天之児屋根命の御尊骸を納めた可能性ある神津嶽(かみつだけ)【1】ここだけは紹介しておきたい!|大阪府

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 平成23(2011)年8月15日(月)、枚岡神社、神津嶽(かみつだけ)

枚岡神社神津嶽(かみつだけ)の枚岡神社の本宮(元宮)

天之児屋根命の御尊骸を納めた可能性ある神津嶽本宮(かみつだけ)

参拝履歴

第一回目の訪問日:平成23(2011)年8月15日(月)

天之児屋根命の御尊骸を納めた可能性ある神津嶽本宮(かみつだけ)

神津嶽本宮(かみつだけ)

神津嶽本宮(かみつだけ)

神津嶽本宮(かみつだけ)

神津嶽本宮(かみつだけ)

天之児屋根命の御尊骸を納めた可能性ある神津嶽本宮(かみつだけ)

神津嶽本宮(かみつだけ)

 社伝によれば、神武天皇紀元前3年(神武天皇即位の3年前)、神武天皇の侍臣で中臣氏の祖の天種子命(あめのたねこのみこと)が、天皇の命で神津岳の頂に祖神の天児屋根神を祀ったのに始まると伝えられる。
 神津岳(かみつだけ)あるいは神津嶽(かみつだけ)の頂が平らな丘であったことから「平岡(枚岡)」の社名が生まれたという。

神津嶽本宮(かみつだけ)の本殿

神津嶽本宮(かみつだけ)

ご祭神

天児屋根大神

【14】天児屋根命の遺言と神上がり

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十八〔君臣遺し宣の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P192-195 )
  天鈴(あすず)三十三穂(みそみほ)  天鈴33年とは、紀元前685年であり
 神武天皇即位前15年である。
春日神(かすがかみ) 百五十六万(ももいそむよろ)  
二十五歳(ふそゐ)なり 天二枝命(ふたゑ)に曰く  
「わが齢(よわひ) 極(きわ)まるゆえに  
神伯父(かんおじ)お 汝(なんじ)に授(さづ)く 神伯父(かんおじ)とは、奈良町における神祇伯と同じような位か。
勤(つと)め」とて 三笠山(みかさ)に帰(かえ)り  三笠山とは、奈良市の市街地の東にある春日大社後方の山。
 若草山の南にあり、春日山の西峰をなす。
 標高282メートル。
 若草山をさしていうことも多い。
親(たら)祭(まつ)り 「汝(なんじ)天押雲(おしくも)」  
しかと聞(き)け 昔(むかし)仕(つか)えて  
御鏡(みかがみ)お 賜(たま)えばわれら  
左(さ)の臣(とみ)ぞ わが子(こ)ら和(やわ)せ  
たとうれば 春(はる)は濡手葉(ぬるてば)  
夏(なつ)青(あお)く 紅葉(もみじ)は強(つよ)く  
冬(ふゆ)は落(お)つ たとえ落(お)ちても  
な恨(うら)めぞ 陰(かげ)の忠(まめ)なせ  
この愛(め)でる ゆえは飛鳥(あすか)お  斑鳩の地に宮を定めた火之明尊は、翌日飛鳥に遷宮することを決めるという暴挙を行った。
 それに対し諫言した、天古屋根命(春日神)と奇彦命は臣の座から自ら退いた。
落(お)ちたとき 忠(まめ)お忘(わす)れず  
このゆえに 御孫(みまご)に召(め)され  
忠(まめ)なせば つひに鏡(かがみ)の  
臣(とみ)となる また大物主(ものぬし)は  
右(みぎ)の臣(とみ) 初(はつ)良(よ)き秋(あき)の  
弓(ゆみ)剣(つるぎ) かくのごとし」と  
酒(さけ)勧(すす)め その盃(さかづき)お  
請(こ)ば「否(いな) 子(こ)から授(さづ)けぬ」  
時にまた 「鏡(かがみ)の臣(とみ)お  
敬(うやま)うが 遺(のこ)る教(のり)ぞ」と  
神となる 二月(きさらぎ)十一日(そひか) 2月11日に神上がる
天押雲命(おしくも)は 四十八日(よそか)喪(も)に入(い)り  
山背(やましろ)の 忍穂井(おしほい)に納(おさ)む 忍穂井〔6の注41〕
 溥泉の『朝日神紀』に「藤岡忍穂井ト云所ハ、山田原外宮・・」「天村雲命ノ霊ヲ祭ル御井の社の、上・・・」「・・・山ト云、此山ノ麓ノ湧ル。井ノ御水ヲ忍穂井・・」と損傷箇所によって途切れながらも宇治山田の外宮、天村雲命の霊(みたま)を祭る御井のことなどがわかる。
 外宮域内の多賀宮に御井があり、下御井神社と称している。
 これとは別に上御井神社(かみのみいじんじゃ)別名「忍穂井」が藤岡山(外宮敷地内)の麓にあり、度会神主の祖先がこの水を高天原から授けられて日向の高千穂に降り、次に丹波の天の真名井に移され、豊受神の伊勢遷祀とともにこの地に移されたという伝承を有している。
 この上御井の水を御饌に用い、それに異常があるときは下御井の水を使う習わしがある。
 この、高天原ー日向ー丹波の真名井ー外宮という軌跡は、天照神の遷宮経路、すなわち、日高見(高天原)ー丹波の真名井(宮津の宮)ー伊雑の宮に類似している。
東向(ひがしむ)き これ姫神(ひめかみ)の  
罷(まか)るとき 木(き)は山背(やましろ)に  
居(い)ますゆえ 息栖(いきす)の宮(みや)の  
西向(にしむ)きぞ 諸民(もろたみ)慕(した)ひ  
喪(も)に入(い)るは 天(あめ)喪(も)のごとし  
猿田彦命(さるたひこ) 禊(みそぎ)に泡(あは)の  
胸騒(むなさわ)ぎ 太占(ふとまに)見れば  
「斎(ゐ)むの身(み)は 鏡(かがみ)ヱヽなる  
中一人(なかひとり) 憂(うれひ)あり」とて  
これ祭り 受けぬ憂(うれ)いと  
驚(おどろ)きて 宇治(うぢ)に至(いた)れば 伊勢の国の宇治の宮
三笠山(みかさやま) なお馳(は)せ登(のぼ)る 大和の国の三笠山
春日殿(かすがどの) 早(はや)仮納(かりおさ)め 春日社
喪中(もなか)ゆえ ともに喪(も)に入(い)り  
神輿(みこし)なし 明日(あす)枚岡(ひらおか)に  大阪府の東部、生駒山西麓に枚岡神社がある。
 平いらな岡の神津嶽(かみつだけ)の本宮が枚岡の地名の起こりになった。
 奈良市春日野町の春日神社第三殿、第四殿の祭神である天児屋根命と比売神は、この枚岡神社から遷座したものである。
 『延喜式祝詞』の「春日祭」にも枚岡より遷座した旨が記されている。
 
送(おく)るとき 猿田彦命(さるたひこ)が請(こ)えば  
許されて 神輿(こし)開(ひら)くれば  
猿田彦命(さるたひこ) 「われ常(つね)に請(こ)ふ  
魂返(たまかえ)し 御家(おゐゑ)と天二枝命(ふたゑ)  
一文(ひふみ)あり 今(いま)われ一人(ひとり)  
受(う)けざる」と 千々(ちち)にぞ悔(くや)む  
時(とき)に神(かみ) 目(め)お開(あ)き曰(いわ)く  
「汝(なんじ)良(よ)く 忘(わす)れず来(きた)る  
御裳裾(みもすそ)よ 請(こ)ふはこれぞ」と  
授(さづ)けます 猿田彦命(さるた)受け取り  
問(と)わんとす 早(はや)目(め)お閉(と)じて  
答え無し 行幸(みゆき)事(こと)なり  

神津嶽本宮(かみつだけ)の地図

神武天皇、孔舎衛坂での敗戦

難波之碕顕彰碑から第16代仁徳天皇陵