伊勢神宮内宮 皇大神宮【1】トップページ|三重県

マピオン地図
三重県伊勢市宇治館町1( マピオンによる広域地図
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紀元前80,705年、伊雑宮から宇治精奇城(伊勢神宮)へ トップページ

伊勢神宮の拝殿

花窟神社(花の窟〜はなのいわや)

ご祭神

天照大神

伊雑宮の本殿

伊雑宮の本殿

駐車場から伊雑宮へ

駐車場から伊雑宮へ

伊勢神宮の御神田は伊雑宮にある

伊勢神宮の御神田は伊雑宮にある

伊勢神宮の御神田は伊雑宮にある

伊勢神宮の御神田は伊雑宮にある

【地図】伊勢神宮

紀元前80,705年に伊雑宮から宇治精奇城(伊勢神宮)へ遷座、天照神の神上がり

 紀元前80,705年に伊雑宮にいて十二后が神上がられたので、内宮の瀬織津姫神と共に、宇治精奇城(伊勢神宮)に遷座。
 2万年経って鈴木が自生したのをみて天照神は天意を悟った。

 天照神が神上がられる時の物語である。

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十八「君臣遺し宣の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P172-199 )
  二十一(ふそひ)の鈴(すず)の 紀元前1,794,705年
120万6000千年。
百枝(ももゑ)のち 五代(ゐよ)玉杵尊(たまきね)の 豊受の神
伊佐子姫(いさこひめ) 七代(ななよ)の神の 伊邪那美命の父は豊受の神
高仁尊(たかひと)と 高日(たかひ)の西南(つさ)の 伊邪那岐命。高日は日高見の国。
筑波山(つくばやま) 伊佐川(いさかわ)離(はな)る 筑波山は日高見の西南に位置している
宮に居て 諾(うなづ)き編(あ)みて 婚礼の儀を行い拝礼を重ねて
木実(きみ)合(あ)ひて 名も伊邪那岐尊(いさなき) 木は男神、実は女神を意味する。
伊邪那美尊(いざなみ)の 天二神(あめふたかみ)の  
御子(みこ)無きお 故(かれ)玉杵尊(たまきね)の  
葛城(かつらぎ)の 山に祈れば 豊受神の葛城山の祈祷に関する記述はとても多い。〔4-15〕〔14-16〕〔16-21〕〔28-3・4〕。
 葛城の一言主神についての記述は〔9-12〕〔10-19〕。
 神代豊受大神日高見国の近き所に、「イトリ山」というのがあって、世嗣の御子をお祈り有りしや、遥かに遠ければ、今に残りその跡もありや覚束なし。
 大和国葛城山の麓の野夫の物語には、葛城山東面山間半腹の辺り、世俗に祈取(いのとり)山と名付くという。
 (上巻P309より)
天御祖神(あめみをや) 日(ひ)の輪(わ)の御魂(みたま)  
分(わ)け降(くだ)し 天照神(あまてるかみ)お  
生(う)み賜(たま)ふ 時(とき)二十一(ふそい)鈴(すず)  
百二十五枝(ももふそゐゑ) 三十一穂(みそひ)キシヱの 大濡煮尊の御世より120万7,531年
紀元前1,793,174年
初日の出 若日(わかひ)とともに  
生(あ)れませば 諱(いみな)若仁尊(わかひと) 元伊勢の天之岩戸神社に産盥(うぶだらい)が残されていることから推定して、天照神が誕生した場所は、元伊勢内宮の皇大神社がある場所かもしれない。
あるいは、産湯に使われる水が天之岩戸神社の産盥(うぶだらい)から酒折神社に運ばれたのだろうか?
産宮(うぶみや)は 原見(はらみ)酒折宮(さかおり) 今でいう「宮参り」を酒折神社でなされ、そして酒折神社で即位されたのだろう。
後に瓊々杵尊が朝間宮に造り替えている。
 ---<中略>----  ---<中略>----  
  時(とき)に伊雑宮(いさわ)の  
天(あま)つ神(かみ) 十二(そふ)の后(きさき)も  
神(かみ)となる 瀬織津姫(せおりつひめ)と  
大御神(ををんかみ) 宮(みや)遷(うつ)さんと  
御裳裾川(みもかわ)に 天(あ)上(のぼ)る道(ち)得(ゑ)て  
精奇城(さこくしろ) 宇治(うぢ)の宮居(みやゐ)に 伊勢神宮の創建記録。〔36-16〕参照。
紀元前80,705年
大濡煮尊の御代から2,920,000年に伊勢神宮(伊勢宇治宮)に遷座。
二万穂(ふよほ)経(へ)て 時(とき)に五十鈴(ゐそすず) 紀元前60,704年
大濡煮尊の御代から2,940,001年
宮(みや)に生(は)ゑ つらつら思(おぼ)す 鈴木(すずき)が自生する。
『植(う)えずして 生(は)ゑるも天(てん)よ  
わが命(いのち) 天(あめ)が知(し)らす』と  
八百神(やもかみ)お 召(め)して『われ世(よ)お  
辞(いな)まん』と 猿田彦命(さるた)に穴(あな)お  
掘(ほ)らしむる 『真名井(まなゐ)に契(ちぎ)る 紀元前60,704年
大濡煮尊の御代から2,940,001年
猿田彦命にお隠れの穴を掘らせた。
朝日宮(あさひみや) 同(おな)じ所(ところ)』と  
曰(のたま)えば 諸(もろ)驚きて  
留(とど)むれば 『いやとよわれは  
民(たみ)のため 苦(にが)きお食(は)みて ハラミ三草のこと。
百七十三万(もなそみよ) 二千五百年(ふちゐもとし)お  
永らえて 天(あめ)の楽(たの)しみ 天界高天原の精奇城宮で至楽の暮らしを送ること。
覚(おぼ)ゆれば 世(よ)に遺(のこ)す歌(うた)  
常(つね)に聞く 清雄鹿(さおしか)八咫(やた) 清雄鹿とは「トホカミヱヒタメ八神」のこと。八天神を移し作られた冠を「さおしか八咫冠」という。
わが冠(かんむり) 衣臣(はとみ)裳民(もたみ)に  
緒(を)お届け 天地(あわ)お束(つか)ねて  
日嗣(ひつき)なす 裳裾(もすそ)をくめと  
君民(きみたみ)の 教(おし)ゑ遺(のこ)して  
天(あ)に還(かえ)る とてな痛(いた)めそ  
わが御魂(みたま) 人(ひと)は天(あ)の裳(も)の  
上にある われは冠(かんむり)  
人草(ひとくさ)は 耳(みみ)近(ちか)き緒(お)ぞ  
胸(むね)清(きよ)く 身は垢(あか)つけど  
指神(さし)が見て 天(あめ)に告(つ)ぐれば  
清雄鹿(さおしか)の 八(や)つの聞(き)こえに  
現(あら)はれて 祈(いの)れもがも』と  
御裳裾(みもすそ)の 民(たみ)お撫(な)でつつ  
『清雄鹿(さをしか)の 清(きよ)きに神(かみ)は  
あり』と答(こた)えき    
 返(かえ)し 祝詞歌(のとうた)  
人(ひと)常(つね)に 神(かみ)に向(むか)はば  
世(よ)の身々(みみ)の 垢(あか)は天元(あもと)の  
清雄鹿(さおしか)に 清(きよ)め給(たま)ひて  
精奇城(さこくし)の 恩頼(ふゆ)の鏡(かがみ)に  
入(い)ると思(おも)ゑば    
また猿田彦(さるた) 『昔(むかし)授(さづ)くる  
逆矛柱(さかほこぎ) 美しき鈴 天逆矛柱のこと
地活(わいき)き太刀(たち) カカンノンデン 「カカン」とは篝火(かがりび)
「ノン」とは祝詞(のりと)
「テン」とは手振り(てぶり)
の訛音とする説を松本善之助氏は述べている。 〔序-註58 上巻P181〕〔14-2〕も参照。
時(とき)待(ま)ちて 道(みち)顕(あら)はせよ』  
また后(きさき) 『広田宮(ひろた)に行(ゆ)きて  
和歌姫(わかひめ)と ともにヰ心(ごころ)  
守(まも)るべし われは豊受神(とよけ)と  
ヲセお守(まも)る 伊勢(ゐせ)の道なり』  
また天児屋根(こやね) 『汝(なんじ)良(よ)く知(し)る  
竹子姫(たけこ)が子(こ) 奇彦(くしひこ)生(う)まれ  
直(す)ぐなれば 授(さづ)く御矛(みほこ)に  
鑑(かんが)みて 三諸山(みもろ)に入りて 竹子姫の子・奇彦は授けた逆矛を持って三諸山(三輪山)に窟に入り、時を待っている。
時(とき)待つも 道(みち)衰(おとろ)はば  
また出(い)でて 興(おこ)さんためや それも天の道が衰えるようなときは、また生まれ変わって道を復興させるためである。
汝(なんじ)また 鏡(かがみ)の臣(とみ)は  
軽(かろ)からず 神(かみ)お都(みやこ)に  
留(とど)むべし われも守(まも)らん  
これなり』と 御世(みよ)の御衣箱(みはばこ) 御在世朝政の御装束一箱
御璽(みをしで)と 『汝(なんじ)春日(かすが)よ  
遺(のこ)し物(もの) 多賀宮(たが)に持ち行(ゆ)き
捧(ささげ)げよ』と 親(みづか)らこれお  
授(さづ)けます 春日(かすが)は君(きみ)に  
奉(たてまつ)る 神の璽(をして)と 鵜葺草葺不合尊へ奉った。
清雄鹿(さおしか)の 冠(かんむり)と衣裳(はも)は  
菊散錦(ここちり)ぞ 行幸(みゆき)の神輿(みこし)  
真名井(まなゐ)にて 天照神(あまてるかみ)は 紀元前60,674年
大濡煮尊の御代から2,940,031年
猿田彦命に穴を掘らせてから30年後に元伊勢内宮で神上がり。
内(うち)つ宮(みや) 豊受(とよけ)は外宮(とみや)  
故(かれ)春日神(かすが) 送りてのちは  
勤(つと)め降(お)り 三笠社(みかさやしろ)の  
魂(たま)返(かえ)し 国(くに)治(をさ)まれば  
枯(か)れも無し 政(まつり)の紋(あや)お  
三(み)つ染(そ)めて 一つ持ち行(ゆ)きて  
日読みなす 天二枝命(ふたゑ)に授(さづ)け  
御裳裾(みもすそ)の 精奇城(さこくしろ)宇治(うぢ) 精奇城宇治を改めて、天照神の「内つ宮」と称する。
改(あらた)めて 天照神(あまてるかみ)の  
内(うち)つ宮(みや) 八百(やも)仕(つが)ふ神  
侍(はんべ)りて 胙(ひもろぎ)捧(ささ)げ  
天(あ)に応(こた)ふ 伊勢(ゐせ)の道(みち)受(う)く  
神臣(かんとみ)の 仕(つか)ふ神(かみ)らが  
侍(はべ)るゆえ 内侍所(うちはべどころ)  
春日神(かすが) 太祝詞(ふとのりと)事(こと)お 内侍所に天児屋根命が仕え、太祝詞を掌る。
掌(つかさど)るかな    
六万年 経(へ)て去年(こぞ)尽(つ)きる 紀元前705年
大濡煮尊の御代から3,000,000年
鈴木の折鈴。
折鈴(さくすず)ぞ