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拝殿
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ご祭神
保食神本殿
準備中
古苗代(ふるなわしろ)についての文献的な記述
『岩美郡誌』P267 明治45年楢柴竹造著
古苗代、稲葉村大字卯垣村尺山ノ西南狭間ト言ウ所ニ五畝歩許ノ田地アリ。半月形ヲナセリ。之レヲ古苗代ト言ウ、口碑ニ曰ク。太古、稲葉大明神当国ニ来リ給ヒシヨリ、古苗代ノ名アリ。乃テ、当国ニ稲ヲ植エシ元祖ナルヲ以テ、イナバ(稲葉)ノ国ノ名起コリシ所以ナリト
古苗代、稲葉村大字卯垣村尺山ノ西南狭間ト言ウ所ニ五畝歩許ノ田地アリ。半月形ヲナセリ。之レヲ古苗代ト言ウ、口碑ニ曰ク。太古、稲葉大明神当国ニ来リ給ヒシヨリ、古苗代ノ名アリ。乃テ、当国ニ稲ヲ植エシ元祖ナルヲ以テ、イナバ(稲葉)ノ国ノ名起コリシ所以ナリト
『八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)P171 より引用
古苗代(ふるなわしろ)伝承の比較
『八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)PP24 より引用
神社名 | 比沼麻奈為神社(ひぬのまない) | 稲葉神社 |
住 所 | 京丹後市峰山町久次の元伊勢外宮 | 鳥取県鳥取市立川町5丁目116 |
伝承地 | 久次に隣接する苗代(なわしろ)という場所には、「月の輪田(わでん)」という半月形の水田があり、ここで御現身(おうつしみ)の豊受大神が稲作を始められた、という伝承が残っています。 | 鳥取市卯垣(ぼうがき)にはかつて「古苗代(ふるなわしろ)」「大苗代」と呼ばれる田がありました。「古苗代」は稲葉大明神が当国においでになり、稲作を始められた半月形の水田で、明治の頃まで残っていたようです。 |
種籾 | 近くには豊受大神が種籾を浸したとされる白濁した湧き水のでる「清水戸(せいすいど)」がある。 | 霊石山の南麓にある最勝寺にもこの米のとぎ汁のような湧き水がでる霊泉があります。天照大神の行宮と関連するものではないかと思われます。 |
説話 | 『古当(ふるとう)屋敷長者』 田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になったという話。 |
『湖山長者(こやまちょうじゃ)』 田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になったという話。 |
数字の九 | 豊受大神は九という数字と深い関係があります。それは伊勢外宮正殿の鰹木は九本であり、元伊勢外宮のある丹波郡(現京丹後市峰山町・大宮町)で式内社が九座あることなどに示されています。 | 因幡の地においても因幡郷が九か村からなっていたこと、稲葉大明神を祀る稲葉神社の祭礼の日が古くは九月九日であったこと。 (現在は五月九日、その前後の土日を祭礼の日としています) 稲葉大明神は保食神(うけもち)であり、豊受大神と保食神(うけもち)とはしばしばご同体とされます。これらのことから稲葉大明神とは豊受大神と同一の神であるといえるでしょう。 |
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古苗代(ふるなわしろ)伝承の比較
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