1997(平成9)年5月3日〜5月5日(土-月)【6神社】、香川県・徳島県・高知県・愛媛県

←聖地日本の神社のトップページへ戻る

1997(平成9)年5月3日〜5月5日(土-月)【22神社】、香川県・徳島県・高知県・愛媛県

 実加が1歳3か月、展地がお胎にいる時に四国に渡る。
 今回の行程では22カ所の参拝。
 1997(平成9)年5月3日(土)〔5神社〕、香川県が中心。
 1997(平成9)年5月4日(日)〔10神社〕、徳島県が中心。
 1997(平成9)年5月5日(月)〔6神社〕、高知県が中心。
 1997(平成9)年5月5日(月)〔1神社〕、愛媛県が中心。

1997(平成9)年5月3日(土)【5神社】、香川県

木熊野神社
(梛乃宮〜なぎのみや)
香川県善通寺市中村町137
祭神:伊弉冉尊、速玉男命、事解男命
 熊野十二社権現を勧請。弘法大師の産土神と称せられた。

金刀比羅宮 香川県仲多度郡琴平町892−1
祭神:大物主神、崇徳天皇
  祭神の大物主大神は琴平山に本拠を定め四国・中国・九州等の経営に当たられたという。

飯神社(注1) 香川県丸亀市飯野町東二
祭神:飯依比古命、少彦名命
 那岐那美両神の島生みの段の「飯依比古」はこちらの神社だろう。讃岐富士の飯野山もいい。

田村神社(一之宮) 香川県高松市一宮町
祭神:倭迹迹日百襲姫命、五十狹芹彦命
   猿田彦大神、天隱山命、天五田根命
 

西照神社(大滝山) 徳島県美馬市脇町字西大谷672
祭神:月読尊、田寸津比売命、市杵島姫姫命、田心比売
 創立年代不詳。
 天照大神が天岩戸に隠れた時、この地に天降り、西日本三十三国を照らし蒼人等の諸厄災を祓い退けたと伝えられる。

(※)徳島県の神社だが、参拝の順路で記載しておく。
 徳島県の項目でも記載している。

白鳥神社 香川県東かがわ市松原69
祭神:日本武尊、両道入姫命、橘姫命
 大和武尊(ヤマトタケル)が東征の後伊勢で没し白鳥となって西方の武尊の妻弟橘姫の出身である讃岐に姫を慕って飛来し当地で白鳥明神となった、という伝承を知って訪ねた。
 この頃は、よく霊的に鶴や白鳥が私の行く方向を示してくれていた。
 そういう感謝の気持ちもあった。
 ちなみに、大和武尊の白鳥伝説の地は、伊勢国能褒野でなくなり白鳥に化し、大和国琴弾原、河内国旧市邑に止まり、更に讃岐国大内郡三里の松原に止まり、ここに神霊を祀った。

1997(平成9)年5月4日(日)【10神社】、徳島県

西照神社(大滝山) 徳島県美馬市脇町字西大谷672
祭神:月読尊、田寸津比売命、市杵島姫姫命、田心比売
 創立年代不詳。
 天照大神が天岩戸に隠れた時、この地に天降り、西日本三十三国を照らし蒼人等の諸厄災を祓い退けたと伝えられる。
(※)前の日の1997(平成9)年5月3日(土)に香川県の順路の中で参拝。
 徳島県の項目にも記載しておく。

大元神社(鳴戸市) 徳島県鳴門市瀬戸町明神字馬越25
祭神:未調査
 鳴戸海峡に「祝詞」奏上をしたくて、近辺の神社に立ち寄った。

大麻比古神社(一之宮) 徳島県鳴門市大麻町板東字平草広塚13
祭神:大麻比古大神(太玉命のこと)、猿田彦大神
 天太玉命の御孫天冨命は、勅命を奉じ肥沃の地を求めて阿波国に入られ、麻・楮の種を播植し、もっぱら殖産興業の基を開かれ国民民冨の途を計られた。のち当国の守護神として太祖太玉命(大麻比古大神)をこの地に奉祭せられた。
 延喜の制で名神大社に列し、古来阿波淡路両国の総産土神として崇敬された。

(※)平成18年5月26日の追記1

 平成9年8月当時は大麻比古神社が天太玉命が神上がられた場所と捉えていた。
 しかし、今回当時の旅行を整理していると天太玉命が四国に渡ってきたという記録がないような気がする。
 すると、天太玉命が神上がられたのは、奈良県奈良市の穴栗神社(穴吹神社)か橿原市の天太玉命神社のどちらかである可能性が高い。春日大社が穴栗神社(穴吹神社)から勧請している摂社があることを考え合わせると穴栗神社(穴吹神社)が第一候補か。

『古語拾遺』を参照にすると次のようだ。

 社家の姓氏ー忌部氏ーより
 自家の衰運を嘆いた斎部広成が、祖先以来の経歴を述べて平城天皇に奉ったのが『古語拾遺』である。
 それによると、忌部氏の祖は天岩戸で活躍した天太玉命である。
 ほかに天太玉命に従っていた五神があり、
 そのうち、@天日鷲命(太玉命の弟)が阿波忌部氏、A手置帆負命が讃岐忌部氏、B彦狭知命が紀伊忌部氏の祖となったという。C櫛明玉命 は出雲国玉作 の祖神、D天目一箇命が筑紫伊勢両国の忌部の祖神。
 なかでも天日鷲命は穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣を作り、その子孫が最も著われて代々、木綿・麻布などを朝廷に貢上し、それは大嘗会の用に供された。
 麻植郡の名もこれから起こった。
 天太玉命の孫天富命は、阿波忌部を率いて東国に渡り、麻・穀を植え、また太玉命社を建てた。これが、安房社で、その地は安房郡となりのちに安房国となったと伝えられる。
 いま、安房神社は安房国一宮となっている。

(※)平成18年5月26日の追記2

 那岐那美両神の島生みの段に「大宜都比売」がおり、神生みの段にも「大宜都比売」がおられる。まったくお働きが異なる神でる。
 このただでさえ混同しやすい神名を祭神とする神社が徳島に二つある。
 一宮神社(徳島市一宮町西丁) → 国生みの大宜都比売
 上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角) → 神生みの国生みの大宜都比売
 当時四国に行ったときにも確認したし、現在編集している時もご神意を伺いながら筆を進めている。
 とてもきわどい箇所だ。

忌部神社
(ここは行けなかったが大事な神社)
徳島県徳島市二軒屋町2−48
祭神:天日鷲命
 忌部遠祖天日鷲命は、太古殻麻を植えて製紙、紡績の業を興し、皇祖天照大御神の功臣の内に列せられた。後世その神徳をたたえ麻植(おえ)神と称し子孫は忌部と称して国家祭祀の礼典をつかさどった。

(※)平成18年5月26日の追記1

 平成9年8月当時は大麻比古神社が天太玉命が神上がられた場所と捉えていた。
 しかし、今回当時の旅行を整理していると天太玉命が四国に渡ってきたという記録がないような気がする。
 すると、天太玉命が神上がられたのは、奈良県奈良市の穴栗神社(穴吹神社)か橿原市の天太玉命神社のどちらかである可能性が高い。春日大社が穴栗神社(穴吹神社)から勧請している摂社があることを考え合わせると穴栗神社(穴吹神社)が第一候補か。

『古語拾遺』を参照にすると次のようだ。

 社家の姓氏ー忌部氏ーより
 自家の衰運を嘆いた斎部広成が、祖先以来の経歴を述べて平城天皇に奉ったのが『古語拾遺』である。
 それによると、忌部氏の祖は天岩戸で活躍した天太玉命である。
 ほかに天太玉命に従っていた五神があり、
 そのうち、@天日鷲命(太玉命の弟)が阿波忌部氏、A手置帆負命が讃岐忌部氏、B彦狭知命が紀伊忌部氏の祖となったという。C櫛明玉命 は出雲国玉作 の祖神、D天目一箇命が筑紫伊勢両国の忌部の祖神。
 なかでも天日鷲命は穀(カジノキ:楮の一種)・木綿などを植えて白和幣を作り、その子孫が最も著われて代々、木綿・麻布などを朝廷に貢上し、それは大嘗会の用に供された。
 麻植郡の名もこれから起こった。
 天太玉命の孫天富命は、阿波忌部を率いて東国に渡り、麻・穀を植え、また太玉命社を建てた。これが、安房社で、その地は安房郡となりのちに安房国となったと伝えられる。
 いま、安房神社は安房国一宮となっている。

若一王子神社
(にゃくいちおうじ)
徳島県板野郡藍住町東中富字大塚傍示17-1
祭神:国常立尊、伊弉諾尊、伊弉冉尊
 創立年代不詳。古くは若一王子三社大権現と称し、四国の管領細川家の祝祭するところと伝える。
 高知県の吉野川上流に若一王子宮(ここクリック)という社名の神社がある。

国中神社 徳島県徳島市一宮町東
祭神:唯一真神、阿波国造祖神、他十二柱
 平安期以前の創立。那賀郡・美馬郡などに分社があり、当社はその根本社であり、また旧四カ村の産土神として栄えた。

・一宮神社(※) 徳島県徳島市一宮町西丁244
祭神:大宜都比売命、天石門別八倉比売命
 延喜式内社天石門別八倉比売神社にあたる。延喜の制では大社に列した。
 伊弉諾尊と伊弉冉尊の国生みの「大宜都比売」がここであろう。

(※)平成18年5月26日の追記2

 那岐那美両神の島生みの段に「大宜都比売」がおり、神生みの段にも「大宜都比売」がおられる。まったくお働きが異なる神でる。
 このただでさえ混同しやすい神名を祭神とする神社が徳島に二つある。
 一宮神社(徳島市一宮町西丁) → 国生みの大宜都比売
 上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角) → 神生みの国生みの大宜都比売
 当時四国に行ったときにも確認したし、現在編集している時もご神意を伺いながら筆を進めている。
 とてもきわどい箇所だ。

・上一宮大粟神社(※) 徳島県名西郡神山町神領字西上角330
祭神:大宜都比売神(別名:埴生女屋神)
 大宜都比売の神が大粟山丹生の地に天降り、現在の大粟山に宮を定め、保食神として阿波の国土をおさめた。旧社名を埴生女屋神社ともいう。祭神大宜都比売は丹生都比売とも呼ばれ、各時代の阿波の国主の信仰が篤かった。大宜都比売の乗馬の化石が神領大久保、丹生内にあり、小祠を祀る。
 新説「邪馬台国は阿波だった」の中心舞台となっている。
 那岐那美両神の島生みの「大宜都比売」ではなく、神生みの段の「大宜都比売」だろう。 

(※)平成18年5月26日の追記2

 那岐那美両神の島生みの段に「大宜都比売」がおり、神生みの段にも「大宜都比売」がおられる。まったくお働きが異なる神でる。
 このただでさえ混同しやすい神名を祭神とする神社が徳島に二つある。
 一宮神社(徳島市一宮町西丁) → 国生みの大宜都比売
 上一宮大粟神社(名西郡神山町神領字西上角) → 神生みの国生みの大宜都比売
 当時四国に行ったときにも確認したし、現在編集している時もご神意を伺いながら筆を進めている。
 とてもきわどい箇所だ。

剱神社 徳島県三好市東祖谷見ノ越
祭神:安徳天皇、大山祗命、素戔嗚命
 創立年代不詳。
 祖谷山開闢の時、大山祗命を鎮祀したと伝える。以来祖谷山の総鎮守であった。のち安徳天皇の遺物を納めて天皇を合祀。
 大杉博氏著 『四国は死国にされていた』(日本文芸社)
 宇野正美著 『古代ユダヤは日本で復活する』』(日本文芸社)
 を読んでいるころだったので、剣山に行くのがとても楽しみだった。
 平成18年5月26日の現段階では、契約の箱がどこにあるかという関心はなくなってしまった。
 モーゼの契約の箱は日本にあるといえば、日本にある。しかし、おそらく剣山にはないだろう。
 神の立場からすれば、契約の箱はどこからでも出すことが出来る。

石堂神社  徳島県美馬郡つるぎ町半田
 祭神:天神7代、地神5代
 創立年代不詳。

天椅立神社  徳島県三好郡東みよし町昼間3265
 祭神:伊邪那岐命、伊邪那見命
 延喜式所載の小社。慶長年間以降、羽津宮または羽津大名神と称せられた。本地方唯一の大社で、俗に昼間の大宮様とも称せられる。
 明治3年11月古称にもどり天椅立神社と公称する。

 ・高知県〜平成9(1997)年5月4、5日(日曜日)

1997(平成9)年5月4-5日(日)【6神社】、高知県

若一王子宮(奥宮)
(にゃくいちおうじぐう)
高知県長岡郡大豊町寺内
祭神:天照皇大神
 徳島県の若一王子神社(ここクリック)が吉野川沿いにあるので、吉野川に関わる神社名が「若一王子」という名称かもしれないと、当時は思った。
 吉野川の流れを清めたかった。

若一王子宮(大宮)
(にゃくいちおうじぐう)
高知県長岡郡本山町寺家
祭神:天照皇大神、伊弉諾神、伊弉冉神
 徳島県の若一王子神社(ここクリック)が吉野川沿いにあるので、吉野川に関わる神社名が「若一王子」という名称かもしれないと、当時は思った。
 吉野川の流れを清めたかった。

早明浦ダム 高知県長岡郡本山町寺家
 吉野川の流れを清めたかった。
 時間が許す限り上流に行きたかったが、ここまででした。

土佐神社(一之宮) 高知県高知市一宮しなね2丁目
祭神:味鋤高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)
    一言主神(ひとことぬしのかみ)
 往古より土佐に鎮座の神で、土佐高賀茂大社・高賀茂大明神と称した。日本書紀によれば、創立年代は遠く上古にあるもののようで、つとに皇室の崇敬あつく、しばしば勅使の参向があった。延喜の制では名神大社に列し、天正3年には正一位に進まれた。土佐国総鎮守として武門の崇敬篤い。

高岡神社 (仁井田5社) 高知県高岡郡四万十町仕出原
祭神:大日本根子彦大邇尊
    磯城細姫命
    大山祗命
    吉備彦狭島命
    伊予二名州小千命
    伊予島天狭貫命
 伊予の二名島と称せられた時、孝霊天皇の御子彦狭島命がここに奉ぜられ斎祀。
 昔は仁井田大明神と称し一社であったという。天長3年空海が四国八十八ヵ所札所を創始した時5社に分祀、5社大明神と改称した。朝廷直轄の作事であった。

星神社 高知県四万十町十和村
祭神:天之御中主神
    高皇産霊神
    神皇産霊神
    天照皇大神
    菅原道真
 創始年代不詳。
 上山之牧主田那部氏の家臣、上山新助・新屋丹後・新屋蔵人・中野主計・宮脇弾正らが勧請したと伝えられる。
 往古烏村の東峯に星霊が降臨し、神告があったので西麓泉水のほとりに社殿を造営奉斎した。その後本郷の水上に遷座の託宣があり、現在の地に移転鎮祭したと伝えられる。
 参拝した時がちょうど5月5日だったので、四万十川にこいのぼりが無数に泳いでいた。

(※)平成18年5月26日の追記

 平成9年当時、那岐那美両神の国生みの時の「建依別(たてよりわけ)」を高知県で探したが発見できなかった。
 今回も、当時の旅行を整理しながら「建依別」を探したが見つけ出すことが出来なかった。
 結局、「建依別」を祭っている神社はないのではないかと思われるくらいだ。

1997(平成9)年5月5日(月)【1神社】、愛媛県

    愛媛県は時間がなくてこれ以上周れなかった。次回に期待。
御三戸神社 愛媛県上浮穴郡久万高原町上黒岩