野々宮神社【5】記録に残しておきたいメモ書き|鳥取県

マピオン地図
鳥取県八頭郡八頭町上野201番
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記録に残しておきたいメモ書き

大嘗祭の主貴田(すきでん)として選ばれた野々宮神社

 八上の日理郷は土師郷の東側のあります。
 これをワタリと読むそうです。
 昭和52年4月の郡家町広報には北川時冶氏の「我が町の文化財」と題して大御門の殿にある和多理神社について記されています。
 そこには、日理は本来、「ひつち」で、大御門に日理(ひつち)という丘があるそうです。
 神社名の和多理は当て字であって、この辺り一帯を日理(ひつち)の郷と呼んでいたそうです。
 式内社である和多理神社は、後醍醐天皇の行宮の地ともなったところですが、元は和多理山=猫山の山頂(→マピオン地図)に祀られていたのを里に移し祀ったものです。
 この神が、隠岐に配流されていた後醍醐天皇に託宣をおろされて、後醍醐天皇は隠岐より脱出され、名和長年に導かれて船上山へしばらく逗留され、一行は京へ向かう途中で託宣を下された和多理神社のある八上に行宮されました。
 現在の祭神は、神功皇后が福岡の大渡島より遷し祀ったとされる猿田彦命となっていますが、もともとは別の神が祀られていた可能性が高そうです。
 本殿には後醍醐天皇御親筆の諾册(ナザナギノミコト・イザナミノミコト)両神の御札が保管されています。
 日理郷は、現在の大御門地区と郡家、宮谷、奥谷、下坂、山田、山路あたりと思われますが、特に奥谷から山路あたりはかつての土師氏の窒跡があるところです。
 西側の土師郷には窒跡がなく、東側の「ひつちのさと」には窒跡が多く残っています。
 土師氏の主な生業は、土器の作成、そして墳墓の造営、葬祭に関する仕事です。
 ひつちの里も本来土師の郷だったのではないでしょうか。そして八上においては土師氏の中での分業制が既に確立していったのかもしれません。
 また、土師器を作る材料の粘土が底をついてしまうと必然的に活動の場所を移さざるをえません。その意味では各地を渡り(ワタリ)歩いたのでしょう。
 そのようにとらえれば、土師郷に窒跡がなく、古墳が大量にある、しかも特異な性格をもつ古墳があることは至極当然なことといえるでしょう。
 葬祭や墳墓作りに関わった土師氏も一部はその後活動の拠点を畿内に移していったのかもしれません。

八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)P157 より引用

八上一望マップ

八上一望マップ

参考地

 八東町(旧、郡家町〜こおげまち)に白兎神社が3つもあるということはほんの少し前までは、地元住民ですら全く知らないという状態だった。
 (※)特に、私都川(きさいちかわ)沿いに集中しています。

福本の白兎神社(本社)
池田の白兎神社(天寺橋)
土師百井のもと白兎神社

--------------- その外の地域で有名なところは ---------------

白兎海岸の白兎神社

記録に残しておきたいメモ書き

天照神年表では細矛千足(山陰地方)のご巡狩を伝えている。

鳥取県鳥取市の霊石山に天照大神の行幸の伝承が残っている。
○島根県隠岐の島の西ノ島に天照大神が降臨した伝承(別ウィンドウ)が残っている。
 ⇒待場神社・峯美神社(別ウィンドウ)
 ⇒焼火神社

細矛千足(山陰地方)のご巡狩は、道奥伝授の一環・・

 準備中