『霊界物語』と『12番惑星』が描く大洪水 |月の光

『霊主体従』(巳の巻)第6巻 第3篇 大峠 第15章 大洪水(一)

 天より高く咲く花の、天教山に坐しませる、木花姫の御教へも、地教の山に隠ります、高照姫の垂教も、八百八十八柱の、宣伝使の艱難も、盲目聾者の世の中は、何の効果も荒風の、空吹く声と聞き流し、肯諾ふ者は千柱の、中にもわづか一柱、一つの柱は見る者を、金銀銅の天橋に、救むための神心、仇に過せしその報い、雨は頻りに降りきたり、前後を通じて五百六十七日の、大洪水大地震大彗星処々に出没し、日月光を押し隠し、御空は暗く大地の上は、平一面の泥の海、凄じかりける次第なり。
 宣伝使の神示を嘲笑して耳にも入れざりし長白山の磐長彦以下数多の神人は、追々地上の泥水に覆はれて逃げ迷ひ、草木はいづれもずるけ腐り、禽獣虫魚は生命を保たむため、あらゆる附近の山に先を争うて駆け登りける。
 されど、連日連夜の大雨に洪水はますます地上に氾濫し、遂には小高き山もその姿を水中に没するに致りぬ。
 神示の方舟は暴風に揉れつつ、木の葉の散るごとき危ふき光景にて、高山の巓きめがけて漂着せむと焦りをる。
 この方舟は一名目無堅間の船といひ、ちやうど銀杏の実を浮べたる如くにして、上面は全部り樟の堅固な板で、中高に円く覆れ居り、わづかに側部に空気孔が開あけあるのみなりける。
 船の中には神人を初め、牛馬、羊、鳥等が一番宛各自に入いれられ、また数十日間の食物用意されありける。
 種々の船に身を托し、高山目蒐けて避難せむとする者も沢山ありたれど上方に屋根なき舟は、降りくる雨の激しさに、溜り水を汲み出す暇なく、かつ寄せくる山岳のごとき怒濤に呑まれて、数限りなき舟は残らず沈没の厄に逢あひける。
 されど鳥の啼声や、獣類のいづれも山に駆け登るを見て、朧気ながらにも世界の大洪水を知しり、逸早く高山に避難したる人畜はやうやく生命を支ささへ得えたりしなり。
 一般蒼生は数多の禽獣や虫のために、安眠することも出来できず、雨は歇まず、実に困難を極めたりける。ここに一般人は宣伝使の宣伝歌を今更のごとく想ひ出し、悔悟の念を喚び起こし、俄かに神を祈願し始めたれど何の効験もなく、風はますます激しく、雨は次第に強くなるのみなりき。総ての神人は昼夜不安の念に駆られ、ここにいよいよ世の終末に瀕せることを嘆なげき悲しみけり。
 現代の賢しき人間は、天災地妖と人事とには、少しも関係無しと云ふもの多けれど地上神人の精神の悪化は、地上一面に妖邪の気を発生し、宇宙を溷濁くせしめ、天地の霊気を腐穢し、かつ空気を変乱せしめたるより、自然に天変地妖を発生するに至るものなり。
 凡の宇宙の変事は、宇宙の縮図たる人心の悪化によつて宇宙一切の悪化するのは、恰かも時計の竜頭が破損して、時計全体その用を為さないのと同じ様なものである。故に大神の神諭には、 『神の形に造られて、神に代つて御用を致す人民の、一日も早やく、一人でも多く、心の立替立直しをして、誠の神心に成つてくれよ』
 と示し給ふたのは、この理に基づくものである。また、
『人民くらゐ結構な尊いものは無ぞよ。神よりも人民は結構であるぞよ』
 と示めされあるも、人間は万物普遍の元霊たる神に代つて、天地経綸の主宰者たる可き天職を、惟神に賦与されて居るからである。
 古今未曾有のかくのごとき天変地妖の襲来したのも、全く地上の人類が、鬼や大蛇や金狐の邪霊に憑依されて、神人たるの天職を忘れ、体主霊従の行動を敢へてし、天地の神恩を忘却したる自然的の結果である。
 神は素より至仁至愛にましまして、只一介の昆虫といへども、最愛の寵児として之を保護し給ひつつあるがゆゑに、地上の人類を初め動植物一切が、日に月に繁殖して天国の生活を送ることを、最大の本願となし給ふなり。また、
『神を恨めてくれるな。神は人民その他の万物を、一つなりとも多く助けたいのが神は胸一杯であるぞよ。神の心を推量して万物の長と云る人民は、早く改心いたしてくれ。神急けるぞよ。後で取返しのならぬ事がありては、神の役が済ぬから、神は飽くまでも気を付けたが、もう気の付つけやうが無いぞよ。神は残念なぞよ』
 との神諭を、我々はよく味はねばならぬ。
 (大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)

『霊主体従』(巳の巻)第6巻 第3篇 大峠 第16章 大洪水(二)

 世は焼劫に瀕せるか、酷熱の太陽数個一時に現はれて、地上に熱を放射し、大地の氷山を溶解したる水は大地中心の凹部なる地球に向つて流れ集まり、地球は冷水刻々に増加して、さしもに高き山の尾上も次第々々に影を没するに至りける。
 このとき星はその位置を変じ太陽は前後左右に動揺し地は激動して形容し難がたき大音響に充されたりぬ。太陽は黒雲に包まれ、地上は暗黒と変じ、咫尺を弁ぜざる光景とはなりぬ。
 彼の竜宮城に在し三重の金殿は、中空に際限もなく延長して、金銀銅色の天橋を成し、各自天橋よりは金銀銅色の霊線を垂下し、その端の救ひの鉤をもつて、正しき神人を橋上に引き揚げ始めたり。
 天橋の上には蟻の群がる如く、数多の神人が救ひ上げられ、天橋は再び回転を開始したり。東西に延長せる天橋は、南に西に北に東と中空を廻り、天教山、地教山その他数ケ所の高山の巓きに、救はれたる神を送り、またもや憂瀬に沈み苦しめる正しき神人を救くひの鈎を以つて次第々々に天橋の上に引き揚げ玉ひける。
 このとき天教山の宣伝使は、何時の間にか黄金橋の上に立ち、金色の霊線を泥海に投げ、漂流する正しき神人を引き揚げつつあり。而して天橋に神人の充満するを待ちて、またもや天橋は起重機のごとく東南西北に転回し、その身魂相当の高山に運ばれゆくなり。神諭に、
『誠の者は、さあ今と云ふ所になりたら、神が見届けてあるから、たとひ泥海の中でも摘み上あげてやるぞよ』
 と示されあるを、想ひ出さしめらるるなり。
 救ひ上られたる中にも、鬼の眼にも見落としとも云ふべきか、或ひは宣伝使の深かき経綸ありての事か、さしも悪逆無道なりしウラル彦、ウラル姫も銅橋の上に救ひ上られたり。而して常世神王始め盤古神王もまた金橋の上に救はれて居たりける。
 ウラル彦はアルタイ山に運ばれ、その他の神人も多くここに下されたり。この山は大小無数の蟻あり、山頂に堆だかく積もり居たりけるが、凡て蟻は洪水を前知し、山上に真先に避難したりしなり。
 ウラル彦神は蟻の山に運ばれ、全身蟻に包まれ、身体の各所を鋭どき針にて突き破られ、非常の苦悶に堪へかねて少しく山を下り、泥水の中に全身を浸たし見たるに、蟻は一生懸命に喰ひ着きて、苦痛はますます激しく、またもや蟻の山へと這ひ上りゆけり。
 蚊取別の禿頭も此処に居たるが、この時ばかりはその禿頭は全部毛が生えたるごとく見えたりき。全く蟻が集りたる結果りける。
 このアルタイ山に運ばれた神人は、極悪の神人ばかりにして、極善の神人は天教、地教両山に、極悪者はアルタイ山に救すくはれたりける。
 平素利己主義を持ぢし、甘い汁を吸うた悪者共は、全身残らず甘くなつてをると見えて、蟻が喜よろこびて集るに反して、世界のために苦にがき経験を嘗たる神人は、身体苦がく、一匹も蟻は集り得ざるなり。裏の神諭に、
『甘ものには蟻がたかる(有難ありがたかる)。苦ものには蟻がたからぬ(不有難がたからぬ)』
 と書いてあるのは、この物語の光景を洩らされしものなるべし。嗚呼地上の世界は今後何れに行くか心許なき次第なり。
 (大正一一・一・一八 旧大正一〇・一二・二一 井上留五郎録)

『霊主体従』第一巻(子の巻)第四七章 エデン城塞陥落

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 第四七章 エデン城塞陥落