ヘブライ文字の成立過程 |月の光

ヘブライ文字の成立過程

天地の始まりを扱っている『聖書』の最初の文字(P590-591)

あいう

◆シュメール語(wiki)
 紀元前2600年楔形文字のシュメール文字が解読されたことにより、原シュメール語の使用が確認された。

◆アッカド語(wiki)

「アッシリア・バビロニア語(Assyro-Babylonian)」とも呼ばれ、古代メソポタミアで、主にアッシリア人やカルデア人(バビロニア人)やミタンニ人に話されていた言語。
 当時は国際共通語でもあった。  アッカド語は歴史・地理的に次のように区分される:
 紀元前2500年ごろ-紀元前1950年ごろ 古アッカド語
 紀元前1950年ごろ-紀元前1530年ごろ 古バビロニア語(南部)/古アッシリア語(北部)
 紀元前1530年ごろ-紀元前1000年ごろ 中期バビロニア語(南部)/中期アッシリア語(北部)
 紀元前1000年ごろ-紀元前600年ごろ 新バビロニア語(南部)/新アッシリア語(北部)
 紀元前600年ごろ-紀元後100年ごろ 後期バビロニア語

◆原カナン文字(wiki)

 原カナン文字とは、青銅器時代後期(紀元前15世紀頃〜)のレバント文書にみられる、22の象形文字からなる頭音書法(英語版)(アクロフォニー)による子音文字である。
 紀元前1050年を境とし、それ以前の文字を慣習的に原カナン文字と呼び、それ以降の文字はフェニキア文字と呼ぶ。
 原カナン文字で書かれた約10の碑文が現在のイスラエルとレバノンで見つかっている。

◆フェニキア文字(wiki)

 フェニキア文字は、古代地中海世界において現在のシリア一帯を中心に活動していた海洋商業民族であるフェニキア人によって北セム系言語であるフェニキア語を書くために使用されていた文字。
 紀元前1050年頃生まれた。
 フェニキア文字が成功したもう一つの理由は、音素文字の使用を北アフリカと欧州に広めた、フェニキア商人の海商文化であった。

◆古ヘブライ文字(wiki)

 古ヘブライ文字とは、古代イスラエルにおいて、現在のアラム文字系統のヘブライ文字が使われる以前に、ヘブライ語を書き表すのに用いられていた、フェニキア文字から最初に分岐した文字で、ほぼ同形の文字のこと。
 後に、アラム文字・アラム語の周辺地域・帝国への普及と、バビロン捕囚の影響などもあり、アラム文字やその派生である現在のヘブライ文字が主流となるが、その後も非捕囚残留民を中心に一部では使用され続けた。

◆アラム語(wiki)

 アラム語(ܠܫܢܐ ܐܪܡܝܐ, ラテン語: Lingua Aramaica)は、かつてシリア地方、メソポタミアで遅くとも紀元前1000年ごろから紀元600年頃までには話されており、かつ現在もレバノンなどで話されているアフロ・アジア語族セム語派の言語で、系統的にはフェニキア語やヘブライ語、ウガリト語、モアブ語(英語版)などと同じ北西セム語族(英語版)に属す言語である。
 アラム人によって話されて各地に広まり、アラム文字で書かれた。アラマイ語とも呼ばれる。
 紀元前1000年前後にアラビア半島から出現したアラム人は、メソポタミア、シリア全域に浸透し、話者人口とその活動範囲を一挙に拡大した。続くアッシリア帝国、新バビロニア、アケメネス朝ペルシア帝国などの大帝国でもアラム語が使われ、国際共通語としての地位を確立した。近隣のセム語話者たちはその文章語、口語のアラム語化といった直接的な影響を受ける。

ヘブライ文字の成立過程

◆シュメール語(wiki)

 紀元前2600年楔形文字のシュメール文字が解読されたことにより、原シュメール語の使用が確認された。
 時代が進むにつれアッカド語に押され、紀元前2000年頃にシュメール人のウル第三王朝が滅亡し、セム語系アッカド語を話すアッカド王朝を経て、約200年(イシン・ラルサ時代)後の紀元前1830年にセム語系アムル語を話すアムル人のバビロン第1王朝に覇権が移る頃に、口語としては死語となった。
 シュメール語の死語化については、軍事征服による虐殺や言語の強制といった兆候は発見されていない。シュメール都市への移住者が少数のうちは移民も速やかにシュメール化されたが、ある時期から比較的短期間にセム語民族が大量に流入し、シュメール人が逆に吸収されてしまったものと推測されている。
 しかし、古代メソポタミア社会において宗教語、学者語として長く受け継がれ、ヨーロッパにおけるラテン語やインドにおけるサンスクリットに類似した地位を与えられた。
 シュメール語と同系統と考えられる言語はこれまでのところ発見されていない。
 一般には系統不明とされる。
 シュメール語圏にはセム語を話す人々が混住していたが、セム語との系統関係は認められない。
 近年エラム語とシュメール語の系統関係の存在を主張する者もいるが、立証されていない。母音調和が存在する膠着語という点ではウラル語族、アルタイ語族とも類似するが、シュメール語は能格言語、ウラル・アルタイ諸語は対格言語という根本的相違がある。能格言語で膠着語の言語はバスク語やカフカス諸語があり、シュメール語はこれらに近縁かも知れない。これを支持する説としてデネ・コーカサス大語族がある。

◆アッカド語(wiki)

 アッカド語(アッカド語 :𒅴𒀝𒂵𒌈 - EME.ak.kA.Dû4 - lišānum akkadītum)は、「アッシリア・バビロニア語(Assyro-Babylonian)」とも呼ばれ、古代メソポタミアで、主にアッシリア人やカルデア人(バビロニア人)やミタンニ人に話されていた言語。
 当時は国際共通語でもあった。アフロ・アジア語族セム語派に分類される。現在知られているなかで最も古いセム語である。楔形文字で表記された。またシュメール語からの借用語が非常に多いのも特徴の一つである。

 アッカド語は歴史・地理的に次のように区分される:
 紀元前2500年ごろ-紀元前1950年ごろ 古アッカド語
 紀元前1950年ごろ-紀元前1530年ごろ 古バビロニア語(南部)/古アッシリア語(北部)
 紀元前1530年ごろ-紀元前1000年ごろ 中期バビロニア語(南部)/中期アッシリア語(北部)
 紀元前1000年ごろ-紀元前600年ごろ 新バビロニア語(南部)/新アッシリア語(北部)
 紀元前600年ごろ-紀元後100年ごろ 後期バビロニア語

◆原カナン文字(wiki)

 原カナン文字(げんカナンもじ)とは、青銅器時代後期(紀元前15世紀頃〜)のレバント文書にみられる、22の象形文字からなる頭音書法(英語版)(アクロフォニー)による子音文字である。
 紀元前1050年を境とし、それ以前の文字を慣習的に原カナン文字と呼び、それ以降の文字はフェニキア文字と呼ぶ。
 原カナン文字で書かれた約10の碑文が現在のイスラエルとレバノンで見つかっている。
 原カナン文字はヒエログリフを祖とし、ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字と関係が深く、西はアラビア文字、ギリシア文字、ヘブライ文字、ラテン文字、キリル文字、ティフナグ文字(ベルベル語の文字) から、東はモンゴル文字、一説によるとパスパ文字を経由してハングルにいたるまで、今日用いられているほぼすべてのアルファベットの原型ともなっている。
 フェニキア文字古ヘブライ文字原カナン文字に最も近いが、ヘブライ語もフェニキア語もカナン語群のひとつであり、太古の発音では、原カナン文字のもとになった言語とほぼ同じ子音体系を有していたことを考えればそれも驚くにはあたらない。
 原カナン文字の祖形となる文字が、1905年と1999年にエジプト中部で発見されており、おそらくこの古代文字にはまだ部分的に表語文字的な性質が残っていたものと思われる(ワディ・エル・ホル文字と原シナイ文字参照)。
 この文字体系は後世のものより字数が多いとみられ、異体字を用いていた可能性もある。
 ギリシア文字、アラビア文字、ヘブライ文字に受け継がれている個々の文字の呼び名は、おそらくすでに原カナン文字に存在していたと考えられている。文字名は頭音法の原則(文字名の初めの音がその文字の音価になっている)に基づいており、ヒエログリフの文字名のセム語による訳語が起源であると推定されている。
 たとえば、エジプト語の"nt"(水)がセム語の"mem"(水)になり、のちのラテン文字Mになった、エジプト語の"drt"(手)がセム語の"kapp"(手)になり、のちのラテン文字Kになった、など。
 文字の順序はわかっていない。
 近縁とされるウガリト文字(楔形文字)ではABGD順とHLḤM順の2種類の順序があった。
 ABGD順はヘブライ文字、ギリシア文字、ラテン文字の順序に似ており、HLḤM順は南アラビア文字とゲエズ文字で確認されている。
 原カナン文字22文字を再建したものと、対応するフェニキア文字、さらにヘブライ文字、ギリシア文字、ラテン文字、アラビア文字、キリル文字を以下に掲げる。

◆フェニキア文字(wiki)

 フェニキア文字は、古代地中海世界において現在のシリア一帯を中心に活動していた海洋商業民族であるフェニキア人によって北セム系言語であるフェニキア語を書くために使用されていた文字。
 紀元前1050年頃生まれた。
 フェニキア文字の前身は、原カナン文字であると推測されている。
 フェニキア文字は22字の文字を持つ純粋なアブジャド(子音文字)である。
 すなわち、子音を表現する文字のみから構成される文字体系である。
 この特徴はフェニキア文字から生まれたヘブライ文字やアラビア文字にも受け継がれた。
 いくつかの後に続いて生み出された文字体系は言語の全ての音を表現する真正のアルファベットだったが、フェニキア文字は母音用のいかなる記号も持たなかった。
 それぞれの字は一つの子音を表し、母音は文脈から導かれた。
 フェニキア文字は最も広く使われる文字体系となり、フェニキアの商人により欧州と中東をまたいで広められた。それらの地域で様々な種類の言語を表記する為に使われるようになり、多くの後継文字体系が生み出された。
 現代の文字体系の多くが、世界の少なくない範囲に広まったフェニキア文字から派生したものだと考えられている。
 フェニキア文字の変化形であるアラム文字は、現代のアラビア文字とヘブライ文字、さらにはブラーフミー文字の祖先である。
 最後のものは、インド、東南アジア、チベット、モンゴルで現在も使われているほとんどのアブギダの親となった。
 ギリシア文字フェニキア文字の直系の後継であるが、特定の文字の音価は母音を表すように変更された。
 さらにこれを発展させてラテン文字、キリル文字、コプト文字が生み出された。
 古ヘブライ文字やモアブ語の文字は、フェニキア文字とほとんど同一である。
 両方とも子音からのみ構成されていた。数世紀を経ると、ヘブライ人はアラム文字を使うようになった。
 ヘブライ語における文字の名前から、フェニキア文字は元来象形文字であったと推測されている。
 例えば、最初の文字アレフ (aleph) は雄牛または牝牛を意味している。人によっては文字の中に牛の角を見て取れるかもしれない。それはラテン語の大文字の A を逆さまにしてみるとより明らかである。またサメフ (samekh) という文字は魚を意味している。
 同じくフェニキア文字の中に魚の骨を見て取ることができる。
 まず、エジプト神聖文字(ヒエログリフ)から原シナイ文字が生じた。
 紀元前1500年頃からシナイとレバントで、恐らく初期西セム語の話者が用いるようになった。それがカナンで紀元前1400年頃から原カナン文字へと発展し、ヘブライ語とフェニキア語やモアブ語のようなカナン諸語(北西セム語)の表記に採用された。
 原カナン文字フェニキア文字は連続性が強いため、フェニキア文字に変わった時期を定めることはできないが、便宜的に紀元前11世紀半ば以降のものをフェニキア文字と呼んでいる。
 フェニキア文字が成功したもう一つの理由は、音素文字の使用を北アフリカと欧州に広めた、フェニキア商人の海商文化であった。
 実際、フェニキア文字の碑文ははるかアイルランドにまで見つかっている。
 フェニキア文字の碑文は、ビブロス (現レバノン) や北アフリカのカルタゴのような、かつてフェニキアの都市や居留地が多数あった地中海沿岸の考古学遺跡で発見されている。
 後にはそれ以前にエジプトで使われた証拠も発見されている。

◆古ヘブライ文字(wiki)

 古ヘブライ文字とは、古代イスラエルにおいて、現在のアラム文字系統のヘブライ文字が使われる以前に、ヘブライ語を書き表すのに用いられていた、フェニキア文字から最初に分岐した文字で、ほぼ同形の文字のこと。
 後に、アラム文字・アラム語の周辺地域・帝国への普及と、バビロン捕囚の影響などもあり、アラム文字やその派生である現在のヘブライ文字が主流となるが、その後も非捕囚残留民を中心に一部では使用され続けた。
 また、サマリア語を表記するサマリア文字を派生した。
 ヘブライ語聖書(旧約聖書)の写本では、バビロン捕囚前は古ヘブライ文字で書かれた神の名だが、バビロン捕囚後は神の固有の名を表す神聖四字の箇所だけを古ヘブライ文字で記され、強調されている。
 ( http://wol.jw.org/ja/wol/mp/r7/lp-j/sgd/2014/4 (画像))

◆アラム語(wiki)

 アラム語(ܠܫܢܐ ܐܪܡܝܐ, ラテン語: Lingua Aramaica)は、かつてシリア地方、メソポタミアで遅くとも紀元前1000年ごろから紀元600年頃までには話されており、かつ現在もレバノンなどで話されているアフロ・アジア語族セム語派の言語で、系統的にはフェニキア語やヘブライ語、ウガリト語、モアブ語(英語版)などと同じ北西セム語族(英語版)に属す言語である。
 アラム人によって話されて各地に広まり、アラム文字で書かれた。アラマイ語とも呼ばれる。
 紀元前1000年前後にアラビア半島から出現したアラム人は、メソポタミア、シリア全域に浸透し、話者人口とその活動範囲を一挙に拡大した。続くアッシリア帝国、新バビロニア、アケメネス朝ペルシア帝国などの大帝国でもアラム語が使われ、国際共通語としての地位を確立した。近隣のセム語話者たちはその文章語、口語のアラム語化といった直接的な影響を受ける。

◆ヘブル語(wiki)

 ヘブライ語(ヘブライご、עברית, Ivrit, ラテン語: Lingua Hebraea)は、アフロ・アジア語族のセム語派に属する北西セム語の一つ。ヘブル語とも呼ばれる。
 ヘブライ語には、古代にパレスチナに住んでいたヘブライ人が母語として用いていた言語古典ヘブライ語(または聖書ヘブライ語)と、現在イスラエル国で話される現代ヘブライ語とがある。現代ヘブライ語はヘブライ語で「 עברית ,イヴリート(イヴリット)」と呼ばれ、古代の聖書ヘブライ語は לשון הקודש , Leshon HaKodesh あるいは「聖なる言葉」すなわち「神の言語」という名前で知られていた。
 古典ヘブライ語はユダヤ人が世界離散(ディアスポラ)したころから次第に話されなくなり、後の時代の離散ユダヤ人は、かわってアラビア語・ラディーノ語・イディッシュ語などの諸言語を日常的に用いた。
 そのためヘブライ語は二千数百年の間、ユダヤ教の言葉として聖書(ヘブライ語聖書)やミシュナーなどの研究・儀式・祈り、別々の言語を話す遠隔のユダヤ人共同体同士がコミュニケーションを取る場合などに使われるのみであった。しかし、20世紀にヘブライ語が現代ヘブライ語として再生され、他の言語に替わってイスラエル国に居住するユダヤ人の日常語の地位を占めるようになって現在に至っている。
 この言語の一般的な名称として使われているヘブライの名は、ユーフラテス川を越えて移住する人たちのことを総称してヘブル人と呼んでいたことに由来する。
 今から紀元前3500年頃にカルデアのウル(現在のイラク)からカナンの地(現在のパレスチナ・イスラエル)に移住したとされるアブラハム一族と、その子孫である人々が他称としてヘブル人、ヘブライ人などと呼ばれるようになり、彼らが使う言語がヘブル語ヘブライ語と呼ばれる。
 特徴として同じセム語派に属するアラビア語と同様に、この言語は右から左に右横書きで書く。またヘブライ文字はアラム文字に由来するため、日本語や英語などと違って、子音を表す表記はあっても、母音を表す表記はないことが多く、言語の習得にはある程度の慣れが必要である。
 ネクダーと呼ばれる母音記号は存在はするが、日本語で出版されているヘブライ語の文法書や語学書や辞書など、言語習得のための初等教科書や発音のわからない外来語の表記の際に使われるだけであり、文章を読んだり書いたりする際に使われる機会は少ないが、イスラエル国でも詩やシャアル・ラマトヒールというヘブライ語初心者向けの新聞にはネクダーが付されている。
 古代のヘブライ人の言葉がカナン語と混じり合ってできあがったものだとされている。  ヘブライ語で書かれた最も著名な書物は「ヘブライ語聖書」(キリスト教徒にとっての旧約聖書)である。
 この言語は当時のオリエント世界の共通語であったアラム語に取って代わられていき、旧約聖書も一部はアラム語で記述された。
 後の新約聖書の時代においても、イエスは日常的にはヘブライ語とともにアラム語を話したと考えられており、新約聖書にはイエスの言葉として両方の言語の言葉がそのまま記載された箇所がある。
 この二言語はきわめて近縁であり、さらに長年の言語接触で一種の方言連続体を形成していたことから、この時代のユダヤ人は自然とアラム語とヘブライ語のバイリンガルとなっていたと推測されている。
 紀元70年にユダヤ人の世界離散(ディアスポラ)が起こってからは、ユダヤ教における宗教儀式において使用されるほかは、ラディーノ語、イディッシュ語の中に痕跡を残すのみで一般的な話し言葉としては完全に使われなくなっていた。
 中世に入って文献学者のヨハン・ロイヒリンは非ユダヤ人にして初めて大学で聖書ヘブライ語を教授しカバラについての著書 (De Arte Cabalistica) を残し、ラビとしての教育を受けたバルーフ・デ・スピノザは死後に遺稿集とした出版された『ヘブライ語文法総記』で文献学的聖書解釈の観点からより言語語学的なヘブライ語の説明を行った。
 その冒頭部で、母音を表す文字がヘブライ文字には存在しないにも拘わらず「母音のない文字は『魂のない身体』(corpora sine anima) である」と記した。

旧約聖書の成立時期

 まとまりのあるものが最初に成立したのは前5世紀から前4世紀頃で、ユダヤ民族がペルシアの支配下にあった時期です。
 ユダヤ教が民族宗教としてそれなりに本格的に成立したと言えるのは、「出エジプト」の出来事の時です。
 前13世紀のことです。
 この時から、聖書の最初の部分が生じるまで、8、900年の時間が流れています。
 ユダヤ教には長い間、「聖書」は存在しませんでした。
 ユダヤ教は聖書に基づいて存在しているのではない、ということになります。

 しかし聖書が、作られ始めます。
「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」の五つの文書からなる、いわゆる「(モーセ)五書」です。
 これに他の文書がだんだんと付け加わって、文書の数が増えていきます。
 聖書の文書は、初めの頃は、すべてヘブライ語で書かれていました。
 ヘブライ語は、古い時代のユダヤ人の言語です。
 しかし、聖書の編纂が始まる前5世紀から前4世紀頃には、一般のユダヤ人はヘブライ語ではなく、アラム語を使っていました。
 ヘブライ語は、勉強をした知識人だけが分かる言語でした。

 前2世紀初めに、重要な事件が生じます。
 ヘレニズム文化(アレキサンダー大王以降のギリシア文化、前4世紀後半以降)が支配的だった時代です。ヘレニズム文化の一大中心地だったエジプトのアレキサンドリアで、ヘブライ語聖書のギリシア語訳が作られます。
「七十人訳聖書」(「セプトゥアギンタ」)です。

◆モーゼ五書はモーゼの時代に成立していたという説もある。

 モーセ五書、時にはトーラ(ヘブライ語: תורה‎)とも呼ばれることがあるが、旧約聖書の最初の5つの書である。
 モーゼの五書、律法、ペンタチュークとも呼ばれる。
 これらはモーセが書いたという伝承があったのでモーセ五書と言われるが、近代以降の文書仮説では異なる時代の合成文書であるという仮説を立て、モーセが直接書いたという説を否定する。  ただし保守的なキリスト教会と学者は今日もモーセ記者説を支持している。
 また正教会における註解書には、こうした学説の対立に触れず、「伝統的に」モーセが著者であるとされているという記述にとどめているものもある。