安井川の大荒比古神社【1】トップページ|滋賀県

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滋賀県高島市新旭町安井川844( いつもNAVIによる広域地図
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 平成22(2010)年5月2日(日)の参拝は白鬚神社から

白鬚神社音玉川(小田川)大炊神社
与呂伎神社布留神社新旭町の太田神社青柳の太田神社大荒比古神社
箕島神社安閑神社安曇川上古賀の熊野神社国狭槌神社
志呂志神社(しろし)天皇橋第26代継体天皇の胞衣塚波爾布神社(はにふじんじゃ)

かつて日高見国の機能の一部が置かれていたのだろうか・・

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)

 常世については、いく通りかの解釈があるらしい。

 第一は「常世」を日高見国と狭義に解し、「井の口」をその日高見の某所とする考え方。
 第二は、小笠原通當が『秀真政伝』において、「井の口」を「近江国高嶋郡猪口村」と比定したことに基づき、「井の口」を近江国とする考え方。
 この場合は「常世国」を広義に解し、国常立尊の常世の道の政治風儀を伝えた土地とする考え方、あるいは、「常世」を国常立尊の常世の道の政事が行われていた大濡煮尊の御世とする考え方などが導き出せる。
 小笠原通當が『秀真政伝』において触れている井の口には、延喜式内の大荒比古神社があるので今回の参拝となった。

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)

 ただし、大荒比古神社に祀られている祭神は豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子)、大荒田別命(崇神天皇の四世孫)二座に、後年、近江源氏佐々木の一族が合祀した少彦名命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王の四座である。

 祭神の豊城入彦命はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によると・・

 『日本書紀』によると、崇神天皇は豊城命(豊城入彦命)と活目尊(いくめのみこと、後の垂仁天皇)に勅して、共に慈愛のある子でありどちらを後継者とするか決めがたいため、それぞれの見る夢で判断すると伝えた(夢占)。
 豊城命は「御諸山(みもろやま)に登り、東に向かって槍(ほこ)や刀を振り回す夢を見た」と答え、
 活目尊は「御諸山に登り、四方に縄を張って雀を追い払う夢を見た」と答えた。
 その結果、弟の活目尊は領土の確保と農耕の振興を考えているとして位を継がせることとし、豊城命は東に向かい武器を振るったので東国を治めさせるために派遣された(崇神天皇48年正月戊子(10日)条)。

○陵墓・霊廟については不明であるが、

 群馬県前橋市の総社二子山古墳は、明治3年(1870年)まで、陵墓参考地として墓丁が置かれていたという。
 また、同市の大室古墳群とする説もある。
 茨城県石岡市には同市の丸山古墳がそうであるとの伝承が残っている。

 上記引用にある豊城入彦命(豊城命)に東国統治を託すという崇神天皇の夢占いの意味合いに

 日高見国の役割の一つであった司法・警察権を実行するという意味合いがあった可能性を読み込むことができるのなら、「豊城入彦命(豊城命)」に日高見国を象徴させている可能性も否定し難い。

 天(火の国)の動きは地(水の国)の動きに顕れ、水の国の荒を治めるのが日高見国の役割の一つだった。

 天照神が誕生するとき、豊受大神は奈良県の葛城山の高天原で天照神の誕生を祈られたが、豊受大神より前の時代に「奈良県の葛城山の高天原」と同じような性質の場所が大荒比古神社周辺にもあったのかもしれない。
 日高見国が失われるとき、大荒比古神社周辺にあった日高見国の機能も失われてしまったのかもしれない。

 豊城入彦命(豊城命)に、失われた日高見国の役割を託されていたと解することができるのなら、

 その子孫が、かつて日高見国の機能があった大荒比古神社周辺を探し当て、豊城入彦命(豊城命)を祀っていったのかもしれない。
 豊城入彦命(豊城命)は、「滋賀県高島市マキノ町浦627」の大荒比古神社・鞆結神社(おおあらひこじんじゃ・ともゆいじんじゃ)にも祀られている。
 後年、近江源氏佐々木の一族が少彦名命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王の四座を合祀しているが「記憶の想起」という観点からみれば、少波神との関連があるのかもしれないが、現地に何らかの伝承があってしかるべきだと思う。

 御機の二「天七代(あめななよ)床神酒(とこみき)」紋(鳥居礼編著、八幡書店、上巻P471-472 )より

  笹気(ささけ)は常世(とこよ)  笹気は酒のこと。
 竹(笹)に雀が籾(もみ)を入れるのを見て作ったことに因った名。
 後世「ササ」ともいう。
 『秀真政伝』に「故実を以、今に酒造家に新酒出来のしるしに門に、竹笹を建なり」とある。
 常世については、この場合いく通りかの解釈が成り立つ。
 第一は「常世」を日高見国と狭義に解し、次行の「井の口」を、その日高見の某所とする考え方。
 第二は、小笠原通當が『秀真政伝』において、「近江国高嶋郡猪口村」と比定したことに基づき、「井の口」を近江国とする考え方。
 そのときに、「常世国」を広義に解し、国常立尊の常世の道の政治風儀を伝えた土地とする考え方、あるいは、「常世」を国常立尊の常世の道の政事が行われていた大濡煮尊の御世とする考え方などが導き出せる。
井(ゐ)の口(くち) 少波神(すくなみかみ)の  小笠原通當は『秀真政伝』において、「近江国高嶋郡猪口村」、現在の滋賀県高島市新旭町安井川井之口にこれをあてるが、本書の文脈からは単純に近江井の口と断定しがたい。
 なお、この井の口には、延喜式内の大荒比古神社がある。
 ただし、祭神は豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子)、大荒田別命(崇神天皇の四世孫)二座に、後年、近江源氏佐々木の一族が合祀した 少彦名命、仁徳天皇、宇多天皇、敦実親王の四座であり、少波神との関連はほとんどうかがうことができない。
竹株(たけかぶ)に 雀(すずめ)が籾(もみ)お 『秀真政伝』に「少名味神大竹を好みて藪を造玉ふに或秋稲かふじを雀が竹切り株に入りて酒を造りて呑しを准考て麹を造りて竹筒に入り初めて酒を造玉ふ」
入(い)るお見て 神酒(みき)作(つく)り初(そ)め  
勧(すす)めけり 桃雛木尊より  
笹波神(ささなみ)と 名(な)お賜(たま)ふより 笹波神は〔註99〕を参照
名も笹気(ささけ) その神(かみ)居(い)ます  
笹気山(ささけやま) 九九(ここ)の酌(くみ)とは 笹気山は〔註100〕を参照
九九(ここ)の酌(くみ)とは、三々九度のこと。
三月三日(やよいみか) 盃(さかつき)生める 盃は逆月のこと
神の名も 雛岳(ひながたけ)神とぞ 桃雛木・桃雛実二尊のこと。
讃(たた)ゆなりけり」    

本殿

丹生川上神社上社 (にゅうかわかみじんじゃかみしゃ)の本殿

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)

ご祭神

豊城入彦命(崇神天皇の第1皇子)
大荒田別命(崇神天皇の四世孫)

【相殿】

少彦名命
仁徳天皇
宇多天皇
敦実親王

本殿を角度を変えて撮影

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)

神社の入り口にあった

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)

安井川の大荒比古神社(おおあらひこ)の地図

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