記録に残しておきたいメモ書き
玉津島神社の東側にある名草山に感じるものがある・・
この地には、玉津島神社があり、伊太祁曽神社があり、大国主神社がある。
名草一族には感じるものがある。
紀ノ川を遡れば、丹生津姫神社がある。
名草一族には感じるものがある。
紀ノ川を遡れば、丹生津姫神社がある。
以下は、5度の岩戸閉め より
神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変わりの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイワレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。『 新版 ひふみ神示 』下巻 所収 五十黙示録第二巻碧玉之巻第十帖より
長髄彦の反乱を鎮めるために神武天皇は東征した・・
『秀真伝(ほつまつたゑ)』下巻P250〜
神武天皇は長髄彦の反乱を鎮めるために東征した。天道根命の名草一族にも長髄彦反乱軍に呼応する動きが現れていた・・
神武天皇が和歌山市にやってくる頃は、天道根命がこの周辺を統治していたと思われる。これが名草一族である。神武天皇が長髄彦命の反乱軍を鎮圧するという話は紀伊国にも伝わってきており、神武天皇の呼びかけに応じるもの、反乱軍に呼応するものが入り乱れていた。
私の観点とは時代の取り方が違いますが、実地考証を踏まえて実に良くまとめられているサイトが次のサイトです。
伊邪那岐尊が加遇突知命(かぐつちのみこと)を斬った時の「十拳の剱」を洗ったとされる泉。
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