平泉寺白山神社に伝わる九頭龍【1】ここだけは紹介しておきたい!|福井県

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福井県福井市足羽上町147(広域地図はこちら
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 平成21(2009)年5月3-4日(日・月)、福井県福井市で周った神社

天魔ヶ池継体天皇の立像足羽神社藤島神社毛谷黒龍神社黒龍神社(舟橋)柴田神社

 九頭龍に関連して高龗神(たかおかみのかみ)の追求は必須でした

高龗神(たかおかみのかみ)とはどういう神なのか?

「越前名蹟考」に記載されている平泉寺白山神社の九頭龍 トップページ

「越前名蹟考」に記載されている平泉寺白山神社の九頭龍

 九頭龍の由来を調べているとき、「越前名蹟考」の由来書きを目にしました。

- - - - <   ここから「 九頭竜川(1) 」というサイトからの引用です ∞ - - →

 寛平元年(889)6月、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現して、尊像を川に浮かべました。
 すると九つの頭を持った竜が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒竜大明神の対岸に泳ぎ着きました。
 以来、この川を「九頭竜川」と呼ぶようになったということです。

    ← - - - - ∞ ここまで 「 九頭竜川(1) 」というサイトからの引用です。 > - - - - - - -

 「越前名蹟考」は、平泉寺白山神社の白山権現に関係して九頭龍のことを語っています。
〔レ〕寛平元年(889)6月、平泉寺の白山権現が尊像を川に浮かべたこと。
〔レ〕九頭龍がその尊像を頂くように川を流れ下ったこと。
〔レ〕九頭龍が対岸の黒龍大明神(舟橋の黒龍神社だろうと思われます)に流れ着いたこと。
 ・・の3点です。

 上の3点に関連して、滋賀県の三井寺の閼伽井屋に伝わる九頭龍伝承から読み込むと・・・

〔レ〕平泉寺の白山権現の尊像を頂いた九頭龍は、舟橋の黒龍神社(福井県)から、足羽山の毛谷黒龍神社(福井県)を通り、滋賀県の三井寺の閼伽井屋(滋賀県大津市)に渡って行った、
 ・・と読み込めるのではないかと思います。

 九頭龍の伝承は各地に残っています。

善知鳥神社(青森県青森市)
能生白山神社(新潟県糸魚川市)関山神社(新潟県妙高市)九頭龍社(長野県長野市)
神奈川県箱根芦ノ湖畔にある九頭龍神社(本宮)神奈川県箱根神社境内地にある九頭龍神社(新宮)
平泉寺白山神社(福井県)舟橋の黒龍神社(福井県)毛谷黒龍神社(福井県)
九頭龍が住んでいる三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」(滋賀県大津市)

 しかし、どこでどういう風に誕生したかについて触れているものは皆無です。

九頭龍はどの時代に、どこで生まれたか・・

 九頭龍と高龗神(たかおかみのかみ)の誕生は、ビックバーン以前であることについては違う論考で指摘してきました。
 現在の宇宙は、九頭龍と高龗神(たかおかみのかみ)の台頭によって崩壊した太陽宇宙の再生を目的とした宇宙です。
 つまり、九頭龍や高龗神(たかおかみのかみ)の影響を神々が克服するための宇宙です。
 ビックバーン以前の太陽宇宙との相応の理によって、九頭龍や高龗神がこの日本で誕生した場所、あるいは降臨した場所があるはずです。

 その場所が、白山周辺である可能性が高い。

 白山周辺で九頭龍について記録を留めているのは、「越前名蹟考」くらいしかなさそうなのですが、その記録と残されている神社の位置を目安に九頭龍誕生地を推定すると、九頭龍は平泉寺白山神社より上流の九頭竜川で誕生しているのではないかと思えます。
 元伊勢伝承の残る神明神社 鎮座跡と、竜宮城伝承の残る白馬洞(竜宮伝説がある)が合流して九頭竜川をなしてくる穴馬神社周辺で生まれたと思えています。

 九頭竜川の流れに落とされた尊像は、九頭龍(持子)の子胤を暗示しているかも知れません。

 つまり、平泉寺白山神社周辺で子胤が落とされ、舟橋の黒龍神社(福井県)で生み上げられた。
 そして、九頭龍の子は、足羽山の毛谷黒龍神社(福井県)周辺で育った。

九頭龍と黒龍大明神は大いに関係ありそうです

 黒龍大明神を祀る舟橋の黒龍神社(福井県)の祭神は、高龗神(たかおかみのかみ)と闇龗神(くらおかみのかみ)です。
 闇龗神(くらおかみのかみ)は、伊邪那岐命が迦具土神(かぐつちのかみ)を斬った御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血になった神ですので神の出自が明らかなのですが、高龗神(たかおかみのかみ)の出自はここでも不明なままです。

 ここまで高龗神(たかおかみのかみ)の出自が不明だと・・

 当初明らかだった高龗神(たかおかみのかみ)の出自は、時間の経過とともに失われるに任せた、という表現が正確かもしれません。
 高龗神(たかおかみのかみ)の出自に関する伝承が残ってしまうと、「忌み嫌う気持ち」を「忌み嫌う」「気持ち」が生じる可能性があったからなんだろうと思います。
 これでは、いつまで経っても太陽宇宙の崩壊(ビックバーン)をもたらした「忌み嫌う気持ち」(高龗神)の影響を克服することが出来ないままになってしまう。

 高龗神(たかおかみのかみ)の出自は、解るべきものだけが解ればいい性質のものだったのです。

 黒龍大明神が渡って行った場所といわれる毛谷黒龍神社(けやくろたつ)は足羽山(あすわやま)の麓にあります。
 足羽山(あすわやま)を調べていると、「天魔ヶ池」という池があることを知りました。
 足羽山(あすわやま)とは、継体天皇を祀る足羽神社(あすわ)がある山です。
 しかも、後醍醐天皇の建武の中興を支えた新田義貞を祀る藤島神社もあり、極めて由緒正しい山なのです。
 「天魔ヶ池」はその足羽山(あすわやま)にあります。

 (※)参考サイト→ http://www.fukui-rekimachi.jp/b_jinbutu/d_sibata.html

天魔と高龗神(たかおかみのかみ)、そして九頭龍

 九頭龍が渡っていったと思われる場所にどうして、「天魔」という名前でよばれている場所があるのかとても関心がわきました。

「福井市商工労働部歴史のみち整備推進課」の方に質問してみました(2009年1月19日 17:22の質問メール)。

 返答は次のようでした。

- - - - <  返信のメール ここから、途中意訳しています ∞ - - →

 「天魔ヶ池」の由来ですが、角川書店発行の「日本地名大辞典」によりますと、
天魔ヶ池(天蓋が池ともいう)の名は、中世朝倉氏の時代、空に天蓋がかかっていたのを、寺宝院(現西木田3丁目)の僧が祈祷しておろしたことに由来する、
とのことです。
「福井市商工労働部歴史のみち整備推進課」の担当の方から2009年1月20日 9:15に返信

    ← - - - - ∞ ここまで 返信のメールです > - - - - - - -

「空に天蓋がかかっていたのを、 寺宝院(現西木田3丁目)の僧が祈祷しておろした」
という説明は、とても面白いと思いました。
 しかし問題は・・
 何故「空に天蓋がかかっていた」のかにあります。
 現在「天魔ヶ池」と呼ばれているように、
天魔」が出てくる場所だから「天魔」が出てこないように「空に天蓋がかかっていた」と解するほうが自然です。

 越前(福井県)では「天魔」という存在が自覚されていたのかもしれません。

 「天魔」と高龗神(たかおかみのかみ)の何らかの関係が想像できるのではないかと思います。

 実際、「天魔ヶ池」という存在を知ってから、

  天魔 = 地の側で高龗神(たかおかみのかみ)と祀り代える
 という関係で捉えたほうが、実にいろんなことを整合的に説明できるようになったと思います。
 根の国の大事な山の急所といえるような場所に「天魔」が、「天魔」そのものの存在として住み着いていたことになります。
 (※)参考 → 福井県の九頭龍

九頭龍は子育てを終え、滋賀県の大津市に渡っていきます

 九頭龍は、
〔1〕穴馬神社(福井県)周辺で生まれ、
〔2〕祭神が伊邪那美命である平泉寺白山神社(福井県)で子胤を得、
〔3〕舟橋の黒龍神社(福井県)で子を生んで、
〔4〕足羽山の毛谷黒龍神社(福井県)周辺で子を育ててから、
〔5〕祭神が伊邪那岐命である三尾神社(滋賀県大津市)のすぐ近くにある三井寺の閼伽井屋(滋賀県大津市)
 ・・に渡って行ったのかも知れないのです。