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  速佐須良比売神について
速佐須良比売神について
はじめに
『霊界物語』と『ひふみ神示』の速佐須良比売神
『古事記』の「伊邪那岐尊御禊」の段の記述と『霊界物語』の「言霊解」
『秀真伝』の記述から類推すると「若姫花子」が「速佐須良姫」か
     3.『古事記』の「伊邪那岐尊の御禊」の段の記述

 『古事記』の記述の前にもう一度、『霊界物語』(出口王仁三郎、八幡書店刊)で伊吹戸主の神の言葉として語られているところを下に引用しておこう。要点は「伊邪那岐尊の御禊によつて生れました四人の兄弟」だという点。

『霊界物語』捨身活躍 亥の巻(第48巻 第14章)より
 漸くにして二人(治国別、玉依別)は、八衢の関所に着いた。伊吹戸主の神は数多の守衛を率ゐて二人を歓迎した。
   <略>
 伊吹戸主の神
「 私は
伊邪那岐尊の御禊によつて生れました四人の兄弟です。されどその身魂の因縁性来によつて祓戸の神となり、最高天国よりこの八衢に下り、かようなつまらぬ役を勤めてをりますが、これも神様の御心のままによりならないのですから、喜んで日々この役目を感謝し忠実に勤めてゐるのです。まだまだ私どころか瀬織津姫速佐須良姫速秋津姫などは実にみじめな役を勤めてをります。言はば霊界の掃除番です。蛆のわいた塵芥や痰唾や膿、糞小便などあらゆる汚き物を取除き浄める職掌ですから、貴方の神聖なる宣伝使の職掌に比ぶれば、実に吾々兄弟は日の大神の貴の子でありながら、つまらぬ役をさして頂いて居ります。しかしこれは決してわれわれ兄弟がこの役目を不足だと思つて申したのではありませぬ、あたたがたのお心得のため一例を挙げたまででございます 」

『古事記』伊邪那岐尊 御禊の段 より
引用先:「伊邪那岐命と伊邪那美命その7」と『古事記』(角川文庫)を参考
 是(ここ)を以(も)ちて伊邪那岐大神詔(の)りたまひけらく、「吾は伊那志許米志許米岐(いなしこめしこめき)穢(きたな)き国に到りて在り祁理(けり)。故(かれ)、吾(あ)は御身(みみ)の禊為(せ)む。」とのりたまひて、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘の小門(をど)の阿波岐(あはぎ)原に坐(ま)して、禊ぎ祓ひたまひき。
 故、投げ棄(う)つる御杖に成れる神の名は、衝立船戸(つきたつふなどの)神。次に投げ棄つる御帯に成れる神の名は、道之長乳歯(みちのながちはの)神。次に投げ棄つる御嚢に成れる神の名は、時量師(ときはかしの)神。次に投げ棄つる御衣(みけし)に成れる神の名は、和豆良比能宇斯能(わづらひのうしの)神。次に投げ棄つる御褌(みはかま)に成れる神の名は、道俣(みちまたの)神。次に投げ棄つる御冠(みかがふり)に成れる神の名は、飽咋之宇斯能(あきぐひのうしの)神。次に投げ棄つる左の御手の手纏(たまき)に成れる神の名は、奥疎(おきざかるの)神。次に奥津那芸左毘古(おきつなぎさびこの)神。次に奥津甲斐弁羅(おきつかひべらの)神。次に投げ棄つる右の御手の手纏に成れる神の名は、辺疎(へざかるの)神。次に辺津那芸左毘古(へつなぎさびこの)神。次に辺津甲斐弁羅(へつかひべらの)神。

 右の件(くだり)の船戸神以下(よりしも)、辺津甲斐弁羅神以前(よりさき)の十二神(とまりふたはしら)は、身に著(つ)ける物を脱ぐに因りて生(な)れる神なり。

 是に詔りたまひけらく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し。下(しも)つ瀬は瀬弱し。」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕(お)り迦豆伎(かづき)て滌(すす)ぎたまふ時、成り坐(ま)せる神の名は、
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)。次に大禍津日神(おおまがつひのかみ)。此の二神は、其の穢繁国(けがれはしきくに)に到りし時の汚垢(けがれ)に因りて成れる神なり。次に其の禍(まが)を直さむと為て、成れる神の名は、神直毘神(かむなほびのかみ)。次に大直毘神(おほなほびのかみ)。次に伊豆能売神(いづのめかみ)。
 次に水の底に滌ぐ時に、成れる神の名は、
底津綿津身神(そこつわたつみのかみ)。次に底筒之男命(そこつつのをのみこと)。中に滌ぐ時に、成れる神の名は、中津綿津身神(なかつわたつみのかみ)。次に中筒之男命(なかつつのをのみこと)。水の上に滌ぐ時に、成れる神の名は、上津綿津身神(うはつわたつみのかみ)。次に上筒之男命(うはつつのをのみこと)。此の三柱の綿津見神は、阿曇連等(あづみのむらじら)の祖神(おやがみ)と以ち伊都久(いつく)神なり。故、阿曇連等は、其の綿津見神の子、宇都志日金拆(うつしひがなさくの)命の子孫(うみのこ)なり。其の底筒之男命、中筒之男命、上筒之男命の三柱の神は、墨江(すみのえ)の三前(みまへ)の大神なり。
 是に左の御目(みめ)を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、
天照大御神(あまてらすおほみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、月読命(つくよみのみこと)。次に御鼻を洗ひたまふ時に、成れる神の名は、建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)。

 右の件の
八十禍津日神以下、速須佐之男命以前の十四神(とまりよはしら)は、御身を滌ぐに因りて生れる者(かみ)なり。


『霊界物語』霊主体従 酉の巻(第10巻 第28章「言霊解二」)より
八十禍津日神、大禍津日神
 『於是上瀬は瀬速し、下瀬は瀬弱しと詔ごちたまひて、初めて中瀬に降潜きて滌ぎたまふ時に成りませる神の名は、八十禍津日神、次に大禍津日神、此二神は、其の穢き繁国に到りましし時の汚垢に因りて成りませる神也』
 上瀬とは現代の所謂上流社会であり、下瀬は下流社会である。上流社会は権力財力を恃みて容易に体主霊従の醜行為を改めず、却て神諭に極力反抗するの意を『上瀬は瀬速し』と言ふのである。下流は権力も財力もなく、なにほど神諭を実行せむとするも、其日の生活に苦しみ且つ権力の圧迫を恐れて、一つも改革の神業を実行するの実力なし。故に『下瀬は瀬弱し』と言ふのである。そこで大神は中瀬なる中流社会に降り潜みて、世界大修祓、大改革の神業を遂行したまふのである。中流なれば今日の衣食に窮せず、且つ相当の学力と理解とを有し、国家の中堅と成る可き実力を具有するを以て、神明は中流社会の真人の身魂に宿りて、一大神業を開始されたのであります。
 大神が宇宙一切の醜穢を祓除し玉うた時に出現せる神は、
八十禍津日神、つぎに大禍津日神二神であります。

 人は宇宙の縮図である。世界も人体も皆同一の型に出来て居るのであるから茲に宇宙と云はず、伊邪那岐大神の一身上に譬へて示されたのである。故に瑞月亦之を人身上より略解するを以て便利と思ふのであります。
 
八十禍津神は、吾人の身外に在りて吾人の進路を妨げ且つ大々的反対行動を取り、以て自己を利せむとするの悪魔である。現に大本に対して種々の中傷讒誣を敢へてし、且つ書物を発行して奇利を占めむとする三文蚊士の如きは、所謂八十禍津神であります。之を国家の上から言ふ時は、排日とか排貨とか敵国陸海軍の襲来とかに当るのである。この八十禍津神を監督し、制御し、懲戒し玉ふ神を八十禍津日神といふのであります。日の字が加はると加はらざるとに依つて、警官と罪人との様に位置が替るのであります。
 大禍津神
吾人の身魂内に潜入して、悪事醜行を為さしめむとする悪霊邪魂である。色に沈溺し、酒に荒み、不善非行を為すは皆大禍津神の所為であります。
 之を国家の上に譬へる時は、危険思想、反国家主義、政府顛覆、内乱等の陰謀を為す非国民の潜在し、且つ体主霊従同様の政治に改めむとする、悪逆無道の人面獣心的人物の居住して居る事である。之を討伐し懲戒し警告するのは
大禍津日神であります。
   正
 八十禍津日神
 大禍津日神
   邪
 八十禍津神
 大禍津神

『霊界物語』霊主体従 酉の巻(第10巻 第29章「言霊解三」)より
神直日神、大直日神、伊豆能売神
 『次に其の禍を直さむと為て成りませる神の御名は、神直日神、次に大直日神、次に伊都能売神
 
神直日神は宇宙主宰の神の直霊魂にして、大直日神は天帝の霊魂の分賦たる吾人の霊魂をして完全無疵たらしめむとする直霊である。所謂罪科を未萠に防ぐ至霊にして、大祓の祝詞に、之を気吹戸主神と謂すのである。又八十曲津日神大曲津日神は、大祓祝詞に、之を瀬織津姫神と謂ひ、伊都能売神速秋津彦神速秋津姫神と謂ひ、神素盞嗚神速佐須良姫神と謂すのである。以上の四柱の神様を総称して祓戸の大神と謂ふのであります。
 即ち伊邪那岐命が黄泉津国の汚穢混濁を払滌せむとして、筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に、禊身祓ひの神業を修し玉ひし時に生れませる大神なるは前陳の通りである。
 
大曲津日神は、大神の神勅を奉じて邪神を誅征し討伐し玉ふ大首領の任に当る神であつて八十曲津日神を指揮し使役し玉ふ神である。之を現界に移写する時は、大君の勅命を畏みて征途に上る総司令官の役目である。


『霊界物語』の記述から『古事記』を見てみると
 『霊界物語』の伊吹戸主の神は
        1.伊吹戸主神
        2.瀬織津姫神
        3.速佐須良比売神
        4.速秋津比売神
の4柱の神は「伊邪那岐尊の御禊によつて生れ」た兄弟だとしている。
『霊界物語』の伊吹戸主の神の言葉に相当しそうな『古事記』の箇所は次の部分と推定してもいいのかもしれない。

>>  是に詔りたまひけらく、「上(かみ)つ瀬は瀬速し。下(しも)つ瀬は瀬弱し。」とのりたまひて、初めて中つ瀬に堕(お)り迦豆伎(かづき)て滌(すす)ぎたまふ時、成り坐(ま)せる神の名は、八十禍津日神(やそまがつひのかみ)。次に大禍津日神(おおまがつひのかみ)。此の二神は、其の穢繁国(けがれはしきくに)に到りし時の汚垢(けがれ)に因りて成れる神なり。次に其の禍(まが)を直さむと為て、成れる神の名は、神直毘神(かむなほびのかみ)。次に大直毘神(おほなほびのかみ)。次に伊豆能売神(いづのめかみ)。    <<

 しかし、上の引用箇所に登場するのは5柱の神である。
 『霊界物語』で伊吹戸主の神が言われている「
4人の兄弟」と『古事記』の「5柱の神」をどのように考えたらよいのだろうか?
 5柱の神」のうち、
八十禍津日神(やそまがつひのかみ)については『倭姫命世記』の「荒祭宮」の項で「瀬織津姫神」という指摘があるらしい。
 では『古事記』の他の「4柱の神」と『霊界物語』の「4人の兄弟」の残りの「3兄弟」の関係はどうなっているのだろうか?

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