毛谷黒龍神社(けやくろたつ)【1】トップページ|福井県

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福井県福井市毛矢3-8-21 (広域地図はこちら
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九頭龍の伝承に関わる神社は・・

善知鳥神社(青森県青森市)
能生白山神社(新潟県糸魚川市)関山神社(新潟県妙高市)九頭龍社(長野県長野市)
神奈川県箱根芦ノ湖畔にある九頭龍神社(本宮)神奈川県箱根神社境内地にある九頭龍神社(新宮)
平泉寺白山神社(福井県)舟橋の黒龍神社(福井県)毛谷の黒龍神社(福井県)天魔ヶ池(福井県)
三井寺の九頭龍(滋賀県大津市)

 平成21(2009)年5月3-4日(日・月)、福井県福井市で周った神社

黒龍神社(舟橋)柴田神社藤島神社天魔ヶ池継体天皇の立像足羽神社毛谷黒龍神社

九頭龍に関連して・・

 立山に祀られている椋杵命(伊邪那岐尊の弟)の娘・持子は九頭龍の転生であった。
 神代の時代、九頭龍の転生であった持子は天照神との間にある男子を産んだ。
 神代が崩壊していくときに九頭龍や高龗神(たかおかみのかみ)は決定打ともいえる役割を果たしているらしい。
 ところが、九頭龍湖あるいは九頭龍川という地名がある福井県おいて、九頭龍が、長野県の戸隠九頭龍社や神奈川県の箱根九頭龍神社のように鮮明に語られることがない。
 なぜだろうか?

【九頭龍川周辺の関連神社】   平泉寺 白山神社黒龍神社(くろたつ)毛谷黒龍神社(けやくろたつ)

福井県で九頭龍の存在を伝える神社は・・

毛谷黒龍神社全景〜天魔ヶ池(足羽山)の東側にある・・

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)拝殿

 九頭龍の由来を調べているとき、「越前名蹟考」の由来書きを目にしました。

- - - - <   ここから「 九頭竜川(1) 」というサイトからの引用です ∞ - - →

 寛平元年(889)6月、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現して、尊像を川に浮かべました。
 すると九つの頭を持った竜が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒竜大明神の対岸に泳ぎ着きました。
 以来、この川を「九頭竜川」と呼ぶようになったということです。

    ← - - - - ∞ ここまで 「 九頭竜川(1) 」というサイトからの引用です。 > - - - - - - -

 「越前名蹟考」の伝承の背後には、平泉寺白山神社周辺で九頭龍が子胤を授かった可能性があるのではないか、と指摘しました。
(※)参考 → 「越前名蹟考」に記載されている平泉寺白山神社の九頭龍

 そしてさらに、九頭龍が流れ着いた可能性のある舟橋町の黒龍神社 (くろたつ)周辺で九頭龍の子が生まれた可能性を指摘しました。
(※)参考 → 「越前名蹟考」に記載されている平泉寺白山神社の九頭龍

 九頭龍の子は足羽山(あすわ)周辺で育ったのかも知れないのです。

 九頭龍と黒龍大明神は大いに関係ありそうなのです。

 黒龍大明神の祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)です。
 闇龗神(くらおかみのかみ)は、伊邪那岐命が迦具土神(かぐつちのかみ)を斬った御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血になった神ですので神の出自が明らかなのですが、高龗神(たかおかみのかみ)の出自はここでも不明なままです。

 黒龍大明神に所縁がある毛谷黒龍神社(けやくろたつ)は足羽山(あすわやま)の東麓にあります。

 黒龍大明神をおって足羽山(あすわやま)を調べていると、「天魔ヶ池」という池があることを知りました。
 足羽山(あすわやま)とは、継体天皇を祀る足羽神社(あすわ)がある山です。
 しかも、後醍醐天皇の建武の中興を支えた新田義貞を祀る藤島神社もあり、極めて由緒正しい山なのです。
 「天魔ヶ池」はその足羽山(あすわやま)にあります。
  → http://www.fukui-rekimachi.jp/b_jinbutu/d_sibata.html

 足羽山(あすわやま)の東麓ある毛谷黒龍神社、自然博物館の西南10メートルに天魔ヶ池がある


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 九頭龍が渡っていった場所にどうして、「天魔」という名前でよばれているのかとても関心がわきました。

「福井市商工労働部歴史のみち整備推進課」の方に質問してみました(2009年1月19日 17:22の質問メール)。

 返答は次のようでした。

- - - - <  返信のメール ここから、途中意訳しています ∞ - - →

 「天魔ヶ池」の由来ですが、角川書店発行の「日本地名大辞典」によりますと、
天魔ヶ池(天蓋が池ともいう)の名は、中世朝倉氏の時代、空に天蓋がかかっていたのを、寺宝院(現西木田3丁目)の僧が祈祷しておろしたことに由来する、
とのことです。
「福井市商工労働部歴史のみち整備推進課」の担当の方から2009年1月20日 9:15に返信

    ← - - - - ∞ ここまで 返信のメールです > - - - - - - -

「空に天蓋がかかっていたのを、 寺宝院(現西木田3丁目)の僧が祈祷しておろした」
という説明は、とても面白いと思いました。
 しかし問題は・・
 何故「空に天蓋がかかっていた」のかにあります。
 現在「天魔ヶ池」と呼ばれているように、
天魔」が出てくる場所だから「天魔」が出てこないように「空に天蓋がかかっていた」と解するほうが自然です。

 越前(福井県)では「天魔」という存在が自覚されていたのかもしれません。

 「天魔」と高龗神(たかおかみのかみ)の何らかの関係が想像できるのではないかと思います。

 毛谷黒龍神社の階段の下から・・

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)

 実際、「天魔ヶ池」という存在を知ってから、 天魔 = 地の側で高龗神(たかおかみのかみ)と祀り代える

 という関係で捉えたほうが、実にいろんなことを整合的に説明できるようになったと思います。
 地の側で祀り代えた高龗神(たかおかみのかみ)の働きが善的作用になるように、闇龗神(くらおかみのかみ)がサポートに入ったのです。

 こういう流れで考えると、

 高龗神(たかおかみのかみ)とは、単独神で祀られてはいけない神だったのかもしれません。
 いや必ず、相殿の神を祀らなければならなかったのかもしれないのです。
 相殿の神として、闇龗神(くらおかみのかみ)・罔象女神(みずはのめかみ)・大山衹神(おおやまずみのかみ)・大雷大神(おおいかつちのおおかみ)・迦具土神(かくつちのかみ)・火結神(ほむすびのかみ)が祀られるのが多いのですが、なぜこういう神々が相殿の神になるのか、については下記のページを参考にしてください。

 (参照)高龗神(たかおかみのかみ)とはどういう神か?

 足羽山(あすわやま)のような根の国の急所のようにみえる場所に「天魔」が、「天魔」そのものの存在として住み着いていたことになります。
 「天魔」の存在を鑑みた場合、毛谷黒龍神社とは極めて重大な使命を帯びた神社である、と思えます。

 毛谷黒龍神社の南側道路上から・・

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)

毛谷黒龍神社の本殿

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)本殿

ご祭神

 高龗大神(たかおかみ)
 闇龗大神(くらおかみ)
 継体天皇

毛谷黒龍神社の拝殿

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)扁額

毛谷黒龍神社(けやくろたつ)

同境内にある西宮恵比寿神社

西宮恵比寿神社

【地図】足羽山周辺図

【地図】足羽山周辺図