列王記U(下) |「月の光」

12部族の回復預言と預言の書

 「創世記」(第17章7節、第49章)・申命記(第33章)・列王記T(第12章)・列王記U(第17章)・
 イザヤ書エレミヤ書エゼキエル書ホセア書アモス書ゼカリア書
<選民意識>出エジプト
<預言>ダニエル書ヨハネの黙示録
<参考> 詩篇
<研究> 小石豊

列王記U(下)に見られる離散の原因

〔17:07〕こうなったのは、イスラエルの人々が、彼らをエジプトの地から導き上り、エジプトの王ファラオの支配から解放した彼らの神、主に対して罪を犯し、他の神々を畏れ敬い、 〔17:08〕主がイスラエルの人々の前から追い払われた諸国の民の風習と、イスラエルの王たちが作った風習に従って歩んだからである。 〔17:09〕イスラエルの人々は、自分たちの神、主に対して正しくないことをひそかに行い、見張りの塔から砦の町に至るまで、すべての町に聖なる高台を建て、 〔17:10〕どの小高い丘にも、どの茂った木の下にも、石柱やアシェラ像を立て、 〔17:11〕主が彼らの前から移された諸国の民と同じように、すべての聖なる高台で香をたき、悪を行って主の怒りを招いた。
〔17:12〕主が、
「このようなことをしてはならない」
 と言っておられたのに、彼らは偶像に仕えたのである。
〔17:13〕主はそのすべての預言者、すべての先見者を通して、イスラエルにもユダにもこう警告されていた。
「あなたたちは悪の道を離れて立ち帰らなければならない。わたしがあなたたちの先祖に授け、またわたしの僕である預言者たちを通してあなたたちに伝えたすべての律法に従って、わたしの戒めと掟を守らなければならない。」
〔17:14〕しかし彼らは聞き従うことなく、自分たちの神、主を信じようとしなかった先祖たちと同じように、かたくなであった。 〔17:15〕彼らは主の掟と、主が先祖たちと結ばれた契約と、彼らに与えられた定めを拒み、空しいものの後を追って自らも空しくなり、主が同じようにふるまってはならないと命じられたのに、その周囲の諸国の民に倣って歩んだ。 〔17:16〕彼らは自分たちの神、主の戒めをことごとく捨て、鋳像、二頭の子牛像を造り、アシェラ像を造り、天の万象にひれ伏し、バアルに仕えた。 〔17:17〕息子や娘に火の中を通らせ、占いやまじないを行い、自らを売り渡して主の目に悪とされることを行い、主の怒りを招いた。
〔17:18〕主はイスラエルに対して激しく憤り、彼らを御前から退け、ただユダの部族しか残されなかった。 〔17:19〕ユダもまた自分たちの神、主の戒めを守らず、イスラエルの行っていた風習に従って歩んだ。 〔17:20〕主はそこでイスラエルのすべての子孫を拒んで苦しめ、侵略者の手に渡し、ついに御前から捨てられた。
 それまでのイスラエルの歴史を振り返りますと、紀元前1000年頃、ダビデ王やソロモン王の時代には統一国家を形成していましたが、その後分裂し、南朝ユダ2部族と北朝イスラエル10部族に分れました。
 その北朝イスラエルが、紀元前721年、アッシリアに連行されたのです。

 すなわち、真の神の警告を軽視し偶像崇拝を繰り返したため、ついに神の怒りが激しく臨み、祖国追放という悲劇を生んだのでした。
 私たち日本人から見ると、偶像崇拝くらいでどうして真の神とやらが怒られ、祖国追放などという厳しい処置をされたのかがとんとわかりません。偶像とか彫像は日本のお寺さんならばどこにいっても安置されていて、少しも特別な存在ではありません。古代美術館などはほとんど彫像ばかりではありませんか。
「何を拝もうとその人の勝手でしょ。その人がそれで満足しているんだから、いちいち怒る必要はない。イスラエルの神様は嫉妬ぶかく、執念深いなあ。もう少し寛容になれないものかね」  といいたくなります。
 こういう発想!これはユダヤ人には決して湧いてこないものなのです。日本人特有の宗教心でしょう。ところが、これこそが、失われたイスラエル人(10部族)たちが日頃、口にしていたセリフとよく似ていると思いませんか。いよいよ日本人と重なって見えますね。

『古代ユダヤの大預言』P46-48(小石豊、日本文芸社)

〔17:24〕アッシリアの王はバビロン、クト、アワ、ハマト、セファルワイムの人々を連れて来て、イスラエルの人々に代えてサマリアの住民とした。この人々がサマリアを占拠し、その町々に住むことになった。 〔17:25〕彼らはそこに住み始めたころ、主を畏れ敬う者ではなかったので、主は彼らの中に獅子を送り込まれ、獅子は彼らの何人かを殺した。 〔17:26〕彼らはアッシリアの王にこう告げた。
「あなたがサマリアの町々に移り住ませた諸国の民は、この地の神の掟を知りません。彼らがこの地の神の掟を知らないので、神は彼らの中に獅子を送り込み、獅子は彼らを殺しています。」
〔17:27〕アッシリアの王は命じた。
「お前たちが連れ去った祭司の一人をそこに行かせよ。その祭司がそこに行って住み、その地の神の掟を教えさせよ。」
〔17:28〕こうして、サマリアから連れ去られた祭司が一人戻って来てベテルに住み、どのように主を畏れ敬わなければならないかを教えた。 〔17:29〕しかし、諸国の民はそれぞれ自分の神を造り、サマリア人の築いた聖なる高台の家に安置した。諸国の民はそれぞれ自分たちの住む町でそのように行った。
〔17:30〕バビロンの人々はスコト・ベノトの神を造り、クトの人々はネレガルの神を造り、ハマトの人々はアシマの神を造り、 〔17:31〕アワ人はニブハズとタルタクの神を造り、セファルワイム人は子供を火に投じて、セファルワイムの神々アドラメレクとアナメレクにささげた。〔17:32〕彼らは主を畏れ敬ったが、自分たちの中から聖なる高台の祭司たちを立て、その祭司たちが聖なる高台の家で彼らのために勤めを果たした。 〔17:33〕このように彼らは主を畏れ敬うとともに、移される前にいた国々の風習に従って自分たちの神々にも仕えた。 〔17:34〕彼らは今日に至るまで以前からの風習に従って行い、主を畏れ敬うことなく、主がイスラエルという名をお付けになったヤコブの子孫に授けられた掟、法、律法、戒めに従って行うこともない。 〔17:35〕主は彼らと契約を結び、こう戒められた。 「他の神々を畏れ敬ってはならない。これにひれ伏すことも、仕えることも、いけにえをささげることもあってはならない。 〔17:36〕大いなる力と伸ばした腕をもってあなたたちをエジプトの地から導き上った主にのみ畏れを抱き、その前にひれ伏し、いけにえをささげよ。 〔17:37〕主があなたたちのために記された掟と法と律法と戒めを、常に実行するように努めよ。他の神々を畏れ敬ってはならない。 〔17:38〕わたしがあなたたちと結んだ契約を忘れてはならない。他の神々を畏れ敬ってはならない。 〔17:39〕あなたたちの神、主にのみ畏れを抱け。そうすれば、主はすべての敵の手からあなたたちを救い出してくださる。」
〔17:40〕しかし、彼らは聞き従わず、ただ以前からの風習に従って行うばかりであった。
〔17:41〕このように、これらの民は主を畏れ敬うとともに、自分たちの偶像にも仕えていた。その子も孫も今日に至るまで先祖が行ったように行っている。
 同じ十部族であるがアッシリアに連行されず、首都サマリアに残された人々は、異民族と雑婚した。
 上の引用こそ、十部族の宗教感覚をまざまざと物語っている。  それは例えば、日本人が伝統的に神道を保持しながら、仏教を同時に信心してもなんら矛盾も葛藤も生じないのとよく似ている。

『日本・ユダヤ連合超大国』P86(小石豊、光文社)