『霊界物語』の天足彦と胞場姫、『聖書』のアダムとイブ
「創世記」アダムとイヴ
〔1-24〕 神はまた言われた、「地は生き物を種類にしたがっていだせ。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがっていだせ」。
そのようになった。
〔1-25〕 神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。
〔1-26〕 神はまた言われた、
「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。
〔1-27〕 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。
〔1-28〕 神は彼らを祝福して言われた、
「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。
〔1-29〕 神はまた言われた、
「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
〔1-30〕 また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」。
そのようになった。
〔1-31〕 神が造ったすべての物を見られたところ、それは、はなはだ良かった。
夕となり、また朝となった。
第六日である。
〔2-7〕 主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった。〔2-8〕 主なる神は東のかた、エデンに一つの園を設けて、その造った人をそこに置かれた。
〔2-9〕 また主なる神は、見て美しく、食べるに良いすべての木を土からはえさせ、更に園の中央に命の木と、善悪を知る木とをはえさせられた。
〔2-10〕 エデンから一つの川が流れ出ていた。園を潤し、そこで分れて四つの川となっていた。
〔2-11〕 その第一の名はピションといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、
〔2-12〕 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。
〔2-13〕 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。
〔2-14〕 第三の川の名はチグリス7といい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユ-フラテスである。
〔2-15〕 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
〔2-16〕 主なる神はその人に命じて言われた、「あなたは園のどの木からでも心のままに取って食べてよろしい。
〔2-17〕 しかし善悪を知る木からは取って食べてはならない。それを取って食べると、きっと死ぬであろう」。
〔2-18〕 また主なる神は言われた、「人がひとりでいるのは良くない。彼のために、ふさわしい助け手を造ろう」。
〔2-19〕 そして主なる神は野のすべての獣と、空のすべての鳥とを土で造り、人のところへ連れてきて、彼がそれにどんな名をつけるかを見られた。人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった。
〔2-20〕 それで人は、すべての家畜と、空の鳥と、野のすべての獣とに名をつけたが、人にはふさわしい助け手が見つからなかった。
〔2-21〕 そこで主なる神は人を深く眠らせ、眠った時に、そのあばら骨の一つを取って、その所を肉でふさがれた。
〔2-22〕 主なる神は人から取ったあばら骨でひとりの女を造り、人のところへ連れてこられた。 〔2-23〕 そのとき、人は言った。「これこそ、ついにわたしの骨の骨、わたしの肉の肉。男から取ったものだから、これを女と名づけよう」。
〔2-24〕 それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである。
〔2-25〕 人とその妻とは、ふたりとも裸であったが、恥ずかしいとは思わなかった。
〔03:01〕主なる神が造られた野の生き物のうちで、最も賢いのは蛇であった。蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」
〔03:02〕女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 〔03:03〕でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
〔03:04〕蛇は女に言った。
「決して死ぬことはない。 〔03:05〕それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
〔03:06〕女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 〔03:07〕二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 〔03:08〕その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 〔03:09〕主なる神はアダムを呼ばれた。
「どこにいるのか。」
〔03:10〕彼は答えた。 「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
〔03:11〕神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
〔03:12〕アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
〔03:13〕主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
〔03:14〕主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。 〔03:15〕お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」
〔03:16〕神は女に向かって言われた。
「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」
〔03:17〕神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。 〔03:18〕お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。 〔03:19〕お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
〔03:20〕アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。 〔03:21〕主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。 〔03:22〕主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
〔03:23〕主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。 〔03:24〕こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
善悪の木は浄化システムだった可能性がある
「善悪の木」というのは浄化システムなっている可能性がある。ジェラルド・ポラック博士の水の浄化システム。
引用先:http://water-memory.jp/WaterScience/pollack.htm
この親水性表面で「排除層」が形成されるという現象を利用して、2つの応用例がポラック博士によって、示されています。その1つ目は、「排除層」には水以外の物質が入りにくいことを利用して、水を浄化するシステムです。
すると、管の表面近くで「排除層」が形成されます。この「排除層」においては、水に溶けている物質や浮遊している物質は、文字通り排除されていきます。
そこで、管の表面近くの水を、管の中心付近の水から分離すれば、水を浄化することが可能です。
ポラック博士によれば、図3に示す簡単な装置を使って、1回のプロセスで不純物が200分の1になったとのことです。
とうことは、管の中心層は周辺より200倍不純物が多いということだ。
ジェラルド・ポラック博士の研究に示唆を得て、論を進めてみよう。
水流を森に集め、森林の樹幹の管を通過させ、さらに森林の中心の果実として外部に抽出されるようになっていたのかもしれない。 ということは、善悪の木というのはエデンという特殊地帯における浄化システムの最終装置だったのかもしれない。 混濁とした大地の気を浄化するためのシステムがイブの体慾によってシステム障害を起こす可能性が出てきたのだろう。 この方法で純化された水は、不純物が除去されているので、物質化学的により純粋なものになりますが、同時に水自身が構造化された形に変わります。すなわちこの方法は、構造化された水を大量に得るためにも使うことができるのです。
中心層を除去するだけで、不純物を200分の1にすることができる。
〔2-11〕 その第一の名はピションといい、金のあるハビラの全地をめぐるもので、
〔2-12〕 その地の金は良く、またそこはブドラクと、しまめのうとを産した。
〔2-13〕 第二の川の名はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。
〔2-14〕 第三の川の名はチグリス7といい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユ-フラテスである。
〔2-15〕 主なる神は人を連れて行ってエデンの園に置き、これを耕させ、これを守らせられた。
筒状の根で大地の水分を吸い上げます。
この時の状態が、水中の「音の国」と同じ現象を引き起こします。
水が筒状の根を通るときに、質量ゼロの「音(フォノン)」が生じるのです。
この質量ゼロの「音(フォノン)」と質量ゼロの「光(フォトン)」が木の表層で結びつき質量を生じた「光を発しないエバネッセント光子(心の実体)」が生じます。
この点で、木は命の源であり、「心の実体」の源であるのです。
これが「根の国」です。
象徴性であれば、「善悪の木」の意味付けはは置き換え可能だ
これは「善悪の木」と象徴されているが、置き換えが可能。他人が作った果実を取る。
隣人の畠の収穫を自分のものにする。
それぞれの時代で拡大解釈できる。
ヘビが提示する論点
(1)神の発言「食べてはいけない、死んではいけないから」蛇は女に言った。
「園のどの木からも食べてはいけない、などと神は言われたのか。」〔03:02〕女は蛇に答えた。
「わたしたちは園の木の果実を食べてもよいのです。 〔03:03〕でも、園の中央に生えている木の果実だけは、食べてはいけない、触れてもいけない、死んではいけないから、と神様はおっしゃいました。」
(2)蛇の発言「決して死ぬことはない、食べると神のように善悪を知るものとなる」
ここで「神の教え」と、「蛇の教え」の2つの教えが存在することになった。
〔03:04〕蛇は女に言った。「決して死ぬことはない。 〔03:05〕それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものとなることを神はご存じなのだ。」
(3)女はおいしそうという体慾にかられて善悪を知る木の実を食べた。
これ以降、欲望優先の世の中へなっていった。
〔03:06〕女が見ると、その木はいかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた。女は実を取って食べ、一緒にいた男にも渡したので、彼も食べた。 〔03:07〕二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。 〔03:08〕その日、風の吹くころ、主なる神が園の中を歩く音が聞こえてきた。アダムと女が、主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れると、 〔03:09〕主なる神はアダムを呼ばれた。「どこにいるのか。」
〔03:10〕彼は答えた。 「あなたの足音が園の中に聞こえたので、恐ろしくなり、隠れております。わたしは裸ですから。」
〔03:11〕神は言われた。
「お前が裸であることを誰が告げたのか。取って食べるなと命じた木から食べたのか。」
〔03:12〕アダムは答えた。
「あなたがわたしと共にいるようにしてくださった女が、木から取って与えたので、食べました。」
〔03:13〕主なる神は女に向かって言われた。
「何ということをしたのか。」
女は答えた。
「蛇がだましたので、食べてしまいました。」
(現実)さて知識のある蛇はウソを言っていることになるのだろうか?
「死なないのなら食べよう」という風に「蛇の教え」受け入れた。
実際にアダムとイヴは死んではいない。
ひふみ神示
ひふみ神示 第20巻 梅の巻 第十一帖
世は神界から乱れたのであるぞ、人間界から世建直して、地(くに)の岩戸 人間が開いて見せると云ふ程の気魄なくてならんのざぞ、その気魄 幸(さき)はふのざぞ、岩戸開けるぞ。ひふみ神示 第24巻 黄金の巻 第十三帖
神示はちっとも違はん。違ふと思ふことあったら己の心顧みよ。その心 曇ってゐるのであるぞ。めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。めぐりなくなれば神が有難いのぢゃ。人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。神が人間になって働くのぞ。判りたか。ひふみ神示 第24巻 黄金の巻 第二十八帖
しくじりも人間にはあるぞ。しくじったらやり直せよ。しくじりは火と水の違ひぞ。このことよく心得てなされよ。しくじり、しくじりでなくなるぞ。何も思案投首 一番罪深い。皆それぞれに喜び与へられてゐるでないか。ひふみ神示 第24巻 黄金の巻 第六十八帖
神と人の和は神よりなさるものであるぞ。本質的には人間から神に働きかけるものでないぞ。働きかける力は神から出るのであるから人間から和し奉らねばならんのであるぞ。ヘビに対する呪い
神に変わって人間に教えを説いた蛇。〔03:14〕主なる神は、蛇に向かって言われた。
「このようなことをしたお前はあらゆる家畜、あらゆる野の獣の中で呪われるものとなった。お前は、生涯這いまわり、塵を食らう。 〔03:15〕お前と女、お前の子孫と女の子孫の間にわたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕きお前は彼のかかとを砕く。」
神霊界における蛇(ヘビ)の位置は?
理屈や理論。あるいは物事の関連図の連関を示す矢印が蛇(ヘビ)だ。
全ての知識が細切れになった状態で、その知識の連関を示すものが蛇(ヘビ)となって現れている。
知識の断片(屁理屈)を使うと、こういう状況になった、という事例集も蛇の集積。
土は呪われるものとなった
〔03:16〕神は女に向かって言われた。「お前のはらみの苦しみを大きなものにする。お前は、苦しんで子を産む。お前は男を求め彼はお前を支配する。」
〔03:17〕神はアダムに向かって言われた。
「お前は女の声に従い取って食べるなと命じた木から食べた。お前のゆえに、土は呪われるものとなった。お前は、生涯食べ物を得ようと苦しむ。 〔03:18〕お前に対して土は茨とあざみを生えいでさせる野の草を食べようとするお前に。 〔03:19〕お前は顔に汗を流してパンを得る、土に返るときまで。お前がそこから取られた土に。塵にすぎないお前は塵に返る。」
〔03:20〕アダムは女をエバ(命)と名付けた。彼女がすべて命あるものの母となったからである。 〔03:21〕主なる神は、アダムと女に皮の衣を作って着せられた。 〔03:22〕主なる神は言われた。
「人は我々の一人のように、善悪を知る者となった。今は、手を伸ばして命の木からも取って食べ、永遠に生きる者となるおそれがある。」
〔03:23〕主なる神は、彼をエデンの園から追い出し、彼に、自分がそこから取られた土を耕させることにされた。 〔03:24〕こうしてアダムを追放し、命の木に至る道を守るために、エデンの園の東にケルビムと、きらめく剣の炎を置かれた。
なぜ神さまはエデンの園に善悪の知識の木を置かれたのか?
神さまがエデンの園に善悪の知識の木を置かれたのは、アダムとエバに神さまに従うか背くかの選択を与えるためでした。アダムとエバは、善悪の知識の木から取って食べる以外は、何をしても自由でした。創世記2:16−17「神である主は、人に命じて仰せられた。『あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるその時、あなたは必ず死ぬ。』」
もし、神さまがアダムとエバに選択を与えなかったなら、彼らは本質的にはプログラムされたことだけを行うロボットでした。神さまはアダムとエバを、自分で決定し、善と悪のどちらかを選択できる「自由」な存在として造られました。アダムとエバが本当に自由となるためには、彼らは選択をもたなければならなかったのです。
木も、その実も本質的に悪だったわけではありません。その実を食べることで本当にアダムとエバにそれまで以上の知識が 与えられたということもありそうなことではありません。不従順の行為がアダムとエバの目を悪に開いたのです。神さまに背いた彼らの罪がこの世界と彼らの人生に罪と悪をもたらしました。その実を食べること、つまり神さまへの不従順の行為がアダムとエバに悪の知識を与えたのです(創世記3:6−7)。
神さまはアダムとエバに罪を犯して欲しくありませんでした。神さまは、罪の結果が何であるか、前もってご存知でした。神さまはアダムとエバが罪を犯し、それによって悪と苦しみと死とをこの世界にもたらすことを知っておられました。それなら、なぜ神さまはエデンの園に木を置き、サタンがアダムとエバを誘惑することを許可されたのでしょうか?. 神さまは、アダムとエバに選択を与えるためにエデンの園に善悪の知識の木を置かれました。神さまはアダムとエバが選択を迫られるように、サタンが彼らを誘惑することを許可されました。アダムとエバは、自分たちの自由意志で神さまに背いて禁断の実を食べることを選択しました。その結果である悪、罪、苦しみ、病、そして死がそのとき以来この世界を悩まし続けています。アダムとエバの決心のせいでひとりひとりすべての人が罪の性質、つまり罪を犯す傾向があるように生まれてくるという結果を生みました。アダムとエバの決心が、究極的にイエス・キリストが私たちのために十字架で血を流さなければならないようにしました。キリストへの信仰によって、私たちは罪の結末から自由になり、究極的には罪自体から自由になることができます。ローマ7:24−25の使徒パウロのことばを私たちも繰り返そうではありませんか。「私は、ほうんとうにみじめな人間です。だれがこの死のからだから、私を救い出してくれるのでしょうか。私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」
なぜ神は悪の存在を許したか?
(2)なぜ神は悪の存在を許したか?「神は愛であり善であり、かつ全知全能である」
とすれば、悪の存在はそのような神の存在を信じる立場に一つの困難を突きつけます。悪の問題は、哲学史上、神の非存在を証明するためにしばしば利用されてきたものです。
その代表的な例の一つが、つぎのような、デイヴィッド・ヒュームの言葉です。
いったい、そもそもなぜ、この世界には悪や苦が存在するのだろうか。
偶然であるわけはない。原因がなければならないはずだ。
では、神が悪や苦の原因なのだろうか。いや、神は完璧なる愛と善意のお方であるはずだ。では、神の意図に反して、悪や苦は存在しているのだろうか。
しかし、神は全能ではなかったか。
(『自然宗教に関する対話』より、佐倉訳)
つまり、
(a)神のつくった世界に悪や苦が存在する。
(b)神は愛であり善であり、かつ全知全能である。
という二つの命題は矛盾しており、しかも(a)は事実であるから、(b)は間違っているという結論が導出されるわけです。
一般に、
「神がいるなら、なぜ不幸な人間をほおっておくのか」
という議論はもっともよく聞かれる無神論者の理由です。
このような論理に対する反論は、大きく分けて、次のような二つの立場があると思います。
(c)悪や苦は、神に反逆した人間(や天使)がもたらしたものである。しかし、神は愛であり全知全能であるから、やがて、すべての悪を滅ぼし、人間を救い、理想の世界(神の国)を実現する。
(d)悪や苦の存在を許すことは、もっと広い次元から見れば、善の一部である。悪や苦の可能性のまったくない善より、悪や苦の可能性の存在する善の方が、よりすぐれた善である。
少々乱暴に分けてしまえば、
(c)はキリスト教の基本的立場であり、
(d)はユダヤ教の立場である、と言えると思います。
実際は、キリスト教も、神の国という完全な善の世界が到来するまで、一時的に神が悪や苦の存在を許している理由を正当化するために、部分的には(d)の論理を必要とします。また、ユダヤ教においても歴史的に(c)が流行した時期(前2世紀から後1世紀)があります。
(c)はわかりやすいと思いますが、(d)は説明を必要とするかも知れません。
もっとも一般的な説明は、自由による護教論です。つまり、もし神が悪の可能性を許さぬ世界を造るとしたら、それは人間に自由のない世界でもある。ロボットの世界にすぎない。たとえ悪の可能性があったとしても、自由のある世界の方が、よりすぐれた世界である。いわゆる、「すべての可能な世界のうちで最善の世界」を神が造ったのだ、というライプニッツに代表される論理です。
これらの護教論は、人間のつくりだす悪については、ある程度の説得力を持ちますが、自然災害については十分に説得力を持ち得ていない、と一般に考えられています。そこで、悪の存在に関する護教論は最終的には、
「神のなされることは人間の知恵にははかりしれないものである」
というところに逃れてしまうため、論議は行き止まりになってしまうのが現実だと思います。
(3)神の責任
罪の責任を問うためには、法律の存在が先行しなければなりません。
つまり、神の存在に先行して、善と悪の基準となる律法がより上位の権威として存在しているのでなければ、神の責任を問うことはできません。ところが、ご存じのように、聖書によれば、律法があって神があるのではなく、神があって律法があるのです。神の意志が善悪の基準なのです。神は律法によって裁かれる者ではなく、神がその意志に従って律法を与えるのです。神は律法の上に立つ権威なのです。したがって、神の責任ということはありえないと思います。聖書の神を認めれば、そういうことにならざるを得ません。
聖書の神は絶対君主なのです。
それゆえにこそ、「殺すべからず」という律法を人間にあたえておきながら、おのずからは、殺人を命令することもできるわけです。この神の絶対君主的性格は、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教という、パレスチナで生まれた三大宗教にすべて共通しています。これらの宗教の特徴を生み出した母胎としては、日本の学説の中では、たとえば、和辻哲郎の『風土』に代表されるように、「砂漠の宗教」説が有名ですが、わたしは、そうではなく、すでに他の所でも説明したように(「作者より木村さんへ」参照)、古代イスラエル人とつねに深い関わりのあった、古代メソポタミアや古代エジプトの強大な政治権力との争いの歴史が生み出したものであると考えています。
絶対君主の権威は法律の権威よりも上位にあるために、絶対君主は法律に縛られていません。
法律に縛られていなければ、絶対君主を罪の責任に問うわけにはいきません。つまり、わたしたちが、聖書に書いてあるような神を認める限り、神が何をしようが、わたしたちは神を責めることはできません。絶対君主としての神を認めたとき、わたしたちは、同時に、神を責める法的根拠を放棄しているのです。
『霊主体従』第二巻(丑の巻)総説 アダムとイブ
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm020003『霊主体従』第二巻(丑の巻)総説 アダムとイブ
神界における神々の着物について国治立命のような高貴の神は、たいてい絹物、上衣は紫の無地。下衣が純白。中の衣服は紅の無地である。
国大立命は青色の無地の上衣、中衣は赤、下衣は白色。
稚桜姫命は上衣は水色、種々の美しい模様があり、上中下とも松や梅の模様がついた十二単衣の服装である。
大八洲彦命、大足彦は、上衣は黒色の無地、中衣は赤、下衣は白色の無地。
その他の神将は位によって、青、赤、緋、水色、白、黄、紺などいずれも無地の服で、絹、麻、木綿等に分かれている。
冠は八王八頭以上の神々。それ以下は烏帽子をかぶっている。直衣、狩衣。婦神はたいてい明衣。青、赤、黄、白、紫などで、袴も五色に分かれている。
神将は闕腋の胞を来て冠をつけ、黒色の衣服である。神卒は一の字の笠を頭に載せ、裾を短くからげ、手首・足首には紫の紐で結んでいる。
これは国治立命がご隠退する以前の神々の服装であるが、時代が下るにつれて、現界の人々の礼装のような服を着る神々も現れ、神使の最下である金神天狗界では、今日流行の服装で活動するようになっている。
邪神もおのおの階級に応じて正神に化けているが、光沢で判断できる。ただし、邪神も階級が上になると、霊衣・光沢が厚く、判別に苦しむときがある。
人間の精霊は、生者は円い霊衣をかぶっているが、亡者は山形にとがって三角形であり、腰から上のみである。徳が高いものは霊衣が厚く、光沢が強く、人を統御する能力を持っている。
しかし大病人などは霊衣が薄くなり、山形になりかけているものもある。
神徳ある人が鎮魂を拝受し、大神に謝罪して天津祝詞の言霊を円満晴朗に奏上したならば、霊衣は厚さを増して死亡を免れるのである。神の大恩を忘れたときは、たちまち霊衣を剥ぎ取られて幽界に送られる。
大国治立尊というときは、大宇宙一切をご守護されるときの御神名であり、単に国治立尊と申し上げるときは、大地球上の神霊界を守護されるときの御神名である。
また、神様が人間の姿となってご活動になったのは、国大立命、稚桜姫命が最初である。
稚桜姫命は、日月の精を吸引した国祖の息吹から生まれた。また、国大立命は月の精より生まれた。
人間も、神々の水火から生まれた神系と、天足彦・胞場姫の人間の祖から生まれた人間の二種類の区別がある。
天足彦・胞場姫も、元は大神の直系から生まれたのであるが、神命に背いたという体主霊従の罪によって、差が生まれたのである。
現代はいずれの人種も体主霊従の身魂に堕落しており、神界から見た場合には判別ができないほどになっている。
盤古大神は日の大神の直系であり、太陽界から降誕した。
日の大神・伊邪那岐命のご油断によって、手のまたを潜り出て、現今でいうと支那の北方に降った。
温厚な正神である。
また、大自在天大国彦は、天王星から降臨した。豪勇な神人である。
いずれもみな、善神界の正しい神であった。しかし地上界に永く住むうちに、天足彦・胞場姫の天命違反によって生じた体主霊従の邪気から生まれた邪霊に憑依され、悪神の行動を取ることになってしまった。
これが、地上世界が混濁し、俗悪世界となってしまった背景である。
八王大神常世彦は、盤古大神の水火から出生した神であり、常世の国に霊魂をとどめている。
常世姫は稚桜姫命の娘であるが、八王大神の妃となった。八王大神の霊に感合し、八王大神以上の悪辣な手段で世界を我意のままに統括しようと、体主霊従的な経綸を画策している。
八王大神には、天足彦・胞場姫の霊から生まれた八頭八尾の大蛇が憑依している。
常世姫には金毛九尾白面の悪狐が憑依し、大自在天には六面八臂の邪気が憑依してしまった。
艮の金神国治立命の神系、盤古大神の系統、大自在天の系統が、地上霊界において、三つ巴となって大活劇を演じることとなった。
霊界物語第二巻の口述が終わったのは大正十一年旧十月十日午前十時であり、また本日は松雲閣で御三体の大神様を始めて新しい神床に鎮祭することになっていた。
続く第三巻では、盤古大神(塩長彦)、大自在天(大国彦)、艮能金神(国治立命)三神系の紛糾と、国祖のご隠退までの状況を口述する予定である。
(註)本巻において、国治立命、豊国姫命、国大立命、稚桜姫命、木花姫命となるのは、神界の命によって仮称したものです。
『霊主体従』第三巻(寅の巻)第一章 神々の任命
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0301第一章 神々の任命
国治立命は無限絶対の大神力によって大地を創造し、軽く清いものは日月星辰となった。陰陽二神の夫婦が生まれ、天足彦、胞場姫となった。天足彦と胞場姫は、宇宙間の邪気が凝った体主霊従の果実を食し、そのために身魂は堕落し、その邪悪の気が凝って八頭八尾の悪竜、金毛九尾の悪狐、六面八臂の邪神らが発生した。
この混乱を収めるために、国治立命は豊国姫命を補佐とし、天道別命(モウゼ)とともに天地の律法を制定した。
この経緯は前巻に述べたとおりである。
国治立命は天上の三体の神の命により、太陽界に使神となって日天使・国治立命と称した。また豊国姫命は月天使・国大立命と名づけられた。
日天使の神業は国直姫命に委任された。月天使の神業は豊国姫命に委任された。また天道別命は現界の諸神に律法を宣伝する聖職となった。
天地の律法をあまねく拡充するために、十六天使が定められ、大八洲彦命が天使長となった。
十六天使は天上地上を往復して律法を宇宙間に宣伝し、一時は天地ともに太平に治まった。
しかしふたたび邪神の勃興により、世の中は混乱の巷と化してきた。
この状況に、国治立命はシオン山に鎮祭していた十二個の玉を大地の各所に配置し、これを国魂の神となした。また八頭神を任命した。
『霊主体従』第一巻(子の巻) アダムとイブ
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm010003霊界物語 第1巻 霊主体従 子の巻 あらすじ アダムとイブ
天の大神は、最初に天足彦、胞場姫のふたりを造りて、人体の祖となしたまひ、霊主体従の神木に体主霊従の果実を実らせ、『この果実を喰ふべからず』
と厳命し、その性質のいかんを試みたまうた。
ふたりは体欲にかられて、つひにその厳命を犯し、神の怒りにふれた。
これより世界は体主霊従の妖気発生し、神人界に邪悪分子の萠芽を見るにいたつたのである。
かくいふ時は、人あるひは言はむ。
『神は全智全能にして智徳円満なり。なんぞ体主霊従の萌芽を刈りとり、さらに霊主体従の人体の祖を改造せざりしや。体主霊従の祖を何ゆゑに放任し、もつて邪悪の世界をつくり、みづからその処置に困むや。ここにいたりて吾人は神の存在と、神力とを疑はざるを得じ』
とは、実に巧妙にしてもつとも至極な議論である。
されど神明には、毫末の依怙なく、逆行的神業なし。
一度手を降したる神業は昨日の今日たり難きがごとく、弓をはなれたる矢の中途に還りきたらざるごとく、ふたたび之を更改するは、天地自然の経緯に背反す。
ゆゑに神代一代は、これを革正すること能はざるところに儼然たる神の権威をともなふのである。また一度出でたる神勅も、これを更改すべからず。神にしてしばしばその神勅を更改し給ふごときことありとせば、宇宙の秩序はここに全く紊乱し、つひには自由放漫の端を開くをもつてである。古の諺にも『武士の言葉に二言なし』といふ。いはんや、宇宙の大主宰たる、神明においてをやである。
神諭にも、
『時節には神も叶はぬぞよ。時節を待てば煎豆にも花の咲く時節が参りて、世に落ちてをりた神も、世に出て働く時節が参りたぞよ。時節ほど恐いものの結構なものは無いぞよ、云々』
と示されたるがごとく、天地の神明も『時』の力のみは、いかんとも為したまふことはできないのである。
天地剖判の始めより、五十六億七千万年の星霜を経て、いよいよ弥勒出現の暁となり、弥勒の神下生して三界の大革正を成就し、松の世を顕現するため、ここに神柱をたて、苦・集・滅・道を説き、道・法・礼・節を開示し、善を勧め、悪を懲し、至仁至愛の教を布き、至治泰平の天則を啓示し、天意のままの善政を天地に拡充したまふ時期に近づいてきたのである。
吾人はかかる千万億歳にわたりて、ためしもなき聖世の過渡時代に生れ出で、神業に奉仕することを得ば、何の幸か之に如かむやである。神示にいふ。
『神は万物普遍の聖霊にして、人は天地経綸の司宰なり』
と。アゝ吾人はこの時をおいて何れの代にか、天地の神業に奉仕することを得む。
『霊主体従』第一巻(子の巻)第九十七章 天使の降臨
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0297第九十七章 天使の降臨〔九七〕
シオン山と竜宮城の戦闘に破れた常世姫は、ロッキー山、ウラル山、バイカル湖、死海に向けて伝令を下した。すると死海の水はにわかに沸騰し、天に沖して原野を濁水に変じ、悪鬼となった。ウラル山は鳴動し、八頭八尾の悪竜と化し、あまたの悪竜・悪蛇を吐き出した。バイカル湖の水は赤色を帯びて血なまぐさい雨となって降り注いだ。揚子江の上流である西蔵、天竺国境の青雲山から火焔が吐き出され、金毛九尾の悪狐となり、その口から数多の悪狐を四方に吐き出した。
天足彦、胞場姫の霊から出生した金毛九尾白面の悪狐は、天竺にくだり、ウラル山麓の原野にあらわれた。そして、八頭八尾の悪竜の一派であるコンロン王の妃となった。
しかしコンロン姫はコンロン王を滅ぼしてウラル山一帯を掌握しようと、仏頂山の鬼竜王と通じていた。それを知ったコンロン王の部下・コルシカは鬼竜王を攻撃した。常世の国の援軍は、仏頂山に進んで荒鷲、猛虎、獅子、狼となって散乱した。ここに敵味方入り乱れた同士討ちの混乱が始まった。
このとき地の高天原では国治立命が、大八洲彦命に命じて芭蕉の葉に律法を記し、もって混乱を収めようとしたが、用いる者無く失敗した。天上からは高照姫命が降り、一刻も早く地上の混乱を収めるように、と国治立命に神意を伝えた。
国治立命は混乱の収拾を確約し、国照姫命は天上に帰還した。
『ひふみ神示』
◆ ひふみ神示 第18巻 光の巻 / (一火キ) 全八帖 第五帖 (四〇一)
大臣(おとど)は火と水と二人でよいぞ、ヤとワと申してあろが、ヤ、ワ、は火の中の水、水の中の火であるぞ、後はその手伝いぞ、手足ざぞ、役人 自(おのづか)ら出来るぞ。ヤクはヤクであるぞ、今迄は神国と外国と分れてゐたが、愈々一つにまぜまぜに致してクルクルかき廻してねり直して世界一つにして自ら上下出来て、一つの王で治めるのぢゃぞ。人民はお土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、もう、どうにも人間の力では出来ん様になったら お地(つち)に呼びかけよ、お地(つち)にまつろへよ、お地(つち)は親であるから親の懐(ふところ)に帰りて来いよ、嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ、百姓から出直せよ。
ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。
◆ ひふみ神示 第18巻 光の巻 / (一火キ) 全八帖 第六帖 (四〇二)
今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。◆ ひふみ神示 第29巻 秋の巻 第二帖
人民は土でつくったと申せば、総てを土でこねてつくり上げたものと思ふから、神と人民とに分れて他人行儀になるのぞ。神のよろこびで土をつくり、それを肉体のカタとし、神の歓喜を魂としてそれにうつして、神の中に人民をイキさしてゐるのであるぞ。取り違ひせんように致しくれよ。親と子と申してあろう。
木の股や土から生れたのではマコトの親子ではないぞ。
『三鏡』P87、人間は木から生まれた
足魂(たるむすび)から生魂(いくむすび)が出る。大きな木が腐って人間が生まれた。あたかも小豆に虫が発生し、クヌギにカブト虫ができ、また栗の木から栗虫ができるようなものである。『三鏡』P91、人間の創造
神は、この宇宙を修理個成されるとき、まず樹木を造り、それから人を造られたのである。人間は木から生まれさせられたのである。
そののち獣、鳥、魚、虫の順序にお造りになった。虫のごときは、今日といえどもなお木からわかして造られることがある。いかなる島にでも人間が住んでいるということは、神が諸処において木から人を造られたからである。
神が土をもって人間を造られたというのは、神がまず土をかためて木を生やし、それから人間を造られたのであって、直接土から造られたというのではない。
土から木をはやし、木から人間を造られた、その間でも何百万年もかかっている。
『舎身活躍』第39巻(寅の巻) 後付 附録 大祓祝詞解
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地球に於て、肉体を具備されたる神の御出生ありしは、琵琶湖の竹生島からは、多紀理毘売命、市寸島比売命、狭依毘売命の三姫神、又蒲生からは天之菩卑能命、天津彦根命、天之忍穂耳命、活津日子根命、熊野久須毘命の五彦神が御出生に成つた。これが世界に於ける人類の始祖である。かく琵琶湖は神代史と密接の関係あるが故に、沿岸附近の地名が大祓祝詞中に数箇所出て居る。大津の地名も斯くして読み込まれたものである。盤古大神と大自在天
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盤古大神・塩長彦…太陽界から中国の北方に降臨した。大自在天・大国彦…天王星から常世国に降臨した。
タクシャカ龍王、海王星から降臨したのが、悪の根源である八岐大蛇のタクシャカ龍王である。
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霊界物語の「玉」. 霊界物語には神変不可思議な力を持ついろいろな玉が登場する。
第35巻までは、この玉をめぐってストーリーが展開して行く。
国常立大神鎮座の規模の大きさは・・
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幼いころから私の鶴に対する物語
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