峰町木坂の海神神社【1】トップページ|長崎県対馬

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長崎県対馬市峰町木坂247(詳細地図はこちら
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 令和元(2019)年5月16日-5月20日(木-土)に対馬で御神事をする神社

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参拝記録

 令和元年(2019)年5月16日(木)

峰町木坂の海神神社

峰町木坂の海神神社

ご祭神


淡路島の伊弉諾神宮からみた海神神社

峰町木坂の海神神社

 東には伊弉諾神宮と伊勢神宮がある。

【由緒〜Wiki】
 神社の南にある集落は、旧社人が居住していたので、穢れを忌む意識が強く、家屋は川の北側にあって、女性は出産に際しては川の南側に移って小屋の中で出産し、産後しばらく忌が開けるまで滞在した。
 墓は参り墓が川の南岸にあり、埋め墓は南方の山を越えた海岸部にあるという両墓制の形態をとっていた。
 産穢と死穢を忌む意識が強い。
 集落の北側にあって神社の鎮座する山を伊豆山と呼ぶが、伊豆はイツク(厳く)の意味で、神がよりつく神聖な山の意味である。
 旧6月の午の日の早朝にはヤクマの祭りが行われ、西海岸に石塔を立てて、伊豆山の方向を拝む。
 元々は天道の祭りで、太陽を拝むと共に、麦の収穫感謝を願った。
 八幡神を祀っていたのは、母子神信仰が基盤にあるからで、太陽によって孕んだ子供を天神として祀る天道信仰の上に、母神(神功皇后)と子神(応神天皇)を祀る八幡信仰が習合していた。
 母子神信仰は、日本神話と結び付けられて、豊玉姫命と鵜茅草葺不合命とも解釈された。しかし、母子神信仰の基層には、海神や山神の祭祀があり、太陽を祀る天道信仰が融合していたのである。元々は自然崇拝に発した祭祀が、歴史上の人物に仮託され、社人による神話の再解釈が導入され、さらに明治時代以降は国家神道の展開によって、祭神が日本神話の神々に読みかえられ、式内社に比定する動きが強まった。

弥勒堂 - 廃絶

弥勒堂 - 廃絶。神宮寺であったと思われる。

【地図】峰町木坂の海神神社

【地図】峰町木坂の海神神社

【対馬全図】