5度の岩戸閉め ・岩戸開き ・建替え建直し 月の光 > 聖地 探訪ノート
  三.おのころ島と水蛭子・淡島について

.はじめに

 ここの論考は、日本固有の地名として記述しますが、「日本」という島国の話として語るところでありません。

 日本という国土は「世界」の雛形と見ることもできますが、日本と世界という観点ではここの部分は記述していません。

 日本列島はこの大地という大宇宙の宇宙地図になっている、という観点で書かれています。


 この論考を読みやすくするために、まず最初に目を閉じて。。。3つ数えます。

 「いち、に、さん」

 そして、大地という大宇宙の地図が日本列島だ、とまず思い定めてください。


 日本固有の地名が出てきますが、それは日本の地名ではありません。大地という大宇宙の中に、同じような地名があると思ってお読みください。


  瀬戸内の島々の航空写真が宇宙の最初の状態を思い浮かべるときに役立つかもしれません。
  (Googleのサテライト地図←表示させてブラウザの更新ボタンを押してください)


 ☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 私がホームページ「月の光」のトップページに書きましたように、現在の宇宙の年齢が137億年であることは宇宙科学が突き止めた事実です。

 日本神話は、「くらげなすただよえる」状態だった宇宙を「つくりかためなせ」と命じられて「くにうみ」していったのは伊弉那岐・伊弉那美(=137のキとミ)であると示しています。イザナギ・イザナミとは「137(イザナ)の」と読めるのですから、数字を大事にする日本の神の感覚からすれば、現在の宇宙の年齢が137億年であることは実に納得できる数字になっていると思います。

  那岐那美両神が、銀河を生み上げ、惑星系列を生み上げ、最終的に地球上で『完訳 秀真伝』に伝わる神人(=尊や命)として現れたことを、『新版 ひふみ神示』は「なりなりなりのはてにいざなぎのみこといざなみのみこと」になったと伝えてくれているのだろうと思います。


 「大神」という表現を使う場合、無数の銀河が構成の基本単位になっています。
 「神」という表現を使う場合、無数にある銀河の中のそれぞれの惑星系列が構成の基本単位になっています。
 「尊」や「命」という表現を使う場合、各惑星の中で、人体をもって現れたときの呼び方です。

 ですから、伊邪那岐大神・伊邪那美大神という表現をした場合、無数の銀河が構成の基本単位になっています。
 そして、伊邪那岐神・伊邪那美神という表現をした場合、私たちの太陽系が構成の基本単位になっています。
 伊邪那岐尊・伊邪那美尊と表現した場合、地球上での各地域が構成の基本単位になっています。

 こういう理由によって、「尊」や「命」は「神」を超えることはできませんし、「神」は「大神」を越えることはできません。
 そして、「大神」は「天地の主神(天の大神=唯一神)」の御旨の中にお働きになられています。
 「天地の主神(天の大神=唯一神)」からみれば、一神は多神となって現れ、汎神となって現れるのがこの宇宙の実相です。

 厳密には、上のような区別を私はしていますが、一般的な論考では「大神」「神」「尊」が区別されていなくても何ら支障ありません。



 くどいようですが、何度も繰り返しお願いしておきます。
 日本の地名が出てきますが、それは日本の地名ではありません。日本列島の中の地名は、大地という大宇宙の中にある地名が、日本列島という宇宙地図のなかにたまたま示されているものにすぎません。そういう観点で書かれていますから、くれぐれも現実の地名と混同されないようにお願いします。

.友ヶ島(友が島)と沼島

 それでは始めましょう。
 (以下では断定的に記述しますが、全て私の推測ですので、くれぐれも誤解のないようにお願いします)


 天津神は、宮城県の日高見国(高天原)から、伊邪那岐大神と伊邪那美大神に国常立大神が退忍余儀なきにいたったのちの「くらげなすただよえる」状態の大地宇宙を「つくりかためなせ」と命じました。


 伊邪那岐大神と伊邪那美大神は、「くらげなすただよえる」状態の宇宙を「つくりかためなせ」と天津神から命じられたとき、四国徳島県小松島市の日峰神社におられました。

 日峰神社からみて、天津神が命じられた方角に「くらげなすただよえる」状態の宇宙を「つくりかため」するための聖所である「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)があるらしいことは知っていました。
 国常立大神が大宇宙を生み上げる時の伝承が残っていたからです。

 下の地図をご覧下さい


<< 日峰神社から友ヶ島を望むと途中に沼島が見える。
      この延長線上に日高見の国あるはずです  >>



 上の地図を参考にすると、日峰神社からみて、天津神が命じられた宮城県の日高見国(高天原)の方角に、「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)が確かにあります。しかし、日峰神社から「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)を探索すると、沼島が「おのころ島」のように現れてきます。

 日本という島国で考えた場合、津峯神社の方角からみればどれが「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)で、どれが沼島かは一目瞭然なのですが、大宇宙の中でそうはいかなかったのだろうと思えます。
 そういう余裕など持てる状況下になかったというところでしょう。

 国常立大神引退後の宇宙は「くらげなすただよえる」状態で視界がきく状況ではなかった。

 日峰神社からみて、天津神が命じられた宮城県の日高見国(高天原)の方角に直進した結果、沼島が伊邪那岐大神と伊邪那美大神の時、「おのころ島」となって現れてしまったのです。

.沼島(おのころ島)で水蛭子(ひるこ)淡島が誕生する
   〜現宇宙の誕生〜

 伊邪那岐大神と伊邪那美大神が、沼島(おのころ島)に降り立ってのちの国生みの状況を『新版 ひふみ神示』は次のように伝えてくれます。



  『新版 ひふみ神示』(第6巻日月の巻 第30帖)
 おのころの国成り、この国におりましてあめとの御柱見立て給ひき。茲に伊邪那岐命伊邪那岐命島生み給ひき。初めに水蛭子淡島生み給ひき。この御子国のうちにかくれ給ひければ、次にのりごちてのち生み給へる御子、淡道之穂之三別島、伊予の二名島、
         (以下略)  。 


 上のように『新版 ひふみ神示』(第6巻日月の巻 第30帖)は、水蛭子(ひるこ)・淡島を生み上げた後、水蛭子(ひるこ)・淡島に「かくれて」、それ以降の島生みを行ったと伝えています。


 では、水蛭子(ひるこ)・淡島をどういうものとしてイメージすればいいのでしょう。

 那岐那美両神の原初的風景を「言葉」で説明することは不可能ですが、イメージとしてならお伝えすることが出来そうです。
  『新版 ひふみ神示』は「神の名」とは「神のお働き」のことだとしていますので、この考えに基づいて、伊邪那岐尊と伊邪那美尊という名で行うべき「お働き」は「分離-分割」と「凝固ー統合」だろうとなんとなく思っていました。
 伊邪那岐尊が「分離ー分割」のお働きで、伊邪那美尊が「凝固ー統合」のお働きです。しかし、なぜそのように言えるかについては根拠がありません。なんとなく思うのです。

 国常立大神引退後の宇宙は「くらげなすただよえる」状態でどう手をつけていいか皆目検討つかない状態でした。「くらげなすただよえる」状態の宇宙をまずはひとまず凝固(伊邪那美尊のお働き)させなければ、「つくりかため」なすこと事態が不可能だったのかもしれません。
 伊邪那美大神は、伊邪那岐大神をさしおいて最初に声を発してはいけないことぐらい百も承知です。そして、そのことは伊邪那岐大神も十分すぎるくらい知っておられました。

 しかし、国常立大神が退忍後の宇宙は「くらげなすただよえる」状態で掴みどころをえません。

 これらの事情を胎の底にしっかりと呑込んで伊邪那美大神から言葉を発しました。
 この伊邪那美大神(凝固ー統合)のお言葉によって「くらげなすただよえる」宇宙の凝固が始まりました。その凝固し始めた宇宙に向かって伊邪那岐大神(分離ー分割)のお言葉がかけられました。分離し各部署に「神の名」(お働き)を授けていくご活動が始まったのです。

 しかし、伊邪那美大神(統合)のお言葉から始めたためうまくいかなかった、と伝えられています。これは、那岐那美両大神にとっても、推測できる範囲内のことです。


 伊邪那岐大神の「分離ー分割」のお働きがありますので、分割は最低2つです。水蛭子(ひるこ)だけでは「分離ー分割」の理屈にあいません。水蛭子(ひるこ)と淡島でなければなりません。


 このうまくいかなかった成果を水蛭子(ひるこ)・淡島としました。
 「くらげなすただよえる」状態だった大宇宙が、現在の大宇宙になった瞬間です。
 この時期を宇宙物理学は137億年前と推測しています。

 日本神話から宇宙理論を眺めると、宇宙の歴史は137億年前に始まるものではなく、伊邪那岐大神と伊邪那美大神が国生みする前の「くらげなすただよえる」状態だった大宇宙が存在しています。


 話を元に戻します。
 水蛭子(ひるこ)・淡島は子の数にいれてもらえず沼島(おのころ島)から流されました。流れ着いたところが徳島県阿南市周辺(下の地図)です。

<< 徳島県阿南市周辺の淡島神社と蛭子(ひるこ)神社  >>

<< 全体図はこちらをクリック >>

 徳島県阿南市の淡島神社は水蛭子(ひるこ)淡島の本宮の位置にある神社です。


 「くらげなすただよえる」状態の宇宙は、伊邪那美大神(凝固ー統合)が最初に声を発し、次に伊邪那岐大神(分離ー分割)が声を発し、ようやく、水蛭子(ひるこ)・淡島という形までもってくることが出来たのです。

 しかし、水蛭子(ひるこ)・淡島は徳島県阿南市の淡島神社周辺に流されました。


 『新版ひふみ神示』第六巻日月の巻第二八帖では
 「水蛭子(ひるこ)淡島(あわしま)生み給ひき。この御子国のうちにかくれ給ひければ 」

 と伝えてくれていますから、伊邪那岐大神と伊邪那美大神は徳島県阿南市の淡島神社に降り立って国生みを続けたのでしょう。

 伊邪那岐大神と伊邪那美大神は、なぜ「おのころ島」が沼島になったのかを津峯神社に登って追求しました。
 その結果、日峰神社からみて、確かに宮城県の日高見国の方角に「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)があるのですが、その途中に沼島(おのころ島)があることが解ったのです。
  →全体地図参照



 水蛭子(ひるこ)・淡島は、国常立大神が退忍後の「くらげなすただよえる」状態の宇宙を「つくりかため」なすために生み上げられた救いの御子神です。しかし、伊邪那美大神(統合)のお言葉から始めたため、天意にそうものではなかった。

 伊邪那岐大神と伊邪那美大神が国生みを命じられた時、絶対矛盾をかかえていたのです。


  絶対矛盾を承知のうえ、国生みをしなければならなかった。「くらげなすただよえる」状態の宇宙を、伊邪那美大神(凝固ー統合)が最初に声を発し、次に伊邪那岐大神(分離ー分割)が声を発し、ようやく、水蛭子(ひるこ)・淡島という形までもってくることが出来たのです。


 マクロレベル出見た場合、われわれの太陽系銀河やそのほか多くの銀河や星雲が、水蛭子(ひるこ)・淡島そのもです。


 そして、超ミクロレベルで見た場合、量子物理学における物質の2側面(波動と粒子)において、「波動」が水蛭子に相当し、「粒子」が淡島に相当しています。


 
 こうして、「くらげなすただよえる」状態だった宇宙は、水蛭子(ひるこ)・淡島という現在の大宇宙の形をとることが出来るようになりました。


 私たちの現実の生活は、実は、水蛭子(ひるこ)・淡島を抜きにしては考えられないものなのです。

.水蛭子(ひるこ)淡島は、精子と卵子でもある。

  水蛭子(ひるこ)と淡島というのは、まずは宇宙的規模で理解すべき性質のものです。

  しかし、水蛭子(ひるこ)と淡島というのは、超マクロ的かつ超ミクロ的な出来事というだけではありません。


 私は神事(かみごと)に関わって以来、事あるごとに水蛭子(ひるこ)と淡島に考えをめぐらせていました。そして、水蛭子(ひるこ)や淡島の地名をみると足を伸ばしていました。


 淡島神社のある徳島県阿南市もその中の一つでした。この淡島神社(徳島県阿南市)の特徴は神社の周辺に水蛭子(ひるこ)神社が多くあることにあります。
   →周辺地図はこちら


 平成13年8月16日、徳島県阿南市の3つの水蛭子神社の参拝をし、淡島神社の神前の前に立ってみると、水蛭子(ひるこ)は男性の精子に例えることができ、淡島は女性の卵子に例えることができる事を知りました。
 こういう直感やイメージが降りてくるのです。
 

 精子(水蛭子)と卵子(淡島)は、人がある年齢に達すると常に体外に流しだされるものです。
 そして、時が来て、子宮の中で、一つの卵子に一つの精子が出会うことによって受精し新たな生命がめばえます。

 男性が先なので精子(水蛭子)が先に表現されます。そして次に女性の卵子(淡島)と表現されます。
 一つの卵子に無数の精子が向かうので、上の地図に示されているように淡島神社の周辺に多数の蛭子神社が配置されます。
 そして、受精し子供が誕生する。
 津峯神社の祭神のお働きに寿命に関わるお働きがありますので、こういうことを暗示しているようにみえます。


    このことは、 『新版ひふみ神示』において、

       ○(れい)に『ゝ』(てん)入れる、   

          と表現されていることそのものです。

     (注)○(れい )→ 卵子(淡島) 、 『ゝ』(てん) → 精子(水蛭子) 


 人体において、精子と卵子の結合が新しい生命を生み出すというこの形は、実は宇宙においても銀河の衝突という形で実際に起こっており、2つの銀河の結合によって新しい銀河が誕生している形になって現れています。
 ここは宇宙物理学が近年突き止めた科学的事実です。


 さらに、民族的に見た場合でも水蛭子淡島論が適用されえます。
 ある民族と別の民族が結合していくことによって、新しい民族が生れていく。
 よく言われるのは、日本とイスラエルの関わりでいわれることも、この水蛭子淡島論が背景にあると考えないと理解できない部分でしょう。


 こう見てきますと、存在するもの全てが水蛭子(ひるこ)と淡島の属性を持っていると理解することができるでしょう。


 水蛭子神社淡島神社がおかれている徳島県阿南市畭町周辺は、私の理解するところでは女性の子宮(四宮)の胎盤の位置に相当します。


 那岐那美両神の島生みは、おそらくこの地で実行にうつされたのです。



 水蛭子(ひるこ)淡島は、現在のわれわれの生活において、ミクロからマクロにわたって日常生活の隅々に関わっており、かつ男女関係は水蛭子(ひるこ)淡島論を抜きに考えることは出来ないのです。


「イザナギノミコト イザナミノミコト、イキアワシタマヒテ、アウあう トノラセタマヒテ、クニ、ウミタマヒキ」
 (『新版ひふみ神示』第六巻日月の巻第二四帖)

 人体を持った人間の立場からは、
  「アウ
  「あう
 と、こころ通う男女の営みが水蛭子淡島を生まない心得なのでしょう。





.伊邪那岐大神と伊邪那美大神の誓い

 伊邪那岐大神と伊邪那美大神は国生みを終えたあと、諭鶴羽神社(淡路島)に降り立ち、来るべき国生みの完結にむけて、誓いを立てたのです。


 その誓いとは何か。

 沼島(おのころ島)を「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)に合流させなければ、伊邪那岐大神と伊邪那美大神の国生みの出発点が是正されませんので、時が来たら、必ずそうするという誓いです。


 大地という大宇宙において伊邪那岐大神と伊邪那美大神の千引の岩戸開きが、平成7年11月26日(旧暦10月4日)に山形県の出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)を擁する庄内地方で行われたことは私のホームページ「月の光」で伝えています(その箇所はこちら)。

>>  山形県の出羽三山を擁する庄内地方平成7年11月26日(旧暦10月4日の日の出から夜半にかけて千引の岩戸開きが行われ、平成7年11月27日(旧暦10月5日)の午後、伊邪那岐尊と伊邪那美尊がようやく出会うことができました。            <<

 ですので、人の意識に関わりなく、大地という大宇宙では沼島(おのころ島)を「おのころ」の四音の島(友ヶ島の四つの島)に合流させる動きが始まっているとみていいでしょう。



 日本列島は、大地という大宇宙の宇宙図なので、大地という大宇宙に照応した形に書き換えられていくでしょう。


 ここで、誤解されないようにチョッとだけ付け加えておきます。

 大地という大宇宙の中心点は、伊勢神宮に置かれています。全てが伊勢神宮の大神の指示に従います。われわれの太陽系銀河のみならず、全ての銀河系が伊勢神宮の大神の指示に従います。
 これが大地という大宇宙の絶対神律で、日本という国の宇宙において類まれな位置です。

.最後に、様々な課題と感想

○第一点。
 『 【超図解】 竹内文献 』(徳間書店刊、高坂 和導 編著)に記述されているように、現在の人類の文明に至るまでにいくつかの人類とその文明が滅んでいると私は考えています。
 神の立場から見ると、神界に蛭子・淡島を生んでしまったため、物質界へ表現してくるとき滅びる文明(流しさられる文明)にならざるを得なかったともいえるかもしれないし、あるいは滅びさる定めに合った文明を「水蛭子」「淡島」と表現したといえるかもしれない部分です。

 高坂氏が到達しているように神代のある時代には、黄泉国はアフガニスタンのへラートでだった時があったようです。神代の時代には、2つか3つ大きく時代が区分されていることは解りますが残っている記録がわずかなので、うまく追求しきれない部分です。
 こういう点、「竹内文献」の記述は深い、そう思います。


○第二点。
 『完訳 秀真伝』(八幡書店、鳥居礼著)からみると、和歌との関係で論じなければならけない部分なのですが残念ながら私にその実力がありません。

 「五四(いよ)」調の和歌の歌い方と
 「五七三(いなさ)」調の和歌の歌い方です。

 「五四(いよ)」は愛媛県の伊予の二名島に結実し
 「五七三(いなさ)」は島根県の稲佐の浜に結実した、という強い思いが湧き上がってくるのですがここで留まったままです。
 数霊と言霊が密接不可分に絡まっている地域な気がするんですが。。。

 時間を下さい。


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○水蛭子(ひるこ)淡島をどう捉えるかは、神道家の長い間の課題でした。


 水蛭子(ひるこ)と淡島についてどういう理解をするか、多くの先達が試みては十分な説明を行えなかった箇所だろうと思います。

 物理学が一定レベルに到達していないという時代の制約のために誰も成功し得なかった部分です。


 私が平成7・8年から、生活費を削ってガソリン代を捻出し日本各地を周ってきた一つの到達が私の「水蛭子(ひるこ)・淡島」論にあります。自分では「よくやった」と評価しているのですが、人の評価がついてくるのは20年先のような気がします。


 私の子供たちによって広く知られるようになるかも知れません。


 私の幸運は、出口王仁三郎の『霊界物語』と岡本天明の『新版ひふみ神示』、鳥居礼編著の『完訳秀真伝』が世に出ていたこと、宇宙物理学の到達(銀河の衝突という事実)、量子物理学の「波」と「粒子」を知る事ができる時代状況にありました。
 
 

 
 この論考は、神書の体裁を整えて、ご縁の神社に奉納させていただく予定でおります。

                                         平成18年6月17日 成田 亨


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