三輪山(みわやま)・三諸山(みもろやま)【5】記録に残しておきたいメモ書き|奈良県

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記録に残しておきたいメモ書き

参考リンク集

► 「 天の逆矛

平成21(2009)年1月23日(金曜日)、高龗神はどこからやってきたのか?

 「高龗神たかおかみのかみ)はどこからやってきたのか?
 1月21日(水曜日)から文章化をはじめて1月23日(金曜日)にようやく形になってきた。

 「そなたはおそろしいことをしてくる」

 こういう言葉が頭を駆け巡る。
 九頭龍から入って、高龗神(たかおかみのかみ)の考察に入った。
 「そなたはおそろしいことをしてくる」
 「恐ろしさ」を感じてしまうものたちがいるということだろうか?

 切っ先を天に向けた巨大な剣が現れてきて、私は切っ先の上にいる。

 切っ先の上にうまく乗り切れず、両股を引き裂かれそうでツライ。
 大地の大きな穴から突如現れたこの巨大な剣はいったい何なのだ?

平成21(2009)年1月24日(土曜日)、高龗神と三輪山(みわやま)の関係

 「高龗神たかおかみのかみ)はどこからやってきたのか?
 1月24日(土曜日)に三輪山(みわやま)と深い関係がありそうだと知る。

 「そなたはおそろしいことをしてくる」

 依然として上の言葉が頭を駆け巡っている。

 依然として、切っ先を天に向けた巨大な剣の切っ先の上に私はいる。

 ようやく切っ先の上にうまく乗れるようになった気がする。
 大地の大きな穴から突如現れたこの巨大な剣はいったい何なのだ?
 2日間にわたってこの現象はちょっとツライ。
 夜、新潟のTaさんから『奥義書』の件で電話、いつも2時間コースになることが多い。

平成21(2009)年1月25日(日曜日)、切っ先を天に向けた巨大な剣とは・・

 朝早く、新潟のTaさんから『奥義書』の件で電話、昨日の夜に続き2時間コースだ。

 午後の1時過ぎに新潟のTaさんから『奥義書』の件で3回目の電話、やれやれ。

 「そなたはおそろしいことをしてくる」
 という声と、切っ先を天に向けた巨大な剣に関係あるのだろうと思っている自分がいる。

「やりとげねばならぬ」

 という声と共に「切っ先を天に向けた巨大な剣」とは天之逆矛(あめのさかほこ)ではないか?
 と突然ひらめいた。

 私が見ている巨大な剣の映像は、「天の逆矛」というサイトの画像に近い。

 ただ剣は白金(しろがね)で透明に輝く気品があり、誰も近づけないようなものなのだ。
 私が近づいているのが不思議なくらいなのだ。

以下は、「天の逆矛」というサイトからの引用。

「伊邪奈岐命、伊邪奈美命二柱の神は天の浮橋に立ちて、天の沼矛を差し下してかきたまへば、塩こをろこをろにかきなして引き上げたまふときに、其の矛先よりしたたり落つる塩つもりて嶋となる。これおのころ嶋なり。其の嶋に天降りまして、天之御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき」
 古事記上巻初めに登場する一節である。
 この「天の沼矛」を国土修理個成(ツクリカタメ) つまり国造りの際にその基点を決めるため天より投げ下ろし 、逆さまに刺さったものが「天の逆矛」となったのである。 つまり「天の逆矛」は天地創造の神器であり三種の神器よりもはるかに古く 尊い日本の宝として位置付けられている。
 そして、その矛が刺さった場所というのが霧島高千穂山頂ということになる。
 この古事記に記された神話は単なる神話なのであろうか。
 一説ではこれは地球創生の物語ではないかとも言われている。
 塩とは様々なミネラルを意味し、そのような小さな塵が引力により回転しやがて固まり、地球となる。そしてその大地に投げ下ろされた矛は神性あるいは知性の象徴であるという。
 しかし、高千穂山頂には「天の逆矛」が象徴ではなく実体として存在していたのだ。
 それはいつ頃から突き刺さっていたのだろうか。
 別の話ではイザナギ・イザナミより大己貴命(大国主命)に受け継がれた 「天の沼矛」をニニギノミコトがこの地に降臨の際、突き立てたものだとも伝えられている。
 大己貴命曰く
「私はこの矛を持って様々な地を平定してきた。あなたもこの矛で国を治めるならば、きっと平定できるだろう」
 と、ニニギノミコトに授けたのだという。  古事記で語られている神話よりさらにリアリティー溢れる逸話である。
 ちなみに現在高千穂山頂にある「天の逆矛」は柄の部分を除いて他の部分は近年の模造である。
 しかも様々な宗教団体によって手が加えられた形跡があり、 オリジナルとは程遠いものとなっているという。幕末の志士、 坂本竜馬がいたずらに引き抜いてみせたのもこの逆矛である。
 霧島高千穂山頂の「天の逆矛」を見ると、なぜか柄の部分を下にして刺さっている。
 これでは逆矛ではないのではないかと思われるだろうが、これでよいのである。
 剣先を下に突き刺さっておれば、これは当たり前のことで逆さまでも何でもない。柄の部分が刺さっているからこそ逆さまなのである。
 「逆矛」はまた「幸矛」ともいわれる。
 この矛をもって天下の平和を祈念すると共に、天と地をつなげる呪術的な象徴でもあるのだ。故に切先を天に向け逆さまに刺さっているのだ。

以上が、「天の逆矛」というサイトからの引用。

『秀真伝(ほつまつたゑ)』上巻 第23巻(PP831-872) が伝える逆矛(さかほこ)

『秀真伝(ほつまつたゑ)』上巻の第23巻では、伊邪那岐尊・伊邪那美尊から天照神が逆矛を賜ひ、天照神から奇杵命(大己貴)の子である恵比寿顔の奇彦命逆矛が引き継がれたと書かれている。
 そのさい、奇杵命(大己貴)の子である恵比寿顔の奇彦命は、天照神から「日本大国御魂神(やまとおおこのみたまかみ)」という名を賜った。
 奇杵命(大己貴)の子である恵比寿顔の奇彦命は、三諸山(みもろやま)に洞穴を掘られ、天照神より賜いし天の逆矛(あめのさかほこ)をひっさげて、お隠れ、お鎮まりになられたのでした。
 その洞にて時を待ち、素直な心の持ち主を見分けようと、山に直(すぐ)なる木である杉をお植えになりました。
 日本大国御魂神(やまとおおこのみたまかみ)は元来、日の輪の分身(わけみ)であり、天照神に次ぐご神徳の神でした。
 (上巻P872)

 大国主の国づくり【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】より

 神産巣日神は少名毘古那が自分の子であることを認め、少名毘古那に大国主と一緒になって国づくりをするように言った。
 大国主と少名毘古那は協力して葦原中国の国づくりを行った。
 その後、少名毘古那は常世に渡って行った。
 大国主は、
 「これから私一人でどうやって国を作れば良いのだろうか」
 と言った。
 その時、海を照らしてやって来る神がいた。
 その神は、
 「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に私を祀れば、国作りに協力しよう」
 と言った。
 どう祀ればよいかと問うと、大和国の東の山の上に祀るよう答えた。
 この神は現在御諸山(三輪山)に鎮座している神(大物主)である。

 以上 大国主の国づくり【出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』】より

 (※)幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)についての説明は下図(クリックすると拡大表示されます)。
内則五則

 「そなたはおそろしいことをしてくる」

 その声がやんだ。面白い。