鳥見山(とみやま)【1】ここだけは紹介しておきたい!|奈良県

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 神武天皇、宇陀制圧の後編(→ 前編の最初・宮滝はこちら )

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鳥見山(とみやま)

ローソンから見る鳥見山(とみやま)

天鈴61年(即位4年)、天富命に命じて鴨社を遷し
宇陀市榛原の鳥見山に御祖神(鵜葺屋葺不合尊)を祀る

 太玉命の孫に当たる天富命は、神武天皇即位の大礼のとき、三種の神器の受け渡しのとき、道臣命(日の使い)・天田根命(月の使い)とともに、「星の使い」となった。
 現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のとき、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
 「上小野榛原(かみつおのはりはら)」が現在の「鳥見社」に当たるのであろう。
 神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(まつりのには)のときの「下小野榛原(しもつおのはりはら)という」とあるのは、「神武天皇大和進入」の推定では、「墨坂伝承地」にあたる。
 第10代祟神天皇のとき、「墨坂伝承地」に祀られていたものが、天富命の住居であった墨坂神社に祀りかえられたとき、「鳥見社」にあった「上小野榛原(かみつおのはりはら)」も祀りかえられたのかもしれない。
 大田種子の記述に従えば、上のようになると思う。
 この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
 千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、「鳥見神社」が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
 『秀真伝(ほつまつたゑ)』御機の三十〔天君都鳥の紋〕(鳥居礼編著、八幡書店、下巻P269-270 )
四穂(よほ)二月(きさら) ネウエのキナエ 天鈴61年(神武即位4年)2月
勅(みことのり) 「御祖(みをや)の神(かみ)の 神武天皇の父・鵜葺屋葺不合尊のこと
都鳥(みやこどり) わが身(み)お照(て)らし  
仇(あだ)平(む)けて みな治(をさ)むゆえ  
天富(あめとみ)に 賀茂社(かも)お遷(うつ)させ  太玉命の孫に当たる天富命は、神武天皇即位の大礼のとき、三種の神器の受け渡しのとき、道臣命(日の使い)・天田根命(月の使い)とともに、「星の使い」となった。
 現・墨坂神社のある天野の地が天富命の邸跡とも伝えられていることを鑑みると、天富命は、現在の墨坂神社のある地に住んで、京都から遷座された賀茂社を鳥見の山中に設け(霊畤)、鵜葺屋葺不合尊(御祖神)を祀られたのだろう。
 この後、天富命は阿波忌部を率いて千葉県館山市の安房神社のある地に渡り、東国開拓に着手された。
 千葉県に神武天皇の母・玉依姫が祀られているところが多く、鳥見神社が多いのは、神武即位4年に天富命が宇陀市鳥見山(霊畤)で御祖神を祀られた記憶が多大に影響しているのだと思う。
御祖神(みをやかみ) 祭(まつ)る榛原(はりはら)  
鳥見山(とりみやま) 天田根(あたね)お賀茂(かも)の  
建祗命(たけすみ)の 祭(まつ)り嗣(つ)がせて  
国造(くにつこ)ぞ」 正月(むつき)十一日(そひか)は 天鈴62年(神武即位5年)
県主(あがた)召(め)し 神酒(みき)お賜(たま)はる  
初(はじ)めなるかな    

鳥見山(とみやま)の周辺図

福地岳(ふくちだけ)の周辺図

 神武天皇「大和討ち」の宇陀での地図

神武天皇「大和討ち」の宇陀での地図