安土町の奥石神社 (おいそ)【5】記録に残しておきたいメモ書き|滋賀県

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滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615( いつもNAVIによる広域地図
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記録に残しておきたいメモ書き

奥石神社の大地深くに、火の国の怒りと憎しみの根源が隠れている・・

 火の国の中心が安土山の位置に相当し、その安土山から怒りと憎しみの烈火が走り、観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕の南側の位置に相当する大地を裂いた。
 志呂志神社(しろし)長田神社大炊神社白鬚神社周辺の出来事がきっかけとなって暴発した火の国の烈火は大地を裂いてしまったが、老蘇の森の星霜を経ることによって鎮静化されてきたものらしい。
 天之誓約の時に天照大神が観音寺山〔繖山-きぬがさやま〕から佐々木山(小中山・常楽寺山)に降臨されたこと、
 時を経て、少彦名命が沙沙貴神社に漂着し、奇杵命(大国主命)とともに民の教化にあたられてこと、
 七代孝霊天皇の時代に石辺大連翁が地裂け水湧いて人が住めないこの地に樹木を植え緑につつんだこと、
 ・・などこの周辺の土地に秘めた物語はとても深い。
 今回の参拝旅行は、それらを確かめるためのものだ。

 本殿で祝詞を奏上すると・・  

 本殿の前で大祓祝詞を奏上していると、大祓祝詞のある個所にきて、
「あっ!」
 と息を飲み、祝詞奏上を中断することになった。

 その個所は、  

「大津辺に居る大船を 舳解き放ち艫解き放ちて 大海原に押し放つ事の如く 彼方の繁木が本を焼鎌敏鎌以て打ち掃ふ事の如く 遺る罪は在らじと祓ひ給ひ清め給ふ事を 高山の末 低山の末より 佐久那太理に落ち 多岐つ早川の瀬に坐す瀬織津比売と言ふ神 大海原に持出でなむ 」
 という個所であった。

 大祓祝詞の「大津辺」の「大津」は滋賀県の大津市周辺である。  

 そして、安土町は「大津辺」からみて「彼方(おちかた)」にあたる。
 ということは、大祓祝詞のいう「彼方(おちかた)の繁木」とは、安土町の「老蘇の森」である、ということになる。
 安土町の「老蘇の森」の根元、つまり、「地裂け水湧いて」いた昔の大地には、「焼鎌の敏鎌以て打ち掃ふ」べき存在があると大祓祝詞は言っているのだ。
 だからこそ、奥石神社を「鎌宮」と言ってきたのだ。
 大祓祝詞を奏上しながら、上のように気付くと全身を雷に打たれたような衝撃が走った。
 祝詞の奏上を終え、すぐ社務所に走った。

 私のように捉えた人物がいるかどうか知りたかったのだ。  

「大祓祝詞のいう彼方(おちかた)の繁木とは老蘇の森のことではないのですか?」
「奥石神社を鎌宮というのは大祓祝詞の彼方(おちかた)の繁木に関係あるからではないですか?」
「私のように主張している人物はいますか?」

 しかし、私のように主張している人物はいないらしい。  

 火の国(安土山)の怒りと憎しみが実体化し、老蘇の森の根元に潜んでいると私が直感したことを、大祓祝詞は誰にも解るように表現していたのだ。

 怒りと憎しみは、前の宇宙でも克服できなかったことらしい  

 平成22(2010)年4月4日(日)の夜寝るとき、
怒りと憎しみの感情は、前の宇宙でもツマヅイタところだし、今の宇宙でも克服できないでいるところだ
 と告げられた。
 怒りと憎しみの感情の根っこは深いのかもしれない。
 怒りと憎しみの感情はどこからやってくるのか?

白鬚神社を参拝したとき「鎌をもった女性の霊姿」を見ていたが・・

 平成21(2009)年8月10日(月曜日)白鬚神社を訪問したとき、鎌をもった女の人を見ていたのを思い出す。

 白鬚神社の本殿のような配置になっている岩戸神社で祝詞を奏上した。   

 すると「ある女性」が、鎖のついたを、右手で鎌の柄の部分をもち、左手で鎖の部分をもって、石段を登って岩戸神社に迫ろうとしてきている。
 この女性はサシミ女のようにも見えるし、「別の女性」のようにも見える。
 凄まじい執念を発しているようにも見えるが、サシミ女ではないとしたら誰だろう。
 しかし、石段から先には登ってくることは出来ないでいる。
 瓊々杵尊が白山宮から順に梅の花・桜の花・卯の花を折り飾して進んできたのは、椋杵命に3人の女性問題があったという暗示だろうか?
 一人は持子(九頭龍の化身)と早子(八岐大蛇の化身)の母親
 二人目はサシミ女のこと
 三人目がいるとしたらそれは誰だ?

老蘇の森の位置に気付いたのは・・

 老蘇の森の位置に気付いたのは平成22(2010)年3月3日(水)だった。

  平成22(2010)年3月3日(水)、沙沙貴神社と沙沙貴山の整理を始める日に、私に向かって無礼な発言をする人物がいた。
 よく無礼な発言をする人だ。
 鵄さんやnakaさんもそういえばそんなことを言っていた。
 平成21(2009)年12月17日(木)に見た下の映像が頭を駆け巡った・・

12月17日の夢の場面

 同時に
「言葉は神を称えるもの」
 と大きな声で宣言されていた。
 自宅に帰って、御上神社の整理を進め、沙沙貴神社の編集にかかると、上の画像の背後か下の方でうごめいているものが見える
「あれがそうなんだ」
「瓊々杵尊が100万年のときの流れを想定して三上山を造成されたのは、あのためでもあるんだ」
 と思った。

平成22(2010)年3月6日(土)、「時を違えるでないぞ・・」と声を掛けられた。

 佐々木山沙沙貴神社の周辺事情を言葉でシッカリ表現しておくことが必要なのだと思った。
 すぐに飛び起きて、『秀真伝(ほつまつたゑ)』の最低限の引用を記載してアップした。
 平成22(2010)年3月3日(水)に頭を駆け巡っていた下の映像の下の方でうごめいていたのは佐々木山周辺に関係するものらしい・・

12月17日の夢の場面

 半土で自宅に戻り、続けて『秀真伝(ほつまつたゑ)』の書き写しに入った。
 → 佐々木神社での『秀真伝(ほつまつたゑ)』の引用ページ

 それから、佐々木山の背後(イメージ的には東側)を地図で調べた。

 「老蘇の森」といわれるところに「奥石神社(おいそ)」がある。
「 老蘇(おいそ)の森由来
  奥石神社本紀によれば、昔此の地一体は、地裂け水湧いて人住めず、七代孝霊天皇の御宇、石辺大連翁等住人がこの地裂けるを止めんとして神助を仰ぎ多くの松・杉・桧の苗を植えしところ不思議なる哉忽ちのうちに大森林になったと云われている。
 この大連翁は弱い百数十才を数えて尚矍鑠と壮者を凌ぐ程であったので、人呼んで『老蘇(おいそ)』
と云ひこの森を老蘇の森と唱えはじめたとある。 」
 さらに東側には、箕作山(みつくりやま)と赤神山があり正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)を祀っている阿賀神社(あが)がある。
 急所に天照大神と忍穂耳尊が降り立たれた格好だ。

 思えば、忍穂耳尊はスゴイ場所に降りられている。

 白山の別山もそうだし、箱根神社もそうだ。
 九頭龍や火の国の「怒りと憎しみ」を鎮めようとされている。
 神のことを人間が評価するのもおかしいが、スゴイの一言に尽きる。

平成22(2010)年3月29日(月)、ある人霊との会話があった。

 それを踏まえての平成22(2010)年6月17日(木)の「遠い昔、同僚の女性との幸福な関わりの夢」だ。
 この夢は、平成22(2010)年2月27日(土)の夢へと続いていったようだ。