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  速佐須良比売神について
     2.『霊界物語』と『ひふみ神示』の速佐須良比売神

 『霊界物語』(出口王仁三郎、八幡書店刊)と『ひふみ神示』(岡本天明著)は「速佐須良比売」についてどういう記述をしているかを最初に見ておきたい。
 
(注)出口王仁三郎の膨大な著作群の検索には『霊界物語』(出口王仁三郎)資料室を使用させていただきました。この場をお借りしてお礼させていただきます。


『霊界物語』捨身活躍 亥の巻(第48巻 第14章)より
 漸くにして二人(治国別、玉依別)は、八衢の関所に着いた。伊吹戸主の神は数多の守衛を率ゐて二人を歓迎した。
   <略>
 伊吹戸主の神
「 私は
伊邪那岐尊の御禊によつて生れました四人の兄弟です。されどその身魂の因縁性来によつて祓戸の神となり、最高天国よりこの八衢に下り、かようなつまらぬ役を勤めてをりますが、これも神様の御心のままによりならないのですから、喜んで日々この役目を感謝し忠実に勤めてゐるのです。まだまだ私どころか瀬織津姫速佐須良姫速秋津姫などは実にみじめな役を勤めてをります。言はば霊界の掃除番です。蛆のわいた塵芥や痰唾や膿、糞小便などあらゆる汚き物を取除き浄める職掌ですから、貴方の神聖なる宣伝使の職掌に比ぶれば、実に吾々兄弟は日の大神の貴の子でありながら、つまらぬ役をさして頂いて居ります。しかしこれは決してわれわれ兄弟がこの役目を不足だと思つて申したのではありませぬ、あたたがたのお心得のため一例を挙げたまででございます 」

『霊界物語』捨身活躍 寅の巻(第39巻 巻末の附録「大祓祝詞解」)より
瀬織津姫
 古事記の伊邪那岐命御禊の段に、『於是詔之上瀬者瀬速。下瀬者瀬弱而。初於中瀬降迦豆伎而。滌時。所成坐神名八十禍津日神、次大禍津日神。此二神者所到其穢繁国之時因汚垢而。所成之神者也』と出て居るが、瀬織津は借字にて瀬下津の義、即ち於中瀬降迦豆伎たまふとある意の御名である。此神は即ち禍津日神である。世人は大概禍津日神禍津神とを混同して居るが、実は大変な間違である。禍津神邪神であるが、禍津日神正神界の刑罰係である。現界で言へば判検事、警察官、又は軍人なぞの部類に属す。罪穢が発生した場合には、常に此修祓係、刑罰係たる禍津日神の活動を必要とする。修祓には大中小の区別がある。大は天上地上の潔斎、中は人道政事の潔斎、小は一身一家の潔斎である。若し地球に瀬織津比売の働きが無くんば、万の汚穢は地上に堆積して新陳代謝の働きが閉塞する。所が地の水分が間断なく蒸発して、それが雲となり、雨となり、其結果谷々の小川の水が流れ出て末は一つに成りて大海原に持出して呉れるから、天然自然に地の清潔が保たれるのである。

  現在は地の表面が極度に腐敗し切り、汚染し切り、邪霊小人時を得顔に跋扈して居る。神諭に『今の世界は服装ばかり立派に飾りて上から見れば結構な人民で、神も叶はぬやうに見えるなれど誠の神の眼から見れば、全部四つ足の守護に成りて居るから、頭に角が生えたり、尻に尾が出来たり、無暗に鼻計り高い化物の覇張る、闇雲の世に成りて居るぞよ』『余り穢うて眼を開けて見られぬぞよ』『能うも爰まで汚したものぢや。足片足踏み込む所もない』等と戒められて居る通りである。此際是非とも必要なるは、世界の大洗濯、大清潔法の施行であらねばならぬ。爰に於てか先づ
瀬織津姫の大活動と成りて現はれる。七十五日も降りつづく大猛雨なぞは此神の分担に属する。到底お手柔な事では現世界の大汚穢の洗濯は出来さうも無いやうだ。神諭にも『罪穢の甚大い所には何があるやら知れぬぞよ』と繰返し繰返し警告されて居る。世界の表面を見れば、そろそろ瀬織津比売の御活動は始まりつつあるやうだ。足下に始まらなくては気が附かぬやうでは困つたものだ。

『霊界物語』捨身活躍 寅の巻(第39巻 巻末の附録「大祓祝詞解」)より
速秋津姫
 古事記に『水戸神、名速秋津日子神。次妹秋津比売命』とあるが如く河海の要所を受持ちて働く神也。

△持可々呑てむ 
 声立ててガブガブ呑むの義也。汚れたる世界の表面を洗滌する為には既に
瀬織津比売の働きが起りて大雨などが降りしきるが、河海の水門々々に本拠を有する秋津比売が、次ぎに相呼応して活動を開始する。大洪水、大海嘯、大怒濤、此神にガブ呑みされては田園も山野も、町村も耐つたものではない。所謂桑田変じて碧海と成るのである。

『霊界物語』捨身活躍 寅の巻(第39巻 巻末の附録「大祓祝詞解」)より
気吹戸主の神
△気吹戸 
 
近江の伊吹山は気象学上極めて重要な場所である。伊吹は息を吹く所の義で、地球上に伊吹戸は無数あるが、伊吹戸中の伊吹戸とも云ふべきは近江の伊吹山である。最近伊吹山に気象観測所が公設されたのは、新聞紙の伝ふる所であるが、大本では十年も二十年も以前から予知の事実である。
△気吹戸主 
 大雨、洪水、海嘯等の活動に続いては、気象上の大活動が伴うて妖気邪気の掃蕩を行はねばならぬ。元寇の役に吹き起つた神風の如きも、無論この伊吹戸主の神の御活動の一端である。

『霊界物語』捨身活躍 寅の巻(第39巻 巻末の附録「大祓祝詞解」)より
速佐須良姫
△根の国底の国
 地球表面に於ては
北極である。神諭に『今迄は世の元の神を、北へ北へ押籠めて置いて、北を悪いと世界の人民が申て居りたが、北は根の根元の国であるから、北が一番善く成るぞよ………。人民は北が光ると申して不思議がりて、いろいろと学や智慧で考へて居りたが、誠の神が一処に集りて、神力の光を現はして居る事を知らなんだぞよ』とあるが、真に人間の智慧や学問では解釈の出来ない神秘は北に隠されて居る。北光、磁力は申すに及ばず、気流や、気象なども北極とは密接の関係がある。即ち地球の罪穢邪気は、悉く一旦北極に吹き放たれ、爰で遠大なる神力により処分されるのである。序に一言して置くが、罪を犯した者が根の国、底の国に落ちるのは、詰まり神罰で、これも一つの修祓法執行の意義である。別に根の国底の国といふ地獄めきたる国土が存在するのではない。何処に居ても神罰執行中は其処が根の国底の国である

△速佐須良比売
 
佐須良摩擦(サスル)也、揉むこと也、空にありては雷地にありては地震、皆これ佐須良比売の活動である。要するに全世界の大修祓法は、大雨で流し、洪水海嘯等で掃ひ、大風で吹き飛ばし、最後に地震雷で揺つて揺つて揺り滅すのである。それが即ち神諭の世界の大洗濯、大掃除、第二次の大立替である。『天の大神様がいよいよ諸国の神に、命令を降しなされたら、艮金神国常立尊が総大将となりて雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、八百万の眷族を使ふと一旦は激しい』とあるのは、祓戸四柱の神々の活動を指すのである。詳しく言へば地震神々がそれぞれ瀬織津比売秋津比売気吹戸主佐須良比売の神々の働きをされるので、岩の神が統治の位置に立つのである。

『ひふみ神示』 第27巻 第3帖 (「節分の祝詞」)より
速々の、佐須良姫神

 
>> 掛巻くも、畏き極み、九二つ千の
     清の中なる 大清み、
     清みし中の、清らなる、
     清き真中の、よろこびの、
     其真中なる、御光の、
     そが御力ぞ
     綾によし、十九立まし、
     
大九二の 十九立大神
     
十四九百ヌ十四の大神
     
瀬織津の、ヒメの大神
     
速秋の、秋津ヒメ神
     
伊吹戸の、主の大神
     
速々の、佐須良ヒメ神
        <以下略>            
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