平成21(2009)年8月10-11日(月)、滋賀県における第二次天孫降臨の足跡、それと天之誓約の場所は・・
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紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の時に三上山を造成
紀元前1,290,607年、瓊々杵尊の第二次天孫降臨の時に御上神社(瑞穂の宮)
「以前日読みの宮にて、梅の花の下、三種の神宝を天照神より賜り、めでたく門出をした。
そしてまた、この白山にて梅の花の下ウケステ女の峰輿を得て、宴を張っている。これはきっと天意に叶った印である」
とおっしゃって、梅の小枝を折り頭にかざして、近江の国の高島に至りました。
その地の酒波(ささなみ)という場所に咲いていた桜の花も美しいとして、君はまたその小枝を折りかざしたのでした。
子守神の生まれた郷である高島の万木村(よろきむら)周辺を田にしようと、子守神の子、太田命と箕島命が井戸や運河を掘って、あたりに水を引きました。
日置神社から琵琶湖西岸を進んできて、鴨川を越えた志呂志神社(しろし)あたりで、大炊神社のある音玉川の淵で寝そべっている猿田彦命を見つける。
瓊々杵尊のご一行が音玉川(おとたまがわ)にさしかかると、その川の岸の白砂で昼寝をしている地元の神に会いました。
身の丈は普通の人の2倍の17咫(た)もあり、顔は赤く、鼻の高さは7枳(き)もありました。
瞳は鏡のごとく爛々と輝いていたので、君のお伴の八十物部たちが恐れてしまいました。そこで瓊々杵尊は、鈿女命(うずめのみこと)に、
「汝、あの大きな目に負けぬよう、どのような神であるか問うてみよ」
とお命じになりました。
鈿女命は胸元を開いて、裳の紐を下げて嘲り笑って、その地元の神の前を通りすぎました。
すると今まで寝ていた赤面の神は目を覚まし、鈿女命の奇妙な姿を見るなり、
「そのようなことをするのは、なにゆえか」
と申しました。そこで、
「天孫瓊々杵尊の行幸なさる道をふさぐのは何者ぞ」
と鈿女命も負けじと問い返しました。
「天照神の御孫が行幸され、この地に向かわれていると聞き、鵜川(うかわ)の仮屋(かりや)にて御饗をしてのち、この河原にてお待ちしていたのじゃ。かくいうわれは、長田(ながた)の猿田彦と申す」
鈿女命は再び、
「どちらの方から行くのだ」
猿田彦命答えて
「われがお導きしましょう」
「汝はわが君の行く先を知っておるというのか」
「君は筑紫の国の高千穂の峰に行かれる。私は途中までお伴し、伊勢の南長田川まで行こうと思う」
こう返事をしました。
それをお聞きになった瓊々杵尊はお喜びになり、あたりに咲いていた卯の花を取りかざして行かれたのでした。
猿田彦命をして、険しい山の岩石を打ち砕かせ、神の力を示すような道を開き、鎧崎(よろいざき)に至り、三尾(みお)の高い山や、鏡山の土を積み上げた三上山(近江富士ともいう)を築かせました。さらに井堰もなり水田もできたので、瓊々杵尊は猿田彦命のその功績をお褒めになり、三尾の神という名をお与えになりました。さらに猿田彦命がお気に入りの鈿女命までも賜り、猿部という名を表わし、お神楽の祖の鈿女命と並び、神楽男子の君のもととなったのでした。
瓊々杵尊は、
「三尾を開拓し瑞穂の成る水田をなし民を潤した、これこそ世の政事の鏡となることであろう」
とおっしゃって、仮宮を瑞穂の宮と名付けられました。
翌紀元前1,290,606年、木花咲耶姫は、火明・火進・火遠(彦火々出見)の順で三つ子を産んだ。
◆第二次天孫降臨から17万年後の紀元前1,120,703年ごろ、天忍穂耳尊が箱根で神上がられた。
紀元前1,120,700年ごろ瓊々杵尊は、天忍穂耳尊の3年の喪祀りを済ませてから、比叡山を造営することになった。比叡山を造営してから穀物がたくさん出来るようになったのでミゾロ池(深泥池)と呼ぶようになった。
ミゾロ池(深泥池)の西岸の岩を砕き、小石にして川に流しいれ水をあふれさせ、荒地に水を引き、雷(鳴る神)を別け鎮め、葵葉(あおいば)と桂(かつら)によって軻遇突智神(かぐつちのかみ)と罔象女神(みずはめのかみ)をお生みになった。
この功績によって、瓊々杵尊は「別雷(わけいかづち)」という称号を天照神から賜った。
(※)京都の上鴨神社の御祭神は賀茂別雷大神である。
◆第二次天孫降臨から約20万4千年後、比叡山を造成されてから3万4千年後の紀元前1,086,682年、瑞穂の仮宮を正式に宮として造営。
2番目の兄は鵜川宮で釣りを好み暮らされ、彦火々出見尊は大津シノ宮で狩を好み暮らされていた。
2人の暮らされ方から、海幸彦・山幸彦という名前の謂れが出来た場所である。

ご祭神
天之御影神天之御影神は、瓊々杵尊と従兄弟であり、天照神の御孫である。
父は天津彦根尊。
本殿に向かって左の若宮社

本殿に向かって右の三ノ宮

御上神社の鳥居

御上神社(みかみ)の地図

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