5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光 > 聖地 探訪ノート
  速佐須良比売神について
4.『秀真伝』の記述から類推すると「若姫花子」が「速佐須良姫」か


 『秀真伝』(鳥居礼編著、八幡書店刊)は瀬織津姫神速秋津姫神、伊吹戸主の神、速佐須良比売神をどのように見ているのだろうか。
『秀真伝』では瀬織津姫神、速秋津姫神は天照神の12后の一人として描かれている

本「月の光」の「天照神の12后」より

瀬織津姫穂の子が内つ宮(中宮)になられたので、南の典侍
の御位を補うために、金山彦命の娘・爪生姫中子を備えさせた。

系図は、それぞれの姫の名をクリックしてください。
東殿(キ) 西殿(ツ) 中宮(オ) 南殿(サ) 北殿(ネ)
内つ宮 瀬織津姫
穂乃子
典 侍
(すけ)
大宮姫
道子
速開津姫
秋子
瀬織津姫
穂の子
益姫
持子
内 侍
(うちめ)
棚機姫
小妙
(道子の妹)
織機姫
筬子
若姫
花子
(穂の子の妹)
小益姫
早子
(持子の妹)
御 下
(おしも)
蘇賀姫

(筑波葉山命の女)
豊姫
紋子
色上姫
浅子
(紋子の姉)
味子

(荷田命の女)


 瀬織津姫神は天照神の中宮の内つ宮、速秋津姫は西殿の典侍(すけ)という風に天照神の后になっている。この筋からいえば「速佐須良姫神」は天照神の12后の一人になっているはずです。

 また、
伊吹戸主の神は月読命の子で厳島姫神田奈子を妻とし、天照神から「白人・胡久美」討伐の命令を受けている。持子(九頭龍)と早子(八岐大蛇)、「白人・胡久美」の乱に発するハタレ隆起を鎮圧する働きをされている。

 天照神の后であり、かつ持子(九頭龍)と早子(八岐大蛇)、「白人・胡久美」の乱に発するハタレ隆起を鎮圧する働きをするという筋で考えると、瀬織津姫神の妹・「若姫花子」が「速佐須良姫神」である可能性が高いように思えます。
 
 よって、本稿では「
速佐須良姫神」は瀬織津姫神の妹「若姫花子」だろうという推定を得たことにします。
 
 (『秀真伝』上巻pp401〜404)に見る花子の果した役割。
「 素戔鳴尊はこの益人交替時の細矛千足の国を整え、真名井の原の豊受神を祭る朝日の宮に詣でられました。するとその参拝者の中にやさしそうな一人の女性(筑紫の赤土命の娘で早吸姫)がおりました。素戔鳴尊はさっそく赤土命のもとへ使者を送り、早吸姫との結婚に許しをもらおうとされました。父赤土命は賛成したのですが、素戔鳴尊が結婚してから住むお宮をお持ちでなかったため、婚儀はそのままになっていました。
 ご自分のお宮を持たない素戔鳴尊は、しばしば持子、早子の北の局にお泊りになってとうとう早子(八岐大蛇)と密情を交わされてしまいます。そんなとき、天照神から持子、早子の姉妹に休みを取れとの勅があり、代わりに豊姫が召されました。両名は北の局より下がって嘆き悲しんでいました。それを見た素戔鳴尊は、耐えかねて逆上し、剣を持ち豊姫を討ちに行こうとされたのです。すると早子(八岐大蛇)がそれを押し止め、「どうせなら、天照神を亡き者にして、天位をわがものになさいませ」と悪知恵を吹き込みます。そこに
瀬織津姫花子がやって来ました。素戔鳴尊はあわてて、剣をしまい殺気を隠そうとしました。しかしそれを見てしまった花子姫は、その場をそ知らぬ顔で通り過ぎると、密かに内つ宮に坐す姉の瀬織津姫にお告げになりました。           」

 上の『秀真伝』からの引用より、宮中に大乱が及ぶ前に防いでいるのが瀬織津姫神と若姫花子です。この後、
花子姫は荒々しい素戔嗚命の仕業が原因で「神御衣(かんみは)」を織る「斎衣殿(いんはとの)」の「機(はた)の道具の梭(ひ)に自らを突き刺してお亡くなりに」なりました。

 これらのことが天照神の岩戸隠れの原因となったようです。

 天照神が岩戸から出られた後、瀬織姫神が天に祈り花子姫を蘇らせたことによって、素戔嗚尊の死刑執行直前に素戔嗚尊は死刑を免れたのです。(この辺のくだりは王仁三郎の蒙古でのパインタラでの遭難に似ています)


 よって、花子姫は2度神上がられる事になります。「日本翻訳センター>ホツマツタエ目次天の巻 7綾天照神の岩戸隠れとソサノオの流浪」が示唆しているように、若桜姫神社(奈良県桜井市大字谷)が「斎衣殿(いんはとの)」の「機(はた)の道具の梭(ひ)に自らを突き刺してお亡くなりに」なったときに祀られた最初の神社なのかもしれません。

 奈良県桜井市にはもう一つ
稚櫻神社(奈良県桜井市大字池ノ内)があるのですが、こちらのほうはひょっとすると若姫花子が蘇った後に神上がられた神社なのかもしれません。

 瀬織津姫神と若姫花子はともに谷の桜内命の子です。「若姫花子」の「
」、「桜内命」の「」、「谷」という地名(?)の「」からして、奈良県桜井市大字谷の若櫻神社は「若姫花子」と因縁浅からぬ関係にありそうです。

 速佐須良姫神、花子姫、神素盞嗚大神、若桜神社
 若桜姫神社(奈良県桜井市大字谷)が「若姫花子」を祀った神社だとすると、とりもなおさず若桜神社(奈良県桜井市大字谷)は「速佐須良姫神」を祀る主要神社になってきます。
 『霊界物語』 霊主体従 酉の巻 (第10巻 第29章「言霊解三」)では、「
神素盞嗚大神」を「速佐須良姫神」という、との指摘があるので神素盞嗚大神」の主要神社は若桜神社だということにもなってきます。

●今の段階でわかるべきことではないと思いますが、『霊界物語』で出口王仁三郎は「稚姫君神(=出口直)」のことを途中からわざわざ「
稚桜姫」と記述しています。
 なぜ「稚姫君神(=出口直)」のことを途中からわざわざ「稚桜姫」と記述したかは、時のページがめくれてくればおのずと解ると私の直感はいっています。
 そのときにまたこういう論考を書く必要に迫られた時に書き上げたいと思います。
 いまは、こういう指摘だけに留めます。

「神素盞嗚大神」とはどういう神か?
『霊界物語』 舎身活躍 戌の巻(第47巻 「総説」)より

参考:『霊界物語』(出口王仁三郎)資料室出口王仁三郎文献検索
 最上天界すなはち高天原には、宇宙の造物主なる大国常立大神(おおくにとこたちのおおかみ)が、天地万有一切の総統権を具足して神臨したまふのであります。そして、大国常立大神(おおくにとこたちのおおかみ)の一の御名を、天之御中主大神と称へ奉り、無限絶対の神格を持し、霊力体の大原霊(だいげんれい)と現はれたまふのであります。この大神の御神徳の、完全に発揮されたのを天照皇大御神と称へ奉るのであります。
 そして
霊の元祖たる高皇産霊大神(たかみむすびのおおかみ)は、一名神伊邪那岐大神、またの名は、日の大神と称へ奉り、体の元祖 神皇産霊大神(かみむすびのおおかみ)は、一名神伊邪那美大神、またの名は、月の大神と称へ奉るのは、この物語にてしばしば述べられてある通りであります。また高皇産霊大神霊系にして、厳の御霊 国常立大神と現はれたまひ体系の祖神なる神皇産霊大神は、瑞の御魂 豊雲野大神、またの名は、豊国主大神と現はれたまうたのであります。

 この
厳の御魂は、ふたたび天照大神と顕現したまひて、天界の主宰神とならせたまひました。ちなみに、天照皇大御神様と天照大神様とは、その位置において、神格において、所主の御神業において、大変な差等のあることを考へねばなりませぬ。
 また
瑞の御魂は、神素盞嗚大神と顕はれたまひ、大海原の国を統御遊ばす、神代からの御神誓であることは、神典古事記、日本書紀等に由つて明白なる事実であります。

 しかるに神界にては、一切を挙げて一神の御管掌に帰したまひ、
宇宙の祖神 大六合常立大神に絶対的神権を御集めになつたのであります。ゆゑに、大六合常立大神は、独一真神にして宇宙一切を主管したまひ厳の御魂の大神と顕現したまひました。さて、厳の御魂に属する一切の物は、悉皆、瑞の御魂に属せしめ給うたのでありますから、瑞の御魂は、すなはち厳の御魂同体神といふことになるのであります。ゆゑに、厳の御魂太元神と称へ奉り、瑞の御魂救世神または救ひの神と称へ、または主の神と単称するのであります。


【私論による整理〜しかし難しい】
第一段階霊力体の大原霊が大国常立大神(天之御中主大神)
       神徳の完全なる発揮が天照皇大御神

第二段階:霊の元祖(厳の御魂)と体の元祖(瑞の御魂)への展開。

第三段階:第一段階の大国常立大神(天之御中主大神)から第二段階の展開をして、物資界ならびに神霊界の両方面で生成してきたものを天之御中主大神(大六合常立大神)のもとに統合する。これがミロク神政。これは厳の御魂(天照大神)の瑞の御魂(素戔嗚大神)への統合という形で成し遂げられる。

 「一が二・三と展開し一にまた統一する」ということで、「一」の時の神の名、「二」の時の神の名「三」の時の神の名がそれぞれあるということか。
 分離と統合ということで、「分離する前」の時の神の名、「分離したとき」の時の神の名、「統合したとき」の時の神の名がそれぞれあるとぴうことか。

 こう考えてよいものなら第三段階(ミロクの世)での瑞の御魂の呼び名が「神素盞嗚大神」なのだろうか。

 だとすると奈良県桜井市大字谷の若桜神社ミロク神政出現地たるべき資格を始めから備えていることになりそうです。

 私が 探訪ノート(小論)私の物語の始まり千引の岩戸開きで下のように要望したことは神代の因縁ある道理あるべきことだったのかもしれません。
>>  千引の岩戸は無事開けられました。時代が落ち着いて、私の物語が真実に沿っていそうなものなら、ぜひ羽黒山月山湯殿山で記念祭を執り行ってほしいところです。あるいは、羽黒山を開設された第32代崇峻天皇の子、蜂子皇子の因縁に基づいて奈良県の大和の地で記念祭を行うか、どちらかであってほしいと思います。  <<
 ちなみに崇峻天皇陵は奈良県桜井市倉橋にあります。

参考に大国常立大神 ⇒ 「大六合常立大神」(ミロク神政時の呼称)
『霊界物語』 霊主体従 寅の巻(第3巻 第50章安息日)より
参考:
『霊界物語』(出口王仁三郎)資料室出口王仁三郎文献検索
 天地剖判に先だち、宇宙の大元霊たる無声無形の一神ありけり。
 これを
神典にては、天之御中主大神ととなへ奉り、神界にては大六合常立尊と申す。西洋にてはゴツドといひ、仏教にては阿弥陀如来といふ。漢土にては古来天帝または天主といふ。吾々はきはめて言語のすくない簡単な御名を選んで、ここでは天主ととなへ奉つて述ぶることにしたいと思ふ。
 
天主は、過去現在未来に一貫して無限絶対無始無終の大神霊にましまし、その絶対の霊威を発揮して宇宙万有を創造したまうた。

 大宇宙の太初にあたつて、きはめて不完全なる霊素が出現し、それが漸次発達して霊の活用を発生するまでの歳月はほとんど十億年を費してゐる。これを神界においては、ヒツカ(一日)といふ。つぎにその霊の発動力たる霊体(幽体)なるものが宇宙間に出現した。これをチカラと称へた。チとは霊または火の意味であり、カラとは元素の意味である。この宇宙に元素の活用するにいたるまでの歳月は、また十億年を費してゐる。この十億年間を神界においてフツカ(二日)といふ。
 つぎにこの元素に霊気発生して、現顕の物体を形成するにいたるまでの歳月は、また大略十億年を費してゐる。この十億年間の霊体の進歩を称してミツカ(三日)といふ。ここにいよいよ霊、力、体の三大勢力発揮して、無数の固形体や液体が出現した。太陽、太陰、大地、諸星の発生はつぎの十億年の間の歳月を費してゐる。これを神界にてはヨツカ(四日)といふ。
 またつぎの十億年間の歳月を費したる神霊の活動状態を、神界にてはイツカ(五日)といふ。イツは稜威にしてカは光輝の意である。この五日の活動力によりて、動植物の種天地の間に現出した。いよいよ五十億年間の星霜を経て陰陽、水火の活用あらはれ、宇宙一切の万物に水火の活用が加はり、森羅万象の大根元が確立した。この歳月は六億年を費してゐる。この六億年間の神霊の活用をムユカ(六日)といふ。
 かくのごとくして天主は宇宙万有一切をムユカに創造された。それより天主は一大金剛力を発揮して、世界を修理固成し、完全無欠の理想世界いはゆる五六七の神代、松の世を建設さるるその工程が七千万年の歳月であつて、これをナナカ(七日)といふ。ナナとは地成、名成、成就、安息の意である。七日の神霊の活用完了の暁にいたつて、至善至美至真の宇宙が完成さるる、之を安息日といふ。
 安息日の七千万年間は天主の荒工事ををはつて、その修理固成のために活動さるる時代であつて、世人のいふごとく神の休息したまふ意味ではない。もしも天主にして一日はおろか一分間でもその神業を休めたまふことがありとすれば、宇宙一切の万物はたちまち滅亡してしまふからである。ゆゑにこの安息日は人々神の洪恩を感謝し、かつその神徳を讃美すべく祝すべき日である。
 かくして五十六億七千万年を経て、五六七の神政まつたく成就され、天主の経綸の聖代がくるのである。しかるに幸ひなるかな、五六七の歳月もほとんど満期に近づいてをる。いよいよ五六七神政出現の上は、完全無欠、至善至美の世界となり、神人和合して永遠無窮に栄えゆくのである。ゆゑに今日までの世界は未完成時代であつた。ここに天運到来して、神政の開かるる時機となつた。現代はその過渡時代であるから、その前程として種々の事変の各所に突発するのも、神界の摂理上やむを得ざる次第であらうと思う。
 この安息日については各教法家の所説も、古今東西の区別なく論議されてをるが、私は世説の如何にかかはらず、神示のままを述べたまでである。
(附言)
 聖書に、神は六日に世界を造り了へて、七日目は安息せりといふ神言がある。この神言について言霊研究の大要を述べてみやうと思ふ。
 ナの言霊は宇宙万有一切を兼て統一するといふことである。◎の凝る形であり、行届く言霊であり、天国の経綸を地上に移すことともなり、◎の確定ともなり、調理となり成就となり、水素の形となり、押し鎮むる言霊の活用ともなる。
 次のナも同様の意義の活用である。
 カの言霊は、燥かし固むる活用となり、晴れて見ゆる也、一切の物発生の神力となり、光明となるの活用である。
 メの言霊は、世界を見るの活用となり、起り兆となり、本性を写し、女子を生み、天の岩戸を開き、草木の芽となり、眼目となるの活用である。
 以上の言霊によりて、神は七日目に安息したまふといふ神語は、実に明瞭となつてくるのである。要するに宇宙万有一切の生物にたいし、神人、樹草、禽獣、鳥族、虫魚の区別なく、各自その所に安んじて、その天職に奉仕する聖代の現はれである。
 ゆゑに七日は現代の暦にいふ日月火水木金土の一週間の日数の意味ではないことも明白なる事実であると思ふ。


このページのトップに戻る



All Right Reserved (C) 月の光
tukinohikari@msn.com