天照大神と須佐之男命の誓約(琵琶湖を挟んで) |「月の光」

目次

天之誓約のあらすじ( wiki から)

 伊邪那岐命が建速須佐之男命に海原の支配を命じたところ、建速須佐之男命は伊邪那美命がいる根の国(黄泉の国)へ行きたいと泣き叫び、天地に甚大な被害を与えた。

 この簡単な表現の仕方の中に、実は、大きな物語が秘められていた。

 何故、須佐之男命は根の国(黄泉の国)に行きたいと思ったのか?
 そもそも根の国(黄泉の国)とはどういうところなのか?
 須佐之男命が「泣き叫ぶ」と伝えているが、なぜ「泣き叫んでいたのか」
 須佐之男命の統治領域は海原であるのに、須佐之男命の統治領域を超えて、なぜ「天地」に甚大な被害を与えてしまうのか?
 この素朴な疑問は、『旧約聖書』「創世記」の冒頭2行の解読を進めていた私にとって、「創世記」と同じくらい難解な場所だった。

 「創世記」の冒頭2行

 〔1行目〕初めに、神は天地を創造された。
 〔2行目〕地は混沌であって
       闇が深淵の面(おもて)にあり、

      神の霊が水の面(おもて)を動いていた。

 「創世記」の第2行目の解読に、1995年から2005年までの10年を費やしている。
 量子物理学から、「創世記」第2行目と『古事記』の上の文に同じ水準の光を当てると、同じ状況を違う言語で表現しているということを発見した。
 2005年の秋口に解読できたときは、非常に嬉しかった。
 解読に成功したとき、神皇産霊神様から
「あなたが追及されたことを発表されてください」
 という要請を受けて文章化したのが『人生秘中の奥義書』だった。
『人生秘中の奥義書』の公開は、2006年7月までに公開するように」
 と発表時期まで区切られた要請だった。
 日本神話を量子物理学から切り込む切り口は当時ほとんどなかったので、斬新さがあった。
 2012年12月21日まで公開し、そしていろんなところでお話しさせていただいたが、量子物理学と神代の天照大神と須佐之男命以降に誕生された神々では知ることの出来ない領域の事柄に属していたので非常に難しかしい内容だったかもしれない。
 『古事記』と量子物理学を武器に、「創世記」は日本の神々が関わるテーマだと示そうとした大きな目的は、ヘブライ語を知らないことが弱点になって、達成したとは言い切れない状況で終わった。
 この弱点のため、話を前に進めることが出来なくなっていた。
 2017年5月14日に淡路島で行ったユダヤ遺跡の祭典で、ヘブライ語の『聖書』の研究を50年続けてこられた先生のご指導を受けられるようになって、この弱点は解消されようとしている。
 『人生秘中の奥義書』の発表から11年経って本来の使命として掲げた、世界の火薬庫である中東問題に、『古事記』をベースに関わっていくことが出来るようになりつつあるようだ。
 先生のご指導を得て、私が取り組んでいる今の作業を参考にすれば、『古事記』や『日本書紀』を知っている方は、すぐさま、『旧約聖書』や『聖書』のいわんとすることを解説できるようになるかもしれない。

「腹が減った」

「飯屋(メシヤ)に行こう」
 心の飢えを満たすのも「メシヤ」ではないのか?

「ヤベー(ヤハウエ〜ヘブライ語の神)ことをしちまった」

「もうあとがない(アドナイ〜ヘブライ語の神)ぞ」
 日本の何気ない言葉の中に、聖書のニュアンスが生きている国が日本だ。
 そういう国柄の日本人が『聖書』を語らないと、世界の『聖書』を信奉している方々の信仰に紛れが生じるだろう。

 話を『古事記』のあらすじに戻そう。

 伊邪那岐命は怒って
「それならばこの国に住んではいけない」
 と須佐之男命を追放した。
 須佐之男命は、姉の天照大神に会ってから根の国へ行こうと思い、天照大神が治める高天原へ昇る。
 ると山川が響動し国土が皆震動したので、天照大神は須佐之男命が高天原を奪いに来たと思い、武具を携えて須佐之男命を迎えた。
 須佐之男命は天照大神の疑いを解くために、宇気比(誓約)をしようといった。
 二神は天の安河を挟んで誓約を行った。
 まず、天照大神が須佐之男命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の三柱の女神(宗像三女神)が生まれた。
 この三姉妹の女神は、天照大神の神勅により海北道中(玄界灘)に降臨し、宗像大社の沖津宮、中津宮、辺津宮、それぞれに祀られている。
  多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖津宮に祀られる。
  多岐都比売命 - 中津宮に祀られる。
  市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。辺津宮に祀られる。
 次に、須佐之男命が、天照大神の「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」を受け取って噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の五柱の男神が生まれた。
  左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命
  右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命
  かづらに巻いている玉から天津日子根命
  左手に巻いている玉から活津日子根命
  右手に巻いている玉から熊野久須毘命
 これにより須佐之男命は
「我が心清く明し。故れ、我が生める子は、手弱女を得つ。」
 と勝利を宣言した。


 『霊界物語』(八幡書店刊、出口王仁三郎)第39巻から。

 地球において、肉体の具備されたる神の御出生ありしは、琵琶湖の竹生島からは、田紀理毘売命・市寸島比売命・狭依毘売命の三姫神、また蒲生からは天之菩卑命・天津彦根命・天之忍穂耳命・活津日子根命・熊野久須毘命の五彦神が御出生になった。これが世界における人類の始祖である。かく琵琶湖は神代史と密接な関係あるがゆゑに、沿岸付近の地名が「大祓祝詞」中に数箇所出ている。
 「大津」の地名もかくして読込まれたものである。

 『秀真伝』(八幡書店刊、鳥居礼 編著)御機の六、御機の七、御機の二十八 から

 天照神がみた夢、「十握の剣が三段に折れ、それを噛みに噛んで(相模という地名の由来か?)三つの玉とした」。そして、生れたのが竹子、湍子、田奈子の三姫。三つの玉の夢により、「タ」を付けた。

天照大神と須佐之男命がどこで天之誓約を行ったかを伝える文献はナシ

 天之誓約の時、天照大神が滋賀県蒲生郡安土町の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から佐々木山(沙沙貴山)に降り立ち、素盞嗚命が滋賀県高島市今津町酒波の青蓮山(せいれんざん)に降り立った、ということはどの文献にも記録されていない。

 私が日本各地を訪ねて、神様との勉強会を通じてようやく到達した結論である。

(※)神様を交えての勉強会。
 1995年6月にある老人の霊人が私の元に現れて、2週間に渡る教育を受けたのですが、私の元を立ち去るとき
「あと分らないことは神に尋ねよ」
「そなたが尋ねればどの神でも答えてくれるぞ」
 という言葉を残してくれていました。
 1995年6月以降、勉強は神様に質問しながら学んでいく、現在のスタイルになっています。

 天照大神と素盞嗚命の天之誓約をキッカケに、神が人体をもって現れてくる時代が始まった。
 天照大神様の岩戸隠れは、258万年前 → 天之機屋事件と天照大神の岩戸隠れ
 天照大神と須佐之男命の誓約は、300万年くらい前から280万年前の20万年間の出来事と推測出来る。
 この誓約の時代の前半は、まだ神が人体をもって現れる時代にはなっていない。
 この誓約の時代の後半に竹生島や蒲生で人体を持った神々が誕生し始めてきた。

天照大神と素盞鳴尊の誓約〜『新月の光』(八幡書店、木庭次守 編)上巻P332-

 天照大神と素盞鳴尊の誓約はカスピ海を中心に行われたのである。カスピ海以東アジアは天照大神の御領分、以西ヨウロッパは素盞鳴尊の御領分であったのでその中心で行われたのである。
 現今の琵琶湖は型である。
 伊邪那美命の後をうけて地教山即ちヒマラヤ山で治めていられた素盞鳴尊は、コーカス山へおいでになりヨーロッパ方面へおいでになって治めていられたのである。
 奥蒙古に行くと天照大神様そのままの服装を今でもやっているのである。
 (昭和17年10月12日 大本農園有悲閣にて)

(参照)『霊界物語』第15巻第10章「神楽舞」。第12巻第16章〜26章、第29章。

【天之誓約の時の蛇事件】蛇を踏んだのは、青蓮山と観音寺山(繖山-きぬがさやま)

 天之誓約の時、須佐之男命は滋賀県高島市今津町酒波の日置神社の背後にある青蓮山(せいれんざん)に降り立たれた。
 私たち家族が青蓮山(せいれんざん)を参拝したのは平成22(2010)年5月3日(月)だった。
 酒波寺の左脇の道路を車で登って行った。
 車で登っていって、奥の突き当たりの小さいスペースに駐車し、青蓮山に登ろうと引き返すと、子どもたちが
「小さい蛇が横たわっているよ」
「この蛇、苦しそうだよ」
 と小さい蛇を覗き込んでいる。
 どうやら私の車で、小さい蛇を踏んでしまったらしい。
 参拝を終え、青蓮山を降りてくると、この蛇の動きは無くなっていた。
 道脇に除いて、木の葉をかぶせた。
「今度生まれてくるときは山の神として生まれ変われるように」

 と祈った。

青蓮山(せいれんざん)

日置神社から 天之誓約の時、素盞嗚命が降臨された青蓮山(せいれんざん)

青蓮山(せいれんざん)

 眼下に見えてくる琵琶湖と竹生島をみて、天之誓約の場所であることを確信

琵琶湖と竹生島

高島市今津町の地図

 誓約のとき、天照大神は滋賀県蒲生郡安土町の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から滋賀県蒲生郡安土町の佐々木山(沙沙貴山)に降り立たれている。
 同じ旅行行程の平成22(2010)年5月5日(水)に観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕に向かったとき、ここでも蛇を踏んでしまった。
 観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の山道に入ってすぐ、道路を横切る大きな縄のようなモノが動いているのを発見。
 ブレーキを踏んだが間に合わず、前輪でゴトッ!、そして後輪でもゴトッ!と何かを踏んだ感覚がシッカリと残るほど大きい蛇だった。
 ルームミラーで後方を確認すると、クネクネと身を丸く丸くに激しく回転させながら道路わきに隠れていった。
 天之誓約に関わる須佐之男命の青蓮山と天照大神の観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の両方で蛇を踏んでしまったのだ。

 私はこれを天之誓約の時の蛇事件と呼んでいる。

八幡山(鶴翼山)からみる観音寺山〔繖山-きぬがさ〕から佐々木山

八幡山(鶴翼山)から撮影

 ↓観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の三角点からみる佐々木山(小中山・常楽寺山)

観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕より

 平成19(2007)年5月23日に、「神界を惑わした蛇」の姿を素盞嗚命に見せてもらっていたが、その蛇は天之誓約にも深く関わっていたようだ。
 問題の根は、天照大神と須佐之男命の天之誓約以前に存在していたのだ。
 天照大神と素盞嗚命の天之誓約では問題の所在を顕在化させるためのものだったのだろう。
 問題は根深くて、天之誓約をしたからハッキリする性質のものではなく、何万年も何万年も時の経過とともに明らかになっていく性質のものだったのだろう。
 天之機屋事件の結果から見てみると、300万年近い年月が必要とされる出来事だったのだ。
 参照 → 天之機屋事件と天照大神の岩戸隠れ

天之誓約の結果、生まれた神々

 天照大神と素盞嗚命が天之安川を挟んで天之誓約をした結果は・・
 まず、天照大神が須佐之男命の持っている十拳剣(とつかのつるぎ)を受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から三女神の神霊が竹生島に降臨(誕生)した。(須佐之男の御子神)
 多紀理毘売命 - 別名:奥津島比売命(おきつしまひめ)。沖津宮に祀られる。
 多岐都比売命 - 中津宮に祀られる。
 市寸島比売命 - 別名:狭依毘売命(さよりびめ)。辺津宮に祀られる。

 ↓三女神の神霊が降臨(誕生)した竹生島。

青蓮山(せいれんざん)から望む竹生島

青蓮山(せいれんざん)より

 次に、素盞嗚命は、天照大神が持っていた「八尺の勾玉の五百箇のみすまるの珠」受け取ってそれを噛み砕き、吹き出した息の霧から以下の5柱の男神が生まれた。(天照大神の御子神)
 左のみづらに巻いている玉から 正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ)
 右のみづらに巻いている玉から天之菩卑能命(アメノホヒ)
 かづらに巻いている玉から天津日子根命(アマツヒコネ)
 左手に巻いている玉から活津日子根命(イクツヒコネ)
 右手に巻いている玉から熊野久須毘命(クマノクスビ)
 の五男神の神霊が蒲生に降臨(誕生)した。

 ↓五男神の神霊が降臨(誕生)した痕跡が残る近江八幡市

安土山から八幡山方面を望む

安土山より

 天照大神は、後に生まれた男神は自分の物から生まれたから自分の子として引き取って養い、先に生まれた女神は素盞嗚命の物から生まれたから素盞嗚命の子だと宣言した。
 素盞嗚命は、
「自分の心が潔白だから私の子は優しい女神だった」
 といい、それを認め天照大神は素盞嗚命を許した。
 この天照大神と素盞嗚命の天之誓約は数万年に及ぶものであり、竹生島に降臨(誕生)した三女神が人類の始まりだったという。

5度の岩戸閉めとは?(磐戸・岩戸開きに向けて)

『 新版 ひふみ神示』下巻 所収

五十黙示録第二巻碧玉之巻第十帖より

 岩戸閉めの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、

    〜 略 〜

 次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追いやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役の神であるぞ。

    〜 略 〜

 素盞鳴命にも二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。一神で生み給える御神と、夫婦呼吸を合わせて生み給える御神と二通りあるぞ、間違えてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしていたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やり放題の世となったのであるぞ、これが五度目の大きな岩戸しめであるぞ。