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1.『秀真伝』から
『秀真伝』の第1章といえる「御機の初」は、「和歌姫(昼子姫、天照大神の姉神)の神」の記述から始まる。その「御機の初」のなかで思兼命の由来が説明されている。
「 和歌姫の 心お留む
玉津宮 枯れたる稲の
若返る 若の歌より
和歌の国 玉津の雄鹿
天智彦お 見れば焦るる
和歌姫の 若の歌詠み
歌身染め 思ひ兼ねてぞ
進むるお つい取り見れば
=略= 」
(『秀真伝』八幡書店、上巻pp193〜194)
上の訳
「玉津の宮にご滞在されていた和歌姫は、たまたま玉津宮に勅使としてこられていた天智彦命(あちひこのみこと)に一目惚れされてしまい、求婚の歌を短冊に染めつけて、思いあまって(思兼)、直接天智彦命にお渡しになられたのでした。天智彦命が、ついその歌を見ると
=略=
このようにして、めでたく和歌姫と結ばれた天智彦命は、思い兼ねた和歌姫の御心にちなみ思兼命と称され、のちに天の野洲川辺のお宮にて、和歌姫とともに御子忍仁君(忍穂耳尊)の御養育の任にあたられ、和歌姫は下照姫との称え名を拝受されたのでした。」
(『秀真伝』八幡書店、上巻p219)
思兼命を祀る長野県阿智村の昼神温泉郷にある阿智神社(長野県下伊那郡阿智村千里前宮489)の「阿智」は、天智彦命の「天智(あち)」に由来する可能性がある。また、「昼神」の「昼」は、岩戸開きによって太陽の光を取り戻した功績を称えているかもしれないが、妻神の「昼子姫」の「昼」による可能性もある。
ここでの要点は、思兼命(天智彦命)と昼子姫(稚姫岐美の神)が夫婦だったことが『秀真伝』に記載されている点。
また、わたしがよく参考にしている『スサノオと出口王仁三郎』(八幡書店)の著者出口和明氏は次のように記述している。
「そこで天運循環して1892(明治25)年節分の日、天の大神(神素盞嗚大神)の命によって、国祖国常立命は稚姫君命(出口直の精霊)にかかり、因縁の身魂出口直の肉体を機関として再び出現し、立替え立直しの神業を遂行することになったのです。」(同書p104)
『秀真伝』との脈絡で留意しておきたい点は、『秀真伝』における昼子姫(稚姫君神)は、大本教団の開祖出口直として現れている可能性がある点だと思う。
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