近江神宮(おうみ)【1】トップページ|滋賀県

マピオン地図
滋賀県大津市神宮町1-1( マピオンによる広域地図
 ⇒ 公式サイトはこちらです。

 平成21(2009)年5月5日(火)、滋賀県大津市で周った神社

大津シノ宮を探せ!三尾神社長等神社天孫神社(近江_四之宮)関蝉丸神社(下社)
三井寺の金堂九頭龍が住んでいる三井寺・閼伽井屋の「三井の霊泉」三井寺の影向石近江神宮唐崎神社

近江神宮(おうみ)のトップページ

近江神宮(おうみ)の楼閣

近江神宮(おうみ)の楼閣

 天智天皇7年(667年)に、天智天皇が当地に近江京を営み、飛鳥から遷都とした由緒に因み、同天皇を祭神として創祀された。
 天智天皇が日本で初めて水時計(漏刻)を設置した歴史から境内には各地の時計業者が寄進した日時計や漏刻などを飾ってあり時計博物館が併設されている。
 中大兄皇子(天智天皇)は中臣鎌足らと謀り、蘇我蝦夷・蘇我入鹿親子を滅ぼすクーデターを起こす(乙巳の変)。
 叔父・孝徳天皇を即位させ、自身は皇太子となり、大化の改新の中心人物として様々な改革を行なった。
 また有間皇子など、有力な勢力に対しては種々の手段を用いて一掃した。
 百済が660年に唐・新羅に滅ぼされたため、朝廷に滞在していた百済王子・扶余豊璋を送り返し、百済復興を図った。百済救援を指揮するために筑紫に滞在したが、661年、斉明天皇が崩御した。
 その後、皇太子は長い間皇位に即かず称制したが、天智2年(663年)に白村江の戦いで大敗を喫した後、天智6年(667年)、大津へ遷都し、翌天智7年(668年)、天皇に即位した。
 なお、斉明天皇の崩御は661年である。
 斉明天皇崩御後に中大兄皇子は称制をとって暦が分かりにくくなっているが、日本書紀では越年称元(越年改元とも言う)年代での記述を採用しているため、崩御翌年の662年が天智元年に相当する。
 白村江の戦い以後は、国土防衛の政策の一環として水城や烽火・防人を設置した。
 また、冠位もそれまでの十九階から二十六階へ拡大するなど、行政機構の整備も行っている。
 即位後の670年には、我が国最古の全国的な戸籍「庚午年籍」を作成し、公地公民制が導入されるための土台を築いていった。
 天智天皇は、第一皇子・大友皇子に皇位を継がせたかったと日本書紀は伝える。
 しかし、天智の死後に起きた壬申の乱において同母弟・大海人皇子(天武天皇)が大友皇子に勝利して即位した。
 以降、天武系統の天皇が称徳天皇まで続く。

近江神宮(おうみ)の外拝殿と内拝殿

近江神宮(おうみ)の外拝殿

近江神宮(おうみ)の内拝殿

近江神宮(おうみ)の外拝殿

近江神宮(おうみ)の内拝殿と本殿

近江神宮(おうみ)の内拝殿と本殿

ご祭神

天智天皇

京都府から大津市までの拡大図

京都府から大津市までの拡大図