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拝殿
ご祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)天照大神(あまてらすおおみかみ)
ご神体〜ゴトビキ岩・天ノ磐盾(天磐盾)
神武天皇 聖跡 熊野神邑 天磐盾(神倉山)顕彰碑
天磐盾(あめのいわたて)
神武天皇記(日本書紀)には戌午年(神武紀元前3年)6月に狭野(佐野)を越えて「熊野神邑(みわのむら)に到り、旦(すなわち)天磐盾(あめのいわたて)に登りて」と記しています。
紀元2650年(平成2年)を奉祝して神武天皇聖跡である熊野神邑(新宮の古称)の天磐盾(神倉山)の顕彰碑を神倉神社奉賛会が奉献し、文字は鈴木江邨氏が謹書されています。
平成2年2月11日 建国記念日
神倉神社・阿須賀神社・烏止野神社・熊野本宮大社・熊野速玉大社
熊野の観光名所/阿須賀神社からの引用です
阿須賀神社は社伝によれば紀元前423年に創建されたそうですが、中古、火災により古文書を焼失したため、詳しいことはわかっていません。阿須賀神社の現在の社殿は、昭和20年(1945)に米軍の空襲により付近の民家約200戸とともに焼失したため、戦後、昭和27年(1952)に再建されたものです。
阿須賀神社はじつは熊野発祥の地であるといわれています。古伝によると、
熊野大神は初め神倉山(神倉神社)に降臨し、次に阿須賀の森(阿須賀神社)に遷り、熊野大神のうち家津美御子はさらに貴袮谷〔きねがたに〕(貴袮谷社・烏止野神社)に遷ったが、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神はそのまま阿須賀の森(阿須賀神社)に留まった。
第十代崇神天皇(紀元前97年2月17日〜紀元前29年1月9日)の御代に家津美御子はさらに熊野川上流の音無の里(熊野本宮大社)に遷り、結(伊邪那美)・速玉(伊邪那岐)の二神は第十二代景行天皇(71年7月11日〜130年11月7日)の御代に今の新宮(熊野速玉大社)に遷座した。
神倉神社周辺マップ
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