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海神(かいじん)神社 平成18年8月8日に訪問。
  由緒書き(参考文献から) 『全国神社名鑑』(史学センター)
 記載できるものはありません。
  由緒書き(参考文献から) 谷川健一編(白水社) 日本の神々―神社と聖地〈1〉九州

●当社の鎮まる神山を伊豆山(いづやま)という。社家の中世文書に「居津宮司」とみえ、この名称はおそらく古代からの伝承とみられる。

 『津島紀事』には、「社説にいう。伊豆(いづ)は神籬磐境(ひもろぎいわさか)の美なるをいう」としており、社前の平地を伊豆原(いづはる)という。
 ちなみに下県郡の下津八幡宮の社前は現在「厳原(いづはら)」という町名になっている。

 伊豆山は、木坂の里より一山・一谷隔てた上(かみ〜北)にある。これと対照的に里より下(しも〜南)に一山超えた海辺を保利(ほり)という。
 この保利(ほり)の浜を眼下にした椿林の段丘を、保利(ほり)の檀と称するが、この地は古い両墓制時代の埋葬地であった。


●当社はもと八幡宮と号し、古い由緒には、神宮皇后が新羅親征の帰途、幡八流を祀らしめたもので、わが国の八幡宮創始の地と伝え、八幡本宮または上津(かみつ)八幡宮と称していた。

 文永4年(1267年)の八幡宮文書には、「上郡・八幡本宮」とみえ、永和4年(北朝・1378年)の棟札をはじめ、40数例の梁文(はりもん)があるが、それには「当国一宮木坂八幡宮」としたものが多い。

 当八幡宮の祭神を、彦火火出見尊(ひこほほでみ)・豊玉姫(とよたまひめ)・鵜茅葺不合尊(うがやふきあえず)とし、これを八幡三所と称している。

 しかし、八幡宮であるからには、祭神は応神天皇・神宮皇后のはずである。当社の祭神は五座となっているので、前記三神と応神天皇・神宮皇后が合祀されていたものとみられる。

 そして、明治4年に海神(かいじん)神社と社号を改め、国幣中社に列した。

●『延喜式』には、対馬の神社が29座もあるなかに、八幡宮の名は見えない。
 そこで、元禄の頃、対馬国総宮司職で神道学者としても知られた藤斎延(とうまさのぶ)は、対馬では海神と八幡を合祀していたので『延喜式』には和多都美神社として記載されたのだと説き、『延喜式』所載の上県郡和多都美神社(名神大社)を上津八幡宮(木坂)、下県郡の和多都美神社(名神大社)を下津八幡宮(現在の厳原八幡宮)と考定した。

●なお、文化6年(1809年)撰の『対馬紀事』には、次のような木坂村の古俗が紹介されている

  当邑、産に臨んで、俄かに産屋を効に造り、その産舎の未だ成らざるうちに分娩すという。これを原上(はるあが)りりという。これすなわち土風なり。相伝えて豊玉姫の安産に倣うの遺風なり。


  由緒書き(参考文献から)

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