記録に残しておきたいメモ書き
十種の神宝をめぐって3つの推論・・
御機の十〔鹿島立ち釣鯛〕の紋の【6】奇彦命と万木の森を参考に推論・・
奇彦命は、国譲りから55,373年後の紀元前1,499,704年に奇玉火之明尊の第一次天孫降臨のとき大物主に任じられているが官職を辞し(20-9)、大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)に蟄居され父と母の宮を祀られたらしい。大嶋奥津嶋神社(おおしまおきつしま)に蟄居していると、「瓊々杵尊を守れ」という勅を得て、三穂津姫を妻とし、万木の森(→与呂伎神社)を賜った。
「万木」滋賀県高島郡安曇川町青柳・西万木付近一帯に、以前は「万木の森」と称する広大な森が存在した。
「東万木」とは現在の青柳町の旧名である。
布留神社の布留大神とは「十種の神宝」であるので、奇彦命が天之火之明尊の第一次天孫降臨(大和-奈良県)の政治を祈られたのかもしれない。
こういう筋で一つの推論が成り立ちうる。
○ 参拝旅行の準備をしている平成22(2010)年4月23日(金)、私は「大蛇のヒレ」のようなものをみている。
私が見た映像との関わりからみて、十種の神宝の一部が別々に祀られていった可能性を感じる。この布留神社には「大蛇のヒレ」が祀られているのだろうか?
これが第二の推論だ。
○ 第三の推論として、「大蛇のヒレ」を採取した場所が当地である可能性があるのかもしれない。田中神社の「八柱御子神」を八岐大蛇の八つ頭とする伝承もあるようなので、そういう流れで布留神社をみると、布留神社において「大蛇のヒレ」を採取したとしてもあながち飛躍した見解にならないかもしれない。
『秀真伝(ほつまつたゑ)』の記述では、八岐大蛇は早子に転生しているので、早子に転生する前の八岐大蛇がいることが前提になっている。
この八岐大蛇は高島市で素戔嗚尊に退治され、安潟神として祭られた可能性が高い。
神が人体を持って現れる前の時代の物語かもしれない。
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