御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕【1】ここだけは紹介しておきたい!|秀真伝

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御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕

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御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の概略

【1】新治宮で12万2050年、民が殖えるほど田が増えない・・

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
そもそもに 御孫(みまご)瓊々杵尊(ににきね)  
新治宮(にはりみや) 筑波(つくば)に治む  
年(とし)すでに 三鈴(みすず)二千五十年(ふちゐそ) 12万2050年
つらつらと 思(おも)せば民(たみ)の  
殖(ふ)ゆるほど 田は増さぬゆえ  
糧(かて)足(た)らず 平場(ひらば)の小田(おだ)は  
水(みず)絶えず 高田(たかだ)は雨の  
降らぬ年 種(たね)お滅(ほろ)ぼす  
川上(かわかみ)の 水お懸樋(かけひ)に 水を高いところから低いところに流す樋(とい)。
運(はこ)ばせど これも崩(くづ)れば  
井堰(いせき)建(た)て 堤(つつみ)築(きづ)きて 水を他に引くために、川水をせき止めた所。
山水(やまみず)お 取りて高田お  
開かんと 稜威(いづ)の鴨船(かもぶね)  
伊勢に着け 巡(めぐ)り請(こ)えども  
大御神(ををんかみ) 許(ゆる)さずここに  
仮住居(かりすまゐ) 山田(やまだ)野(の)高(たか)く 「山田」は、三重県伊勢市の旧称の宇治山田。
宮川(みやかわ)の 上(かみ)より井堰(いせき) 「宮川」は宇治山田の付近を流れる川。
堤(つつみ)築(つ)き ついに高野(たかの)お  
田(た)となせば 五年(ゐとせ)の内(うち)に  
瑞穂(みづほ)なる 他(ほか)に十八箇(そやか)の  
井堰(いせき)なる    

【2】紀元前1,290,607年、天照神から八洲島巡りの勅

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
  時に天照神(あまてる)  
勅(みことのり) 「八洲(やしま)巡(めぐ)れ」と  
触(ふ)れ給(たま)ふ 時(とき)二十九鈴(ふそこすヾ) 第一次天孫降臨から26万年後の
紀元前1,290,607年、 大濡煮尊の御世から171万98年経ている。
五百(ゐも)の一枝(ひゑ) 三十八年(みそや)二月(きさらぎ) 2月1日
朔(ついたち)と 梅(うめ)の花見(はなみ) 瓊々杵尊の八洲めぐりの勅の時、
梅の花見をする。
御饗(みあえ)して 日読みの宮の  
門出(かどで)宣(のり) 昔(むかし)日読(ひよ)みの  
思金命(おもいかね) 暦(こよみ)作りて  
ここにあり のち叢雲命(むらくも)に  
譲(ゆず)り置(お)く 叢雲命(むらくも)天(あめ)の  
御伴(をんとも)に 飛鳥(あすか)に侍(はべ)る  
手力雄(たじからを)命 親(をや)のあととて  
ここにあり 御巡狩(みかり)の御伴(をとも)  
請(こ)ふゆえに 叢雲命(むらくも)召(め)して  
勅(みことのり) 「汝(なんじ)叢雲(むらくも)  
暦(こよみ)なす 鏡(かがみ)曇(くも)れば  
賜(たま)ふ名(な)は 天二枝(あめふたゑ)なり」  
天二枝命(ふたゑ)今日(けふ) 御饗(みあえ)おなせば  
門出(かどい)でに 御機(みはた)の留(とめ)の 御機の留」とは、君が政治を行うのに必要な教えを記した文。
御文(おんふみ)お 御孫(みまご)に賜(たま)ひ 天照神の孫にあたる瓊々杵尊へ。
三種神宝の授与。
御鏡(みかがみ)お 天児屋根命(こやね)に賜(たま)ひ 御鏡(瀬織津姫)→ 天児屋根命
御剣(みつるぎ)お 子守神(こもり)に賜(たま)ひ 御剣(速開津姫)→ 子守神
曰(のたま)ふは 「先(さき)に三種(みくさ)の  
宝物(たからもの) 御子(みこ)忍仁尊(おしひと)に  
賜(たま)いしは 兄(あに)御孫(みまご)得(ゑ)て 瓊々杵尊の兄にあたる火之明照彦尊のこと。
太玉(ふとたま)と 香久山(かぐやま)翼(はね)の  
大臣(をみ)となる 天児屋根(こやね)大物主(ものぬし)  
清仁(きよひと)が 翼(はね)の大臣(をみ)なり 清仁とは瓊々杵尊のこと。
君(きみ)と大臣(をみ) 心(こころ)一(ひと)つに  
彼(か)の鳥(とり)の 形(かたち)は八民(やたみ)  
首(くび)は君(きみ) 鏡臣(かがみ)は左羽(たはね)  
剣臣(つるぎ)右羽(かは) 物部(もののべ)は足(あし)  
鏡大臣(かがみをみ) 末(すえ)滅(ほろ)ぶれば その教えを伝承する子孫が滅びれば、の意。
民(たみ)離(はな)れ 日嗣(ひつぎ)践(ふ)まれず  
剣大臣(つるぎをみ) 末(すえ)滅(ほろ)ぶれば  
物部(ものべ)割(わ)れ 世(よ)お奪(うば)わるる  
八咫鏡臣(やたとみ)は ゾロ生(は)ふ春(はる)の ゾロとは稲および畑の苗のこと
民業(たみわざ)お 鑑(かんが)みる目ぞ  
垣大臣(かきおみ)は 邪魔(よこま)お枯(か)らし 八重垣臣・剣臣のこと。
物部(もののべ)の 力(ちから)守(も)る手ぞ」  
このゆえに 三種神宝(みくさ)お別(わ)けて  
授(さづ)く心(い)は 永(なが)く一(ひと)つに  
なる由(よし)お 綾(あや)に印(しる)して  
御手(をて)づから 文(ふみ)お御孫(みまご)に  
授(さづ)けます 瀬織津姫(せおりつひめ)は  
御鏡(みかがみ)お 持(も)ちて春日神(かすが)に  
授(さづ)けます 速開津姫(はやあきつめ)は  
御剣(みつるぎ)お 持(も)ちて子守神(こもり)に  
授(さづ)けます 三度(みたび)敬(うやま)ひ  
みな受(う)くるかな    

【3】紀元前1,290,607年、瓊々杵尊が八洲島巡りへ出発

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
しかるのち 三種(みくさ)神宝(たから)お  
櫃(ひつ)に入(い)れ 印(しるし)は榊(さかき)  
先駆(さきがけ)は 手力雄命(たじからお)なり  
次(つぎ)勝手神(かって) 大物主命(おおものぬし)と  
三種(みくさ)櫃(ひつ) 八英(やふさ)御輦(みくるま)  
次(つぎ)天児屋根命(こやね) 籠馬(かごむま)八十(やそ)の  
物部(もののべ)ら 伊勢(いせ)より立(た)ちて 伊勢から出発し、飛鳥宮へ。
飛鳥宮(あすかみや) これより御津(みつ)の 兵庫県に、御津市西宮市がある。
西宮(にしのみや) まづ神崎(かんざき)の 兵庫県神崎郡
大井(おおい)堀(ほ)り 真名井(まなゐ)に至(いた)り 朝日神(豊受神)を祀る朝日宮。京都府加佐郡にある豊受神社と推定される。
幣(ぬさ)納(おさ)め コヱの根(ね)の国(くに) コヱの根の国
天智馳命(あちはせ)が 峰輿(みねこし)捧(ささ)ぐ  
これに召(め)し 白山峰(しらやまみね)お 白山峰の御巡り
見巡(みめぐ)るに 斜(なな)めにならず  
「この輿(こし)は 誰(た)が作(つく)れる」と  
曰(のたま)えば 菊桐姫(ここりめ)曰(いわ)く  
「真子(まこ)がなす 妹(いと)ウケステ女(め) 「真子」とは、子供や妻・恋人を慈しんでいう言葉。
赤県(あかがた) 玄圃積(くろそのつみ)  
生(う)む御子(みこ)お 崑崙国(ころびつくに)の  
君(きみ)となす 玄圃(くろその)の生(う)める  
君(きみ)の母 険(けわ)しき峰(みね)の  
越(こ)すときに 峰輿(みねこし)作(つく)り  
子(こ)お育(そだ)つ 今(いま)ここに来(き)て  
真見(まみ)ゑなす」 御孫(みまご)喜(よろこ)び  
「国(くに)は越(こし) 山(やま)は峰輿(みねこし)」  
その返(かえ)に 三千実(みちみ)の桃(もも)お  
賜(たま)われば 「花実(はなみ)の桃(もも)は  
まれなり」と 国苞(くにつと)になす 国への土産にする。
三月(やよひ)望(もち) 御饗(みあえ)の梅(むめ)に 3月15日白山宮白山中居神社だろうか)で梅の花の下に御饗を催す。
君(きみ)笑(ゑ)みて 「梅(むめ)に三種(みくさ)の  
門出(かどいで)も 梅(むめ)に輿(こし)得(ゑ)て  
この御饗(みあえ) 天(あめ)の印(しるし)」と  
折りかざし 至(いた)る高島(たかしま) 白山宮白山中居神社だろうか)で梅の枝を折りかざし、滋賀県高島郡に至った。
 高島市今津町酒波の日置神社に立ち寄られたであろう。
酒波(ささなみ) 桜(さくら)も良しと  日置神社がある高島市今津町酒波(近江国高島郡川上荘酒波)と関連するか?
 ここでを折りかざし、高島市今津町弘川の行過天満宮(ゆきすぎ)阿志都彌神社(あしづみ)を通っただろう。
 行過天満宮(ゆきすぎ)という神社名であること、白山神社という摂社があること、さらに桜を連想させる阿志都彌神社(あしづみ)という神社名があるのが印象的である。
折りかざし 熊野(くまの)万木(よろぎ)の 高島市安曇川町青柳(旧称、万木の森)には与呂伎(よろぎ)神社が鎮座しており、祭神は子守神と勝手神である。
地元の人は与呂伎(よろぎ)神社を「コーモリさん」と呼び習わしていて、同社の地名を「古森」と称する。
このことは吉野山の子守宮を「コーモリさん」と呼び、同地に子守という地名が残ることと類似し、何らかの関係が存在することを示している。
なお、与呂伎(よろぎ)神社は、同地で最も古い神社として伝えられている。
この地は、『秀真伝』の記述から子守神(万木麿命)の誕生の地であると考えられる。
田(た)にせんと 太田命(おおた)箕島命(みしま)が 与呂伎神社の付近には、太田命、箕島命の二命と関連すると思われる新旭町太田の太田神社安曇川町青柳の太田神社安曇川町三尾里の箕嶋神社があることが、『秀真伝』の記述において注目される。
太田命は子守神の十二男、箕島命は十一男。
井川(いかわ)なす 音玉川(おとたまがわ)の 高島郡内に小田川が流れる。
小田川の側に大炊神社が祀られている。
白砂(しらすな)に 昼寝(ひるね)して居(お)る  
衢神(ちまたかみ) 身の丈(たけ)十七咫(そなた)  
面(つら)酸醤(かがち) 鼻(はな)高さ七枳(なき)  
眼(め)は鏡(かがみ) 伴(とも)の八十神(やそかみ)  
恐(おそ)るれば 御孫(みまご)鈿女命(うずめ)に 御孫(みまご)とは、瓊々杵尊のこと。
志呂志神社(しろし)が瓊々杵尊を祀る。
勅(みことのり) 「汝(なんじ)目勝(めかち)に  
問ふべし」と 鈿女命(うずめ)胸(むね)開(あ)け  
裳紐(もひも)下(さ)げ 嘲笑(あざわら)いゆく  
衢神(ちまたかみ) 覚めて「かくする  
何ゆえや」 曰(いわ)く「御孫(みまご)の  
行幸(みゆき)先(さき) かく居(お)るは誰(た)ぞ」  
答えいふ 「神(かみ)の御孫(みまご)の  
行幸(みゆき)なす 鵜川(うかわ)仮屋(かりや)に 滋賀県高島郡高島町に鵜川という地名がある。高島市鵜川
高島郡ないには「饗庭(あえば)」と名付ける村が10ヵ所以上もあるという。
御饗(みあえ)して 相(あい)待(ま)つ長田(ながた) 長田神社という神社があり、祭神は事代主であり、相殿に天之鈿女命を祀る。
第二次天孫降臨の時の事代主は・・・だった。
猿田彦(さるたひこ)」 鈿女命(うずめ)また問(と)ふ  
「何(いづ)れから 行(ゆ)くや」答えて  
「われ行(ゆ)かん」 また問(と)ふ「汝(なんじ)  
知(し)るや君(きみ) 行(ゆ)きますとこお」  
答(こた)えいふ 「君(きみ)は筑紫(つくし)の  
高千穂(たかちほ)ぞ われは伊勢(いせ)の南(さ)  
長田川(ながたがわ) 汝(なんじ)わが名(な)お  
顕(あら)わさば われもいたさん」  
返事(かえごと)す 御孫(みまご)喜(よろこ)び  
卯(う)の花 またかざし行(ゆ)く 鵜川宮で採った卯(う)の花を折りかざし、また進んでいった。
 その卯(う)の花が散った場所は大津市園城寺町にある三尾神社のある辺り(大津シノ宮)か?
 赤尾神が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方から出現したと伝えるが「卯(う)の花」と関連があるかもしれない。
 三尾神社では、兔が神の使いである。
猿田彦命(さるた)して 岳(たけ)磐座(いわくら)  
押(お)し放(はな)ち 稜威(いづ)の道別(ちわき)の  
鎧崎(よろいざき) 岳(たけ)や鏡山(かがみ)の 鏡山とは滋賀県の野洲郡と蒲生郡の境にある鏡山ではないか。
三尾(みを)の土(つち) 積(つ)む三上山(みかみやま) 三上山は、滋賀県野洲郡野洲町の東南に位置する。
井堰(いせき)築(つ)く 猿田彦命(さるた)お褒(ほ)めて  
三尾(みを)の神(かみ) 好(この)む鈿女命(うずめ)お 『特選神名牒』に高島郡高島村大字拝戸の延喜式内社の水尾神社(みをの)が載る。
賜(たま)わりて その名(な)顕(あら)はす  
猿部等(さるべら)と 神楽(かぐら)男子(をのこ)の  
君(きみ)のもとなり    
勅(みことのり) 「三尾(みお)の道別(ちわき)も  
田(た)はここに これ鏡(かがみ)なり」  
仮宮(かりみや)お 瑞穂宮(みづほ)と名付(なづ)く 野洲郡野洲町三上の御上神社(祭神は天之御影命)か。
多賀宮(たが)に行(ゆ)き 幣(ぬさ)お捧(ささ)げて 多賀大社
美濃(みの)に行(ゆ)き 天国魂命(あまくにたま)の  
喜(よろこ)びも 昔(むかし)春日神(かすが)に  
瓜(うるり)得(ゑ)て 生(う)む高彦根命(たかひこね)  
捧(ささ)げ物(もの) 各々(おのおの)真桑(まくわ)  
一籠(ひとかご)と 八十神(やそ)喜(よろこ)びて  
雲道(くもち)別(わ)け 信濃(しなの)諏訪(すわ)より  
導(みちび)けば 原見山(はらみやま)から  
四方(よも)お見(み)て 「裾野(すその)は広(ひろ)し  
水(みづ)お生(う)み 裾野(すその)田(た)にせん」  
手力雄命(たじからを) 八方(やも)に掘(ほ)らしむ  
湖(うみ)の名(な)も 東(き)は山中(やまなか)と  
東北(きね)はアス 北(ね)は河口(かわぐち)と  
北西(ねつ)本栖(もとす) 西(つ)は西(にし)の湖(うみ)  
西南(つさ)はスド 新治(にはり)の民(たみ)の  
群(むれ)来(き)たり 湖(うみ)堀(ほ)り土(つち)お  
峰(みね)に上(あ)げ 八英(やふさ)はかりと  
天(あ)に応(こた)え 中(なか)の地(わ)もがな  
ウツロヰが 淡海(あわうみ)浚(さら)え 淡海(琵琶湖)の湖底の土
三尾(みを)の地(わ)と 一荷(ひとにな)い来(き)て 三尾の土を一度に担がせる
朝(あさ)の間(ま)に 中峰(なかみね)なせば  
神(かみ)の名(な)も 稜威(いづ)朝間峰(あさまみね)  
山高く 湖(みずうみ)深(ふか)く  
並(なら)びなし 峰(みね)に降(ふ)る雪(ゆき)  
池水(いけみず)の 末(すえ)九千里(こちさと)の  
田(た)となりて およぶ御世(みよ)だに  
二十年(はたとし)に 浚(さら)えなせとて  
酒折(さかおり)の 宮(みや)に入(い)ります 山梨県の甲府と石和の中間にある酒折宮
山梨県甲府市酒折3-1-13
四十紋に「酒折の 宮は昔の 原の宮」〔40−2〕とあることから、酒折宮=原の宮であることが判然とする。
この「原の宮」とは、四紋〔4−8〕以降に記するところの、二神が天照神を生み育てた宮をさすものと考えられる。
本紋〔24−49〕には、瓊瓊杵尊がこの酒折宮を再建し、原朝間宮としたことも記されている。
預(あづか)りの 大山祗命(おおやますみ)が  
御饗(みあえ)なす 御膳(みかしは)捧(ささ)ぐ  
葦津姫(あしつひめ) 一夜(ひとよ)召(め)されて 大山祗命の娘で桜内命の曾孫。称え名を木花咲耶姫という。
契(ちぎ)り込(こ)む 帰(かえ)る新治(にはり)  
ユキスキの 宮(みや)に祈(いの)りの  
大嘗(おおなめ)ヱ 三種(みくさ)お受(う)けて 新治宮で践祚(せんそ)の大嘗ヱ(おおなめえ)が執り行われ、忍穂耳尊より三種の神器をお受けになり、天つ日嗣を譲り受けた。
天(あ)に応(こた)え 宮(みや)に治(おさ)むる  
その飾(かざ)り 香久(かぐ)八幡(やはた)あり  
その明日(あすか) 大御宝(おおんたから)に  
拝(おが)ましむ    

【4】子守神が日高見・津軽・越国を回って計画書の作成

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四「コヱ国原見山の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
  天児屋根命(こやね)鹿島宮(かしま)に  
年(とし)越(こ)ゆる 大物主命(ものぬし)一人(ひとり) 大物主命とは子守神のこと。
日高見(ひだかみ)の 井堰(いせき)なし  
日隅(ひすみ)まで 祖父(ををじ)喜(よろこ)び 津軽の大己貴(奇杵)命。
「その父(ちち)が 大和(やまと)の神(かみ)と 子守神の父・奇彦命が大和大国御魂神となって、三輪山に隠れた、ということ。
成(な)りてのち 孫(まご)に会いたくて  
年寄(としよ)ると」 手づから御饗(みあえ)  
大物主命(ものぬし)も 喜(よろこ)び曰(いわ)く  
「わが君(きみ)の 山(やま)お八英(やふさ)の  
居雪(ゐゆき)なす」 祖父(おおぢ)驚(おどろ)き  
「われたとひ 新田(あらた)なすとも  
これ知らず 君(きみ)は真(まこと)の  
照(て)らす神(かみ) 代々(よよ)の御祖(みをや)ぞ  
忠(まめ)なせ」と 国境(くにさかい)まで  
送りてぞ 名残あるなり  
大物主(ものぬし)は 海辺(うみべ)お西(にし)に  
巡(めぐ)りつつ 差絵(さしえ)に新田(あらた) 差絵とは計画図のこと。
起(おこ)さしむ 佐渡(さど)に渡(わた)りて  
新田(あらた)なす 越国(こし)に戻(もど)りて  
井堰(いせき)なすかな    

【5】母と姉の罠に落ちる木花咲耶姫、三つ子の出産ののち疑いが晴れる

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
時(とき)に君(きみ) 思(おぼ)すことあり  
天児屋根命(こやね)して 新治(にはり)に留(とど)め  
勝手神(かって)して 海辺(うみべ)お上(のぼ)る  
行幸(みゆき)触(ふ)れ 大山祗命(おおやますみ)は  
伊豆崎(ゐづさき)の 仮屋(かりや)に迎(むか)え  
御饗(みあえ)なす 膳(かしわ)なすとき  
葦津姫(あしつひめ) イメ孕(はら)めり 十五紋に「イメの源 月となる」と見える。ここでは、「イメ」とは「胎内」のことだろうか?それとも「妻」という意味だろうか?
申(もう)すゆえ 伊勢(いせ)に告(つ)げんと  
装(よそ)ひなす 時(とき)にその母(はは)  
姉(あね)連(つ)れて 仮屋(かりや)に至(いた)り  
真見(まみ)ゑ請(こ)ふ 召(め)せば申(もふ)さく  
「妹(いもと)さえ わが慈(いつく)しの  
姉(あね)あり」と 言葉(ことば)飾(かざ)れば  
二心(ふたごころ) 姉(あね)磐長姫(いわなが)お  
召(め)せばその 形(かたち)鋭(するど)く  
眉目(みめ)悪(あ)しく 故(かれ)に肝消(きもけ)し  
ミヤビ変(か)え 「やはり葦津姫(あしつ)」と 「ミヤビ」とは、ここでは恋心のこと。
曰(のたま)えば 父(ちち)驚きて  
妻(つま)叱(しか)る 「かくあらんとて  
出(いだ)さぬお 急(いそ)ぎ帰(かえ)れ」と  
追(お)ひやれば 母姉(はなあね)恨(うら)み  
下(しも)召(め)して 妹(いもうと)落(おと)さん 下(しも)とは、下人(げにん)のこと。
仇枕(あだまくら) ついに偽(いつわ)り 仇枕とは、仇を討つ計画をたてること。
白子宮(しらこや)で 君(きみ)に聞(き)こゆる 三重県鈴鹿市に「白子」という地名がある。
疑(うたが)ひに 旅屋(たびや)を夜半(よわ)に  
立(た)ち出(い)でて 伊勢(いせ)に帰ります  
姫(ひめ)一人(ひとり) 寝覚(ねざ)めて行(ゆ)けば  
松坂(まつざか)に 関(せき)止(と)められて  
白子宮(しらこや)に 帰(かえ)り誓(ちか)って  
妬まれ わが恥(はぢ)滌(すす)げ  
この桜(さくら) 昔(むかし)曾祖父(ひををぢ)  
桜内大人(さくらうし) この花捧ぐ 六紋に「東に桜植え 大内宮」。伊雑宮の東殿に植えた桜のこと。
大御神(ををんかみ) 大内(おうち)に植(う)えて  
伊勢の道 成(な)る離(はな)るゝお  
計(はか)ります 桜(さくら)心(こころ)あらば  
わが孕(はら)み 仇(あだ)種(たね)ならば  
花(はな)萎(しぼ)め 正(まさ)種(たね)ならば  
生むときに 咲け」と誓いて  
こゝに植(う)ゑ 里に帰(かえ)ます  
十二月(そふ)満(み)ちて 六月(みなつき)初日 6月1日
三つ子生む その胞衣(ゑな)の紋(あや)  
(うめ)(さくら) 卯(う)花(ばな)と変(かわ)り  
怪(あや)しめば 君(きみ)に告(つ)ぐれど  
返事(かえ)なくて 姫(ひめ)は裾野(すその)に  
無戸室(うつむろ)し 巡(めぐ)りに柴(しば)の  
垣(かき)なして 母子(はゝこ)誓(ちか)ひて  
中にあり 「仇種(あだたね)ならば  
亡(ほろ)びん」と 火(ひ)お付(つ)け焼(や)けば  
熱(あつ)がりて 這(は)ひ出(い)でんとす  
峰(みね)の竜(たつ) 水(みづ)吐(は)きかけて  
一人づつ 導(みちび)き御子(みこ)お  
這(は)ひ出(いだ)す 諸人(もろびと)驚(おどろ)き  
火(ひ)お消(け)して 姫(ひめ)引(ひ)き出(い)だし  
御輿(みこし)もて 宮(みや)に送(おく)りて  
伊勢に告ぐ 白子の桜 白子宮に咲いた桜のこと
生(う)まれ日(ひ) 咲(さ)きて絶(た)えねば  
天御孫(あめみまご) 鴨船(かもふね)早(はや)く  
飛ばさせて 興津(おきつ)に着けば  
雉子(きじ)飛(と)びて 酒折(さかおり)に告(つ)ぐ  
姫(ひめ)恨(うら)み 衾(ふすま)被(かぶ)りて 衾とは、布地などで作り、寝るときに身を蔽う夜具。
答(こた)え無(な)し 返事(かえこと)すれば  
君しばし 思(おも)ひて和歌(わか)の  
歌身(うたみ)染め 奥津彦命(おきひこ)おして 歌身とは、短冊のことか。
奥津彦命とは新治宮にて八将神を祭る任にあった神。
清雄鹿人(さをしかど) 姫(ひめ)頂(いただ)きて  
沖(おき)つ藻(も)は 辺(へ)には寄(よ)れども  
さ寝床(ねとこ)も 能(あた)わぬかもよ  
浜(はま)つ千鳥(ちどり)よ    
この歌(うた)に 恨みの涙(なんだ)  
溶(と)け落(お)ちて 肝(きも)に応(こた)えの  
徒跣(かちはだし) 裾野(すその)走りて  
興津浜(おきつはま) 君(きみ)喜(よろこ)びて 静岡県清水市の海岸添いに興津町がある
輿(こし)並(なら)べ 行(ゆ)く大宮(おおみや)は 静岡県富士宮市大宮字桜ヶ丘に鎮座する富士山本宮浅間神社か。
同社は木花之佐久夜毘売、天津日高日子番能邇々芸命、大山津見命を祭る。
大山祗命(やますみ)の 道(みち)迎(むか)えして  
三所(みどころ)に 諏訪命(すわ)が御饗(みあえ)は  
須走(すばし)り 酒折宮(さかおりみや)に 静岡県駿東郡に須走がある。
入(い)りまして 「諸神(もろかみ)聞(き)けよ  
われ先に 花おかざして  
駆(か)け通(とほ)る これ胞衣(ゑな)の紋(あや)」  
諱(いみな)なす 初(はつ)に出る名は  
火之明(ほのあかり) 諱(いみな)梅仁(むめひと)  
次の子は 名も火進(ほのすゝみ)  
桜木(さくらぎ)ぞ 末(すえ)は名(な)も彦(ひこ)  
火々出見(ほおでみ)の 諱(いみな)卯津杵(うつきね)  
また姫(ひめ)は 子お生(う)む日(ひ)より  
花(はな)絶(た)えず ゆえに木花(このはな)  
咲耶姫(さくやひめ)」 宮造(みやつく)りして 酒折宮に新殿をつくる。
御座(おわ)します 夏女(なつめ)の神(かみ) 夏女の神が産衣を作る。
産衣(うぶぎ)なす 母(はは)の乳(ちち)お以(も)て  
養(ひた)します 子安(こやす)の神(かみ)ぞ 葦津姫は子安神として讃えられた。
人(ひと)成(な)りに 桜木尊(さくらぎ)蟹(かに)の 桜木尊に水瘡(みずくさ)ができた。
瘡(くさ)なせば 酢芹草(すせりぐさ)にて 酢芹草によって癒した。
蟹(かに)掃(は)きて 瘡(くさ)枯(か)れ癒(い)ゆる  
名(な)も酢芹(すせり) 故(かれ)白鬚(しらひげ)の 桜木尊に酢芹宮という名を与えた。
酢芹(すせり)以(も)て 民(たみ)蘇(よみがえ)る 白鬚の酢芹草をもって、民の病を癒す守として、代々尊んだ。
守(まも)りとて 叩(は)たきて受(う)くる  
宮居(みやゐ)これかな    

【6】豊居雪山(とよゐゆきやま)

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
そののちに 君(きみ)この山に  
登り見て 中心(なかご)休(やす)めり  
八(や)つ峰(みね)に 居雪(ゐゆき)絶(た)えねば  
代々(よよ)の名(な)も 豊居雪山(とよゐゆきやま)  
  = 中略 =  

【7】瀛(おき)の壺(つぼ)、方壺(けたつぼ)、原見(はらみ)ハ壺(つぼ)

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
二神(ふたかみ)の 国中柱(くになかばしら)  
瀛(おき)の壺(つぼ) 天照神の 瀛(おき)の壺とは、近江国八尋殿。
壺は天界と交流する要所。
日高見(ひだかみ)の 方丈宮(かたたけみや)の 方丈宮(かたたけみや)とは、四紋に「みな方壺の ヤマテ宮」と見えることから、ヤマテ宮のことと考えられる。
中柱(なかばしら) 方壺(けたつぼ)の文(ふみ)  
稜威神(ゐづかみ)の 原見(はらみ)ハ壺(つぼ) ハ壺(つぼ)とは酒折宮のことか。
四方八方(よもやも)の 中柱(なかばしら)なり  
大御神(ををんかみ) 原(はら)の治君(をきみ)と  
名(な)お賜(たま)ふ    
  = 中略 =  

【8】忍穂耳尊、箱根の洞で神上がり

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
世々(よよ)豊(ゆた)か 八万年(やよろとし)経(へ)て  
日高見(ひだかみ)の 君(きみ)より召(め)せば  
諸(もろ)ともに 宮(みや)に上(のぼ)れば  
父帝(ちちみかど) 御子(みこ)二方(ふたかた)に  
勅(みことのり)  
  = 中略 =  

【9】比叡山造成の勅

 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
箱根神(はこねかみ) 三年(みとせ)祭(まつ)りて  
瀛壷(おきつぼ)の 峰(みね)より眺(なが)め  
勅(みことのり)   比叡山の造成の勅。