に関わる天照大神の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕と素盞嗚命の青蓮山(せいれんざん)の両方で蛇を踏んでしまったのだ。
この蛇事件で、天之誓約が行われたのは観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕と青蓮山(せいれんざん)だ、と確信をもった。
平成19(2007)年5月に、神界に混乱をもたらした「蛇」の姿を素盞嗚命に見せてもらっていたが、その蛇は天之誓約にも深く関わっていた可能性を感じ取ることもできた。
問題の根は、天照大神と素盞嗚命の天之誓約以前に存在していたのだ。
天照大神と素盞嗚命の天之誓約では問題の所在を顕在化させるためのものだったのだろう。
問題は根深くて、天之誓約をしたからハッキリする性質のものではなく、何万年も何万年も時の経過とともに明らかになっていく性質のものだったのだろう。
その一端を今回の旅行で知ることができたのかもしれない。
ちなみに私の車は、須佐之男命を祭神とする大宮氷川神社でお祓いを受け、車内に札を貼っているものだ。
天照大神と素盞嗚命の天之誓約についての注意点
私が日本各地を訪ねてようやく到達した推論である。
天照大神と素盞嗚命の天之誓約の時は、神が人体をもって現れている時代ではないので、『秀真伝(ほつまつたゑ)』に記述されてはいない。 しかし、神が人体をもって現れる前のこういう因縁があるからこそ、滋賀県高島市今津町酒波の青蓮山(せいれんざん)(日置神社)と滋賀県蒲生郡安土町の佐々木山(沙沙貴山)は、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代には三々九度の舞台として登場したきたのだろう。(参考)沙沙貴神社は少波神を祀ると『秀真伝(ほつまつたゑ)』は伝える。
そして、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代には、この天照大神と素盞嗚尊の天之誓約は、昼子姫と素盞嗚尊の誓約に置き換えられている。(参考)下照姫(昼子姫の別称)を祭神とする五社神社が滋賀県近江八幡市牧町にある。
『秀真伝(ほつまつたゑ)』の誓約が、昼子姫と素盞嗚尊のものだから、天照大神と素盞嗚尊の天之誓約がなかったというのではない。それぞれの時代時代で表現のされ方が異なっているだけである。
○神が人体をもって現れる前の事柄、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の時代の事柄を考慮されて、瓊々杵尊は青蓮山(せいれんざん)(日置神社)のある酒波の地に立ち寄られ、野洲市の野洲川沿いに三上山を造営されたのであろう。観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕と佐々木山(小中山・常楽寺山)の地図

安土山から三上山にかけての地図

八幡山からみる佐々木山の画像
|『秀真伝(ほつまつたゑ)』が説明する佐々木山|
佐々木山の地図
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