東大阪市の石切神社(上の社)【1】トップページ|大阪府

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大阪府東大阪市上石切町2丁目1302( いつもNAVIによる広域地図

 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑

大阪天満宮難波之碕顕彰碑大阪城豊国神社(ほうこく)第16代 仁徳天皇の「高津宮(たかつのみや)」
第16代 仁徳天皇の「高津宮(こうづぐう)」神武天皇の「生国魂神社(生國魂神社)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」孔舎衛坂での敗戦

春日神社古戦場碑「龍の口霊泉」碑孔舎衛坂(くさえのさか)顕彰碑「厄山」と刻まれた石碑
「国見山」と呼ばれる「石の塊」「哮ノ峯(生駒山の北麓)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、盾津(たてつ)顕彰碑まで退却し梶無神社の地に再上陸

盾津(たてつ)顕彰碑石切劔箭神社(いしきりつるぎや)石切神社(上の社)登美霊社婦道神社
宮山にある石切神社の元宮枚岡神社神津嶽(かみつだけ)の枚岡神社の本宮(元宮)梶無神社

神武天皇2年、宮山の上之社(上ノ宮)として石切神社に饒速日尊を祀る

参拝履歴

神武天皇2年、宮山の上之社(上ノ宮)として石切神社に饒速日尊を祀る

下之社の石切劔箭神社

 『Wikipedia』(ヴィキペディア)からの引用

 伝記上の創建は、神武天皇2年に、宮山の上之社(上ノ宮)が建てられたとされている。
 さらに、崇神天皇の代に下之社に可美真手命が祀られたとされる。
 実際の創建年月は、過去に戦乱で神社が焼失し、資料が残っていないため不明。
 当初は上之社が本社だったが、明治5年(1872年)6月に上之社を合祀し、下之社が本社となる。
 同年12月に上之社を分離して村社に列する。
 明治40年11月に再び上之社は本社に合祀されるが、昭和47年(1972年)3月に跡地に上ノ宮を再建。
 物部氏の有力支族である穂積氏が祭神を祀ったとされ、物部氏ゆかりの神社である。
 本社の南に大きな絵馬殿があり、屋根上には劔箭が天をさしている。


石切神社(上之社)の本殿

石切神社(上の社)

ご祭神

饒速日尊(上ノ宮)

石切神社(上之社)

石切神社(上の社)

石切神社(上の社)の地図

神武天皇、孔舎衛坂での敗戦

難波之碕顕彰碑から第16代仁徳天皇陵