平成21(2009)年5月5日(火)、滋賀県大津市で周った神社
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金堂の裏に、九頭龍が住んでいると伝えられる三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」
九頭龍が住んでいると伝えられる三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」
金堂の弥勒さまにお供えされてきた三井の霊泉と九頭龍神
金堂の近くには天智・天武・持統の三帝が産湯に用いたという三井の霊泉があります。古来より閼伽水として金堂の弥勒さまにお供えされてきました。古記には、この泉に九頭一身の龍神(九頭龍)が住んでおり、年に十日、夜丑の刻に姿を現わし、金の御器によって水花を金堂弥勒に供えるので、その日は泉のそばに参ると「罰あり、とがあり」といわれ、何人も近づくことが禁じられていたという話が伝わっています。
上の記述は三井の霊泉と九頭龍神からの引用です。(→平成21年10月17日にPDFに保管)
三尾神社から「三井の霊泉」までが大津シノ宮と推定される
→ 詳しくは、大津シノ宮を探せ!
第一次天孫降臨から26万年後の紀元前1,290,607年の第二次天孫降臨のとき、瓊々杵尊は梅、桜、卯の花を折りかざして進んでいくのだが、「卯の花」に関連した場所に「大津シノ宮」があったらしい。紀元前1,290,607年に、瓊々杵尊は瑞穂の仮宮を造営されている。
3万年ほどして、天之忍穂耳尊が箱根で神上がられてから比叡山の造成を行った。
そして、紀元前1,086,682年、別雷(わけいかつち)の天君(あまきみ)は
「深き思ひの あるにより」
瑞穂の仮宮を瑞穂宮として造営するとき、鵜川宮と大津シノ宮も造営され、彦火々出見尊は大津シノ宮を賜った。
大津シノ宮という名称が登場するのはこれが最初である。
大濡煮尊の御世から251万1千60年経た紀元前489,645年に彦火々出見尊と豊玉姫は大津シノ宮で神上がられた。
大津シノ宮として伝承されている場所は失われている。
しかし、残されているわずかな記録から推定すると三尾神社(滋賀県大津市)周辺から三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」(滋賀県大津市)辺りが大津シノ宮であろう。(1)伊邪那岐尊からみて・・
白山中居神社(岐阜県)(第二次天孫降臨のルート推定地)に伊邪那岐尊の伝承が残っていること、三尾神社(滋賀県)(第二次天孫降臨のルート推定地)にも伊邪那岐尊の伝承が残っていること
・・の2点を照応させると、第二次天孫降臨の瓊々杵尊は伊邪那岐尊の何らかの伝承の跡を追っている可能性がある点。
(2)伊邪那美尊からみて・・・
平泉寺 白山神社に伝わる伊邪那美尊と九頭龍伝承からみて・・九頭龍は、穴馬神社のある九頭竜湖周辺で生まれ、
平泉寺 白山神社で子胤を得、
舟橋町の黒龍神社 (くろたつ)で子を生んで、
毛谷黒龍神社(けやくろたつ)で子を育ててから、
三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」に渡っていった
・・と推測できること。
参考 → 「越前名蹟考」に記載されている平泉寺白山神社の九頭龍
以上の2点から、瓊々杵尊の第二次天孫降臨における、白山宮から瑞穂の仮宮を造営し多賀宮に至る行程は、伊邪那岐尊・伊邪那美尊の史跡と九頭龍の痕跡をたどるものになっていた可能性を感じる。よって、大津シノ宮は、伊邪那岐尊の伝承が残る三尾神社(滋賀県大津市)から、九頭龍の伝承が残る三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」(滋賀県大津市)辺りと私は推定している。
大津シノ宮でも、九頭龍に対して戸隠神社(長野県)や箱根九頭龍神社(神奈川県)のような祭り方をしていたのだろう。
下の神社が、日本各地で九頭龍に関連する神社です。
| 能生白山神社(新潟県糸魚川市) | 関山神社(新潟県妙高市) | 九頭龍社(長野県長野市) |
神奈川県箱根芦ノ湖畔にある九頭龍神社(本宮) | 神奈川県箱根神社境内地にある九頭龍神社(新宮)
| 平泉寺白山神社(福井県) | 舟橋の黒龍神社(福井県) | 毛谷黒龍神社(福井県) |
九頭龍が住んでいる三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」(滋賀県大津市)
閼伽井屋(おかいや)の説明
園城寺(おんじょうじ)閼伽井屋(おかいや)
閼伽井(おかい)とは、仏前に供養する水を汲む井のことで、閼伽井屋(おかいや)とはその覆屋(おおいや)として建てられたものです。建物は桁行(けたゆき)三間、梁間(はりま)二間、向唐破風造(むかいからはふうづくり)、檜皮葺の建物で、慶長5年(1600年)に金堂に引き続いて再建されました。金堂の西側、軒下に接して建つ閼伽井屋(おかいや)は向唐破風(むかいからはふう)の形式や付属する彫刻、かえる股などが美しく、桃山時代の特色をもっています。
内部には天智・天武・持統の三天皇の産水となり、三井寺の起こりとなった湧泉(ゆうせん)が石組の間から湧きでています。
明治39年(1906年)4月に国の重要文化財になりました。
大津市教育委員会平成6(1994)年3月31日
重要文化財 閼伽井屋(おかいや)
天智・天武・持統三帝御降誕の時、この井水をとって産湯とし玉体を祝浴されました。よって「御井」と云ふ。茲に園城寺(おんじょうじ)が建てられて俗に「三井寺」といわれた。
後、智証大寺三部灌頂の閼伽に用いてから「御井」を「三井」に改め寺号となる。
往昔、御所の御車寄を賜わり、閼伽井屋(おかいや)と理せられた。
正面上部には名匠左甚五郎作の龍の彫刻があり、夜な夜な琵琶湖に出て暴れるので目玉に五寸釘が打たれている。
屋根は大唐破風造で金堂の素木に対して?彩色を施してある。
閼伽井屋(おかいや)の中の「三井の霊泉」
左甚五郎作の龍の彫刻(目玉が五寸釘で打たれている)
左甚五郎作の龍の彫刻は、この上です。
むかし、この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れるため、甚五郎自ら眼玉に釘を打ち込み静めたと伝えられる。
むかし、この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れるため、甚五郎自ら眼玉に釘を打ち込み静めたと伝えられる。
三井寺の周辺図
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