平成21(2009)年5月5-6日(火・水)、京都市で周った神社
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魔王尊、650万年前に金星から地球に・・鞍馬寺(くらま)のトップページ
鞍馬寺の金堂
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
鞍馬寺の草創については、『今昔物語集』、『扶桑略記』など諸書に見られ、延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人という人物が毘沙門天と千手観音を安置して創建したとされている。しかし、寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)には別の草創縁起を伝えており、鑑真の高弟鑑禎(がんてい)が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。
鑑禎(がんてい)は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少であった。
宝亀3年(772年)のある夜、鑑禎(がんてい)は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。
霊山を尋ねて出かけた鑑禎(がんてい)は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。
その山が鞍馬山であった。
山に入った鑑禎(がんてい)は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎(がんてい)はこれを祀る一寺を建立したという。
この鑑禎(がんてい)の話は『鞍馬蓋寺縁起』以外の書物には見えず、どこまで史実を伝えるものかわからない。ただし、清水寺の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建にかかわったとしている点は注目される。
その後、延暦15年(796年)、官寺である東寺の建設主任であった藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音を祀る寺を建てたいと考えていた。
伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂があった。
「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」
と伊勢人はいぶかしがった。
ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、
「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」
と告げた。
こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置したという。
ご祭神
尊天・・・毘沙門天王(中央に)
千手観世音菩薩(向かって右)
護法魔王尊(向かって左)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からの引用
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。
「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。
また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」、
千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」
魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」
・・・としている。
鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。
「尊天」のひとり、「護法魔王尊」とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという。
【地図】貴船神社の周辺
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