御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕
御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の概略
【1】新治宮で12万2050年、民が殖えるほど田が増えない
【2】紀元前1,290,607年、天照神から八洲島巡りの勅と三種の神宝
【3】紀元前1,290,607年、瓊々杵尊が八洲島巡りへ出発
【4】子守神が日高見・津軽・越国を回って計画書の作成
【5】母と姉の罠に落ちる木花咲耶姫、三つ子の出産ののち疑いが晴れる
【6】豊居雪山(とよゐゆきやま)
【7】瀛(おき)の壺(つぼ)、方壺(けたつぼ)、原見(はらみ)ハ壺(つぼ)
【8】忍穂耳尊、箱根の洞で神上がり
【9】比叡山造成の勅-
【2】紀元前1,290,607年、天照神から八洲島巡りの勅と三種の神宝
【3】紀元前1,290,607年、瓊々杵尊が八洲島巡りへ出発
【4】子守神が日高見・津軽・越国を回って計画書の作成
【5】母と姉の罠に落ちる木花咲耶姫、三つ子の出産ののち疑いが晴れる
【6】豊居雪山(とよゐゆきやま)
【7】瀛(おき)の壺(つぼ)、方壺(けたつぼ)、原見(はらみ)ハ壺(つぼ)
【8】忍穂耳尊、箱根の洞で神上がり
【9】比叡山造成の勅-
【1】新治宮で12万2050年、民が殖えるほど田が増えない・・
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
そもそもに | 御孫(みまご)瓊々杵尊(ににきね) | |
新治宮(にはりみや) | 筑波(つくば)に治む | |
年(とし)すでに | 三鈴(みすず)二千五十年(ふちゐそ) | 12万2050年 |
つらつらと | 思(おも)せば民(たみ)の | |
殖(ふ)ゆるほど | 田は増さぬゆえ | |
糧(かて)足(た)らず | 平場(ひらば)の小田(おだ)は | |
水(みず)絶えず | 高田(たかだ)は雨の | |
降らぬ年 | 種(たね)お滅(ほろ)ぼす | |
川上(かわかみ)の | 水お懸樋(かけひ)に | 水を高いところから低いところに流す樋(とい)。 |
運(はこ)ばせど | これも崩(くづ)れば | |
井堰(いせき)建(た)て | 堤(つつみ)築(きづ)きて | 水を他に引くために、川水をせき止めた所。 |
山水(やまみず)お | 取りて高田お | |
開かんと | 稜威(いづ)の鴨船(かもぶね) | |
伊勢に着け | 巡(めぐ)り請(こ)えども | |
大御神(ををんかみ) | 許(ゆる)さずここに | |
仮住居(かりすまゐ) | 山田(やまだ)野(の)高(たか)く | 「山田」は、三重県伊勢市の旧称の宇治山田。 |
宮川(みやかわ)の | 上(かみ)より井堰(いせき) | 「宮川」は宇治山田の付近を流れる川。 |
堤(つつみ)築(つ)き | ついに高野(たかの)お | |
田(た)となせば | 五年(ゐとせ)の内(うち)に | |
瑞穂(みづほ)なる | 他(ほか)に十八箇(そやか)の | |
井堰(いせき)なる |
【2】紀元前1,290,607年、天照神から八洲島巡りの勅
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
時に天照神(あまてる) | ||
勅(みことのり) | 「八洲(やしま)巡(めぐ)れ」と | |
触(ふ)れ給(たま)ふ | 時(とき)二十九鈴(ふそこすヾ) |
第一次天孫降臨から26万年後の 紀元前1,290,607年、 大濡煮尊の御世から171万98年経ている。 |
五百(ゐも)の一枝(ひゑ) | 三十八年(みそや)二月(きさらぎ) | 2月1日 |
朔(ついたち)と | 梅(うめ)の花見(はなみ)の |
瓊々杵尊の八洲めぐりの勅の時、 梅の花見をする。 |
御饗(みあえ)して | 日読みの宮の | |
門出(かどで)宣(のり) | 昔(むかし)日読(ひよ)みの | |
思金命(おもいかね) | 暦(こよみ)作りて | |
ここにあり | のち叢雲命(むらくも)に | |
譲(ゆず)り置(お)く | 叢雲命(むらくも)天(あめ)の | |
御伴(をんとも)に | 飛鳥(あすか)に侍(はべ)る | |
手力雄(たじからを)命 | 親(をや)のあととて | |
ここにあり | 御巡狩(みかり)の御伴(をとも) | |
請(こ)ふゆえに | 叢雲命(むらくも)召(め)して | |
勅(みことのり) | 「汝(なんじ)叢雲(むらくも) | |
暦(こよみ)なす | 鏡(かがみ)曇(くも)れば | |
賜(たま)ふ名(な)は | 天二枝(あめふたゑ)なり」 | |
天二枝命(ふたゑ)今日(けふ) | 御饗(みあえ)おなせば | |
門出(かどい)でに | 御機(みはた)の留(とめ)の | 「御機の留」とは、君が政治を行うのに必要な教えを記した文。 |
御文(おんふみ)お | 御孫(みまご)に賜(たま)ひ |
天照神の孫にあたる瓊々杵尊へ。 三種神宝の授与。 |
御鏡(みかがみ)お | 天児屋根命(こやね)に賜(たま)ひ | 御鏡(瀬織津姫)→ 天児屋根命 |
御剣(みつるぎ)お | 子守神(こもり)に賜(たま)ひ | 御剣(速開津姫)→ 子守神 |
曰(のたま)ふは | 「先(さき)に三種(みくさ)の | |
宝物(たからもの) | 御子(みこ)忍仁尊(おしひと)に | |
賜(たま)いしは | 兄(あに)御孫(みまご)得(ゑ)て | 瓊々杵尊の兄にあたる火之明照彦尊のこと。 |
太玉(ふとたま)と | 香久山(かぐやま)翼(はね)の | |
大臣(をみ)となる | 天児屋根(こやね)大物主(ものぬし) | |
清仁(きよひと)が | 翼(はね)の大臣(をみ)なり | 清仁とは瓊々杵尊のこと。 |
君(きみ)と大臣(をみ) | 心(こころ)一(ひと)つに | |
彼(か)の鳥(とり)の | 形(かたち)は八民(やたみ) | |
首(くび)は君(きみ) | 鏡臣(かがみ)は左羽(たはね) | |
剣臣(つるぎ)右羽(かは) | 物部(もののべ)は足(あし) | |
鏡大臣(かがみをみ) | 末(すえ)滅(ほろ)ぶれば | その教えを伝承する子孫が滅びれば、の意。 |
民(たみ)離(はな)れ | 日嗣(ひつぎ)践(ふ)まれず | |
剣大臣(つるぎをみ) | 末(すえ)滅(ほろ)ぶれば | |
物部(ものべ)割(わ)れ | 世(よ)お奪(うば)わるる | |
八咫鏡臣(やたとみ)は | ゾロ生(は)ふ春(はる)の | ゾロとは稲および畑の苗のこと |
民業(たみわざ)お | 鑑(かんが)みる目ぞ | |
垣大臣(かきおみ)は | 邪魔(よこま)お枯(か)らし | 八重垣臣・剣臣のこと。 |
物部(もののべ)の | 力(ちから)守(も)る手ぞ」 | |
このゆえに | 三種神宝(みくさ)お別(わ)けて | |
授(さづ)く心(い)は | 永(なが)く一(ひと)つに | |
なる由(よし)お | 綾(あや)に印(しる)して | |
御手(をて)づから | 文(ふみ)お御孫(みまご)に | |
授(さづ)けます | 瀬織津姫(せおりつひめ)は | |
御鏡(みかがみ)お | 持(も)ちて春日神(かすが)に | |
授(さづ)けます | 速開津姫(はやあきつめ)は | |
御剣(みつるぎ)お | 持(も)ちて子守神(こもり)に | |
授(さづ)けます | 三度(みたび)敬(うやま)ひ | |
みな受(う)くるかな |
【3】紀元前1,290,607年、瓊々杵尊が八洲島巡りへ出発
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
しかるのち | 三種(みくさ)神宝(たから)お | |
櫃(ひつ)に入(い)れ | 印(しるし)は榊(さかき) | |
先駆(さきがけ)は | 手力雄命(たじからお)なり | |
次(つぎ)勝手神(かって) | 大物主命(おおものぬし)と | |
三種(みくさ)櫃(ひつ) | 八英(やふさ)御輦(みくるま) | |
次(つぎ)天児屋根命(こやね) | 籠馬(かごむま)八十(やそ)の | |
物部(もののべ)ら | 伊勢(いせ)より立(た)ちて | 伊勢から出発し、飛鳥宮へ。 |
飛鳥宮(あすかみや) | これより御津(みつ)の | 兵庫県に、御津市と西宮市がある。 |
西宮(にしのみや) | まづ神崎(かんざき)の | 兵庫県神崎郡 |
大井(おおい)堀(ほ)り | 真名井(まなゐ)に至(いた)り | 朝日神(豊受神)を祀る朝日宮。京都府加佐郡にある豊受神社と推定される。 |
幣(ぬさ)納(おさ)め | コヱの根(ね)の国(くに) | コヱの根の国 |
天智馳命(あちはせ)が | 峰輿(みねこし)捧(ささ)ぐ | |
これに召(め)し | 白山峰(しらやまみね)お | 白山峰の御巡り |
見巡(みめぐ)るに | 斜(なな)めにならず | |
「この輿(こし)は | 誰(た)が作(つく)れる」と | |
曰(のたま)えば | 菊桐姫(ここりめ)曰(いわ)く | |
「真子(まこ)がなす | 妹(いと)ウケステ女(め) | 「真子」とは、子供や妻・恋人を慈しんでいう言葉。 |
赤県(あかがた)に | 玄圃積(くろそのつみ)と | |
生(う)む御子(みこ)お | 崑崙国(ころびつくに)の | |
君(きみ)となす | 玄圃(くろその)の生(う)める | |
君(きみ)の母 | 険(けわ)しき峰(みね)の | |
越(こ)すときに | 峰輿(みねこし)作(つく)り | |
子(こ)お育(そだ)つ | 今(いま)ここに来(き)て | |
真見(まみ)ゑなす」 | 御孫(みまご)喜(よろこ)び | |
「国(くに)は越(こし) | 山(やま)は峰輿(みねこし)」 | |
その返(かえ)に | 三千実(みちみ)の桃(もも)お | |
賜(たま)われば | 「花実(はなみ)の桃(もも)は | |
まれなり」と | 国苞(くにつと)になす | 国への土産にする。 |
三月(やよひ)望(もち) | 御饗(みあえ)の梅(むめ)に | 3月15日、白山宮(白山中居神社だろうか)で梅の花の下に御饗を催す。 |
君(きみ)笑(ゑ)みて | 「梅(むめ)に三種(みくさ)の | |
門出(かどいで)も | 梅(むめ)に輿(こし)得(ゑ)て | |
この御饗(みあえ) | 天(あめ)の印(しるし)」と | |
折りかざし | 至(いた)る高島(たかしま) |
白山宮(白山中居神社だろうか)で梅の枝を折りかざし、滋賀県高島郡に至った。 高島市今津町酒波の日置神社に立ち寄られたであろう。 |
酒波(ささなみ)の | 桜(さくら)も良しと |
日置神社がある高島市今津町酒波(近江国高島郡川上荘酒波)と関連するか? ここで桜を折りかざし、高島市今津町弘川の行過天満宮(ゆきすぎ)阿志都彌神社(あしづみ)を通っただろう。 行過天満宮(ゆきすぎ)という神社名であること、白山神社という摂社があること、さらに桜を連想させる阿志都彌神社(あしづみ)という神社名があるのが印象的である。 |
折りかざし | 熊野(くまの)万木(よろぎ)の |
高島市安曇川町青柳(旧称、万木の森)には与呂伎(よろぎ)神社が鎮座しており、祭神は子守神と勝手神である。 地元の人は与呂伎(よろぎ)神社を「コーモリさん」と呼び習わしていて、同社の地名を「古森」と称する。 このことは吉野山の子守宮を「コーモリさん」と呼び、同地に子守という地名が残ることと類似し、何らかの関係が存在することを示している。 なお、与呂伎(よろぎ)神社は、同地で最も古い神社として伝えられている。 この地は、『秀真伝』の記述から子守神(万木麿命)の誕生の地であると考えられる。 |
田(た)にせんと | 太田命(おおた)箕島命(みしま)が |
与呂伎神社の付近には、太田命、箕島命の二命と関連すると思われる新旭町太田の太田神社、安曇川町青柳の太田神社、安曇川町三尾里の箕嶋神社があることが、『秀真伝』の記述において注目される。 太田命は子守神の十二男、箕島命は十一男。 |
井川(いかわ)なす | 音玉川(おとたまがわ)の |
高島郡内に小田川が流れる。 小田川の側に大炊神社が祀られている。 |
白砂(しらすな)に | 昼寝(ひるね)して居(お)る | |
衢神(ちまたかみ) | 身の丈(たけ)十七咫(そなた) | |
面(つら)酸醤(かがち) | 鼻(はな)高さ七枳(なき) | |
眼(め)は鏡(かがみ) | 伴(とも)の八十神(やそかみ) | |
恐(おそ)るれば | 御孫(みまご)鈿女命(うずめ)に |
御孫(みまご)とは、瓊々杵尊のこと。 志呂志神社(しろし)が瓊々杵尊を祀る。 |
勅(みことのり) | 「汝(なんじ)目勝(めかち)に | |
問ふべし」と | 鈿女命(うずめ)胸(むね)開(あ)け | |
裳紐(もひも)下(さ)げ | 嘲笑(あざわら)いゆく | |
衢神(ちまたかみ) | 覚めて「かくする | |
何ゆえや」 | 曰(いわ)く「御孫(みまご)の | |
行幸(みゆき)先(さき) | かく居(お)るは誰(た)ぞ」 | |
答えいふ | 「神(かみ)の御孫(みまご)の | |
行幸(みゆき)なす | 鵜川(うかわ)仮屋(かりや)に |
滋賀県高島郡高島町に鵜川という地名がある。高島市鵜川 高島郡ないには「饗庭(あえば)」と名付ける村が10ヵ所以上もあるという。 |
御饗(みあえ)して | 相(あい)待(ま)つ長田(ながた) |
長田神社という神社があり、祭神は事代主であり、相殿に天之鈿女命を祀る。 第二次天孫降臨の時の事代主は・・・だった。 |
猿田彦(さるたひこ)」 | 鈿女命(うずめ)また問(と)ふ | |
「何(いづ)れから | 行(ゆ)くや」答えて | |
「われ行(ゆ)かん」 | また問(と)ふ「汝(なんじ) | |
知(し)るや君(きみ) | 行(ゆ)きますとこお」 | |
答(こた)えいふ | 「君(きみ)は筑紫(つくし)の | |
高千穂(たかちほ)ぞ | われは伊勢(いせ)の南(さ) | |
長田川(ながたがわ) | 汝(なんじ)わが名(な)お | |
顕(あら)わさば | われもいたさん」 | |
返事(かえごと)す | 御孫(みまご)喜(よろこ)び | |
卯(う)の花も | またかざし行(ゆ)く |
鵜川宮で採った卯(う)の花を折りかざし、また進んでいった。 その卯(う)の花が散った場所は大津市園城寺町にある三尾神社のある辺り(大津シノ宮)か? 赤尾神が卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻、卯の方から出現したと伝えるが「卯(う)の花」と関連があるかもしれない。 三尾神社では、兔が神の使いである。 |
猿田彦命(さるた)して | 岳(たけ)磐座(いわくら) | |
押(お)し放(はな)ち | 稜威(いづ)の道別(ちわき)の | |
鎧崎(よろいざき) | 岳(たけ)や鏡山(かがみ)の | 鏡山とは滋賀県の野洲郡と蒲生郡の境にある鏡山ではないか。 |
三尾(みを)の土(つち) | 積(つ)む三上山(みかみやま) | 三上山は、滋賀県野洲郡野洲町の東南に位置する。 |
井堰(いせき)築(つ)く | 猿田彦命(さるた)お褒(ほ)めて | |
三尾(みを)の神(かみ) | 好(この)む鈿女命(うずめ)お | 『特選神名牒』に高島郡高島村大字拝戸の延喜式内社の水尾神社(みをの)が載る。 |
賜(たま)わりて | その名(な)顕(あら)はす | |
猿部等(さるべら)と | 神楽(かぐら)男子(をのこ)の | |
君(きみ)のもとなり | ||
勅(みことのり) | 「三尾(みお)の道別(ちわき)も | |
田(た)はここに | これ鏡(かがみ)なり」 | |
仮宮(かりみや)お | 瑞穂宮(みづほ)と名付(なづ)く | 野洲郡野洲町三上の御上神社(祭神は天之御影命)か。 |
多賀宮(たが)に行(ゆ)き | 幣(ぬさ)お捧(ささ)げて | 多賀大社 |
美濃(みの)に行(ゆ)き | 天国魂命(あまくにたま)の | |
喜(よろこ)びも | 昔(むかし)春日神(かすが)に | |
瓜(うるり)得(ゑ)て | 生(う)む高彦根命(たかひこね) | |
捧(ささ)げ物(もの) | 各々(おのおの)真桑(まくわ) | |
一籠(ひとかご)と | 八十神(やそ)喜(よろこ)びて | |
雲道(くもち)別(わ)け | 信濃(しなの)諏訪(すわ)より | |
導(みちび)けば | 原見山(はらみやま)から | |
四方(よも)お見(み)て | 「裾野(すその)は広(ひろ)し | |
水(みづ)お生(う)み | 裾野(すその)田(た)にせん」 | |
手力雄命(たじからを) | 八方(やも)に掘(ほ)らしむ | |
湖(うみ)の名(な)も | 東(き)は山中(やまなか)と | |
東北(きね)はアス | 北(ね)は河口(かわぐち)と | |
北西(ねつ)本栖(もとす) | 西(つ)は西(にし)の湖(うみ) | |
西南(つさ)はスド | 新治(にはり)の民(たみ)の | |
群(むれ)来(き)たり | 湖(うみ)堀(ほ)り土(つち)お | |
峰(みね)に上(あ)げ | 八英(やふさ)はかりと | |
天(あ)に応(こた)え | 中(なか)の地(わ)もがな | |
ウツロヰが | 淡海(あわうみ)浚(さら)え | 淡海(琵琶湖)の湖底の土 |
三尾(みを)の地(わ)と | 一荷(ひとにな)い来(き)て | 三尾の土を一度に担がせる |
朝(あさ)の間(ま)に | 中峰(なかみね)なせば | |
神(かみ)の名(な)も | 稜威(いづ)朝間峰(あさまみね) | |
山高く | 湖(みずうみ)深(ふか)く | |
並(なら)びなし | 峰(みね)に降(ふ)る雪(ゆき) | |
池水(いけみず)の | 末(すえ)九千里(こちさと)の | |
田(た)となりて | およぶ御世(みよ)だに | |
二十年(はたとし)に | 浚(さら)えなせとて | |
酒折(さかおり)の | 宮(みや)に入(い)ります |
山梨県の甲府と石和の中間にある酒折宮。 山梨県甲府市酒折3-1-13 四十紋に「酒折の 宮は昔の 原の宮」〔40−2〕とあることから、酒折宮=原の宮であることが判然とする。 この「原の宮」とは、四紋〔4−8〕以降に記するところの、二神が天照神を生み育てた宮をさすものと考えられる。 本紋〔24−49〕には、瓊瓊杵尊がこの酒折宮を再建し、原朝間宮としたことも記されている。 |
預(あづか)りの | 大山祗命(おおやますみ)が | |
御饗(みあえ)なす | 御膳(みかしは)捧(ささ)ぐ | |
葦津姫(あしつひめ) | 一夜(ひとよ)召(め)されて | 大山祗命の娘で桜内命の曾孫。称え名を木花咲耶姫という。 |
契(ちぎ)り込(こ)む | 帰(かえ)る新治(にはり) | |
ユキスキの | 宮(みや)に祈(いの)りの | |
大嘗(おおなめ)ヱ | 三種(みくさ)お受(う)けて | 新治宮で践祚(せんそ)の大嘗ヱ(おおなめえ)が執り行われ、忍穂耳尊より三種の神器をお受けになり、天つ日嗣を譲り受けた。 |
天(あ)に応(こた)え | 宮(みや)に治(おさ)むる | |
その飾(かざ)り | 香久(かぐ)八幡(やはた)あり | |
その明日(あすか) | 大御宝(おおんたから)に | |
拝(おが)ましむ |
【4】子守神が日高見・津軽・越国を回って計画書の作成
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四「コヱ国原見山の紋」(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
天児屋根命(こやね)鹿島宮(かしま)に | ||
年(とし)越(こ)ゆる | 大物主命(ものぬし)一人(ひとり) | 大物主命とは子守神のこと。 |
日高見(ひだかみ)の | 井堰(いせき)なし | |
日隅(ひすみ)まで | 祖父(ををじ)喜(よろこ)び | 津軽の大己貴(奇杵)命。 |
「その父(ちち)が | 大和(やまと)の神(かみ)と | 子守神の父・奇彦命が大和大国御魂神となって、三輪山に隠れた、ということ。 |
成(な)りてのち | 孫(まご)に会いたくて | |
年寄(としよ)ると」 | 手づから御饗(みあえ) | |
大物主命(ものぬし)も | 喜(よろこ)び曰(いわ)く | |
「わが君(きみ)の | 山(やま)お八英(やふさ)の | |
居雪(ゐゆき)なす」 | 祖父(おおぢ)驚(おどろ)き | |
「われたとひ | 新田(あらた)なすとも | |
これ知らず | 君(きみ)は真(まこと)の | |
照(て)らす神(かみ) | 代々(よよ)の御祖(みをや)ぞ | |
忠(まめ)なせ」と | 国境(くにさかい)まで | |
送りてぞ | 名残あるなり | |
大物主(ものぬし)は | 海辺(うみべ)お西(にし)に | |
巡(めぐ)りつつ | 差絵(さしえ)に新田(あらた) | 差絵とは計画図のこと。 |
起(おこ)さしむ | 佐渡(さど)に渡(わた)りて | |
新田(あらた)なす | 越国(こし)に戻(もど)りて | |
井堰(いせき)なすかな |
【5】母と姉の罠に落ちる木花咲耶姫、三つ子の出産ののち疑いが晴れる
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
【6】豊居雪山(とよゐゆきやま)
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
そののちに | 君(きみ)この山に | |
登り見て | 中心(なかご)休(やす)めり | |
八(や)つ峰(みね)に | 居雪(ゐゆき)絶(た)えねば | |
代々(よよ)の名(な)も | 豊居雪山(とよゐゆきやま) | |
= 中略 = |
【7】瀛(おき)の壺(つぼ)、方壺(けたつぼ)、原見(はらみ)ハ壺(つぼ)
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
二神(ふたかみ)の | 国中柱(くになかばしら) | |
瀛(おき)の壺(つぼ) | 天照神の |
瀛(おき)の壺とは、近江国八尋殿。 壺は天界と交流する要所。 |
日高見(ひだかみ)の | 方丈宮(かたたけみや)の | 方丈宮(かたたけみや)とは、四紋に「みな方壺の ヤマテ宮」と見えることから、ヤマテ宮のことと考えられる。 |
中柱(なかばしら) | 方壺(けたつぼ)の文(ふみ) | |
稜威神(ゐづかみ)の | 原見(はらみ)ハ壺(つぼ) | ハ壺(つぼ)とは酒折宮のことか。 |
四方八方(よもやも)の | 中柱(なかばしら)なり | |
大御神(ををんかみ) | 原(はら)の治君(をきみ)と | |
名(な)お賜(たま)ふ | ||
= 中略 = |
【8】忍穂耳尊、箱根の洞で神上がり
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
世々(よよ)豊(ゆた)か | 八万年(やよろとし)経(へ)て | |
日高見(ひだかみ)の | 君(きみ)より召(め)せば | |
諸(もろ)ともに | 宮(みや)に上(のぼ)れば | |
父帝(ちちみかど) | 御子(みこ)二方(ふたかた)に | |
勅(みことのり) | ||
= 中略 = |
【9】比叡山造成の勅
『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の二十四〔コヱ国原見山の紋〕の前半(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P3-32 )
箱根神(はこねかみ) | 三年(みとせ)祭(まつ)りて | |
瀛壷(おきつぼ)の | 峰(みね)より眺(なが)め | |
勅(みことのり) | 比叡山の造成の勅。 |
Copyright (C) 2002-2014 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
お問合せはこちらのメールフォームからお願いします。※当サイトのテキスト・画像等すべての転載転用、商用販売を固く禁じます。