マキノ町の大處神社(大処神社)【1】トップページ|滋賀県

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 平成22(2010)年5月3日(月)天之誓約で素盞嗚命は青連山(せいれんざん)に降り立ったのだろうか・・

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大處神社〔大処神社〕(おおところ)

大處神社〔大処神社〕(おおところ)
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』(八幡書店)の

 御機の二「天七代(あめななよ)床神酒(とこみき)」紋の〔註99〕笹波神(ささなみかみ)から

 少波神(すくなみかみ)の賜ったササナミという神名は、近江国高島郡川上荘酒波(現在滋賀県高島市今津町酒波)と関連するかもしれない。
 『高島郡誌』等の記すところによれば、当地にある旧郷社日置神社は、元酒波岩剱大菩薩と称されたとあり、酒波神(さなみかみ)との関連を推測せしめるに充分である。
 ただし、祭神は素戔嗚命・日置宿禰命・稲田姫命・武甕槌命・天櫛日命・大国主命・武内宿禰・源頼道公の八柱であり、笹波神(ささなみかみ)はみられない。
 また、日置神社の由緒に関しても『高島郡誌』には
 「縁起に云ふ、腹赤ノ池に大蛇あって人民を悩ます、第11代垂仁天皇(紀元前29年-紀元後70年--すいにんてんのう)の時、素盞鳴尊・稲田姫命示現あって退治し給ふ。
 其時の大蛇の尾より得たる剣を投げて留まりし里に岩剣の神と崇め、頭角を谷河に投げ入れ其流れ留まりし所を角山と号し角神を祀る。
 武内宿禰霊夢によりて社殿を創建する云々」
 と記すのみである。

大處神社〔大処神社〕(おおところ)

 なお、同郡百瀬村森西(現在高島市マキノ町森西)に所在する旧村社大處神社の境内社に酒波神社(元酒波大菩薩と称されたという)があり、祭礼の際に、笹粽(ささちまき)濁酒(にごりざけ)鮒(ふな)大豆大根漬けなどを献進するのを例としたと伝えられている。
 あるいは、この社の方に酒波神は関連するように思われないこともないが、同書によれば、貞和5年(1349年)酒波村より勧請されたとあるので、これでは時代が新しすぎて疑問である。
 今しばらく断定を差し控える。
 なお、酒波は、後世近江の国の一名とされ、和歌に詠まれた楽浪(佐々名実)という言葉とも関連するかもしれない。
 その点、注意を要する。

大處神社〔大処神社〕(おおところ)

 今回の平成22(2010)年5月3日(月曜日)の参拝で、向かって右にある大處神社の本殿で祝詞を奏上し、向かって左にある境内社・酒波神社で祝詞の奏上を始めると、
「岩剣大菩薩なり」
 といって不動明王のような、閻魔法王のような霊姿が右手に剣を立てて鎮座されている映像が飛び込んできた。
 祝詞奏上中、会社での出来事がシキリと脳裏をよぎっていく。
 会社での振る舞い方は、昨日(日曜日)の『龍馬伝』でみた山之内公の政治の差配の仕方を真似るようにということなのかもしれない。
 悪は伸びるのも早いが、枯れるのも早い。
 そういう物事の成長を見極めた差配の仕方は見事の一言につきた。
 物事には時流がある。
 尊皇攘夷派が力をもっているときは武市半平太が力をもち、公武合体派が台頭してくれば尊皇攘夷派は力を失う。
 しかし公武合体論は結実せず、公武合体論から倒幕論へ傾いていったのだ。
 時流は激変するということの証左かもしれない。

 こういう私の体験から酒波神社の祭神は岩剣大菩薩ということになった。

 酒波神社の祭神は、『高島郡誌』にいう大蛇の尾より得たる剣の化身である。

大處神社の本殿

大處神社の本殿

ご祭神

大地主神
 「大地主神」とは、「大名牟遅命(おおなむち)」の讃名(たたえな)の一つである。
 『上紀(うえつふみ)』上巻P169に「大名牟遅命(おおなむち)」のいくつかの別称を挙げている。
 大国主命(おおくにぬし)、大名牟遅命(おおなむぢ)、宇都志国玉命(うつしくにたま)、葦原之色許男命(あしはらのしこを)、八千矛命(やちほこ)、大地主命(おおとこぬし)、大名牟遅命(おおなむち)、八千矛法吉主命(やちほこほよぬし)、大物主命(おおものぬし)、櫛甕玉命(くしみかたま)、大国玉命(おおくにたま)、国玉主命(くにたまぬし)、玉久美大地命(たまくみおおとこ)
 である。
 「大国主命の系図と略表」で『秀真伝(ほつまつたゑ)』 と『上紀(うえつふみ)』 の系図の比較を行ったところ、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の櫛甕玉命(鰐彦)と『上紀(うえつふみ)』の「大名牟遅命(おおなむち)」別称「大地主命(おおとこぬし)」「櫛甕玉命(くしみかたま)」は同一神だろう。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述によると、櫛甕玉命(鰐彦)は、神武天皇が皇位を継承されるとき「蕗根命(ふきね)」から八岐大蛇の尻尾から出現した「叢雲剣」を神武天皇の奉るように命じられている。
 こういう観点から、櫛甕玉命(鰐彦)の別称である「大地主神」が祀られる当地に、八岐大蛇の尻尾から出現した「叢雲剣」に由来する岩剣大菩薩が祀られていても不思議ではない。
 ただし、『秀真伝(ほつまつたゑ)』 と『上紀(うえつふみ)』では、記述される視点に違いがあるので、ここでは注意を喚起するだけに留めておく。

境内社の酒波神社

大處神社の境内社の酒波神社

ご祭神

岩剣大菩薩
(※)素盞鳴命とされるが、私に聞こえてきた声に従う

マキノの大處神社(大処神社)の地図

マキノの大處神社(大処神社)の地図