平成22(2010)年5月2日(日)の参拝は白鬚神社から
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国狭槌命とは国常立尊の八降りの「トホカミヱヒタメ八神」の称え名
御機の二「天七代(あめななよ)床神酒(とこみき)」紋の【2】国常立尊の常世国から3代治まるによると、
「国狭槌命」とは国常立尊の八降りのトホカミヱヒタメ八神の称え名。「狭霧の道」国常立尊の常世の道に次ぐ道。
『三笠紀』残篇「高天原成る紋」に
「御祖神 幣染むる 春秋の 息は管より 狭霧なす ヱは譲る霧 日お招き 冬一陽返す トは夏に 月の陰返す 春秋ぞ 天譲る日は 天の狭霧 国譲る月 埴の狭霧 てれば讃ゆる 御中主神 天霧に乗りて 八方に行き 日月の道お 譲り埴に 県の神の 色国と 名付け天の道 埴の道も 葦のごとくに 立つゆえに」(み6-10)
とあり「天(あ)の狭霧」と「天(あ)の道」「埴(は)の道」などの言葉がみえる。
小笠原通當の『秀真政伝』に「サギリノミチオ、とハ八神道と申す事なり。天御祖神の御勅命を申なり。
天の命を教えても受けずして、盗人を成し或ハ悪魔を成ものハ、椿の狭槌を以打殺して、国を治めよとの御勅命なり」と記されている。
この天御祖神の教えの伝承により、伊弉諾尊・伊弉冉尊は矛を以て国を治め、天照神は八重垣剣を作らせて国を治めた(23紋など参照)。
そういう神社が高島市にあるところが高島市のスゴサだ。
本殿ならびの摂社
ご祭神
国狭槌命国狭槌神社の標と鳥居
国狭槌神社の鳥居
下小川の国狭槌神社の地図
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