高津宮(こうづぐう)【1】トップページ|大阪府

『いつもNAVI』のロゴ
大阪府大阪市中央区高津1-1-29( いつもNAVIによる広域地図
 ⇒ 公式サイトはこちらです。

 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」難波之碕(なにはのみさき)顕彰碑

大阪天満宮難波之碕顕彰碑大阪城豊国神社(ほうこく)第16代 仁徳天皇の「高津宮(たかつのみや)」
第16代 仁徳天皇の「高津宮(こうづぐう)」神武天皇の「生国魂神社(生國魂神社)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、「神武天皇大和討ち」孔舎衛坂での敗戦

春日神社古戦場碑「龍の口霊泉」碑孔舎衛坂(くさえのさか)顕彰碑「厄山」と刻まれた石碑
「国見山」と呼ばれる「石の塊」「哮ノ峯(生駒山の北麓)」

 平成23(2011)年8月14日(日)、盾津(たてつ)顕彰碑まで退却し梶無神社の地に再上陸

盾津(たてつ)顕彰碑石切劔箭神社(いしきりつるぎや)石切神社(上の社)登美霊社婦道神社
宮山にある石切神社の元宮枚岡神社神津嶽(かみつだけ)の枚岡神社の本宮(元宮)梶無神社

第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)

参拝履歴

第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)

高津宮(こうづぐう)

 『高津宮(こうづぐう)』からの引用

 浪速の地を皇都(高津宮:たかつのみや)と定め、大阪隆昌の基を築いた第16代仁徳天皇を主神とする神社。
 第16代仁徳天皇は高殿に昇り、人家の炊煙の乏しいのを見て、人民の窮乏を察し、諸税を3年間止めて庶民を救済した仁政を行ったという。
 この仁政を慕い、866年(貞観8年)、清和天皇の勅命によって旧都の遺跡を探索して社地を定め、社殿を築いてお祭りしたのを創始とする。
 以後、皇室をはじめ時の幕府等の度々の造営寄進を重ね、浪速津の守護神と仰がれたのだが、1583年(天正11年)豊臣秀吉の大阪城築城の際に比売古曽社の現在地に遷座した。
 1945年(昭和20年)3月の大阪大空襲により、神輿庫1つを残してことごとく焼失、1961年(昭和36年)に社殿以下復興完成した。
(「高津宮案内記」参照)

高津宮(こうづぐう)の本殿

第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)

ご祭神

第16代仁徳天皇

第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)

第16代仁徳天皇を祀る高津宮(こうづぐう)

高津宮(こうづぐう)の地図

難波之碕顕彰碑から第16代仁徳天皇陵