稲葉神社【5】記録に残しておきたいメモ書き|鳥取県

マピオン地図
鳥取県鳥取市立川町5丁目116  ⇒ マピオンでの広域表示
 ⇒ 公式サイトはこちらです。

記録に残しておきたいメモ書き

古苗代(ふるなわしろ)・大苗代

八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)PP24 より引用

 鳥取市卯垣(ぼうがき)にはかつて「古苗代(ふるなわしろ)」「大苗代」と呼ばれる田がありました。「古苗代」は稲葉大明神が当国においでになり、稲作を始められた半月形の水田で、明治の頃まで残っていたようです。残念ながら、現在は記念碑が一本建っているのみです。
 稲葉大明神がこの地を稲庭(いなば)と命名し、稲場、稲羽、稲葉、因幡へと漢字表記は変遷するものの、現在までその名だけは残ってきたのです。

 (※)卯=兎と月の関連性も気になるところです。「卯」を「ボウ」と読むのは一説にはその昔、兎が農作物を荒らすので、それを防ぐために卯の花を垣のようにして植えたからだそうです。

 では、稲葉大明神とはどのような神でしょうか?

 古苗代(ふるなわしろ)伝承の比較
神社名 比沼麻奈為神社(ひぬのまない) 稲葉神社
住 所 京丹後市峰山町久次の元伊勢外宮 鳥取県鳥取市立川町5丁目116
伝承地 久次に隣接する苗代(なわしろ)という場所には、「月の輪田(わでん)」という半月形の水田があり、ここで御現身(おうつしみ)の豊受大神が稲作を始められた、という伝承が残っています。 鳥取市卯垣(ぼうがき)にはかつて「古苗代(ふるなわしろ)」「大苗代」と呼ばれる田がありました。「古苗代」は稲葉大明神が当国においでになり、稲作を始められた半月形の水田で、明治の頃まで残っていたようです。
種籾 近くには豊受大神が種籾を浸したとされる白濁した湧き水のでる「清水戸(せいすいど)」がある。 霊石山の南麓にある最勝寺にもこの米のとぎ汁のような湧き水がでる霊泉があります。天照大神の行宮と関連するものではないかと思われます。
説話 『古当(ふるとう)屋敷長者』
田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になったという話。
『湖山長者(こやまちょうじゃ)』
田植えをその日のうちに終わらせようとして沈む太陽を呼び戻したら、翌日水田が池になったという話。
数字の九 豊受大神は九という数字と深い関係があります。それは伊勢外宮正殿の鰹木は九本であり、元伊勢外宮のある丹波郡(現京丹後市峰山町・大宮町)で式内社が九座あることなどに示されています。 因幡の地においても因幡郷が九か村からなっていたこと、稲葉大明神を祀る稲葉神社の祭礼の日が古くは九月九日であったこと。
(現在は五月九日、その前後の土日を祭礼の日としています)
 稲葉大明神は保食神(うけもち)であり、豊受大神保食神(うけもち)とはしばしばご同体とされます。これらのことから稲葉大明神とは豊受大神と同一の神であるといえるでしょう。

古苗代・大苗代〜法美郡稲葉郷卯垣村尺山の付近にある字狭間というところ

 立川五丁目、じげの歴史は次のように指摘している。
 古苗代・大苗代は法美郡稲葉郷卯垣村尺山の付近にある字狭間というところにある。

 卯垣村尺山の付近にある字狭間はどこにあるか?
 下の引用からの推定 ⇒ goo地図

岩倉地区 地域づくり懇談会 より引用

 岩倉地区では山の崩落に関係する場所が2箇所あります。そのうちの、卯垣4丁目の裏の卯垣5丁目の山のことですが、尺山が崩落の危険地域ということで指定されました。県の説明から地図を見ますと、対象となる民家が20軒ぐらいあります。それが倒れると将棋倒しになりますが、次も影響するということと併せて、この尺山の崩落危険地域の指定にされると、実は岩倉川が通っており、この川に土砂が落ちますと、去年の大雨、夏の大雨の時には、町内がほぼ冠水、あと何センチぐらいで浸かるといったような状況になっていました。今も梅雨の時期で水かさが大変増えてきて、もし、その尺山が崩落すると、川が塞き止められます。そうすると、卯垣4丁目の半分ぐらいは水に浸かってくるような状況に実はなるわけです。岩倉も本村において少し影響がありますが、卯垣4丁目の尺山において一番大きい影響が出てきます。

八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)PP24 より引用

稲葉神社の周辺マップ

稲葉神社の周辺マップ

稲葉神社の波乗り兎

 波乗りウサギ四兄弟のうちの一羽です。
 波兎も驚きですが、社殿の装飾のレベルが尋常ではありません。絢爛豪華です。寺院建築に用いられる装飾も採用されており、信仰が厚かったことがうかがわれます。

 稲葉神社も非常に格の高い神社でこちらも因幡の一宮クラスです。
 社地移転の説もありますが、この辺り一帯に、天穂日命一族の拠点であったことを伺わせるにふさわしい遺跡や神社が集中しています。
 『記紀』の記述に従えば、本来出雲にあってしかるべき遺跡が、実際は因幡のほうにある、ということにお気づきの方も多いと思います。

八上神秘の白兎と天照大神伝承―もう一つの因幡の白兎神話』(大江幸久著、星雲社刊)P109 より引用