白兎神社【1】トップページ|鳥取県

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鳥取県鳥取市白兎603
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因幡の白兎で有名な白兎神社トップページ

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編集の都合によって、『「因幡の白兎」で有名な白兎神社』に移動しています。

 平成24(2012)年5月20日(日)記す

白兎神社は私都川(きさいちかわ)流域に3箇所ある

 八東町(旧、郡家町〜こおげまち)に白兎神社が3つもあるということはほんの少し前までは、地元住民ですら全く知らないという状態だった。
 (※)特に、私都川(きさいちかわ)沿いに集中しています。

福本の白兎神社(本社)
白兎神社(天寺橋)
土師百井のもと白兎神社

兎とは、豊受大神の「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣である

 白兎神社の東南側にある湖山池の重要性は、『湖山長者(こやまちょうじゃ)』という伝承から読み取ることができると思う。

 ⇒ 参照:稲葉神社

「田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になった」

 この伝承の意味するところは、稲葉大明神(豊受大神)の統治が湖山池周辺にまで及んでいたということを意味しているのだと思う。

 大国主命が白兎に出会ったのは、湖山池の北西側に当たる白兎海岸であった。

 大国主命が出会った「兎(うさぎ)」とは、豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である。

 因幡の白兎伝承当時、豊受大神の直接統治地である因幡でも、ダマシと暴力によって、まさに豊受大神の統治が失われつつあったのだと思う。
 神獣である兎がワニをダマシタという点、ワニが神獣である兎の毛を剥ぎ取ったという点、これらからダマシと暴力の影響下に世の中が落ち込んでいった状況が歌いこまれていると思う。
 こういう状況下で、大国主命は豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である「兎(うさぎ)」を救ったのだ。
 このことは、大国主命はダマシと暴力を用いず、豊受大神の統治を完成させることを誓ったことを意味しているし、逆に豊受大神からそういう事柄を嘱託された、ということを意味しているかもしれない。

 これは、日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語である。

 これから5,000年後の大国主命の国譲りのとき、天穂日命が先陣をきって高天原から派遣された。

 天穂日命が陣を張ったのは湖山池の西岸である。

 大国主命の驕りによって、日本各地が武力闘争に入っていくとき、湖山池周辺から稲葉神社方面は武力闘争に関わらせてはいけない土地であった。
 豊受大神の統治を守るべく天穂日命が高天原から派遣されたのだ。
 天穂日命は3年経ても高天原に復命しなかったと伝えられているが、時勢からみて、この地を離れられなかったのだろう。
 東方面へは、豊受大神の元伊勢の勢力を守る要所であり、海上方面では、能登半島ならびに新潟県糸魚川へ抜ける海路の要所を占めている。
(※)能登半島は世界を統治する上での要所であり、
   新潟県糸魚川の翡翠で、五百津の御統玉(勾璁)を作るため、新潟県糸魚川市は神権には必須地である。

 湖山池の西岸を押さえれば、大国主命の武力の源泉が削がれるはずである。
 つまり、この地を押さえきれば、大国主命の武力勢力の力は失われていく定めになっている場所だった。
 こういう理解に立たないと、国譲りの後処理の中で、天穂日命が出雲大社や出雲の統治をしていく経緯が皆目見当つかなくなってしまうのではないか。
 日本各地の魔軍動乱(中心地は出雲)を鎮圧して4万年経た、今から156万年前の物語であるが、因幡の白兎伝承と天穂日命の神社があることで、湖山池の重要性が際立ってくる。
 つまり、稲葉神社の重要性が際立ってくるのだと思う。

 大国主命が兎とともに祀られるとき、豊受大神の大国主命への願いが込められているに違いない。
兎(うさぎ)」とは、豊受大神の統治がつつがなく行われている時に現れる「豊かさ」の瑞兆をあらわす神獣(しんじゅう)である。
 ダマシと暴力を用いることなく豊かになれますように!

白兎神社と天穂日命神社の位置関係

白兎神社と天穂日命神社