平成18年=2006年のメルマガ用の資料ページ|月の光

2006(平成18)年「戌の年」のメルマガ用の資料ページ(47歳)

1月9日(月曜日)

『ひふみ神示』第20巻「ウメの巻」第7帖

四十七と四十八で世新しく致すぞ」

『ひふみ神示』第20巻「ウメの巻」第17帖(444)

いよいよ何も彼も引寄せるから その覚悟よいか、覚悟せよ、あな爽け、あなすがすがし、 四十七と四十八と四十九ぢゃ。

2月8日(水曜日)

 2月8日に「まぐまぐ」からメルマガの発行承認が下りる。
 メルマガ発行欄を設けました。

2月21日(火曜日)、カゴヤで「SADAMENOTOKI.COM」

 「SADAMENOTOKI.COM」は、2006年2月21日に「カゴヤ・インターネット・ルーティング」で新規取得。

○この「SADAMENOTOKI.COM」というドメインのその後は・・

  平成22(2010)年6月10日(木)に「カゴヤ・インターネット・ルーティング」にドメインの移管申請をだし、平成22(2010)年6月16日(水)に「カゴヤ・インターネット・ルーティング」から「ムームードメイン」に移管完了。
 同日の平成22(2010)年6月16日(水)ネームサーバーをカゴヤ・インターネット・ルーティングから「ヘテムル」に変更し、カゴヤ・インターネット・ルーティングにサーバーの解約申請を出した。

4月1日(土曜日)

 スピードネットが今年の5月末日で終了となるため、ブロバイダーを有線に変えるついでに、必死で「月の光」の編集をしている。今回で3回目の大きな変更。
 「月の光」(第三版)となる。

5月10日(水曜日)

 連休の旅行(京都と宮城県)を終えて、長年の課題だと思っていた伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みについて語れるようになった気がする。
 しばらくは、那岐那美両神の国生みに焦点をあてて編集するつもりです。まずは、全体像を作ってみました。
 http://hwm2.gyao.ne.jp/seichi/nagi_nami_simaumi/nagi_nami_simaumi.html

5月12日(金曜日)

 大宇宙の中心が日本(自転倒嶋)だという主張は、出口王仁三郎の『霊界物語』(八幡書店)のものです。
 『霊界物語』(八幡書店)は大宇宙における日本(自転倒嶋)のある位置から、大宇宙の全てが生れたとしています。
 こちらに引用してあります。
http://hwm2.gyao.ne.jp/seichi/nagi_nami_simaumi/onokorojima_deguchi_onizaburou.html

5月15日(月曜日)

 和歌山県の友ヶ島が「おのころ島」の比定地であることを知って訪ねたのが、平成13(2001)年8月13日のことです。
 昨日のように思い出しますが、5年もたってしまったんですね。
 これまでは『めをとBooks』におかれていた和歌山県の友が島をようやく『月の光』に移しました。平成14(2002)年12月からの課題でした。
 ようやく、一連の流れで主張できるようになりました。

5月18日(木曜日)

 和歌山県の友が島と同じく、これまで『めをとBooks』におかれていた「沼島」と「おのころ神社」を『月の光』に移しました。  平成14(2002)年12月からの課題でした。

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 おのころ島について触れようという長い間の懸案がようやく形になりました。
 水蛭子・淡島を語るときに絶対不可欠な部分です。
 伊邪那岐尊と伊邪那美尊は、国常立尊引退後の「くらげなすただよえる」状態から国生みを始めました。
 那岐那美両神の国生みが未完成に終った根本原因は、国常立尊が引退せざるを得なかった原因に求められるべきです。その根本原因があるため、伊邪那岐尊と伊邪那美尊の国生みにおいて、「おのころ島」が「沼島」となって現れてしまいました。
 ここが、千引の岩戸閉めにならざるを得なかった必然性を秘めた箇所であるように思えます。

 神が人体の形をとって現れる前の、さらに神々が現れる前の出来事です。

 ですので、この部分に強烈な関心を持つ人は日本においてもわずか数人かもしれません。

 その数人の中の一人の方の目に留ってくれることを願います。

5月26日(金曜日)

 那岐那美両神の国生みをまとめるため、平成9年5月3〜5日にかけて四国に行ってきた記録を整理しました。
 主要点は「飯依比古」は飯神社(香川県)に祭られていること、島生みの「大宜都比売」は一宮神社(徳島県徳島市)に祭られ、神生みの「大宜都比売」は上一宮大粟神社(徳島県名西郡神山町)に祭られていること、「建依別」はどこに祭られているか不明であることでした。

 新たな発見は、天太玉命は四国に渡ってきたものとばかり思っていましたが、四国に渡ってきたという記録がないのにはチョッとビックリしました。9年前の私の水準が解るところかもしれません。
 春日大社(奈良県奈良市)が奈良県奈良市の穴栗神社(穴吹神社)から摂社を勧請している所を見ると第一候補はここかもしれない。第二候補が 橿原市の天太玉命神社 だろう。
 「岩戸開きの神々」で取り上げたかったので、これは思わぬ収穫だった。

5月30日(火曜日)

 平成9(1997)年8月14〜19日の6日間、九州をビッシリ周った。
 ようやくこのときの記録を整理した。
 けっこう周った印象を持っていたが32神社しか周れていない。移動に時間がかかったのだ。

 当時かなり調べて周ったつもりだったが、今その時の記録を引っ張り出して、インターネットで検索かけて洗い出してみると「しまった」と思う箇所がいっぱいある。
 平成9(1997)年ではインターネットも普及していないので、調査は図書館と辞書だった。
 いまでは、インターネットで調べて必要な書物はアマゾンで購入とスピーディに行えるので、隔世の感がある。

  <<九州のもつ歴史の区分>>

●那岐那美両神の国生みの時代
 私は、長崎県雲仙市小浜町の温泉(うんぜん)神社が筑紫島の本宮の位置だと捉えている。
 これは恵依弥(えひめ)二名神社が伊予の二名島の本宮とされているのと同じ理解。
 そして
  白日別 → 筑紫神社(福岡県筑紫野市)
  豊日別 → 草場神社(福岡県行橋市)
        あるいは 闇無浜神社(大分県中津市)

 しかし、建日向日豊久土比沼別(たけひむかひとよくづひぬわけ)と建日別(たてひわけ)は探せていない。
 四国でも「建依別(たてよりわけ)」を探せなかったが、同じように「建」の字が当てられている。
 なにかあるのは分かるが。。。
  ●加遇突知(かくつち)命に関わる時代
 大分県の別府から由布院まで顕著に現れていると思う。
 温泉だからというわけではなくこれは大分県に顕著な現象かもしれない。
 また、大分県に関しては、国東半島の紀元前7世紀とも紀元前12世紀ともいわれる製鉄所跡といわれているところがあるのはとても魅力的だ。
 国東半島に神代文字が秘められているのとてもいい。
●伊佐那岐尊の禊祓いの時代
 現人神社(福岡県筑紫郡那珂川町)と江田神社(宮崎県宮崎市阿波岐原町)の双方を「橘の小戸の檍原」と捉えていいと思う。  「キ」と「ミ」の関係となんとなく理解している。
●日向三代の時代
 宮崎県から鹿児島県。
 神武天皇即位6万年前、天照神が神上がられたころ、古代富士山が爆発沈降し、同時に宮城県の日高見の国が失われた。
 古代富士山と日高見という天地方向(垂直方向)の高さが失われてしまってから、この宮崎県と鹿児島県で皇威を示された。
 神の代に戻るということは、再び、天地方向(垂直方向)の高さを取り戻すということに他ならず、そのことは、とりもなおさず、古代富士山の位置まで今の富士山が上昇するということを意味するのかもしれない。
 そのときは失われた日高見の国(宮城県)も現れて、神代の高天原の働きをするのかもしれない。
 平成18年の夏は再度九州に入らなければならないものを感ずる。

6月3日(土曜日)

 徳島県阿南市の淡島神社をようやくアップした。
 水蛭子(ひるこ)神社と淡島神社の地図をインターネットでどうするかがネックだった。国土地理院の地図を使用するとき、研究用の地図を挿入的に使用する場合は承諾不必要という記載があったのでそちらに従った。
  国土地理院への申請要綱 > 申請が不必要なケース

6月4日(日曜日)

 徳島県阿南市の淡島神社に続いて、淡島神社周辺の蛭子(ひるこ)神社をアップ。
 素盞鳴神より
「これより前人未到の領域に入る」
 というお言葉を頂戴する。

6月6日(火曜日)

 水蛭子(ひるこ)・淡島について語るとき、どうしても触れなければいけない神社が、日峰神社と津峯神社です。
 ようやくアップしました。
 おそらく、日峰神社が伊邪那岐尊で、津峯神社が伊邪那美尊です。ただし、現在の祭神は伊邪那岐尊と伊邪那美尊にはなっていません。

6月10日(土曜日)から6月11日(日曜日)

 麻賀多神社(成田市台方)を、ようやくアップしました。アップできそうで、できないでいたので、形だけ整えました。
 麻賀多神社は、私たち成田の家族にとってなくてはならない神社と亡くなった伯母が言っていました。
 →こちら。

6月17日(土曜日)

 5月12日(金曜日)から取組んできた「おのころ島」から水蛭子(ひるこ)淡島の整理がようやく終えた。
 「おのころ島と水蛭子(ひるこ)淡島について」にまとめてある。
 よくやった。
 肩の荷が下りた。

7月8日(土曜日)

 2006年7月5日 18:09 に「まぐまぐ!」メルマガ「人生にツキを呼込む魔法の言葉を見つける、超簡単法」の発行承認がありる。7月8日20:00の購読者数は103名。
 「人生秘中の奥義書」を急いで公開。

9月6日(水曜日)、5社共同のサイトがサーバーにアップ

 2006(平成18)年9月6日(水曜日)から5社共同のサイトがサーバーにアップされた。

 3年と半年後の2010(平成22)年3月31日(水)、このサイトは閉鎖された。

 『人生秘中の奥義書』が発行されると、このサイトが開かれ、『人生秘中の奥義書』を販売中止にしたらこのサイトも中止になった。
 共時性があるのかもしれない。

10月23日(月曜日)、旧暦の9月2日、新しい星が生れる

 平成18年10月23日(月曜日、旧暦の9月2日)、
「新しい星が生れた」
 とお聞きしました。

 (※)2008年2月28日(木曜日)、日経新聞で新惑星の理論的可能性が報じられた。

 地球で発見される日は定められているのでしょう。
 おそらく、日本人によって発見されるかもしれません。

 その時が、「定めの時」でしょう。

 1996年6月11日(火曜日)の国常立大神の鎮座とは、太陽系レベルでは新しい惑星の生成になっていたようです。
 太陽系の周辺にある小惑星を集積させ、太陽系第9惑星と第10惑星を生みあげる。
 1996年6月11日(火曜日)に国常立大神の鎮座が始まり、地上世界に4艦の天之鳥船が進入してきた子の年にあたっていた1996(平成8)年10月13日(日曜日、旧暦の9月2日から2006(平成18)年10月23日(月曜日、旧暦の9月2日)までのちょうど10年間が極めて危うい時期でした。

 この期間のことを『ひふみ神示』は次のように表現したのです。

 子の歳真中にして前後十年が正念場、世の立替は水と火とざぞ。
『ひふみ神示』第8巻磐戸の巻 第16帖 より

 『ひふみ神示』がいう「子の歳」とは、私たち家族にとっては1996(平成8)年のことでした。

 私達家族には、1995年から何が起こってきたかの記録と経験があるので、2007年以降にどういうことが起こってきても対応できるでしょう。

11月?日(?曜日)

 2006(平成18)年11月?日(?曜日)に5社共同の新会社が設立される。
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