国賀海岸、待場神社・峯美神社、焼火神社
参拝記録
訪問日:2007(平成19)年5月4日(金)
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本殿

ご祭神
主祭神:大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと)西ノ島に伝わる天照大神降臨伝説によれば、焼火神社に天照大神が鎮まるまえに、焼火神社には焼火山の神様がいたことを伝えている。
>>・・その筆で手紙を書いて大空に投げ上げたところ、この山の頂から二羽の烏が飛んできて口にくわえた。そしてはるか東方に見える焼火山を目指して飛んでいった。烏の飛びだした場所には「烏床」という地名がついた。焼火山の神様は、この手紙を受け取って神勅とおぼしめし、早速聖なる大宮所を選定して報告した。
それを受けて猿田彦命と天鈿女命は天照大神を焼火山の大宮所にお連れした。こうして焼火神社は天照大神をまつることになった。それに手紙をくわえて飛んだ二羽の烏は後に焼火山内に棲みつき、いつもこの神社の境内に来て遊んだ。・・<<
天照大神が祭られる前に、焼火山の鎮座されていた神様とは、おそらく、隠岐(おき)の三子島(みつこしま)、天之忍許呂別(あまのおしころわけ)であろう。
問題の本質はどこにあるか?
それは・・西ノ島になぜ天照大神が降臨するのか?
・・・にある。
細矛千足(山陰地方)のご巡狩は、豊受大神亡き後に行われるものであり、道奥伝授の一環だったはずである。
その伝授された道奥とは・・・
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本殿を走ってくる光宮(みや)

本殿

拝殿

拝殿に掲示しあった立札

展地(てんち)が次のように言った。
「お父さん、神社の上のほうにある木立の蔭に、ほら、あそこに青い服を着た子どもがいるよ」上に掲載した立て札には
「子供の守り仏、霊験あらた」
と書いてある。
展地(てんち)の霊線は、この焼火神社に来たことによって開いたかのようだ。
この日を境に、お父さんの守護神はね・・とか、お母さんの守護神はね・・と当たり前のように語れるようになった。Copyright (C) 2002-2017 「月の光」成田亨 All Rights Reserved.
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