記録に残しておきたいメモ書き
大處神社の編集に入ろうとすると・・
平成22(2010)年5月21日(金)に、平成22(2010)年5月3日(月曜日)の参拝旅行の整理をしていて、上古賀の熊野神社と饗庭の波爾布神社(はにふじんじゃ)をサーバーにアップしベットに入ると、
「出雲じゃ」
と天の大神にいわる。
其時の大蛇の尾より得たる剣を投げて留まりし里に岩剣の神と崇め、頭角を谷河に投げ入れ其流れ留まりし所を角山と号し角神を祀る。
武内宿禰霊夢によりて社殿を創建する云々」
「出雲じゃ」
と天の大神にいわる。
それから出雲の地図の整理に入り、平成22(2010)年6月6日(日)の【地図】船通山の地図で完成した。
そして、平成22(2010)年6月10日(木)に大處神社に整理に入っている。日置神社の由緒に関して『高島郡誌』には
「縁起に云ふ、腹赤ノ池に大蛇あって人民を悩ます、第11代垂仁天皇(紀元前29年-紀元後70年--すいにんてんのう)の時、素盞鳴尊・稲田姫命示現あって退治し給ふ。其時の大蛇の尾より得たる剣を投げて留まりし里に岩剣の神と崇め、頭角を谷河に投げ入れ其流れ留まりし所を角山と号し角神を祀る。
武内宿禰霊夢によりて社殿を創建する云々」
こういう風に記述される高島市と出雲との関わりが深いから、
大處神社の整理の前に出雲の整理をするように天の大神に求められたのだろうか。Copyright (C) 2002-2010 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
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