女人高野といわれる室生寺【5】記録に残しておきたいメモ書き|奈良県

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奈良県宇陀市室生区室生78( マピオンによる広域地図
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記録に残しておきたいメモ書き

日本各地を周り始めるキッカケになったのは・・

 1995年5月・・
 高野山を訪ねたとき、宝物館に展示してあった次の一文を見て、私は日本各地を周る決心を固めた。

 「56億7千万年後、私は大日如来とともにこの世に降り立って、私は私の史蹟を訪ねるだろう」

 私が幼い頃から日本各地を周らなければならないと思っていた源は、この一文にあったのだ、と自覚したからだった。

 1995年5月以降、私は日本各地を本格的に周りはじめた。

 1996年に長女が生まれ、次々に家族が増えていった。

室生寺には平成12(2000)年7月29日に訪問している・・

太鼓橋を渡ったところで
実加(4歳6ヶ月)
展地(2歳8ヶ月)
美穂(5ヶ月)

 室生寺を最初に訪問した平成12(2000)年7月当時、「大日如来」とは「天照大神」の仏教上の表現と理解していた。
 ところがそれから9年経った平成21年3月8日(日)に再訪問した結果、「大日如来」と「天照大神」は全く別な存在であると知った。

 これは、室生寺の天神社の神前に立ったときの直感である。

天神社

室生山に、大日如来の宝珠がある・・

 おそらく、室生寺の古い記録が伝える通り、室生山に大日如来宝珠があるのだ。

大日如来の宝珠が天の手によって捕まれている写真

奥の院へ向かう途中に、岩を鷲掴みにする木の根がある
あたかも天の手が「何か」を掴もうとしているかのようだ。

空海の時の取り違えは、神武天皇の史蹟を訪ねなかったからだ・・

 日本各地を周った結果、数多くの空海の史蹟も訪ね歩いた。
 空海の史蹟に接するたびに安心感があった。

 しかし、今思う。
 空海の時の取り違えは、神武天皇の史蹟を訪ねなかったからだ。
 そのため、高龗神(たかおかみのかみ)についての考察を欠いてしまった。
 空海の時から1200年も経って気づく。

御影堂
42歳の空海像が安置されている御影堂

後ろが室生山の頂上方向
室生山の頂上方向を背にして撮影。