5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光 > 聖地 探訪ノート
  附 私の物語の始まり    平成16年7月11日に収録
        1.1995年5月12日

 平成7年6月だったか7月のことです。埼玉県朝霞市で飲食店を経営をされている中田さんという方が人づてで私たちの元を訪ねてきてくれました。その方のお話というのは、日本のあそこに行ってくれ、こっちにいってくれという声が聞こえて日本各地を訪ね歩いている、というお話でした。その場は、そういう人もいるのだなあ、と素直に感心して話を聞いていたのです。
 しかし、中田さんたちが帰られてからが妙なのです、私の体に微妙な弱電を感じます。こういう場合、霊人がやってきているケースが多いということを5月に学ばさせていただいていたので、その方と話し合ってみることにしました。その方の話された事は次のような内容でした、「私はアマテラスに会わなければいけない、私がアマテラスに会わなければ、天照は岩戸の中から出ることができないのだ、始めは戸隠にいるだろうと思っていたが、戸隠は地層がずれてしまっていて、以前のものではなくなってしまっていた、さあ大変、時間がないのだ、いろんなところに行ったが天照に会う算段がとれないのだ」
 その方と二言三言話し合って、その方は、「おお、かたじけない」といって去っていきました。
 8月にはいって、どうもその方が「アマテラス」にあったという実感が伝わってきません。どうも落ち着かないのです。また何かきていそうなものを感じます、
「あの方にお会いされましたか」と訊ねると、「スサノオは私の気持ちをわかっていません、私がスサノオに会うのには条件があるのです、スサノオが黄泉国のことを調べて報告してくれるのでなければ会うことができないのです」「私が伝えてあげましょうか」「それには及びません」
 断られた以上何もすることはできませんが、よくこういう霊的事柄好む人たちが私の周りに多いので、かくかくしかじかのことがあったんだと人の世の話題に乗せて数人に伝えたのでした。
 9月だったか10月、その方が黄泉国に入られた映像が私に届けられました、こういう白日夢は見たことがある人でないとうまく伝わりきらないのですけれど。黄泉国の方では、その方が到着するのを今か今かとシビレを切らしながら待っていた雰囲気が伝わってきます。

 私にあっては、平成7年から「岩戸開き」の実地が始まっていたようなのですが、当の私自身何の知識もありません。まったくもって暗中模索状態だったのです。出てくる単語の一つづつがあまりにも「現代」離れしています。急いで勉強しなおしました。神代というのは本当にあったのか、いったい神代に何が起きたのか、この世とはいったい何のためにあるのか、そういう素朴な事柄を真剣に学び返しました。
 この探訪ノートはそういう勉強の集大成です。一般的な見解でいい場合は、その通りなので、そういう通説に道を譲ります。
 しかし、真実はこうだった可能性が高いのに、少数意見になってしまっているものや私の独自の見解をここでは取り上げていきます。


 平成7年5月12日に私の父が他界してから、霊界からある爺さんが降りてきてくれました。「ワシは、今から90年前に、90歳で長野の名もない農夫として亡くなっている、ソナタであればワシのところを突き止めて訊ねてくることもできようが、そんなことせんでよいぞ、ワシはそなたの教育のために遣わされてきた」
 この爺さんとの話が実に楽しかった、自分の知りたいと思っている要点の全てを実にコンパクトに私にとっては衝撃的な言い方で教えてくれるのです。
 ちなみに私の最初の質問、「なぜ、1年は12ヶ月で1週間は7日なのか」返答「1年を12ヶ月にするのは神霊界の階層により、1週を7日にするのは喜びの数による」この返答を聞いたとき私はとても感動しました、私の心奥にス〜っと沁みこんでいくのです、私はこの爺さん出来ると思いました、それからというもの、いろんなことを聞きました。9年経った平成16年の今思い返しても本当に楽しかった、とても感謝しています。「ワシからソナタへの教育はもう終わりじゃ」といって私の元を離れていくときに見せてくれた最後の映像、霊人から光と闇が分離し光は光の世界に、闇は闇の世界に入っていくという映像に神界にとって霊界がどのような位置にいるかをなんとなく感じ取ることができました、そしてこれが最後の教育の教材なのだということも寂しさの中でなんとなくわかりました。「ソナタの来るのをみんな待って居るぞ、あと解らないことは、神に聞け、そなたが訊ねれば、どのような神でも答えてくれるぞ」これが平成7年5月終わりか6月初めの、この爺さんの最後の言葉でした。この後に、上に記録した天照大神・素盞鳴神のお話があったのです。

 私のこういう体験の真贋も時代が落ち着いてからの検分対象です。どの程度の真実に当時と今現在迫れているか?その開きかたの距離が測れます。



 翌年平成8年2月11日(建国記念日)に長女の実加が生まれてから、日本各地の神社をまわる我が家の旅が始まったのでした。
 その記録がこのサイトです


           
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